寺子屋で薬の補充を終えて、慧音先生と雑談をしていると、誰かお客さんが来たようだ。おいとましようとしたら、
「慧音、今度の人形劇のことだけど…あら、あなたは」
入ってきたのは、人形遣いの女の人だった。俺も寺子屋に通っていたころ、年に一度ぐらい人形劇を見た覚えがある。人形だとはとても思えない、生き生きとした動きが、大変楽しかったのを覚えているが、今も変わらずに寺子屋で公演してるんだな。しかし、なんで俺のことをじっと見てるんだろう。
「慧音、この人は…?」
「河野涼平といって、私の昔の教え子だ。今は薬屋をしているが…どうした、アリス?」
「ああ、河野涼平…あなたが、そう…」
あれ、今、慧音先生が「アリス」って言ったような…
「あの、もしかして、あなたが、魔理沙の友達で、魔法の森に住んでいるっていう…」
「そう。アリス・マーガトロイド。初めまして、涼平君。あなたのことは、魔理沙からよく聞いているわ」
俺も、アリスさんのことは、魔理沙の話でよく聞いている。まだ会ったことはないと思っていたのだけれど、実はずいぶん昔から知っていたんだな。生きていると、いろいろと面白いことがある。俺のことは、文々。新聞の記事で、見覚えがあったらしい。
寺子屋近くの喫茶店で、アリスさんと話をすることにした。
小さなテーブルで、俺と向かい合って座っているアリスさんは、西洋人形のようで、とても可愛らしい。子供の頃の記憶では、人形劇が面白かった印象しかなくて、それを操っていた人のことはあまり覚えていなかったのだけれど、こんなにきれいな人だったんだな。
「どうしたの、そんなに私のことを見つめて?」
不思議そうにアリスさんが聞いてきた。
「いや、まあ、なんというか…魔理沙の話から想像していたのと、かなり違うもので…」
「魔理沙は、私のことを、どんな風に話していたのかしら」
「魔理沙よりもずっと長い間、魔法を研究してきた、魔法のエキスパートだって言ってました。それから、料理やお菓子作りにも詳しくて、時々教えてもらっているって。だから、その、もっと年上の人だとばかり、勝手に想像していたんですけど…」
「そう。涼平君の中では、私はしわくちゃの魔法使いのおばあさんだったのね。よくわかったわ」
「いや、そこまでは言いませんけど…」
冗談よ、と言って、アリスさんは楽しそうに笑った。本当に可愛らしい人だな。
「まあ、魔理沙の話で、だいたい合ってるわね。魔法の専門家ではあるし、魔理沙よりもずっと長く生きているのも本当。ただ、『長い間魔法を研究してきた』っていうのは、どうかしらね…私にとっては、魔法というのは、使えるのが当たり前のものだから」
「へえ…?」
「私は、魔界の生まれなのよ。種族で言うと、魔族、になるのかしら。外見は、普通の人間のように見えるかもしれないけれど。
魔族にとっては、魔法は、使えて当たり前のものなの。そう、例えば、人間が呼吸をしたり、言葉を喋ったりする、そういうのと同じようなもの、と考えてもらえればいいんじゃないかしら。普段言葉を話すのに、特別意識することって、ないでしょう?それと同じように、私も、特別に何かをするということもなく、魔法を使えるの。例えば、こんな感じね」
いつの間にか、アリスさんの膝の上に、可愛らしい少女人形が乗っていた。アリスさんの顔よりも少し大きいぐらいのその人形は、アリスさんの膝からテーブルの上によじ登ると、よちよち、という感じで、テーブルの上を歩いてきて、ちょこん、と、俺の膝の上に腰を落ち着けた。顔を上に向けて、俺のことを見ている。すごいな、本当に生きているみたいだ。アリスさんが操っているんだろうけど、触ってみても、どこにも操り糸のようなものは見つからない。
「魔力の糸で操っているのよ。普通の人には見えないし、触ることもできないわ」
もう一体、人形が、今度は空中をふわふわと泳いできて、俺の頭の上に留まった。ぺちぺち、と、盛んに頭の上で手足を動かしている。なんだかくすぐったい。
「私は、人形を使った魔法が得意なの。その人形は、魔力の増幅装置みたいなものね。私の魔力を、人形の中で増大させて、いろいろな形で放出するの。炎とか光とか。爆発させたりもできるんだけど、試してみる?」
