「参拝客の方から牛肉をたくさんいただいたので、すき焼きにしようと思うんですが、涼平さんも来ませんか?」
「行きます」
昨晩掛かってきた早苗さんからのお誘いの電話に、そう即答してしまったのは、我ながら食い意地が張っていると思う。
一通りお客さんを回り終わって、日も落ちかけた頃、守矢神社に着く。社務所で声をかけると、早苗さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃい涼平さん!待ってたんですよ!」
いつものことながら、こちらが恐縮してしまうほどの歓迎ぶりだ。
早苗さんに案内されて、というか、ほとんど引っ張られるようにして、住まいの方に向かう。守矢神社に来るようになってずいぶん経つけれど、社務所以外に通されるのは初めてだな。
社務所の裏手にある早苗さんの家は、神社の他の建物と同様に、かなりの風格を漂わせていた。建てられてからどのぐらい経過してるんだろうな、これ。足を踏み入れるのも、なんだか恐れ多いような感じだ。
ただいま戻りました、と、早苗さんが声をかけると、廊下の奥の方から、諏訪子さんが顔をのぞかせた。
「お帰り早苗。涼平君も、よく来たね」
「お久しぶりです。今日は、お招きいただいて、ありがとうございます」
「手に持っているそれは、手土産かな?」
来る途中で買った、日本酒の一升瓶を手渡す。
「若いのに、しっかりしてるねえ」
喜んでいただけたようで、なによりだ。
居間に案内された。暖房が効いていて、寒い中を一日中歩いてきた身には大変ありがたい。テーブルの上には、ホットプレートにすき焼きの具材が用意されて、あとは煮るばかりになっている。神奈子さんと諏訪子さんは、台所でまだ準備などをしているようなので、手伝わせてもらおうかと思ったが、
「涼平さんは今日はお客様ですから、ゆっくり待っていてください!」
早苗さんにそう言われた。それではお言葉に甘えて…と思ったけれども、なんだか落ち着かないな。早苗さんも台所へ行ってしまって、手持ち無沙汰ではあるし、霊夢のところみたいに、くつろいで寝転がるというわけにもいかないし。やっぱり俺も手伝おうか、と思っていたら、三人そろっておいでになった。
「待たせてすまなかったな。すき焼きはすぐ煮えると思うが、できるまでの間、とりあえず適当につまんでいてくれ」
そう言って神奈子さんが並べてくれたのは、漬物に、佃煮に、刺身。日本酒のつまみとしては、これだけで十分なぐらいだ。
「神奈子さん、このお刺身は…?」
「ワカサギの刺身だ。お前が来るというので、裏の湖に行って獲ってきた。夕方まで泳いでいたものだから、鮮度は良いはずだ」
ワカサギの天ぷらは食べたことがあるが、刺身は初めてだ。それでは、ひとついただいてみよう…うん、しっかり脂が乗っていて、身もよく締まって、とても美味しい。
「わざわざ船を出していただいたんですか。ありがとうございます。大変だったんじゃないですか?」
「なに、それほどのこともない。ちょっと船を出して、網を投げてみれば、このぐらいの魚は簡単に獲れる。ここの湖は、いろいろな魚が棲んでいてな。ヤマメ、イワナ、ニジマス、フナ、獲ろうと思えば、様々な種類が簡単に獲れる。近頃では、山の天狗や河童たちでも、魚獲りに来る者がいるようだな」
なるほど。守矢神社では、魚を食べるのに苦労することはなさそうだ。俺は釣りにはあまり興味はないが、新鮮な魚をいつでも好きな時に食べられる、というのは、ちょっとうらやましい気がする。そういえば、以前からちょっと気になっていたことがあるのだが、
「いい機会なので質問させていただこうと思うんですが…、守矢神社と裏の湖は、外の世界から移動してきたんですよね?神奈子さんや諏訪子さんの力で。だとしたら、外の世界で、元々神社や湖があった場所って、今現在はどうなってるんですか?」
