午前中の診療を終えて、鈴仙さんと一緒に永遠亭の母屋に戻ると、期待に目を輝かせた輝夜姫様が、俺達を待っていた。
「…ああ、はい。姫様、着替えてきますから、少々お待ちください」
今日は、午後から、鈴仙さんと二人で、姫様のお供をして、人里に出かける予定になっている。
早くしてね、という、姫様の弾んだ声を背中に聞きつつ、部屋へと戻る。姫様のお気持ちはよくわかるが、あんまり期待されると、プレッシャーを感じてしまうな。
人里というのは、俺や鈴仙さんにとっては、見慣れた日常風景に過ぎないが、なにしろ、姫様は、数百年もの長きにわたって、竹林の奥深くに隠れ住んできたのだ。3年前の永夜異変の後、少しずつ、人間たちとの交流も進めてはきたものの、姫様だけは、相変わらず、永遠亭の奥で、人目に付かないように生活してきた。先日の紅葉狩り、そして今日の外出とで、ようやく長きにわたる束縛から解放されるというもので、それはまあ、姫様も、楽しみで、じっとしていられなくもなろうというものだ。
鈴仙さんも普段着に着替えてきて、それでは、輝夜姫様と人里へお出掛けだ。
姫様は、今日は、目立たないように化粧をして、服装も、できるだけ地味なものを選んで身に着けている。素顔のままだと人目を惹きすぎる、というのが、この前、守矢神社に行った時によくわかったからだが、「美貌を隠すために化粧をする」なんていう人は、世間広しといえども、そうそういないんじゃないか。「竹取物語」そのままに、里中の若者たちが、姫様に求婚するために永遠亭に押し寄せる、なんてことになるのは勘弁してもらいたいので、こういう処置も、まあ仕方がない。美しい、というのも、度を超すと、いろいろと面倒なものだ。
とりあえず、昼食を取るために、手近な洋食屋に入る。
予想通りというか、姫様は、興味深そうに、メニューに見入っている。「これは何?」と質問してくるのに、俺と鈴仙さんが、その都度説明する。永遠亭の食事は、基本的に和食なので、メニューに載っているのは、姫様にとっては、ほとんど全てが、初めて目にする物のはずだ。写真が多く使われているので、料理のイメージは比較的わかりやすいと思うが、匂いや味などは、なかなか伝えるのが難しい。あれも美味しそう、これも食べたい、と、何度もメニューを見直して、最終的に、姫様は、ハンバーグ定食を注文した。鈴仙さんはスパゲッティ、俺はピザを注文する。
俺はこの店に来るのは初めてだが、鈴仙さんは何度か来たことがあるらしい。
「食事じゃなくて、お茶を飲みに、だけどね。
ここのケーキが美味しいって、妖夢に教えてもらったのよ。何回か、お土産に買っていったこともあるんだけど、覚えてる?」
「覚えてる!すっごく美味しかったわ!」
…なんかもう、姫様は、えらく盛り上がっているな。確かに美味しいケーキだったが、永遠亭での姫様は、もっとこうお淑やかに、「美味しいお菓子ね」などとおっしゃって、優雅に微笑んだりしていたはずだが。現在目の前にいるのが、意外と、姫様の素の性格なのかもしれないな。
料理が運ばれてきた。ピザなんて食べるのはいつ以来だろう。一切れ取って食べてみる。うん、熱々のチーズがたっぷりで、大変美味しい。
輝夜姫様は、といえば、ハンバーグを切り分ける手を止めて、俺の前のピザをじっと見ている。
「…姫様、少し、食べてみます?」
「ありがとう!」
取り皿に、ピザとスパゲッティを取り分ける。姫様は、とても嬉しそうだ。
「ハンバーグのお味はいかがですか?」
「とっても美味しいわ!永琳も、こういうのを作ってくれるといいのに」
姫様の頼みなら、師匠はだいたい受け入れるはずなので、たぶん大丈夫なんじゃないだろうか。永遠亭の食事が洋風に変わるのも、そう遠い未来のことではないかもしれない。まずは、作り方を覚えるところから始めなければならないだろうが、八意師匠なら、あっという間にマスターしてしまいそうな気がする。医学ばかりじゃなくて、料理の腕前もすごいからな、あの人。
