幻想郷一般男子の日常   作:Jr.

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7月31日

 魔法の森に入るには、事前に入念な準備が必要だ。

 まず、首や顔、腕など、衣服で覆われていない箇所には、まんべんなく虫除け薬を塗る。有害な花粉や鱗粉などを吸い込まないように、口元をマスクで覆う。手には厚手の革手袋をはめる。少なくともこれだけのことをしてからでないと、普通の人間が魔法の森に入るのはお勧めしない。別にそんなことをしなくても、普通に森の中を歩き回れた、という人もいるだろうが、それは運が良かっただけだ。一歩間違えれば、毒虫に刺され、木のトゲや鋭い葉で怪我をし、毒キノコに触れて掌がただれる、といった惨状になりかねない。命が惜しければ、油断はしないことだ。

 森の中は、昼間でもあまり日が差さずに薄暗い。木や草が茂りに茂って、日光を遮っているからだ。真夏の強烈な日差しを遮断してくれるのはありがたいようだが、熱までは遮断してはくれず、むしろ地面から蒸発した水分が森の中にこもって、じめじめと蒸し暑く、気持ち悪い。マスクに帽子に手袋といった重装備をしていればなおさらだ。やはり、まともな人間が長居するような場所ではない。

 そんな魔法の森の中ほどに、霧雨魔法店はある。

 

 石造りの小ぢんまりとした家の前に、「霧雨魔法店」という小さな木の看板が、地面に刺さっている。店、とはいうものの、商売する気がないことは明らかだ。なにしろこんな場所では人が寄り付くはずもないし、そもそも店主である魔理沙が、魔法の材料採取のために、しょっちゅう留守にするので、いつ営業しているのかも定かではない。俺はもう何度もここに来ているが、店にお客が来ているのを見たことは一度もない。

 木製のドアについているノッカーを鳴らすと、「はーい」と小さな声が聞こえ、どたどたと足音がして、ものすごい勢いでドアが開いた。

 「ようこそ霧雨魔法店へ!待ちかねたぜ!」

 弾んだ声と満面の笑顔は、ここまでの気が滅入るような道中への最高の報酬だ。暑さも疲れも一瞬で吹き飛んだ気がする。

 「暑い中大変だったろう。さあさあ、入って入って」

 引っ張り込まれるようにして家の中に入る。魔法だか結界だかで、常に快適な温度に保たれているここは、扉一枚隔てた外界とはまるで別世界だ。

 居間に案内されて、椅子に座って一息つく。出されたお茶をすすって、あらためてぐるっと見回してみる。なんだか落ち着かない。

 「うん?涼平、どうした?」

 「いや、えらくきれいに片付いてるなと思って…」

 薬の巡回で、もう何度もここには来ているが、こんなにすっきりしているのを見たのはたぶん初めてだ。いつもは、雑多なものが至る所に転がり、床は文字通り足の踏み場もなく、テーブルの上は本が山積みで、部屋全体がとにかく埃っぽい、といった感じなのだが、今日は、まるで訪ねる家を間違えたかと思うほどに、きれいに整頓されて、掃除も行き届いている。

 「そりゃあ、お客さんが来るって分かってれば、私だって掃除ぐらいするさ。一昨日、朝から晩までかかって片づけたんだぜ」

 なるほど、今までは、連絡もしないで、他のお客を回ったついでに訪問していたのがまずかったらしい。一言声をかけるだけで、快適な生活空間が出現するのなら、安いものだ。なるべく心がけることにしよう。

 

 訪ねてきた第一の目的である、薬箱の中身を点検する。いつものことだが、傷薬と栄養剤がだいぶ減っている。霊夢のところでは特に薬箱で減っているものはなかったので、最近は異変も特に起こっていないはずだが、魔理沙のように、日常的に森に採集に出かけたり、魔法の実験をしたりしていると、ちょっとした怪我が多くなってしまうのは、仕方ないことなのだろう。減った分の薬を補充しておく。

 「それと、魔理沙、これは、最近師匠が作った栄養ドリンク。サービスで置いておくから、試しに飲んでみてよ。で、あとで感想を聞かせてくれると嬉しい」

 「お、有難くいただくぜ。永琳にお礼言っといてくれよな」

 魔理沙が栄養不足で倒れる心配は、たぶんこれでずいぶん減ったと思う。こんな心配をしなくてすむよう、普通の規則正しい生活を心がけてもらえるのが一番いいのだけれど。

 「それから、はいこれ、お土産」

 「おお、悪いな。開けていいか?」

 「どうぞ」

 紙袋から中身を取り出した魔理沙は、なぜか変な顔をして考え込んでしまった。

 「……」

 「どうかした?クッキーは嫌いじゃなかったと思ったけど」

 「うん、嫌いじゃない。むしろ好きだ。けどなあ。クッキーか、そうか…」

 どうしたのだろう。だいぶ貧しい食生活を送っているようだったから、何か美味しくて栄養のあるものを、と思って買ってきたのだが。ドライフルーツ入りで、けっこう評判は良かったはずだ。

 ちょっと待っててくれな、と言って、魔理沙はキッチンへと歩いて行った。そして、お盆に乗せて持ってきたものは、

 「魔理沙、それってもしかして…」

 「昨日、クッキーを焼いてみたんだよ」

 まさかかぶってしまうとは思わなかった。変な偶然もあったものだ。そりゃまあ魔理沙も妙な顔をするはずだ。

 「一昨日、部屋を整理してたら、前にアリスに教えてもらったクッキーの作り方のメモが出てきたんだよ。でまあ、ちょうどいい機会だし、作ってみたんだけど…どうする?食べる?」

