蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza 作:観測者と語り部
日本海側に展開する霧の東洋方面艦隊所属、第一巡洋艦隊。
その艦隊の中心に位置する旗艦、大戦艦コンゴウ。
彼女は艦橋の頂上に座りながら、羽根休めに留まる海鳥と戯れていた。
しかし、その顔は静かに去って行った黄色い潜水艦の方を眺めている。
「403、行っちゃったね。コンゴウ」
「マヤか」
そんな彼女に文字通り船ごと近付いて、声を掛けたのは重巡マヤである。
何時もならピアノを弾いているか、他の楽器をナノマテリアルで作成。
或いは人類の作曲した楽譜を勝手に模写しているくせに、今日は少しばかり真面目な様子。
その表情はのほほんとしていて、何を考えているのか分からないのはいつも通りだ。
「403の事が心配?」
「いや、むしろ手間の掛かる部下が減ってくれて一安心しただけだ。
それに403には特務がある。何時までも艦隊に留まる訳にも行かないだろう」
「そっか」
マヤはぶっきら棒なコンゴウの態度の裏に隠された部下を思いやる気持ちを察して微笑んだ。
艦隊旗艦殿は、迷子の潜水艦ちゃんが居なくなって清々しているが、実はその裏で感謝していることもマヤは知っているのだ。
403のおかげで軽巡ナガラは無事に帰還することが出来たのだから、総旗艦『大和』から部下を預かる身としては、一安心といった所だろう。
人類に組みするイ号401が援軍に来る可能性があった以上、ピケット艦として配置されていた軽巡ナガラを単独で作戦区域に投入するのは愚の骨頂。
本来であれば重巡を中心とした対潜特化の駆逐艦隊を派遣するところだ。
そして、霧が潜水艦狩りをやるとしたら、人類のような洗練された戦術を取れずとも、物量と火力の面制圧で圧殺するくらいの知恵はある。
それが出来なかったのは、単に未知の世界から転移してくる異邦艦の所為で、戦力を迂闊に分散できないから。
偵察用のピケット艦ならまだしも、他の艦を単独で自由気ままに行動させて、転移してきた敵艦にいきなり囲まれでもすれば、いくら霧の艦隊といえども撃沈する可能性は充分にある。その対策として霧は艦隊を組むことが多くなっていた。
まあ、人類に対する過小評価があったことも否めないコンゴウである。
大戦艦『ヒュウガ』は"油断"している所を"偶然"401に撃沈されたものだと思っていたが、401は霧の軽巡洋艦クラスなら実力で難なく撃退できるらしい。
人間を乗せた401は、搭乗員の安全を考えて戦闘能力が低下しているとコンゴウは考えていた。
生命を維持する為の区画や生活空間がどうしても余分な重荷になるからだ。
ところが401は400型潜水艦のスペック以上の能力を発揮している。
それは、403の作戦報告と彼女から提供して貰った401との戦闘データから見ても明らか。
故にコンゴウは人間を乗せた401の戦闘能力を上方修正した。
「でも、コンゴウもイジワルだよね。弾薬の補給も船体の整備も儘ならない401に、よりにもよってタカオのお姉ちゃんをぶつけるなんてさ」
「その程度の不利も覆せないような輩なら、千早群像は所詮、その程度の男だったという事だ」
「でも、総旗艦は千早群像をこっちに引き込みたいんだよね? 勝手に沈めちゃって大丈夫~~?」
「向こうと相談した上での作戦予定だ。ヤマトも承認している。問題はない」
『大和』のメンタルモデルであるコトノは、異邦艦に対抗する戦力として、千早群像とその一派を霧側に引き込みたがっていた。
だが、その提案に異を唱えたのが、コンゴウを初めとしたアドミラリティ・コードに忠実な霧の艦たちだ。
"再起動した後は海洋を占有。人類を海洋から駆逐、分断せよ"という"勅令"が発されている以上、緊急事態とはいえ此方側に人間を引き込むのは躊躇われる。
故に、それに見合うだけの価値を。
要するに我々を従わせたいのなら納得するだけの実力を示せということだ。
千早群像の指揮下に入るか価値があるかどうかは別として、霧に属するなら最低限の試練は超えて貰わなければならない。
"あの男"がそうだったように。
それがコンゴウがヤマトに提示した。人間を霧に迎え入れる条件だった。
名古屋沖における海域での、まだ見ぬ激突に想いを馳せて、コンゴウは不敵に笑う。
「今度は得意の奇襲ではなく、正面から我ら霧を相手にしてもらおうか。千早群像」
