蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza 作:観測者と語り部
太平洋に繋がる北極海の入り口を監視し続ける総旗艦大和と付属する総旗艦隊の面々。
それらに別れを告げて402は単艦でハワイ近海へと向かっていた。
その後ろに雛鳥のように付いて来ていた黄色い潜水艦、イ号403の姿はない。
彼女もまた単独行動を命じられているからだ。
(403の奴は大丈夫だろうか――)
艦橋の真ん中で突っ立った姿勢のまま、402は403の事を心配していた。
それは、あの姉妹艦の安否という訳ではなく、任務を遂行するにあたってポカをしないかという不安からだ。
与えられた任務の性質上、自由度が高く、好きに行動できる範囲は広い。
だからと言って403が好き勝手に行動する訳でもなく。同じ霧の船である以上、任務から大きく逸脱することはないだろう。
しかし、小さなミスは繰り返すかもしれない。
例えば向かっていた航路をいつの間にか逸れていたとか。
第一巡洋艦隊に向かったと思ったら、第二巡洋艦隊に間違えて接触してしまうとか。
そんな霧としては下らない間違いを犯しそうなのだ。
そして有り得ないと言えないのが、あの艦の特徴なのである。
(しかし、総旗艦がおっしゃるには随分と姉妹に甘えたがりらしいが)
ふと、思い出すのは総旗艦『大和』のメンタルモデルの片割れであるコトノが語っていたこと。
情報を与えられ、再起動していた403の身体を抱きかかえながら、403の事を語っていたコトノは、402に対してこう告げた。
――この子は、すごくお姉ちゃん子だから、あまり叱らないでやってね。と
確かに403は新たな任務に就く402との別れ際、心なしかものすごく寂しそうな瞳を自分に向けていた。
だから、心配するなと。概念伝達を使えばいつでも会えると。そう、安心させるように言ってやった時は少しばかり嬉しそうな顔をしていたのを思い出す。
403は変な霧の戦闘艦だ。
何らかの命令を与えられ、人間と行動を共にするイ号401と同じくらい変な存在だ。だけど。
(まあ、それも悪い気はしないな。お姉ちゃん子、か)
402は静かに微笑む。
余計な手間はかかるが、あの末っ子と共に過ごしていて、何処か居心地の良さを感じていたのは事実だ。
どうやら少しばかりあの潜水艦に毒されてしまったらしい。
このままでは任務に支障を来たすかもしれないと、感情シュミレーションの精度を一段階引き下げた彼女は、人形のような表情を浮かべて気を引き締めた。
402の目の前に映し出されているのは艦と同じ翡翠色の空間モニターであり、イ号402潜水艦の向かう航路や霧の艦隊の位置情報。その他、索敵結果などの情報が記されている。
しかし、見なくともコアの中に流れ込んでくるデータを処理すれば問題ない。
これから向かうハワイ近海から西海岸における太平洋の海には、アメリカ艦隊を模した霧の艦船が封鎖を担当している。
そして、アメリカの総旗艦艦隊は西海岸の近郊にいる筈だ。
ハワイにおける艦隊はその派遣艦隊の一部で、ハワイ諸島の封鎖と防衛を任務としている。
402はこれからの行動を考えて、まずは情報収集が先だと判断した。
ここら一帯を監視している霧の船から情報を提供してもらい。
目的とする艦が潜んでいる範囲を絞り出す。
例の反応を示す船は、大西洋でも反応だけ確認されたらしいが、此方も無視できない。
放って置いては後にどのような影響を及ぼすか分からないから。
「403の行動に対して大幅な不安要素あり。念の為、留意するように東洋方面における各艦隊に通達を出す。以降、当艦402は極秘任務に際し、隠密航行状態に移行。一般回線における通信をシャットダウンする」
感情シュミレーターを引き下げ、情報処理能力を優先して人形のようになりながらも、402は403のことをずっと気に掛けているようだ。
そのまま翡翠の潜水艦は太平洋の深海を静かに航行していく。
目指すはハワイ諸島近海。アメリカ方面艦隊の巡航経路。
超兵器の反応があったとされる海域である。
◇ ◇ ◇
響き渡るのは無数の咆哮。
大出力のレーザーが放出される音。
相手に向けて打ち出される砲弾の雨。
