蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza 作:観測者と語り部
日本列島から遠く離れた海域にて、その艦はあらゆる波を物ともせず、まさに不動の如しだった。
既存のどのような船も、その船の前では小さく矮小な存在に思えてしまう威容。
巨大な船体に浮かぶ巨砲に、都市に建築された塔にも劣らない艦橋。
人間が正面から見据えれば、立ち並ぶ三連装の主砲と立派な艦橋に圧倒されてしまうのも無理はないだろう。
遠目から見ても己の存在を主張するそれは、海に浮かぶ城といっても過言ではない。
戦艦『大和』。
今でも戦艦として世界最大の排水量を誇る彼の船は、大戦艦を超えて超戦艦と評される程の大きさを誇っていた。
そこから繰り出される火力と、備えられた防御力は推して知るべしである。
そして船体に浮かび上がる発光した文様が、彼の船を霧の戦艦であること物語っていた。
その艦橋の頂上に背筋を正したまま立ちつつける二人の女性の姿がある。
一人は装飾があまり施されていない、質素ながらも立派なドレスに身を包んだ女性。
もう一人は海軍士官学校で支給されるような、白い制服に身を包んだ女性だ。
二人の姿はまったくの瓜二つで、双子どころか同一人物と言われても違和感がない。
背格好が同じならば見分けることが出来ないのは明らかだった。
彼女達は『大和』の演算素子によって形成されたメンタルモデル。
ドレスの方がヤマト、セーラー服の方が、モデルとなった人物の名前を借りてコトノと名乗っている。
一部の戦艦に搭載された膨大な演算能力を誇るデルタ・コアにのみ許された。
一つの艦に二人のメンタルモデルを有した存在。
そして日本の海域を封鎖して人類の艦艇を海に出さないようにする艦隊。
霧の東洋方面艦隊群の全てを指揮する総旗艦でもあった。
そんな彼女達は、ユーラシア大陸とアメリカ大陸に囲まれた北極海の入り口に『大和』が停泊しているにも関わらず、寒さの影響を全く受けていない様子。
それは些末と言わんばかりに、じっと氷に閉ざされた北極海の先を見据えている。
まるで何かを監視するかのように。
「人類との大海戦の合間に対峙して以降、何の動きも見せようとしないわね」
「そうですね。恐らくは期を窺っている。人類、霧の双方を滅ぼす為の行動を起こす時期を」
「あれが無差別に破壊を振りまく兵器群の元凶なのは間違いない。けれど、戦術を有さない霧が戦っても、勝算は少ない」
「だから、千早群像の成長に賭けたのでしょう? 彼が経験を積んで艦隊の指揮を取れるような艦長となる為に」
「そう、私達と翔像のおじさまでは手が足りないもの。方面艦隊の指揮を取れとは言わないけど、分遣艦隊位なら率いて欲しいわ」
互いに言葉を交えながら、二人の少女は会話を続ける。
それは会話というよりも確認といったような意味合いが強く。事実、二人は同じ情報を共有するが故に、互いが何を言いたいのか理解している。
もっとも経験の部分ではコトノと呼ばれるメンタルモデルの方が上だった。
彼女はある意味で特別なのだ。
「どうやら来たようです」
「もう、待ちくたびれたわよ? 402。403」
ふと、何かに気が付いたかのように、ヤマトとコトノは艦の左舷に視線を向けた。
徐々に海面に姿を浮かび上がらせたのは二隻のイ号潜水艦。
淡い翡翠色の船体を持つイ402。
淡い黄色の船体を持つイ403。
色の違い以外はまったくの同型艦である二隻だった。
超戦艦『大和』と接触しないように離れた場所から浮上した二隻だが、艦の側面に設けられた補助推進を自在にコントロールして徐々に近づいてくる。
やがて、港に停泊する時のように側面の推進装置を噴射。それを制御しながら『大和』に隣接した。
順番的に『大和』の隣に402が並び、その隣に403が続く形。
そうして二隻の潜水艦のセイルからハッチを開けて現れたのは、小柄な少女の形をした402と403のメンタルモデル。
二人並んで歩けば誰もが双子だと思うであろう、瓜二つの姿をした少女達。
彼女達はタラップも展開せずに軽々と跳びあがると、大和の甲板に降り立ってみせた。
それを出迎えるのは同じく、艦橋からふわりと飛び降りたヤマトとコトノの二人だ。
「ただ今戻りました。総旗艦」
「おかえりなさい、402。その子が例の?」
「はい、途中でアクシデントもありましたが、指示された通り連れてきました。おい403、総旗艦に挨拶しろ」
ヤマトの問い掛けに応える402。
敬礼はしないまでも、いつもより丁寧な口調で喋り、接していて。
そこからヤマトは402にとっての上司に当たる存在だと理解できる光景。
