妖怪の山、と呼ばれる山がある。
文字通り、天狗や河童といった、様々な妖怪たちが住んでいる山だ。妖怪たちは閉鎖的な社会を構成していて、自分たちと異なる存在(例えば人間)が山に立ち入ろうとすると、集団で排除しようとする。なので、長い間、人間が足を踏み入れることのない地域だった。
数年前に、少し様子が変わった。山の頂上に、突如として大きな湖と神社が出現したのだ。もともと外の世界にあった神社と湖を、神様の力で、時空を越えて移動させてきた、らしい。神様の力ってすげえな。
さて、異分子の侵入には極めて敏感に反応するのが妖怪の山だ。すぐさま排除しようと、多くの妖怪が神社に殺到したらしいが、なんと、全て撃退されたという話だ。ほんとすごいな、ここの神様。
その後、妖怪の山の代表と神社の間で話し合いが持たれ、山の妖怪たちと神社は共存していくことになった。妖怪たちの信仰を得て、神社はおおいに栄えることとなった――だけならいいのだが、どうもその後、霊夢たちとひと悶着あったらしい。詳しい内容はよくわからないが、とにかくそれも無事解決されて、以後現在に至る、というのが、妖怪の山の上にある「守矢神社」にまつわる物語だ。
妖怪の山の頂上付近にある神社、ということで、里の人間にとっては、存在は知っていても、ほとんど縁のない場所、だったのだが、2年前ぐらいになるだろうか、突然ロープウェーが整備された。これで、ふもとから神社まで、安全かつ手軽に参拝できるようになったわけだ。山の妖怪たちとの約束で、参拝する人間には危害を加えないということになっているそうで、人里で積極的に布教活動を行っていることもあり、最近では、人間の参拝客も増えてきているようだ。
つまり、薬の行商にも行けるようになってしまったというわけだ。やれやれ。
ロープウェーは、30分に1回の割合で、ふもとと神社の間を往復している。自動運転で、所要時間は10分弱といったところだ。途中、山の上から人里を見下ろすことができる。普段はなかなか見ることができない風景は、新鮮で面白い。今日は、乗っているのは俺1人だ。
頂上に着いて、乗り場から出ると、すぐ石畳の参道がある。短い階段を上り、大きな石鳥居をくぐれば、守矢神社の境内が広がっている。正面に立派な拝殿、右手に社務所兼住宅。建物は、こう言っては何だが、博麗神社よりも数段豪華だ。相当な年代物でもあるようで、見るからに威厳が備わっている。元の世界では、大変由緒のある神社だったそうだが、なるほどという感じだ。
境内には、何人かの天狗と…東風谷(こちや)早苗さんがいた。
「…わあっ、涼平さん?!」
それまで天狗と話していた早苗さんだが、俺に気づくなり、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。というか、突撃してきた。勢い余ってぶつかりかねない。
「お久しぶりです!お元気そうですね!」
「…あ、はい」
「いろいろお話したいことがあるんですよ!」
つくづく元気な子だ。夏バテなんて言葉は知らないんじゃないか、と思ってしまうほどに、全身活力にあふれている。
東風谷早苗さんは、今年で確か17歳。ここ守矢神社のただ1人の巫女で(風祝(かぜはふり)というらしい)、また宮司を兼ねる。立場としては、霊夢によく似ている。巫女としての能力は確かなもので、悪霊や災いを祓う力を持つ。霊夢や魔理沙が言うのだから、たぶん間違いないのだと思う。人里で信仰を集めつつある、というのも、早苗さんの力があってのことだ。
性格は、明朗活発、好奇心旺盛で、人懐っこい。魔理沙を全方面で5割増しにしたような性格、と言っておけば、そんなに間違っていないと思う。
ちょっと待っててくださいね、と言って、早苗さんは、社務所へ走っていった。何かまた賑やかなことになりそうな気がする。というか、まずは薬箱のチェックをさせてもらいたいのだが。
日陰に入って待っていると、