無数に打ち上げられるミサイルの噴射音。
それらを迎撃する対空レーザータレットや機銃の音。
ばら撒かれる魚雷から迸る雷跡。
それらを回避しようと全速で航行し、回頭を行い。うねり声をあげる艦船の機関音。
探知、捕捉、射撃、迎撃、撃沈。
繰り返される撃ち合いの応酬。
大気を震わせてなお有り余る轟音。
砲撃が着弾する度に、魚雷が迎撃される度に、水しぶきが上がる。
そして運悪く直撃弾を喰らった艦船は、金属の悲鳴をあげながら海の藻屑へと消えていくのだ。
此処、日本とハワイの間に位置する太平洋の外洋にて二つの艦隊による砲撃戦が繰り広げられていた。
ひとつは船体に発光する文様を持った霧の艦隊。
もう一つは、どの国の旗も掲げていない所属不明の艦隊。
両者は無数のレーザーや砲撃を相手に叩き込み、ミサイルを打ち上げ、魚雷を発射する行為を繰り返す。
それは相手を完膚なきまでに叩きのめすまで止まる事はない。
優勢なのは霧の艦隊だった。
船の外観は旧式でありながら基本性能はどの船よりも高く、圧倒的な火力と強制波動装甲という堅牢な防御力を誇る。
その性能の前では並みの攻撃は意味を為さないし、中途半端な防御など紙屑に等しくする火力を持つ。
対して所属不明の艦隊は、不可視の重力場で実体弾をいくつか逸らし、電磁防壁でレーザーを弾くのだが、想定を超えた火力の前に自慢の防壁は貫通させられていた。
また一隻の駆逐艦が沈む。
発光する文様のない船は、所属不明の艦隊に属していることを意味する。
既に彼らは劣性であり敗北は必須。
しかし、尚も戦闘をやめる素振りすら見せない。
最後の最後まで戦う方針のようだった。
そして、霧側も手を緩めるつもりは元より存在しない。
出会ったら、発見したら、即座に彼らを撃沈するのがアドミラリティ・コードの命令。
故に敵艦は一隻残らず撃滅する。
「一番砲塔、二番砲塔、ヤマシロの斉射。いっきま~すっ!!」
その中で、特異な姿をした戦艦が前面に並ぶ砲塔をぶっ放した。
弾種は大出力のレーザーではなく、35.6cm(45口径)から発射される砲弾。
先程から砲撃を雨あられのように降らせている大半は、この戦艦。扶桑型戦艦二番艦の大戦艦『山城』が原因であった。
そう、特異な姿だ。
まるでどこぞのシンボルタワーを連想させるような艦橋は、あまりにも大きすぎる。
それは既存のどの船をも超えていると言って良い。
しかも、そんなタワーみたいな艦橋が二つもあるのだから特異と言わずして何と言おう。
そんな戦艦の前艦橋の上で、両腕を振り上げたメンタルモデルの少女が再び叫んだ。
「続いて五番砲塔、六番砲塔、斉射。いっきま~すっ!!」
それは斉射の合図。
戦艦クラスの主砲から響き渡る轟音は、かつての太平洋戦争を思わせる。
少なくとも現代戦において大口径の砲がぶっ放された記録は少ないだろう。
35.6cm砲、それも連装6基12門の主砲から連続発射される砲弾は脅威だ。
しかし、上空に打ち出される砲弾の数々はあまり敵艦に命中していない。
機械のようにひたすら効率を重視する霧としては珍しい光景。
ひたすらに、只ひたすらに敵に向かって砲撃しまくるだけ。
そこに牽制の意図や策を催す意図は存在しないようで。
それが紅白色の巫女服に、腰まで届く黒髪をツインテールに纏めた少女。
メンタルモデル・ヤマシロの特徴なのだった。
彼女ははしゃぎ過ぎて羽目を外してしまうのである。
「ヤマシロはん。真面目に砲を撃って欲しいどすえ。フォローに回るうち等の身にもなって欲しいどす」
いっくよ~っとはしゃぎながら主砲をどかどか撃ちまくるヤマシロに苦言を催したのは、やや前方に展開している重巡洋艦のメンタルモデル・モガミ。
舞子の姿をしている彼女は和傘を差しながら、降り注ぐ水しぶきから身を隠した。
その表情には隠しきれない呆れと、気苦労による疲れが滲み出ていた。だから、口から漏れるのは苦言ばかりになる。
メンタルモデル・モガミの役割は派遣艦隊旗艦である彼女達のサポートに回る事。
必要であれば上官であろうと口を挟むのだが……
「だって、しょうがないじゃない。私とフソウ姉さまは索敵とか苦手なんだから。狙って撃つのは難しいんだよ?」
それに対するのは子供じみた反論。
