もうずいぶん昔、俺が父親と一緒に、薬の行商に回り始めた頃の話になる。
ある日、いつものように、父親について博麗神社に行ったら、巫女のおばさんのそばに、見たことのない小さな女の子が立っていた。
「この子は、博麗霊夢。私の次の代の、博麗の巫女。
霊夢、ご挨拶なさい」
霊夢、と呼ばれた女の子は、黙って小さく俺達に頭を下げた。巫女のおばさんに隠れるようにしている。こんにちは、と俺が言っても、何も言わないで、恥ずかしそうに、俺のことをじっと見ていた。
というのが、俺と霊夢の出会いだったと思う、たぶん。なにしろ昔のことなので、記憶があいまいだが。
「博麗の巫女」というのは、文字通り「博麗神社の巫女」のことだが、もう一つ別に、「幻想郷の管理者」という意味合いもある。幻想郷を外の世界から隔てている、「博麗大結界」と呼ばれる見えない障壁があって、それを管理するのが「博麗の巫女」の仕事の一つであるらしい。優れた霊能力が必要とされる役目であり、それゆえに、必ずしも親から子へと巫女の役割が受け継がれていくとは限らない。むしろ、親子2代続けて博麗の巫女を務めることの方が稀のようで、当代の巫女がある程度の年齢に達したら、霊能力に優れた子供をどこかから見つけてきて、次代の「博麗の巫女」として修業を積ませる、というのが普通らしい。誰が、どうやって見つけてくるのかまでは、俺にはわからないが。
巫女のおばさんも、こうしたやり方で、何十年か昔に「博麗の巫女」に選ばれた。そして、新たにまた、次代の巫女が現れた、ということだったようだ。
霊夢は、外の世界から幻想郷に連れて来られたらしい。というか、本人の同意があったわけではないから、はっきり言って誘拐だ。
「いきなり、知らないところに連れて来られて、『今日からここで巫女の修行をしなさい』って言われて。何が何だか、全然わからなかったわ」
ずいぶん後になって、霊夢はそう言って笑ったが、実際は、とても笑い事ではなかっただろうと思う。最初に会ったときに俺が10歳だったから、霊夢はまだ8歳。知らない土地で知らない人たちに囲まれて、怯えて見えたのも当たり前だ。ただ、その一方で、霊夢は、どこか納得してもいたらしい。
「自分には、普通の人たちとは違う力があるみたいだ、って、子供ながらに、何となく気付いていて。『どうしてなんだろう』って、不思議だったのね。それが、幻想郷に連れて来られて、『あなたには素晴らしい力があるから、これからは、ここで、存分に使いなさい』って言われてね。ああ、そうか、ここが私のいるべき場所なんだ、って、すごく腑に落ちたの」
まあ、そんな感じで、次代の博麗の巫女となるための霊夢の修行が始まり、順調に成長していって、現在に至る、というので、物語としてはだいたい合っていると思う。
博麗の巫女としての修行がどのようなものだったか、たまに神社に遊びに行くだけだった俺には知りようもないが、滝に打たれたり護摩行をしたりといった、いわゆる「厳しい修行」ではなかったんじゃないかという気がする。俺が会う時の霊夢は、おとなしくて、少しぼーっとしていて、いたって平和そうで、「修行している」といった風には、あまり見えなかった。それでも、巫女として成長しているというのは、傍から見ていてもよくわかった。ある日遊びに行ったら、神社の境内で、霊夢がふわふわと空中に浮かんでいたり、また別の日には、宙に浮かんだ陰陽玉を、不思議そうにじっと見ていたり、というようなことがあって、「やっぱりこの子は博麗の巫女なんだ」と、感心することが多かった。何か新しいことができるようになると、俺の前で試して見せてくれたりして、霊夢の自慢げな顔を見るのが楽しかった。