17年前の大海戦で脆く、脆弱で、あっけなく霧に踏みにじられた人類の艦隊。
今度は力の差を埋めるだけの装備や、足りない実力を支える存在(イオナ)も与えられている。
こちらが差し向ける刺客を打ち破れればそれでよし。
そうでないなら群像には退場してもらって、イ401も取り戻せばいい。
来るべき新たな大海戦に向けて、もはや遊ばせておくだけの戦力は存在しないのだから。
◇ ◇ ◇
「懸念。うまく航行できるか不安」
403は艦橋内部の中心に立ちながら、様々なデータを分析。
そして、得られた情報を見て、淡々と結果だけを呟いた。その表情は日本人形のように乏しい。
経験値の多いメンタルモデルならば、眉を潜めてどうしたものかと困ったような顔をしていただろうが、彼女は稼働したてで経験値が圧倒的に足りない。
内心は感情豊かでも、それを表現する表情、動作、言語化する能力が不足しているのである。
そんな彼女の懸念事項は、名古屋沖を直撃している台風の影響だ。
海上における波の荒れ模様。強い風による船体への影響。激しい雨と厚い雲による視界不良。
水上を渡る艦船にとって、台風というのは鬼門である。
霧の艦隊は転覆こそしないが、姿勢を安定させるのに苦労するし、視界不良で索敵範囲が狭まる。
特に光学、電波系のセンサーに対する影響が著しい。砲撃だって荒れる波で船体が揺れて射線がずれるわで、良い事なんて一つもない。
しかし、台風の影響は海中に対しては少ないから、むしろ隠密行動を主とする潜水艦にとっては好都合だ。
敵の駆逐艦や軽巡洋艦の目を欺けるし、対潜哨戒機も暴風雨の真っただ中を飛行するのが困難になり、敵の監視が緩む。そうなれば相手の真下を、深々度で堂々と通り抜けるのも容易。
だというのに403は、台風に突入する前に、頻繁に航海用のデータの確認を怠らなかった。
何故かは知らないが、台風は苦手のような気がするのだ。そんな経験も無いはずなのに如何してなのだろうか。
「戦闘音。……?」
ふと、403の広大な探知範囲に引っかかった反応がひとつ。
彼女は首を傾げながら、自らの船体に阻まれ見えもしないのに、視線をそちらの方に向けた。
高性能なパッシヴソナーの拾う音は、そのほとんどが雨音だが。音の周波を分離して個別に聞き分ければ、雨音以外も聞こえる。
独特な大気を切り裂く音。
それに続く爆発音。
そして別のセンサーは霧の誰もが見逃せないタナトニウム反応を検知。
正確にはそこから放出される重力子の反応を。
「予定通り? タカオと401の戦闘が始まって、タカオが超重力砲を使った?」
つまり台風の暴風圏を利用して目的地である横須賀に向かおうとした401がタカオに発見されたことを意味する。
スペック上、諜報の為に情報戦に特化した400と402を更に大きく上回る403の索敵範囲。それを持ってすれば、相手の索敵圏外から気づかれる事無く様子を探る事など造作もない。
そして目標である401もそうだが、味方であるタカオも403の存在を認知していないだろう。
余計な闖入者はいない方が、お互い戦闘に集中できるし。何よりも、タカオが403の存在を知れば、必ずその索敵範囲を利用しようと助力を求めてくるはず。
そうなれば401の勝機は限りなく低くなる。
相手の目を掻い潜って奇襲を行う潜水艦が、常にその身を晒している状況では、勝負にすらならないだろう。
あくまでも人を乗せた401の戦闘能力を測るのが目的であって、撃沈するのが目標ではないのだ。
総旗艦からはあまり介入しないように言い含められているし、霧との戦闘に至っては絶対に静観するように言われている。
だから、403はお使いのひとつを済ませる為に、遠巻きに戦闘を眺めるに留めているのである。
もっとも、霧から送られる刺客に千早群像が負けるようなら、寸での所で止めに入れとも言われているが。
「………こくん」
だというのに、403はもう一度首を傾げた
そう、好奇心旺盛な彼女は、ものすごく401との戦闘が気になっているのである。
というよりもお姉ちゃん大好きっ子な彼女は、401の様子を鮮明に見たくて堪らなかった。
ナガラを援護した時のように、直接戦う事にでもなれば
「肯定。ちょっとだけなら、問題ない」
403は霧のネットワークを介して、タカオに対するハッキングを開始する。
この場に402が居たのであれば、そういう問題じゃないだろ、とツッコムのだが。生憎と彼女は別の任務で傍に居ない。
