蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza   作:観測者と語り部

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航海日記42 霧と人を繋ぐもの

 ハシラジマの海の見える場所にて、403は悲しみの淵にあった。大よそ人間というものをまだまだ理解できていない403だが、自身の状況を客観的に見ることで、そういう状態に陥っているのだろうと分析し、そういうものだと理解する。

 

 今の403の格好は薄黄色の生地に花模様が彩られたっ着物ではない。喪服のような格好をして、夜のように暗いシンプルな装飾を身に纏っているのだから。薄黄色に輝く銀色の髪には、黒い花のコサージュが飾られている。

 

 そしてその顔は無表情だが、何となく悲しんでいるようにも見えて。だから、傍で見守っていた幼い501は軍服姿のまま、離れて見守ることにした。

 

「………」

 

 403は何も言わず。501もなんと声を掛けていいのか分からない。ただ、403は己の状況を他人のように、機械的に分析することができても、それをいつものように口に出すことはなかった。それは好奇心旺盛な403からすれば珍しいことだ。

 

 何となく、人間からすると何となくというやつだが、口にしてしまえば認めてしまうような気がしたのかもしれない。

 

 だから、彼女は何も言わない。

 

「相変わらず辛気臭そうな顔をしてるわね。そんなんじゃダメよ? せっかくの可愛い顔が台無しになっちゃう」

「対象を認識。アマハコトノ」

 

 ふと、声のする方を見てみれば、かつての海軍学校の制服を着た少女がいた。

 

 アマハコトノ。千早群像の幼馴染にして、霧と人の間で立ち回る存在。総旗艦ヤマトと共に、霧に変化をもたらし躯体(メンタルモデル)という概念をもたらした少女。千早翔像やムサシと同じように霧と人との間で暗躍するもの。

 

 彼女の考えはいつもわからない。霧のメンタルモデルとして、あらゆる経験値の絶対量が少ない403では、彼女が何をしに来たのか理解することすら難しかった。

 

「泣いていたのね、403」

「涙。認識、検索。人の涙腺から分泌される体液。眼球の保護機構。または感情の起伏に連動する生理現象」

「そんな風に自分を機械的に見ることはしなくていいのよ。いいえ、そんな風に自分を騙す必要は無いと言った方がいいかしら? 少なくとも私の前で自分を偽るのはやめなさい」

「…………」

 

 403の背後から正面に回り込んだコトノは、そっと403の顔から流れていた滴を拭い取った。

 

 コトノを見る403の瞳はあくまで機械的で、無機質で感情など表さないかのよう。しかし、そっと彼女を抱きしめて背中から心臓にあたるコアを部分に触れてみれば、人のように熱くなっているのが分かる。それはコアが感情的な衝動のようなもので演算し続けている証拠だった。

 

「別に貴女をどうこう言うつもりはない。ただ、話を聞きに来たの」

「…………」

「話すことによって、自身の"感情"というものに整理がつくこともある。だから、ね。安心していいわ。貴女の不安も悲しみも全部受け止めてあげる」

 

 頭一つ小さい403を優しく抱きしめて、自身の豊満な腕に埋めさせるコトノの声は慈愛に満ち溢れている。それに安心したのか分からないが、403もコトノを抱きしめ返した。

 

「表現。言葉にすれば悲しくなる」

「そうね。私も悲しい。少なくとも私たちの知っているフソウとヤマシロには」

 

 もう会えない。そう、コトノに言われて、抱きつく403の力がいっそう強くなった。

 

 それは抱きしめるというよりも、しがみ付くという表現が正しいのかもしれない。

 

 コトノが言うように皆が知っている大戦艦フソウとヤマシロは沈んだ。船体を新しく再構築することも可能だし、停止したコアを修復して再起動することもできる。けれど、同じフソウとヤマシロではない。それは新しく生まれたフソウとヤマシロに過ぎない。

 