『山城』と『扶桑』の二隻は艦隊を率いるほどの演算能力を持った大戦艦でありながら、何故か他の大戦艦よりも能力が低いのだ。
索敵範囲は低く、命中率も悪い。
レーザー照射ではなく砲撃を行えばもっと悪い。
強制波動装甲の防御力は堅牢でも、重力子機関の構造が独特なため、フィールドを抜けて直撃を受けると故障する。
さらには速力もあまり出ないと欠点ばかり。
唯一の長所は第一巡洋艦隊のコンゴウたちよりも主砲の数が多く、火力があるという事だろうか。
もっとも肝心の超重力砲の出力すら低いのだが。
「だからといって努力しないのは罪どす。あかんことやすね。それで敵陣のど真ん中で陽動しとるシグレはんに当たったら、うちはナガト様に合せる顔があらへんよ」
それをフォローするのが重巡『最上』を含む艦隊の役目。
最上を中心として駆逐艦、『朝雲』、『満潮』、『山曇』、『時雨』が索敵と迎撃を行い。敵のミサイルや砲撃を旗艦に当たらないよう配慮する。
そして、強力な主砲が当たるように敵艦の位置・座標に対する観測結果を送るのも役目の一つである。
現在も旗艦である『扶桑』、『山城』を中心として輪形陣を展開。迎撃網を展開している。
その中心は重巡『最上』であり、彼女はイージス艦のような防空艦として、迫りくるミサイルの迎撃に回り続けるしかなかった。
打撃力は大戦艦『扶桑』と『山城』に期待するしかないのだ。外されては困るのである。
只でさえ、敵艦の砲撃の目を向ける為に、囮として敵陣を掻き回している駆逐艦の『時雨』に申し訳が立たないのだから。
「だってっ、だって~~! ホントに苦手で――」
「うぅ、ごめんなさい。私が頼りないばっかりに皆さんに迷惑を掛けて。ヤマシロもごめんね。頼りないお姉ちゃんで……」
もはや言い訳というより、駄々っ子のように両手をバタバタさせているヤマシロ。
そんな彼女にどんよりとした様子で謝ったのは同じく扶桑型戦艦の一番艦。大戦艦『扶桑』のメンタルモデルであり、ヤマシロの姉でもあるフソウだ。
彼女は前艦橋の上で泣き崩れた様な格好をしながら、妹とおそろいの巫女服の袖で目元を拭っているが、泣いてはいなかった。
人間の泣き真似をして適切な姿勢を取っているだけ。
しかし、メンタルモデルの感情エミュレートはしっかりと泣いている、かもしれない。
つまり、経験不足で涙を流せないのだ。長い黒髪は風に流されているが。
そんな大戦艦の主砲からは無数の大出力レーザーが照射されている。
しかし、細かな調整が完了していないのか、大気の影響を著しく受ける光線は一発当たればいい方だ。
それでも的のでかい敵の戦艦には直撃しているようだが……一発が時雨に掠って、かの駆逐艦は慌てて回避運動を取っていた。
「ちっ、違っ、フソウ姉さまは何も悪くないよ。私がしっかりしないから」
ヤマシロが姉をフォローするように、慌てた様子で取り繕う。
この二人は霧の中でも有名な欠陥戦艦であり、十七年前の大海戦も味方に被害を及ぼすからと、後方待機を言い渡されたいわくつきの二人である。
それ故か、互いを庇いあうようになり、仲の良い姉妹となっていた。
味方に誤射しそうなのも、砲撃がなかなか当たらないのも、ミサイルの誘導設定を間違えるのも、コアの抱えた異常のせいである。
それでもしっかりして欲しいと思うのが、モガミのもっぱらの悩み事。
総旗艦が仰るには素晴らしい能力を秘めているというが、果たして本当かどうか……前線を陽動している時雨が、ばら撒かれた山城の砲弾を巧みに回避して、追撃してくる敵駆逐艦を巻き込んでいた。
「イ号シリーズの潜水艦によるデータリンクでもあれば、問題は解決するんやけど――アサグモはん、ヤマグモはん、送付したデータ以外のミサイルと魚雷は迎撃しなくとも良いどすえ」
かの有名な総旗艦直属の潜水艦隊。
その情報に特化した能力は、大戦艦級を上回り一部では超戦艦をも超えると云われている。
そんな船がサポートに回ってくれれば、この派遣艦隊も十全な力を発揮できるだろう。
もっとも、都合よく総旗艦隊の潜水艦が配属される訳がない。
「ん、ミチシオはん? どうしたん?」
その時、万が一にも囲まれないようにと後方を警戒させていた駆逐艦、『満潮』がモガミに報告をしてきた。
それは霧の潜水艦が一隻、戦場に迷い込んできたという報告。そう、迷い込んできたのだ。