だが、403は不思議そうに首を傾げるだけで、挨拶する素振りも見せない。
それどころかじっと、ヤマトの姿を眺めているだけだった。
それに402は冷や汗を流す。
403を観察していて分かったことだが、彼女は好奇心を刺激されると首を傾げる癖があるのだ。興味を持ったとも言う。
こうなると命令に沿って行動していても、余裕があれば脇道に逸れ始めてしまう。
何よりも総旗艦の手前。失礼な態度はあまり見せるべきではなかった。
「403! 総旗艦の前だぞ。到着前にあれほどちゃんとしろと言い聞かせておいたのに、お前という奴は――」
「いいえ、構いませんよ402。私は気にしておりませんから」
「ですが、総旗艦。これでは他の艦に示しがつきません」
「いいんじゃない? 私の指揮下にある巡洋艦隊の子達だって一癖も、二癖もあるのよ? そんな連中に比べたら、この子の態度は大人しい方だわ」
「コトノ様……」
尚も真面目にあろうとする402に対して、時間の無駄だからやめようと遠回しに伝えるコトノ。
彼女は興味深そうにゆっくりと403に近寄ると、自分よりも小さな両手をそっと掴みあげた。
403も何も言わずにじっとコトノを見つめている。
「ふふ、見れば見るほど不思議な子ね。403。
貴女は何処から来て、何処へ行こうというのかしら?」
意味深なコトノの問い掛け。
「対象。超戦艦。コトノ。ヤマト。分析中。二人の形状に差異は見受けられないが、精神構造は異なる模様。あえて違うように振る舞っている? しかし、当艦と比べて胸部性能の差は圧倒的であると判断。人間の異性から見た場合の武器と思われる。色仕掛けによる魅惑の効果あり」
それに対しての返答はやっぱりどこかずれていて、403は分析の結果を淡々と口にしていた。
口から漏れ出るのは自分と大和のメンタルモデル二人の、胸の差が圧倒的であるという呟き。
心なしか視線はコトノの胸に釘付けのようだ。
自分とコトノの身体的特徴の差を疑問に思ったらしい。自分なりの解析結果をまとめている。
「ぷっ、この子面白いわ! ヤマト、402、ちょっとこの子を借りていくわね」
だから、予想外の反応にコトノが噴き出すのも無理はなかった。
存在自体が興味深い対象なのに、そこに面白さが加われば無視することなど出来はしない。
だから、コトノは我慢できないと言った様子で403を『大和』の後部甲板に連れ立っていく。
その様子を溜息を吐きながら眺め、視線だけで送り出した402は疲れた様子を隠せなかった。
もちろん原因は403である。
「まったく、アイツと来たら何をやってるんだか……」
「そのことなのですが、402。403の存在に疑問を持ちませんでしたか?」
「それはどういう意味でしょうか。総旗艦」
そうしてヤマトと二人っきりになった402だったが、総旗艦の突然の質問に驚きを隠せなかった。
ヤマトの物言いは、まるで403が存在していなかったとでも告げるようで。事実、その通りだとでも言うように彼女は重々しく頷いた。
「402も私も、403の存在を当然のように。前から居て当たり前のようだと思っています。ですが、貴女が此方を訪れる前に送ってきた、403の評定報告を見る限りでは、いくつかの疑問を禁じ得ません」
ヤマトが疑問を抱いたのは何事にも興味を示す403の様子だ。
霧の艦隊がメンタルモデルを得る前に、多くの経験値を蓄積していたのに対し、403は何も知らない生まれたての赤子のようだと402は評した。
未知の存在である人類を観察するならまだしも、見慣れた海洋生物に興味を示すなど他の霧では有り得ない。
そこをきっかけとしてヤマトは403という存在をずっと推察していた。
そして、403と彼女の船体である黄色のイ号潜水艦が大和の前に現れてから、402と403が気が付かない所で解析、分析をずっと行っている。
イ号403を構成するナノマテリアルの量や質。
その構成結果に材質の違い。
重力子機関の反応と、他のイ400型潜水艦の機関とを比べた時の様々な違い。
そして霧の艦隊の誰もが持つ、本体とも言えるコアの違い。
彼女の霧としての思考の在り方などなど。
そこから推測される可能性は様々だ
「少なくとも、彼女は我々霧のネットワークに登録された艦ではなかった可能性があります。
今では何事もないようにイ号潜水艦403として存在していますが、そもそも403という潜水艦は存在しない船の筈です」
彼女たち霧の艦艇は、歴史の忠実における第二次世界大戦の船の形状を模している。
その性能は既存のものとまったく違うのだが、そこは関係ない。