「こんにちは、お久しぶりですね」
天狗の1人に声を掛けられた。
「こんにちは。ああ、ええと…」
「射命丸文(しゃめいまるあや)と申します。以前、永遠亭に取材をお願いした時に、お目にかかったと思いますが」
言われて、何となく思い出した。いつだったか、仕事が終わって永遠亭に帰る途中で、竹林の入り口で、鈴仙さんが誰かと話しているのに出会ったが、その時の相手がこの射命丸さんだった気がする。永遠亭の取材をさせてくれという話で、鈴仙さんと2人で、断るのにずいぶん苦労した。その時もらった名刺には確か「文々。(ぶんぶんまる)新聞 記者 射命丸文」とか書いてあったか。
「どうですか、その後。だいぶ日が経ちましたが、改めて取材を受けてくれたりはしませんかね」
「いや、俺に言われても…ただの薬売りだし」
「できれば一言お口添えいただけるとありがたいのですがね。真実だけを伝えますし、永遠亭の皆様に迷惑がかかるようなことは一切ありませんので」
営業スマイルで、立て板に水とばかりに話しかけてくる。心の底が見えない、こういう相手は、正直苦手だ。たぶん悪意はないのだとは思うが…
射命丸さんは、天狗の中でも、情報収集を担当している、とのことだ。人里や妖怪たちの間を日々飛び回って、様々な情報を見聞していて、そのついでに(なのかどうかはわからないが)「文々。新聞」なるものを不定期で発行している。最近は、この新聞を人里でもたまに見かけるようになった。俺も読んだことがあるが、その印象だと、「真実だけを伝えます」というのは、どうも信じがたい。
ちなみに「天狗」とは言っても、射命丸さんの外見は人間とほぼ一緒だ。仕事のできそうな、カッコいいお姉さん、といった感じで、昔話に出てくるような、「鼻が高くて、真っ赤でいかつい顔をしている」というようなものを想像すると、たぶん裏切られる。
「お待たせしました!」と言って、早苗さんは、何やら黒いカードのようなものを差し出した。
「ええと、これは…?」
「携帯電話です!スマートフォンって言います。略してスマホですね。これがあれば、家の外にいても電話が掛けられるんですよ!」
「ほほう…」
「山の河童さんたちにお願いして、作ってもらったんです!」
最近は、この守矢神社を発信源として、幻想郷の産業革命が進行中だともっぱらの噂だが(原子力発電所ができた、とか霊夢が言っていた)、どうやらこのスマホというのも、その1つの現れであるらしい。
早苗さんにスマホの使い方を教わる。それほど難しいものでもないようだ。
「試しに掛けてみますね」
そう言って、早苗さんが自分のスマホを操作すると、俺の方の着信音が鳴った。画面には「東風谷早苗」と表示されている。
「もしもし、聞こえますか?」
「はい、聞こえます…目の前に相手がいるのに、電話で話すというのは、なんだか変な感じだな」
そうですね、と、早苗さんは楽しげに笑った。
射命丸さんとも電話番号を交換した。その場の雰囲気で何となく応じたのだが、考えてみると、これはやめておいた方が良かったかもしれない。後でまた取材申し込みの電話とか来るんじゃないか。
射命丸さんは、今日はこのスマホの取材に来たらしい。すでに妖怪の山の河童と天狗たちには相当行き渡っているそうで、近い将来、人里にも浸透するだろう、ということだった。
「いつでもどこでも相手と連絡が取れる。これは一つの革命ですよ」
射命丸さんは実に興味深げだ。確かに大きな社会変化なのかもしれないが、いいことばかりでもないような気がする。仕事の呼び出しが増えたり、とか。
「それはまあ、その通りですよ、ええ」
射命丸さんの言葉には実感がこもっていた。携帯電話の良い面とそうでもない面、どちらも現在進行形で体験中なのだと思う。
参拝客の皆さんに、1台ずつ配ろうと思うんです、と、早苗さんは拳を握りしめた。「文々。新聞」にも記事が載るのだろうし、人里にスマホが定着するのにさほど時間はかからないかもしれない。ついでに、守矢神社への参拝客も増えることだろう。