したがって403を止めるストッパーは存在せず、誰も彼女の暴走を止める事など出来なかった。
「ハッキング開始。目標、高雄型重巡洋艦一番艦『タカオ』。相手のコマンドに偽装、潜伏完了。タカオに対する演算処理及び戦闘における影響はゼロ。タカオの一部センサー類とメンタルモデルの視覚と聴覚に同期完了」
403の視界に広がる雲一つない晴天。
重巡タカオのメンタルモデルが見ている景色を受信した映像光景。
台風の中心に位置しているのか、波模様は穏やかで風も少なく。遠くには恐ろしい程の暴風雨が広がっているというのに、ここは清々しいくらいの晴れやかさだ。
そして目の前では、タカオの船体から発射された無数の迎撃装置が401の攻撃を凌いでいた。
VLSから発射されたミサイルが子機をばら撒いて、迫りくる誘導魚雷に対する迎撃網を展開する。
それすら掻い潜ってきた相手には近接防御システムの光学兵器が降り注いで、迫ってきた海中の浸食魚雷を誘爆させる。
『この魚雷をプログラミングした人間は良い腕をしている』
「肯定。鹿島湾で使われた魚雷も洗練されていた」
同期したタカオの呟きが聞こえてきて、403は頷くように返事を返す。
台風の勢力圏外に停泊している403と、台風の中心で戦闘中のタカオでは大きな距離が隔てられている。
403の呟きが聞こえる筈もなかった。
これは盗み聞きしている403が勝手に反応して、勝手に頷いているだけである。
『でもね……128発の浸食弾頭兵器。全部避けられる?』
続く、勝利を確信したかのようなタカオの呟き。
彼女の
この分だと、視界に映らない艦尾部分のVSLも展開しているだろう。
『さようなら、401』
冷静に考えれば防御が薄く、迎撃能力も低いイ号401が、これだけの対潜弾を前に耐えられる筈もない。
霧の誰もが見ても401の敗北を確信するだろう。
でも、それをリアルタイムで見ている403は違った。
タカオが探知できていなくて、403に探知できている反応。
401の重力子機関が限界まで唸りを上げているかのような、何かの前触れを予感させるような反応。
それを403
『なんだ……あれは?』
瞬間、タカオの呟きをかき消すかのように、
あっという間の出来事だった。
401の雷撃に対して迎撃能力を最大限に発揮できるよう、艦の右側面を晒していたタカオの船体が、割れる海面に巻き込まれ、いや、捉えられ。
その割れてきた海面の先に居るのは、艦首の大部分を上下に変形させたイ401。
その内部からは迫り出すように巨大な円形タービンのような装置が展開していく。
そして、403もタカオもそれには見覚えがあった。
「画像からの解析結果。対象物を大戦艦クラスの艦首超重力砲と確認」
『超重力砲……巡航潜水艦風情が、そんなものをどうしてっ……!?』
超重力砲。
霧の艦船に搭載された機関から生成されるタナトニウム。そこから放出される重力子を用いた空間浸食兵装。
その威力と範囲は、魚雷などに搭載される浸食兵器とは桁違いの規模になる。重圧な装甲を持つ戦艦といえども直撃すればひとたまりもない。
重巡洋艦であるタカオも、下手すれば消滅してしまうだろう。
タカオが慌てて超重力砲の範囲から逃れようと全速力で離脱を開始。
同時に台風の中でも潜水艦を探知できるように、自らの補助として連れてきたイ501に離脱するよう慌てて命令しているが、時すでに遅し。
401の探知を逃れ、優秀な目と耳を潰されないように、コバンザメのようにタカオの艦低部にアームで張り付つかせていた戦術が裏目に出た。
403が観測するタカオと同期しているデータでは、501は展開した巨大な索敵ユニットを折りたたんで艦内に収納しようとしているが、401の超重力砲が発射される方が速いだろう。403の演算予測ではそういう結果が出ている。
何よりも対象を固定するロックビームが、離脱しようとする船体の動きを阻んでいた。
「コアの感情シュミレーターに微小なラグが発生。悩んでいる?」
さて、どうしたものかと思考速度を何百倍、何千倍にも加速させながら403は自らの感情の機微を無視して考える。
ここでタカオが沈むのは霧の戦力的にもマズイ。後の影響を考えると、何とかして助け出した方がヤマトもコンゴウも喜ぶはずである。
しかし、どうやって助けるべきか。
一応、方法はある。
発射シークエンスが始まり、重力子の縮退が始まった以上、溜めこんだエネルギーを発散させないと401の船体が崩壊する。