 もちろん、喜んでいただくに決まっている。せっかく魔理沙が作ってくれたのだ。材料だって、わざわざ買い出しに行ってくれたのだろう。好意を無駄にするわけがない。1枚取って食べてみる。

 「……」

 「どうだ?」

 「…うん…」

 「美味いか?」

 「…うん…うん、美味い。美味しいよこれ」

 「本当か?!」

 「本当だよ。美味しいよこのクッキー」

 「やった!」

 椅子から飛び上がらんばかりに、魔理沙は大はしゃぎしている。よっぽど嬉しかったのだろう。まあ、普段は料理なんてあまりしたことないだろうし。

 魔理沙の作ったクッキーは、上手にできたかと言われれば、正直、ちょっと首をかしげてしまう。形は不揃いでいびつだし、ちょっと焦げているし、硬い。しかし、食べてみると、少し焦げているせいで程よく香ばしいし、硬いのも、いい感じに歯ごたえがあって、意外と美味しい。こういうクッキーは初めて食べた。お茶とよく合う。

 「いやあ、自分でも食べてみたんだけど、美味いかどうか、自信が持てなかったんだよな。アリスのクッキーとは全然違うのができちゃったから、けっこう不安だった。口に合ってよかったよ」

 アリスさんというのは、この魔法の森に住んでいるという魔法使いだ。魔法以外に、料理や裁縫といった、家庭的な技術にも秀でているらしい。俺は本人には会ったことはないが、アリスさんが焼いたというクッキーは、以前魔理沙の家に来た時にごちそうになったことがある。文句なしに美味しかった。

 「今度、アリスに、ちゃんとお菓子の作り方を教わってみようかな。そしたら、涼平、また味見してくれな?」

 望むところだ。魔理沙が研究熱心なのはよく知っている。これからどのようにお菓子作りの腕が上がっていくのか、楽しみだ。

 

 クッキーをお供に、魔理沙お手製のハーブ茶を飲みながら、いろいろ話をする。今日はもう他のお客さんは全部回り終わったので、時間を気にしなくても大丈夫だ。

 話の内容は、魔理沙は最近研究している魔法の話、俺の方は、最近師匠が作った薬の話が多い。医学薬学の話と魔法研究の話は、割と重なり合う部分も多く、異なる分野ゆえの新鮮な刺激などもあって、話していて大変興味深い。

 魔法と科学がどう違うのかといえば、物理法則が通用するか否か、ということになる。例えて言うと、1+1の答えが2であるなら、それは科学であり、もし1+1が100になってしまうのなら、それは科学ではなくて魔法だ。外の世界では、科学が万能で、魔法は既に存在していないそうだが、この幻想郷では、科学も魔法も共存している。科学と同じように、魔法も体系化されて、日々研究が行われており、名高い魔法使いも何人もいる。

 魔法と科学が似て非なるものだというわかりやすい例を、一つ挙げてみようと思う。俺が行商で常に持ち歩いている商品として、火傷の薬がある。数種類の薬草を植物油と合わせて軟膏状にしたものだが、これと全く同じ材料で魔理沙に作らせると、火傷の薬ではなくて、魔法の炎が出来上がるのだ。見た目は緑がかった灰色の粘土といった感じのものだが、これを掌に載せて何度か揉むと、青白い炎が立ち上る。握りこぶしぐらいの大きさのそれは、「魔法の炎」というだけあって、触ってみても熱くないし、雨が降っても風が吹いても消えないという優れものだ。夜中に出歩く時の明かりとして重宝する。霧雨魔法店の主力商品の一つで、こういったものを道具屋に販売することで、魔理沙は収入を得ている。

 こういった感じで、「材料からの製品の精製」「仮定→実験→検証」という過程をたどるのは同じでも、魔理沙と俺とではやっていることは全く異なり、だからこそ、話していて面白い。

 

 気が付いたら、もう日が暮れかけていた。魔法の森は日が差さないとは言っても、さすがに朝昼晩の違いぐらいは、明るさでわかる。魔理沙と話していると、時間の経つのが本当に早い。

 「永遠亭まで送っていく」と魔理沙が言ってくれたが、丁重に辞退する。いつも厚意に甘えてばかりというわけにもいかないし、暗い森の中を、少女に送ってもらうというのは(魔理沙は強力な魔法使いだとはいえ)、ちょっと気が引ける。

 「いやあ、今日は本当に楽しかったよ。ありがとう。客が来るってのは、やっぱりいいもんだな」

 半分は薬売りの仕事で来たのだし、そんなに礼を言われるほどのことでもないが、考えてみると、人跡まれな森の中で、毎日一人きりで魔法の研究にいそしんでいるのだ。明るく活発なのが魔理沙の特徴で、弱音を吐いたところなどは今まで見たこともないが、人恋しくなるようなことも、たまにはあるのかもしれない。

 「また来るよ」

 「うん、またな涼平!」

 互いに手を振りあって、霧雨魔法店を後にする。しばらく行ったところで、ふと振り返ると、玄関先に、魔理沙がまだ立ってこちらを見ていた。俺に気が付いたのか、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、手を振っている。いかにも魔理沙らしい。こちらも飛び跳ねながら手を振り返す。

 永遠亭まではけっこうな距離があるが、今日はずいぶんと楽しい気分で歩けそうだ。

 

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