神奈子さん諏訪子さん早苗さん、三人とも、きょとんとした顔をしている。なんだろう、この「言われて初めて気が付いた」みたいな反応は。
「…どうなってるんだろうな、そういえば」
「今まで、考えたこともありませんでしたね」
「うん」
…やっぱりか。これだけの規模の神社と湖が、突然消失したのだから、外の世界では、間違いなく大騒ぎになったんじゃないかな。久しぶりに釣りや参拝に来てみたら、見慣れた景色が跡形もなくなっていた、とか、いったいどんな気がするんだろうか。跡地は、広大な平野が広がっていたりするのかな。
「まあ、神様なんてものは、人間の都合など考えもしないで、とんでもないことをやらかしたりするものさ」
諏訪子さんはそう言って笑っている。本物の神様の言葉だけに、説得力が違うな。無力な人間の側からすれば、あまり笑ってすませられるようなものでもないのだけれど。やれやれ。
「涼平さん、おひとつどうぞ」
徳利を持って、早苗さんがお酌をしてくれる。うん、やっぱり冬は、コタツに入って熱燗だよなあ。体の中から温まる。
「早苗さんは、お酒は飲めるの?」
「そんなに強くはないですけど。少しだけ」
「それじゃ、ひとつご返杯を」
「ありがとうございます!」
俺が注いだ日本酒を飲んだ早苗さんは、すぐにむせて咳き込んだ。
「早苗さん、大丈夫…?」
「…はい、すみません、大丈夫、です…。普通のお酒は、何度か飲んだことがあったんですけど、熱燗は初めてで…」
「無理せずに、ちょっとずつ飲んだらいいんじゃないかな。別に、一息に飲まなくちゃいけないものでもないんだし」
「はい…気を使っていただいてありがとうございます」
俺も酒を飲み始めた頃はこんな感じだったなあ、などと思いながら、ふと見ると、諏訪子さんと神奈子さんが、満面の笑顔で俺のことを見ている。
「…あの、何か…?」
「いやいや、べつに。年頃の男女が仲良くしているのを見るのは、良いものだなと思っただけだ。なあ諏訪子?」
「本当だねえ、神奈子」
…こういう場合、どんな反応をすればいいんだろうな、まったく。
「神奈子さんも、熱燗をおひとついかがですか?」
「ああ、いや、私たちは勝手にやっているから。お前は、早苗の相手をしてやってくれ。気持ちだけもらっておく。ありがとう。
さあ、そろそろすき焼きも煮えただろう。遠慮しないで食べてくれ」
それでは遠慮なく。ネギに春菊に豆腐と、適当に取らせていただく。しかし本当に肉がたくさん入っているな。四人分にしては多すぎるぐらいだ。
「肉が足りないようだったら、まだお替りもたくさんあるぞ」
いや、たぶんもう十分だと思います。さすがに、早苗さんが俺よりも食べるということもないだろうし。神奈子さんと諏訪子さんは、人間ではなくて神様だから、どのぐらいの量を食べるのかわからないけれど。
「参拝客の方からお肉をいただいた、って早苗さんから聞いていますが、そんなにたくさんあるんですか」
「ああ、まだずいぶん残っているな。全部でどのぐらい持ってきてくれたのか、量ったわけではないから、正確なところはわからないが、3kgぐらいはあったんじゃないか。塊で持ってきてくれた。
なんだったら、明日も夕飯を食べに来てくれても構わんぞ。今度は焼肉にでもするか」
いや、さすがにそんなに毎日ごちそうになるというわけにも…。お気持ちだけいただいておきます。
「確か農業をやっている男だが、勝負事に勝ったお礼だ、とか言っていたな。どういった勝負事なのか、詳しくは聞かなかったが」
なるほど、成功しますように、と神様に願掛けをして、願いがかなったのでお礼を持ってきた、というわけだ。