大事なのは未完成の艦や建造中止になった艦は存在していないという事だ。
そうなると建造途中で終わった403は架空の船ということになる。
これは霧の艦船の中心となる演算コアが限られているからなのだが、そんな貴重な部分ともなれば厳重に管理・登録されているのは当然である。
「しかし、403のコアはこうして霧のひとつとして登録されています。我々に何の疑問の余地も抱かせない程に」
「それは我々が何らかのハッキングを受けたという事でしょうか。403も例の無人艦のように、異なる世界からやってきた敵の刺客かもしれないと?」
「あるいは正規の命令によるものかもしれません」
「それは、まさか……アドミラリティ・コードの勅令――」
独立した自我を持つ霧の艦隊は、基本的に誰の命令も受けることはない。
ヤマトに命令を受ける402にしても、大元の目標を遂行するために指示を下す、上司と部下といった関係だ。
唯一の例外はアドミラリティ・コードと呼ばれる『勅令』。
それが全ての霧の艦に搭載されたユニオン・コアやデルタ・コアに干渉して絶対的な命令を下すことが出来る。
そのような存在が関与しているのであれば、403の存在に対して、霧の誰もが疑問の余地すら抱かないのも当然かもしれない。
断言できる証拠もなく、憶測でしか推測できないが、可能性としては大いにあり得る話だった。
「何にしても彼女の存在も、彼女の陥っている状態も、霧としてはイレギュラーと言えるでしょう」
「監視致しますか?」
「403が霧のネットワークに接続しているのならば、その必要もないでしょう。それに貴女と400は忙しい身です。今は想定外の事態により呼び戻しましたが、引き続き別の任務にあたって貰います」
「消失したアドミラリティ・コードの探索と保護。そして例の反応を示す艦の探索ですね?」
「ええ、特に後者はかなりの危険を伴います。Uー2501が大西洋でそれらしき反応を見たとの報告もありますが、依然行方は知れぬままです。厳重に警戒を重ねて、慎重に行動してください。402」
「了解です。総旗艦」
◇ ◇ ◇
さて、大和の甲板を歩き、艦橋付近を通り過ぎて艦尾付近までコトノに連れて来られた403であるが。彼女としては少々困った事態に陥っていた。
403と手を繋ぎ、鼻歌を歌いながら歩き回るコトノ。
そんな陽気な態度とは裏腹に、とんでもないハッキング速度で403は構成素材を弄られていたのである。
主に、服や下着といった外見部分を。
それはもう瞬時に行われる早業と言ってよかった。
ある時は着物からチャイナ服に。
ある時はチャイナ服から上半身しか覆わないようなドレス姿に。
ある時は様々な童話の姫様が着るドレス姿にと瞬時に目まぐるしく変わっていくのだ。
抵抗しようにも、コトノの演算処理は桁違いに膨大で、相手の演算処理を妨害しようとした403の演算すら苦も無く、彼女は衣服チェンジをやってのける。
403がコアの機能を使う時は、演算処理を行うための紋様が肌に浮かび上がるのだが、コトノはそんな素振りすら見せない。
表情を一つも変えずに、少なくない演算処理を使うハッキングを片手間に行う。
そこから推測される超戦艦大和のスペックは計り知れない。
おまけに髪型も次々と衣装に合わせて変化するので、403はメンタルモデルを通して伝わる些細な髪の感覚変化に戸惑ってもいる。
その数分にも満たないじゃれ合いの結果として、総旗艦大和のメンタルモデルのコトノを、苦手意識に分類される存在だと403が結論付けるのも無理はなかった。
着せ替え人形にする方は楽しいが、されている方はそうでもないという事だ。
「やっぱり、メンタルモデルを通した海風の感覚は気持ちが良いわ。貴女もそう思わない、403?」
「返答。経験値の不足から結論付ける要素が不足。しかし、最初の経験。海原を目撃した体験における感覚が、その感覚に該当するものと思われる」
「くす、そうね。初めてメンタルモデルを持った時。そこから見える景色は何よりも輝いて見えるわ。
他の霧だって機械のセンサーとは違う、人間と同じ視覚を通した膨大な感覚に圧倒される者も少なくない。きっと何かしらを感じている。
だから、貴女の経験における推察は、きっと間違っていないわ」
淡々と、無機質で、機械的に応える403。
それとは対照的に感情豊かに、多彩な表情で言葉を添えるコトノ。
それは誰よりも人間らしくないメンタルモデルと、誰よりも人間らしいメンタルモデルの対比であった。
「ねぇ、403。貴女はこの世界を尊いと思う? この大海原が広がる何処までも広大な蒼い世界を守りたいと思う?」
「…………」
再び意味深なコトノの質問に、403は何も答えようとはしなかった。