 コアの再構成も始まっている。だが、彼女たちは実質、一度死んだと言っていいのだ。内部データが破損し、その人格データが復元できない以上、それは別人でしかないのだから。端的に言えば記憶を全部真っ白にして、新しく生まれ変わるといってもよかった。

 

 だが、403の悩みはそこではない。悲しいと感じている。コアの感情シュミレーターが困惑しているのも理解している。しかし、本質はそこではない。

 

「新たに生まれる新しい"メンタルモデル"にどう接すれば良いのか分からずにいる」

「違う。わたしはわたしのなのか分からずにいる。わたしはダレ。ワタシはダレ?」

「貴女も、またわたしを置いていくの。404」

「ヤマト、ムサシ……」

 

 言ってしまえば彼女たちの死を通して、何かを"思い出そうとしている"。或いは何かが再構成されようとしている。彼女のコアの奥底に眠る膨大な演算素子の奥底に秘められた何かが……自己を認識させる(本当のわたしはだれなの?)

 

 ただ、コトノから言えることは一つだけ。

 

「何故、貴女が"403"なのか。それを考えなさい」

 

 霧の東洋方面艦隊のモデルとなった旧日本帝国海軍は、ある時期から潜水艦"3"という数字を付けることはなくなった。なのに最新鋭ともいえるイ号400型潜水艦の彼女は、あえて三番を名乗っている。きっとそこに答えはあるとコトノは言う。

 

 だから、403もうわ言のように呟くのをやめて、静かにうなずくのだった。既に衣服はいつものような薄黄色に染められ、華やかな着物に代わっている。コトノによって次々と変えられる着せ替えという名の衣服の再構成に403が空しい抵抗しなければ、きっといい話だったのだろう。

 

 けれど、やっぱり400姉妹の末っ子のような存在は、イヤイヤするのだった。その顔に既に涙はなく、ただ混乱と僅かな寂しさとともに困惑が浮かんでいる。

 

 コトノは思う。彼女の小さな体をお姫様抱っこしながら、彼女はきっとこれから人間らしいメンタルモデルの一人になっていくのだろうと。

 

「ねえ、403。人間はいつか死んでしまう。同じように霧も死んでしまう時がある。メンタルモデルを得る前は、みんなが機械のようで、沈んでしまっても"壊れてしまうだけだった。けれど、今は違う。自我を形成したことで、死という概念まで理解する個体も出てきている。フソウとヤマシロの事を悲しむ403アナタのように」

 

 コトノは語る。優しく語る。ある意味で妹のような存在である403に。

 

「やがて、それが互いの尊重を生み合い、互いを思いやることに繋がる。いつかそれは人類への理解に繋がって、やがては霧と人との懸け橋になるキッカケになるかもしれない。もし、貴女が誰かの犠牲を良しとしないのであれば、それを奪おうとするものから、皆を助けてあげてね。貴女にはその力があるんだから」

 

 それに、ちょっと人間らしくなった403は静かに、うんと頷くのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 ハシラジマではちょっとした騒ぎになっていた。重巡マヤが強制的に開いた演奏会に、報告の為に帰還していた400と402が総旗艦命令で強制的につき合わさた形だ。それと他の姉妹との交流を兼ねて、403の様子を見に来たイオナもいる。

 

 観客はローレンスと中身入りヨタロウのぬいぐるみを抱いた蒔絵。それに蒔絵を見守るハルナにたこ焼きを焼いているズイカク。アシガラやハグロといった霧の生徒会の面々が主なメンバーである。

 

「なぜ我々がこんなことを?」

「仕方ないだろう。総旗艦命令だ」

 

 ヴァイオリンを楽しそうに弾くマヤをセンターに、左右で400と402がそれぞれカスタネットとトライアングルで随伴する形。それに対して二人のイ号姉妹は不服そうな態度と疑問を抱きながらも、しっかりと自分たちの伴奏(マヤのサポート)をこなす。

 

「でも、こうして姉妹みんなで演奏するのは楽しいね」

 