飛んで火に入る夏の虫の如く、ふらふらと海域に迷い込んできた霧の船。
それは戦場に介入してきたというよりも、道に迷ったら戦場に巻き込まれてしまったと見るのが妥当だろう。モガミは深いため息を吐いた。
「まったくこんな時に面妖であかんなぁ。それとも艦に何らかの不備でも起きて難儀しとったるんか?」
霧の船は隔絶した性能を持った戦闘艦だ。
当然、航行装置も桁違いに精度が優れていて、迷うなんて万に一つもない。
困った時の助けとなるネットワークも完備。
概念伝達を使えば一瞬にして問題を解決するための情報が得られる。
そこまで揃っていて、どうして迷い込むという不可思議な現象が起こるのか。
モガミには理解不能だった。
「該当艦を検索。イ号潜水艦403とな……? 総旗艦隊直属どすな。こんな所で何しとるんか?」
それは常に極秘任務に当たっているという潜水艦の一隻。
モガミが艦隊に欲した船のひとつである。
しかし、本来であればこんな所をウロウロしている様な船ではない。
そんなモガミの疑問に応えるかのように、重巡最上のセンサーが魚雷の注水音を捉えた。
敵対している艦隊に潜水艦の反応はなく、戦艦や重巡を含む水上艦艇で構成された打撃艦隊のみである。
ならば、これはイ号403によるものと見て間違いないだろう。そう、モガミが判断した時。
敵の残存艦隊が船体に浸食魚雷を受け、ほぼ同時に風穴を穿って爆沈した。
◇ ◇ ◇
「状況が不明瞭。コンゴウの第一巡洋艦隊を目指していた筈。しかし、目の前にはナガトの第二巡洋艦隊。なぜ?」
そりゃそうだろうと、重巡モガミは頭痛を抑えきれないとばかりにこめかみを押さえた。
あの後、浮上してきたイ号403に色々と事情を聞いてみたのだが、当初は第一巡洋艦隊旗艦に対して挨拶に伺おうとしていたらしい。
402が佐世保付近を巡航しているコンゴウ艦隊に世話になるだろうからと、助言を与えた結果だ。
それを概念伝達であらかじめ聞いていたコンゴウも了承し、イ403は佐世保に向かう予定だったのである。
ところが当初予定していた航路を逸れた403は、そのまま北極海から南東へと向かい太平洋の沖合を真っ直ぐ南下。そうしたらナガトの艦隊に所属するフソウ、ヤマシロ分遣艦隊の面々に遭遇してしまったという訳である。
その理由も下らない。
海底を渡り歩いていた蟹の群れに興味を持ち、そのまま観察していたら、迷子になったというもの。
これには概念伝達を通して事情を聞いていたコンゴウも、ナガトも呆気に取られた。
長門のメンタルモデルである二人の女性は笑いを堪えきれず。
金剛のメンタルモデルであるコンゴウも、最新鋭の潜水艦が何をやってるんだと呆れを隠せなかった。
当然、現場にいるフソウ、ヤマシロ姉妹も微笑みを隠そうともしない。
「フソウ姉さま、この子おもしろいね」
「そうね、ヤマシロ。この子は何だか微笑ましいわ。霧としてはおかしいくらいに」
巫女服の袖元で口元を隠して微笑むヤマシロと、柔和な笑み顔に浮かべたフソウの二人。
これが人間で云う、楽の感情なのかと、メンタルモデルからの感覚に実感を伴って感じている。
それは経験となってコアに蓄積されていくが、今は関係のない話だ。
「笑う。人類史のデータから辞書を検索。可笑しい事があったとき。相手が滑稽だったとき。浮かび上がる感情と判明。しかし、原因は不明」
ああ、駄目だ。この子は天然ボケの類やわ、とモガミは403が手に負えないのを悟った。
フソウとヤマシロは、大戦艦『日向』率いる元第二巡洋艦隊のメンバーであり、個性的な艦隊旗艦の元に居ただけあって、周囲を振り回すことに長けている。
それと同じ類ならどうしようもない。
ボケとツッコミの比率が三対一とか、どうしろと?
「イ号403。うちから修正用の航路データを送っときます。今度は迷子にならないよう気を付けるどすえ……ほんまに頼んます」
「了解。重巡モガミ。気遣いに感謝」
モガミから概念伝達で情報を受け取った403は静かに潜航。海中へと消えていく。
残された『扶桑』、『山城』艦隊も補給の為に海域を離れていった。
フォローに回るモガミの精神力と、時雨の船体の耐久力は既に限界だったのである。
少し休みたかった。