「戦の神様としては、『勝負に勝たせてください』と信者が願ったとしたら、勝てるように力を貸してあげたりするんですか?」
「するわけがないだろう、そんなもの」
即答だった。何を当たり前のことを聞いているんだ、という感じだが、神頼みをする側の人間としては、そんなにあっさりと否定されても、ちょっと戸惑ってしまうのですが。
「神様というのは、基本的に、人間のすることには関与しないことになっているんだ。
例えば、今回のように、信者が戦いの勝利を願って、力添えをしてやろうと、私が乗り出したとするだろう?その時に、もしも相手も同じように、自分の信じる神様に勝利の願掛けをしていたら、どうなると思う?相手側でも神様が乗り出してきて、人間同士の争いだったはずが、神様の争いになってしまうんだぞ。勝ち負け以前に、争いの規模が巨大になりすぎて、人間も神様も、誰も得をしない。
もう一つ例を挙げれば、自分の信徒同士が争いあって、互いに『自分が勝てますように』と願った場合はどうなる?どちらも勝てるようにするのは、なかなか難しいぞ」
「ははあ…すると、今回、信者の方が勝負に勝てた、というのは…」
「本人が努力した結果か、たまたま運が良かったかのどちらかだな」
「…なるほど」
「困った時の神頼みは効果がない、ということだ。成功したければ、それに見合うだけの努力をするのだな。そうした上で、土壇場で弱気になったり、迷ったりした時に、『自分には神様がついているんだ』という思いが、背中を押してくれることもある。信仰とはそういうものだ。
今回、肉を持ってきてくれた男も、もしかすると、何かそういうことがあったのかもしれないな」
「ありがとうございます、勉強になりました」
「まあでも、涼平君の願い事だったら、私たちも力を貸してあげないでもないよ」
「うん、それはそうだな」
…あのですね…、諏訪子さんも神奈子さんも、前言を撤回するのに躊躇がなさすぎませんか。
「涼平君は、私たちのお気に入りだからね」
「神は、人間の願いに応えたりはしない。自分の思う通りに行動するだけだ。自分が気に入った人間であれば、頼まれなくても力を貸してやることだってある。お前も、もし私たちの助力が必要な時があれば、遠慮なく言ってくるがいい」
よかったですね、と、早苗さんが笑顔でお酒を注いでくれるが、いやいやいやいや…
「そんな、特定の人間に肩入れするようなことになったら、神奈子さんや諏訪子さんの立場が悪くなっちゃうじゃないですか。お気持ちは嬉しく思いますが、今のところはまだ、自分自身の力で何とかなるだろうと思いますし、何か苦しくなった場合は、先ほど神奈子さんがおっしゃったような『努力した上での神頼み』を試してみようと思うので、なんというか、そっと見守っていていただければ…」
「謙虚だねえ、涼平君は」
「そういうところを、私たちは気に入っているのだがな」
買い被られすぎるというのも困ったものだと思う。俺は、どこにでもいる普通の人間なんだけどな…
「四月からは永遠亭を出るという話を聞いたが、だったら私たちの所に来たらどうだ?早苗も嬉しいだろう?」
「はい、もちろんです!!」
いや、そういう話は…と思ったけれど、考えてみたら、ここに来るたびに言われている話だし、いまさらどうこう言うことでもないか。
「気が向いたら、いつでも引っ越してくるといい。歓迎するぞ」
ええ、まあ、そうですね、気が向いたら…
暖かい部屋で、お腹いっぱいすき焼きをいただいて、酔いもいい感じに回ってきて、大変幸福な気分だ。
「涼平さん、お酒はもういいんですか?…だったら、ちょっと待っていてくださいね!」
いつものように元気よく、早苗さんは廊下へ駆け出していった。どうしたんだろう、と思う間もなく、また駆け戻ってくる。