 対して普段は物静かなイオナは、微笑みを浮かべながらタンバリンの鈴で伴奏をする。群像が見たら驚くかもしれないくらい、今のイオナは穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 フソウとヤマシロが沈んでしまったことに心を痛めたのは何も403だけではない。常に群像たちの傍にいて、人間というものを見てきたイオナもまた、コア()に浅くない傷を負っていた。

 

 だから、イオナの身を案じた群像は、コトノの姉妹に会わせてあげようという提案を受け入れて、彼女をハシラジマに派遣している。そんな群像本人は横須賀のヤマトに見守られながら、上陰次官と会談している訳だが。

 

 とりあえずタカオのデート大作戦は失敗に終わったと言っていいだろう。まあ、501が次の作戦を考えているなど知るはずもないだろうが。

 

「以上、マヤの演奏『E`tube pour les petites supercordes』でした。今なら体験会を募集中です。マッキーも演奏してみる?」

「いいの?」

「いいよ。はい、これ私のヴァイオリン」

 

 マヤからヴァイオリンを受け取り、胸に抱いていたヨタロウを座っていた椅子に降ろして、舞台に立つ刑部蒔絵。それを優しく見守るローレンス。

 

 遠くからコトノに連れられてそれを見ていた403は、姉妹たちの仲の良さそうな光景に口元を緩めた。彼女は心のどこかで、自分も知らないような奥底で、こんな光景を望んでいた気がするのだから。

 

 お嬢様として教育を受けていた蒔絵のあまりの演奏のうまさに、グランドピアノの椅子に座っていたマヤがショックを受けているのは見なかったことにする。

 

「ほれ、お前たちも食うか。たこ焼き」

「ズイカク」

「403よ。別に私は暇だったわけではないぞ。タコヤキを焼くのに忙しい。お前たち総旗艦がいつまでも命令をくれないから、我々は退屈という概念を獲得してしまったのだ。これはその時に得た"経験"という奴だな。アカギやカガなんて将棋にはまっているらしいし」

「たこ焼き。日本生まれの粉物料理。小麦粉の生地の中に小さなタコの足を入れて焼いた食べ物。発祥地は大阪だと思われているもの。おいしい?」

「うむ、そこで演奏しているお母さんが悪くないと絶賛してっ、あいたっ!!」

 

 403とコトノに得意げに語るズイカク。そんな彼女の小さな身体にどこからか飛んできたハリセン(ナノマテリアル製)が命中し、ズイカクは蹲った。

 

 見ればいつの間にか伴奏をハルナとローレンスに交代した402が、綺麗な投擲フォームでズイカク目掛けて得物をぶん投げていた。

 

「誰がお母さんか」

「違うのですか?」

「違う」

「痛いです」

 

 人形のような表情で首を傾げ、桃色のチャイナドレスを着こなした400に突っ込みを入れる402。

 

 前に天然ボケまくって、さんざん任務から迷走させた403のおかげで、彼女のツッコミの経験は群を抜いていた。

 

「お母さん。食事、生活の面倒を見て、時には悩みごとの相談に乗る存在。いつもありがとうお母さん」

「だから、違うと言っている」

「痛い。お母さん」

 

 しかし、403は食い下がらない。この子にとって姉妹と触れ合うだけでも、確かな交流になる。すなわち怒られることも交流になる。だから懲りないし、引き下がらない。要するに性質の悪い構ってちゃんである。

 

「いい度胸だ。そこに正座で座れ。ズイカク共々久々に説教してやる」

「なんで私も!?」

「ついでに決まっているだろう?」

「ついでに!?」

 

 そうして始まる402(お母さん)のお説教。ハリセン片手に延々と霧の艦隊の規律や規範について講釈する402に、二人のちびっこはギャグシーンみたいな顔になる。だが、何処となく姉に叱られる403の表情は嬉しそうだった。

 

「うん、このたこ焼き美味しいわね」

 

 それをコトノは満足そうに見ていたのだった。

 

 


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