博麗のおばさんと霊夢の関係は、大変良好だったようだ。誘拐同然に、別の世界に連れて来られた、というのが嘘のように、霊夢は博麗のおばさんになついていて、俺と知り合って2か月も経った頃には、仲の良い、本当の家族のようになっていた。事情を知らない人に「実は赤の他人です」と説明したら、相当驚かれたんじゃないか。霊夢にとって、先代の博麗の巫女は、育ての親であり、また、巫女としての師匠であり、愛情深く自分を見守ってくれた、大切な存在だったのだと思う。魔理沙が魅魔の話をするときと同じように、霊夢も、先代の話をするときには、とても懐かしそうな、楽しそうな顔になる。
ちなみに、俺がよく霊夢のところに遊びに行っていたのは、「霊夢と友達になってあげてね」という、博麗のおばさんの言葉を真に受けたから、という、本当にただそれだけの理由だ。霊夢に嫌がられたりしたら、出掛けるのもやめていただろうけど、そういうこともなかったしな。しょっちゅう神社にやってくる薬屋の息子について、霊夢の方でどういう風に思っていたかは、俺にはわからないので、本人に直接聞いていただきたい。
幻想郷一帯が赤い霧に覆われるという、いわゆる「紅霧異変」を霊夢が解決した時点で、博麗のおばさんは、代替わりすることに決めたらしい。異変の後に、俺が博麗神社に行ってみたら、そこには霊夢と魔理沙がいて、博麗のおばさんはいなかった。霊夢に尋ねてみたら、おばさんは、どうやら外の世界へ行ったようだ。確かおばさんは幻想郷生まれのはずだが、ずっと外の世界にあこがれていたらしく、「引退したら、外の世界に住むんだ」と、霊夢によく話していたという。それ以来、幻想郷で、先代の博麗の巫女を見たという話は、聞いたことがない。紅霧異変から、霊夢に代替わりするまでのごくわずかな期間に、人里の主だったところへの引継ぎなども、すっかり済ませていったそうで、なんというか、見事な去り際だと思う。
自力で紅霧異変を解決したとはいえ、まだ14歳の少女一人に、博麗神社の運営をゆだねてしまって大丈夫なのか、と、俺などはちょっと不安になったりしたが、どうやらいらない心配だったようで、現在に至るまで、霊夢は、博麗の巫女としての務めを立派に果たしている。幼い子供の素質を見抜いて、一人前の巫女に育て上げた、博麗のおばさんたちはすごいと思うし、しっかりと期待に応えてみせた霊夢も、大したものだと思う。本人にこういうことを言ったら、たぶん霊夢は、不思議そうに、小首をかしげて見せるだろうけれど。
すっかり幻想郷に馴染んだ感のある霊夢だが、時々、外の世界のことを思い出したりもするらしい。仲の良かった友達などもいたのだろうし、両親は、愛する娘が突然いなくなって、さぞや悲嘆にくれたことだろう。博麗の巫女として必要だった、とはいえ、ずいぶん残酷な運命を背負わされたものだ、と思うのだが、「今いるここが、私のいるべき場所だから」と、霊夢は笑ってみせる。強がりではないと信じたいが、実際のところは、どうなんだろうな。
外の世界に行ってみたいと思わないか、と、霊夢に聞いてみたことがある。今は無理としても、巫女を引退した後で、先代のように、外の世界に戻ってみたいと思ったりはしないのか、と。
「その時になってみないと、わからないわね。まだずいぶん先のことだろうし」
そう言った後で、霊夢は少し考えてから、
「涼平は、どう?外の世界に行ってみたいと思う?」
それこそ、よくわからない話だ。なにしろ、俺は今までずっと幻想郷で暮らしてきて、外の世界なんて、霊夢や早苗さんの話を通してしか知らない。ぼんやりとしたイメージすら、思い浮かべるのが難しいようなところに、行ってみたいかどうかなんてわかるわけがない、が…
「そうだな、全然知らない世界に行ってみるというのも、面白いかもしれないな」
「だったら、私が引退したら、一緒に連れて行ってあげるわね」
それは楽しみだ。何十年先のことになるのかわからないが、忘れないようにしないとな。
気が付けば、霊夢との付き合いももう十年になる。早いものだ。今までと同じような関係を、この先もずっと続けていければ良いなと思うが、さて、どうなるだろうか。