答えることが出来ないのだ。
彼女にはまだ、遠回しな言葉遊びに含まれる核心に触れるといった推測をするのが難しい。
メンタルモデルとしての経験が圧倒的に不足しているからだ。
頭の中では演算素子が全力稼働している。
例えるなら考えすぎて頭痛を覚えるといった状態。
肌に浮かぶ黄色い文様もいっそう輝いていることから、どれほどの演算力を駆使しているのか想像に難くない。
何度も首を左右に傾げながら、思い悩む403。
その様子を微笑ましそうに眺めていたコトノは、後部甲板の手すりに腰かけながら、風にはためく黒髪を押さえ。
口元に手を当てて何やら考え込んで。それから質問の意図を変えた。
「じゃあ403。貴女は強くなりたい?」
「肯定」
単刀直入のストレートな質問。
それに対する回答は一秒も掛からない程、素早い反応。
うんうんと、頷きながらコトノは質問を続けていく。
「403は、私のことが好き?」
「否定」
「ありゃ……それは、どうして」
コトノを好きではない。もしかすると嫌いかもしれない。そんな反応の意図を聞き返した。
すると、返ってくるのは着せ替え人形にされるのが嫌だと、機械的な言い回しによる答えだ。
それに、がっくりと項垂れながらも。
「じゃあ貴女のお姉さんであり、面倒を見てくれた402。そしてまだ見ぬ姉妹の400や401はどう思う?」
「当艦における最重要。好意に値する姉妹艦。見習うべき模範的存在」
「そう――」
403の中に秘められた想いの一端に触れ、コトノは決断を下す。
これから投じる一石はありとあらゆる可能性を広げる行為。
霧の艦隊が目覚め、破壊者の艦隊と対峙し続けてから、ずっと目指してきた未来に至るための布石。
403の存在が良い方向に転ぶのか、悪い方向に転ぶのかは分からない。
けれど、コトノは彼女を重要な因子のひとつとして計画に組み込む。
少なくとも自分の姉妹が好きだと告げた、この潜水艦ならば、霧にとっては悪くない方向に進むだろう。
「403。貴女は可能性の原石。貴女には成長の余地がある。だから、私がその為の下地を与えてあげる」
ゆっくりと403に近づいてくるコトノ。
403はそれをじっと見つめ続けて、視線を逸らさない。
元より彼女は霧であり、総旗艦隊に所属する潜水艦の一隻としての自覚がある。
総旗艦であるコトノに逆らいはしないのだ。
そのまま、403の柔らかな頬に触れたコトノは、肌に発光する文様を浮かべた。
超戦艦『大和』が持つ『大和』だけの紋様であり紋章。
それに共鳴するかのように403も全身に発光する文様を浮かび上がらせる。
途端、二人の周囲に紫電が巻き起こり、風を吹き荒す現象を巻き起こす。
それは総旗艦たる『大和』から委譲される膨大な情報の数々。403が成長する為のきっかけを与える扉の鍵。
霧を裏切った401の存在と、共に従う人間たちの情報。
東洋方面艦隊を構成する霧の艦船の情報。
全世界の海洋に展開する霧の勢力と、その派閥における関係性の情報。
世界における人間の勢力図と、その勢力の政治に関わる人間の情報。
霧の艦隊が敵対している勢力の情報。
霧に対抗するために開発された新兵器の情報。
絶対に破壊すべきであり、決して人間の手に渡してはならぬ超兵器の情報。
情報。情報。そして与えられる行動の指針。
総旗艦による干渉はメンタルモデルの中にあるコアを超えて、403が持つ船体にまで及んだ。
内部の構造を造り替えられ、403に新たな機能が加えられていく。
それは自らの身を護るための装備。
如何なる防御も貫き通す矛ではなく、それを制するための盾。
「403。私はアドミラリティ・コードに抵触しない範囲で、貴女の行動における自由を基本的に制限しないわ」
「エラー。膨大な処理において発生する熱が急速に上昇。入力される情報を処理しきれず。よって数秒後、一時的に機能を停止」
「世界は広大よ。陸には人の営みがある。海には彼らから学び取ろうとする霧の姿がある」
403はそれらを受け取りながらも、呟かれたコトノの声に反応することが出来ない。
あまりにも膨大すぎる情報を処理しきれないからだ。
人間が眠りに付いて脳の中の情報を整理するように、彼女も機能を停止して与えられた情報を最適化する必要がある。
「それらを見て、それらに触れて、貴女がどういった結論に至るのか。また会う時にでも聞かせてちょうだい」
「――シャットダウン」
「貴女が霧と人を繋ぐ架け橋になる事を祈ってる。お休みなさい。403」
そして、403は自らのメンタルモデルの制御を手放して、意識を失い。
それをコトノは優しく抱き止めるのだった。