「よかったら食べてみてください!デザートです!」
そう言って、可愛らしい紙袋を手渡してくれた。中には何が入っているんだろう…
「…クッキーだ。早苗さんが作ってくれたの?」
「はい!チョコチップクッキーです。バレンタインデー用に作ったんですよ!」
「…バレンタインデー?」
「外の世界では、そういう日があるんです!2月14日に、女の子が、好きな男の人にチョコレートをプレゼントするんです!ちょっと遅くなっちゃいましたけど。ただ買ってきたチョコレートを渡すだけじゃつまらないと思って、クッキーにしてみました!」
へえ…。クリスマスとかバレンタインデーとか、外の世界には、色々と珍しい習慣があるんだな。早速、一ついただいてみようか。
「…うん、美味しい」
「…よかった!」
酒を飲んだ後というのもあるのかもしれないが、甘いものがとても美味しく感じられる。バタークッキーとチョコチップの風味が良い感じだ。
「早苗さんは、お菓子作りが趣味だったりするの?」
「いえ、そういうわけでは…実を言うと、クッキーを作るのは、今回が初めてだったんです。美味しくない、って言われたら、どうしようかと思ってたんですけど…」
「大丈夫、美味しいよ、とっても。これで初挑戦なのか、すごいね早苗さん」
「…はい!」
早苗さんは、とても嬉しそうだ。
「…ねえ神奈子、なんだか急に暑くなった気がしないかい?」
「そうだね諏訪子、少し暖房が効きすぎたかね。外に出て、ちょっと涼むとしようか」
「うんうん、あとは、若いお二人に任せて」
というようなことを棒読み気味に言いながら、二柱の神様はどこかへ行こうとしたが、いや、そろそろ俺はおいとましようかと思うんですが…。
「なんだ、帰るのか。泊っていけばいいのに。だったら、永遠亭まで私が送って行ってやろう」
酔い覚ましがてら、歩いて帰るつもりだったが、「遠慮するな」と重ねて言われたので、それではお言葉に甘えさせていただこうと思う。よろしくお願いします、神奈子さん。
霊夢の陰陽玉や、魔理沙の魔法の箒のように、何かの道具に乗って飛んでいくことになるのかと思ったら、
「おぶっていってやるから、早く乗れ」
思いのほか即物的な方法だった。神奈子さんの外見は、長身の大人の女性といった風だが、俺が背中に乗ってもびくともする様子がないあたり、やはり神様なんだなという感じだ。
「なるべくゆっくり飛んでいくが、酔っぱらって眠ったりするんじゃないぞ。しっかりつかまっていろよ?」
そう言って、神奈子さんは夜空へと舞い上がった。風を切って飛んでいくが、冬の夜の寒さは全く感じない。何か神様の力が働いているんだろうか。
「…私たちが幻想郷に来ることになったいきさつは、早苗から聞いているか?」
飛びながら、神奈子さんが言った。
「ええ、大体のことは…」
「私や諏訪子のせいで、早苗には、大変つらい思いをさせてしまった」
「……」
「今の私たちの願いは、早苗が幸福な人生を送ること、それだけだ。
早苗は、お前といるととても幸せそうだが、お前の方では、早苗のことをどう思っているんだ?」
「…それは…」
「他に誰か心に決めた相手がいるのなら、それはそれでいい。ただ、早苗を傷つけるようなことは、なるべくならしないでもらいたい…まあ、お前なら大丈夫だと思うが」
「…はい…」
「変な話をしてしまったか、すまない。こういうことは、周りの者が口を出すべきではないと、わかっているのだがな。
まあ、早苗もお前もまだ若い。急いで答えを出すこともないだろう。…ああ、もちろん、婿に来てくれるのだったら、いつでも歓迎するぞ」
永遠亭の入り口で俺を下ろして、神奈子さんは守矢神社に戻っていった。見えなくなるまで見送って、小さく息をつく。いろいろと、考えなければいけないことがあるようだ…