勘弁してください、と言うと、アリスさんは笑って、手首を軽くひねってみせた。次の瞬間には、人形は2体とも、きれいに消え失せていた。見事なものだ。
「たまに魔理沙に、魔法について質問されるんだけど、いつも答えに困るのよね」
「…そうなんですか?」
「人間が、『どうやったら上手に呼吸できるようになりますか』なんて質問されても、うまく答えられないでしょう?それと同じよ。まあ、わかる範囲で答えるようにはしているけれど。
魔法のことは、パチュリーに聞きなさい、って、いつも言ってるわ」
パチュリー・ノーレッジさんというのは、霧の湖のほとりにある「紅魔館」というお屋敷に住んでいるという、魔法使いの名前だ。たまに魔理沙の話に出てくる。いつも図書館にこもりきりだという話なので、間違いなく俺はまだ会っていないと思う。
「涼平君は、だいたい私の思ってた通りの人みたいね」
「魔理沙は、どんな風に言ってたんですか、俺のこと」
「面白い人だ、って言ってたわ。あとは、真面目で、嘘をつかない、って」
「俺だって、嘘ぐらい、言う時もありますけどね…」
「だったら、『必要な時以外は嘘をつかない』ってことじゃないかしら。それって、とても大切なことよ。
サンドイッチを、『美味しい』って褒められた、って、この前、嬉しそうに話してたわ」
「あれは、本当に美味しかったです。アリスさんが、作り方を教えてくれたんですよね?ありがとうございました」
「どういたしまして。
新しい料理のレシピを魔理沙に渡しておいたから、楽しみにしているといいわ」
「どんな料理かは、教えてもらえないんですか?」
「知らない方が、楽しいでしょう?きっと美味しいものだから、期待して待ってなさい。
私、驚いてるのよ。あの魔理沙が、料理の作り方を聞きに来るなんて。頭がどうかしちゃったんじゃないかって、本気で魔理沙が心配になったわ」
「さすがにそれは、ひどくないですか…」
「それだけ意外だったってことよ。
今までは、魔法の研究以外は目もくれない、って風だったのに、いったい何があったのかしらね」
アリスさんが、いたずらっぽい顔でこちらを見ている。俺が黙っていると、
「涼平君から見て、魔理沙って、どんな風に見えるのかしら」
「どんな風、って言われても…」
「性格とか」
「明るくて、人懐っこくて、物事にこだわらずさっぱりとしていて、努力家、とかですかね」
「よくわかってるわね。それじゃあ、涼平君にとって、魔理沙は、どんな存在なのかしら」
「大切な友達です」
「なるほどね」
アリスさんは、少し考えるようにしてから、
「あのね、魔理沙の師匠の魅魔とは、私は、昔からの知り合いなの」
「…へえ…」
「私が、魔界から幻想郷に来たのも、元はと言えば魅魔のせい。『メイドなら、主人と一緒に行くのが当然だ』とか言われて。本当に勝手だったら」
メイドとか主人とか、いったい何の話だろう…?
「『魔理沙のことをよろしく頼む』って、私は、魅魔から言われているの。
もちろん、言われるまでもなく、私にとって魔理沙は、大切な友達だし、妹のように思ってもいるわ。
だからね、涼平君。私からもお願い。魔理沙のことを、よろしく、ね」
わかりました、と俺が答えると、アリスさんは、微笑みながら、小さくうなずいていた。
その後も、少しの間、アリスさんと話をした。寺子屋の人形劇は、「白雪姫」を上演するらしい。その演目なら、俺も子供の頃見た覚えがある。7人の小人が、それぞれ個性的に動き回るのが、とても楽しかった、と、当時の感想を伝えたら、アリスさんは、とてもうれしそうだった。
「涼平君は、嘘をつかないものね」
何か、変なプレッシャーを掛けられている気がするが、楽しい記憶が残っているのは本当だ。今の寺子屋の子供たちにとっても、今度の人形劇は、きっと夢のようなひと時になるのだろう。
「今日会ったことは、魔理沙には内緒ね」
アリスさんと指切りをして、喫茶店を出る。お別れするときに、たくさんの人形が宙に浮かんで、アリスさんと一緒に手を振ってくれた。童心が呼び起こされるような光景で、なんだか嬉しくなってしまう。ふと見ると、窓ガラスの向こうでは、喫茶店の店員さんが、びっくりしたような顔で、アリスさんを見ていた。