だから、401のシステムに全力でハッキングを仕掛けて、超重力砲の仰角をずらせばいいのだ。
そうすればタカオも無事だし、401も自壊する恐れを回避できる。
同時にタカオが無防備となった401を攻撃しないよう、システムに強制介入して一時的に停止させ、代わりに403が船体を操作して401から離脱させれば良い。
しかし、それを行えば403の存在を察知される恐れがある。そうなると今後の隠密行動に支障が出るから、出来れば避けたい事案だ。
「……予想外? 理解不能?」
その時、401が不可解な行動を取った。
タカオの船体に照準を定めていた超重力砲の射軸が、タカオの真下に接続されている501に向いている。
何故かは分からないが、タカオを避けて501だけを狙うつもりらしい。
「…………」
どうしようか。501を助けるべきだろうか。
あの子は潜航型観測艦に分類される艦種で、戦闘には向いていない。
いわゆる偵察に特化した潜水艦だが、この世界に突然転移してくる異邦の船の前では意味を為さないのだ。
転移反応や空間変異など、霧の船ならば誰にでも察知できる。501の戦力としての利用価値は低い。
『……ッ! ………!?』
ふと、501のコアから発せられた声が聞こえた気がした。
必死になっている。必死になって逃げようと、死にたくないと足掻いている。
それは人間と同じ感情か? 死に対する逃避感か?
否、霧にそんな感情など実装されていない。重巡以上の船が人間を模倣して、真似しているだけの只の現象にすぎない。
ましてや、メンタルモデルを実装できない駆逐艦や小型の潜水艦に、死を恐れる心はない。
「………ッ」
いや、言い訳はよそう。
403はタカオと501を助けてあげたい。
いつの間にか悲痛に歪んでいる自分の表情も認めよう。
もう、"あんな事は"こりごりだ。目の前で"仲間(姉妹)が沈む光景"なんて見たくない!
その瞬間、403の中で誰かが目覚め、403の機能をフルに発揮していく。
「ッ――もう、誰も死なせたくないよ!」
口からは自分の意志ではない、誰かの想いが勝手に呟かれ。
しかし、自らが乗っ取られたのだとしても403は“彼女”に身を任せる。
自分よりも、“彼女”の方が処理能力が圧倒的に速い。
タカオの視界を通じて、401の超重力砲に重力子が集束する光景が見えた。
もう、401を悠長にハッキングしている時間はない。ならば別の手段を使う。
「501の演算処理に処理に強制介入! ナノマテリアルを使用して艦橋部分の急速分解、再構成! 501のユニオンコアを外郭で保護したうえで、生成した射出装置で船外に強制パージ!」
急な演算処理の上昇に困惑する501のコアをよそに、501の艦橋内部が急速に解けて分解。
セイルの一部に大穴が開いて、そこから新たに再構成されたナノマテリアルに包まれた501のコアが、凄まじい勢いで船外に射出されていく。
同時に弱まるイ号401のロックビーム。潜水艦に無理やり大戦艦級の超重力砲を積んだ401の演算能力では、発射するだけでもギリギリなのだろう。
今回はそれが幸いした。
瞬間、射線に存在する物質を消滅させる空間兵器が照射され、もはや抜け殻と化した501の船体を貫いて対象を反応消滅させる。
同時に収まる海を割るような空間変異。割れた海は、水底に空いた穴に流れ込むようにして元に戻り、ロックビームで捉えられて船体を浮かせていたタカオも、豪快な音を立てて海に着水した。どうやらタカオは船体も含めて無事らしい。
501が無事に超重力砲の効果範囲から逃れられたかは分からないが、超重力砲は大半が
人類が生み出したどのような装甲よりも堅牢なナノマテリアルでも、掠った瞬間に反応消滅して、分子単位の強固な結合が意味を為さない。
コアさえ無事なら何とかなるが、可能性は五分といった所だろう。
「タカオとの同期を切断。索敵範囲の30%が低下。401の居場所をロスト、機関を停止して潜んでいると思われる。対策、401が最後に反応を示した海域のデータを保存。膨大な演算処理による過負荷の熱を急速に発散する必要あり。急速冷却中。急速冷却中」
最後にタカオの武装が24時間ロックされたのを確認しながら、403はコアを中心に発熱したを冷まし始める。
それは人間が風邪に掛かり、高熱を出す症状に似ていて。
403は顔をぽやーっとさせて、黄色に染められた着物を揺らしながら、艦橋の中心にへたり込むのだった。