食事を終えて店を出る。美味しいケーキをお土産に買っていきたいところだが、この後、人里をいろいろと歩くのに荷物になってしまいそうなので、今回は断念。そのうちまた鈴仙さんに買ってきてもらおう。雰囲気の良いお店で、料理も美味しかったし、機会があったら俺もまた来てみたいと思うが、俺が薬を販売するルートからはちょっと外れているのが残念だ。
姫様の少し後ろを、鈴仙さんと並んで、人里の大通りを歩いていく。物珍し気に辺りを見回しては、立ち止まって店の中をのぞき込んだりしている姫様を観察するのは、なかなか面白い。普段の落ち着いた姿とは、まるで別人みたいだ。
俺と鈴仙さんの今日の主な役目は、「姫様が何かトラブルを引き起こさないか、しっかり注意しておくこと」だ。なにしろ世間知らずもいいところなので、どんな問題を巻き起こすか予想できない、との師匠の言葉だが、今のところは平穏無事に過ぎている。
「このまま、何事もなく、一日が終わってくれるといいわね」
「そうですね。ところで鈴仙さん」
「なに?」
「なに?じゃなくてですね…どうして、さっきから、腕を組んできてるんですか?」
洋食店を出てからしばらくは、俺と鈴仙さんは、少し間を置いて、普通に歩いていたのだが、さっき突然鈴仙さんが近づいてきて、俺の腕を取って、体を密着させてきた。何かきっかけがあるのだと思うが、今のところは、よくわからない。
「たまにはいいじゃない、こういうのも」
「…はあ…」
「お願い、もう少しだけ、このままで、自然に歩いて」
幸せそうな笑顔を作りながら、真剣な声で、鈴仙さんが囁いてくる。まあ、美人と腕を組んで歩くのは望むところだが、さすがに距離が近すぎるというか、なんというか、その…やわらかい、とか、いい匂いがする、とか…
道の向こう側から歩いてきた男性が、俺達に向かって、黙って会釈をしてきた。鈴仙さんも、軽く頭を下げて、そのまま、何事もなく行き過ぎる。耳元で、鈴仙さんの、小さな溜息が聞こえた。
「…腕を組んできた理由って、もしかして、あの男の人ですか?」
小声で尋ねると、鈴仙さんは、黙って頷いた。相変わらず、腕は組んだままだ。
「この近くのお医者さん。少し前に話したことがあるでしょ?結婚を申し込まれたけど、断ったって」
「ああ…」
「今、付き合ってる人がいるから、って言って、断ったのよ。だから、その…ごめんね?」
「…後で、何かご馳走してくださいよ?」
「了解」
なんというか、まあ、いろいろな事情があるものだ。評判のいいお医者さんだ、という話だったが、さっきちらっと見た印象だと、落ち着いた雰囲気で、見た目も悪くないし、なるほど、という感じだ。ああいう人なら、放っておいても、そのうち良いお嫁さんが見つかるんじゃないかな。などと、鈴仙さんや医者の先生に気を取られていたものだから、
「…鈴仙さん、姫様の姿が見えませんけど」
「ええっ?!」
鈴仙さんは、慌てて周りを何度も見回しているが、つい先程まで、俺達の少し前を歩いていた輝夜姫様の姿は、どこにもない。
「ちょっと、やだ、嘘でしょ…どこ行っちゃったのよ、姫様。
私は、空の上から探してみるから、涼平君は、このあたりをお願いするわね。見つけたら連絡して。頼んだわよ?!」
言うが早いか、鈴仙さんは上空へと舞い上がっていった。何を言う暇もなかったが、ちょっと慌てすぎのような気もする。姫様は、ほんの少し前まで俺達の目の前にいたのだから、たぶんこの近くの店にでも入っていったのだろうし、なんだったら、スマホを使えば、すぐ連絡がつくんじゃないだろうか。まさか白昼の人里で、あの力持ち、かつ不老不死の姫様が何かの被害に遭うようなことも考えにくいし、などと思う間もなく、早速発見した。花屋の店内で、輝夜姫様が誰かと話している。
姫様がいました、と、スマホで連絡すると、猛スピードで、鈴仙さんが上空から降りてきた。俺が指差す先に姫様の姿を確認すると、
「本当…よかった…よかったあ…」
声を震わせて、俺の肩にすがって、泣き出した。よっぽど心配だったんだろうなあ。成り行き上、俺は、鈴仙さんをそっと抱きしめることになる。道行く人たちが、皆で俺達のことを見ている。傍から見たら、きっとメロドラマの1シーンか何かだ。ああもう、どんな状況とでも、好きなように想像してくれ、全く。
鈴仙さんが落ち着くのを待って、花屋の中に入る。小さな店内に、色とりどりの花が所狭しと並べられていて、充満した香りで、むせ返りそうだ。俺達とちょうど入れ替わりに、姫様と話していた人が店から出ていった。楽しそうにお話されてましたね、と姫様に言うと、
「常連、って言うの?ここのお店によく来るお客さんらしいわ。
私が永遠亭で育てている盆栽のお話をしたら、とっても喜んでくれて。今度遊びにいらっしゃい、って、お誘いしたの」
それは楽しみですね、と、鈴仙さんは答えているが、なんだか、笑顔が若干ひきつっているようにも見える。さっき鈴仙さんに会釈していたような気もするし、ひょっとして知り合いだったりするんだろうか。手に持った日傘と、チェック柄のスカートが印象的な女性だったが…
鉢植えをいくつか、永遠亭に配達してくれるように、と注文して、花屋を出る。また大通りをぶらぶらと歩いて、服屋や道具屋、本屋などを見て回った。本屋では、姫様は、料理の本を2冊買った。2冊とも、表紙にハンバーグの写真が載っている。よっぽど美味しかったんだろうなあ。鈴仙さんは、恋愛小説を2冊買ったようだ。鈴仙さんも、そういうのを読んだりするんだな。ちょっと意外だ。
お土産に和菓子屋でどら焼きを買って、それでは帰るとしようか。
「姫様、楽しかったですか?」
「ええ、とっても!」
弾んだ声と満面の笑顔を見ると、こちらまで嬉しくなってくる。これからは、姫様も、外出の機会が増えるのだろう。まだ当分は、お付きの人が必要だろうが、少しずつ幻想郷に馴染んでいってもらえればいいな、と思う。
永遠亭に到着。「ただいまー!」と、はしゃいだ声で、姫様は自室へと歩いていった。俺も自分の部屋に戻りたいところだが、
「涼平君、ちょっといい?」
鈴仙さんに促されて、診療所の鍵を開ける。なにやら内密の話があるようだ。
診療所の中に入って、入口の扉を閉めると、
「あー!もう!!やだ!!ほんとやだ!!死ぬかと思ったわよ、もう!!」
待合室の長椅子に仰向けに体を投げ出して、手足をバタバタさせながら、鈴仙さんが叫んだ。姫様の姿が見えなくなった時のことを言ってるんだと思う。
「大変でしたね」
「大変だったわよ!!死んでお詫びをしなくちゃいけないかと、本気で覚悟したもの」
「少しオーバーじゃないですか?」
「涼平君は、師匠のことをよく知らないから、そうやって落ち着いていられるのよ…ああもう、姫様が無事でよかったわ、本当に」
溜まっていた思いを全部吐き出して、鈴仙さんは、少し落ち着いたようだ。長椅子に横になったまま、少しの間黙っていたが、
「…ごめんね」
「何がです?」
「人里で、みっともないところを見せちゃって。…ありがとう、支えてくれて、嬉しかった。
その前も、恋人のふりをしてもらったり。なんだか、今日は、迷惑をかけてばっかりね、私」
「こんな俺でも、役に立つことがあるなら、いくらでも頼ってくださいよ」
「…うん、そうする」
鈴仙さんは、長椅子から体を起こすと、
「しっかり者の弟を持って、お姉さんは嬉しい」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、俺の頭をなでなでしてくれた。…おおう、なるほど、これは…先日の早苗さんの気持ちが、大変良く理解できる。「膝枕してください」と口走りそうになったが、危うく思いとどまったのは、我ながら頑張ったと思う。
診療所を施錠して、自室へ戻る。夕食まではまだ時間があるが、このまま少し休むか、それとも調剤でもやっておこうか、さてどうしたものか。