早速帰って記事を書く、と、射命丸さんは飛び去っていった。俺と早苗さんは社務所へ行く。ちょっと待っててくださいね、と、早苗さんは小走りに廊下を駆けていき、薬箱と神奈子さんを連れて戻ってきた。
「久しぶりだな、薬屋」
「ご無沙汰してます」
「早苗の婿に来る気になったか」
毎回来るたびにこれを言われる。ほとんど挨拶みたいなものだ。なんだかもう、返事する気にもなれない。早苗さんも、「お婿さんに来てくれる気になりましたか?!」とか、合わせなくていいから。
「可愛い嫁と、この立派な神社が手に入るんだぞ。別に薬屋を続けても構わないのだし、いいじゃないか」
「そうですよ、涼平さん!」
俺にできるのは、笑ってごまかすことだけだ。まったく、どこまでが冗談なんだこの人たちは。
背の高い、凛々しい大人の女性、といった風貌の八坂神奈子さんは、人間ではなくて、ここ守矢神社の主祭神の1柱だ。本来、神様は人間には見えないものなのだが、幻想郷では外の世界と違って、妖怪や妖精が人間と共存しているのだし、まあ、神様が人間と同じ世界で普通に暮らしてもいいか、ということになったらしい。守矢神社に参拝に来ると、神奈子さんや、もう1柱の主祭神である洩矢諏訪子さんが応対してくれることがある。神様と間近で触れ合える神社、というのも、相当珍しいんじゃないか。
ちなみに、神奈子さんは戦神で、諏訪子さんは祟り神なのだそうだ。2柱とも普段は気さくで温厚だが、もし怒らせたりしたらただでは済まないと思う。なにしろ、先に述べたように、山の妖怪たちの攻撃をすべて退けてみせた神様たちなのだから。
戦神に祟り神、という、いささか物騒な肩書きの主祭神を祭る守矢神社だが、「無病息災」「恋愛成就」といった普通の願いも受け付けている。どれほどの効果があるのか、ちょっと気になる。
そういえば、博麗神社の主祭神は、いったいどんな神様なんだろう…
薬箱の中身が減っていないことを確認して、さて、帰ることにする。
「えーっ?!もう帰っちゃうんですかあ?!」
「他にもまだ回らなくちゃいけないお客さんが残ってるから」
「むう、いつもそうやって…。わかりました。また来てくださいね!」
ばいばい、と手を振って、守矢神社を後にする。ロープウェーに乗り込んで、座席に腰を下ろしたら、どっと疲れが出た。この神社に出入りするには、相当なエネルギーが必要だ。
ふもとについて歩き出したら、スマホの着信音が鳴った。早苗さんからだ。
「涼平さん涼平さん!うっかり伝え忘れてたことがあって…」
スマホ通信用の電波は、現在すべて守矢神社から発信しているのだが、まだ幻想郷全域には届いていなくて、神社から離れたところだと通話ができないそうだ。永遠亭も、今のところ電波の範囲外らしい。
「近いうちに、博麗神社にも電波の発信基地を置いてもらえるように、お願いしようと思うんです。そうすれば、幻想郷のかなりの部分で通話できるようになると思うんですけど」
まあ、幻想郷の利益になりそうなことではあるし、あののんきな博麗の巫女なら反対もしないだろう。博麗神社からなら、永遠亭にも多分電波が届くんじゃないだろうか。博麗神社でもスマホを配布したらいいんじゃないか、と思い付きで言ってみたら、早苗さんはたいそう乗り気だった。
なんだかんだ話しているうちに、突然通話が途切れた。電波の圏外に出たらしい。スマホをしまって、何か妙な雰囲気を感じて周りを見回すと、通行人や近くの店員さんたちが、変なものを見るような顔で俺のことを見ていた。なるほど、スマホを知らない人たちからすれば、変なものを握りしめて、何か笑いながら一人で話している人間というのは、相当奇妙なものに見えたことだろう。
顔見知りの1人に、何をやっていたのか聞かれたので、スマホのことを説明したら、周囲にちょっとした人だかりができた。明日あたり、守矢神社は、スマホを求める人たちで賑わったりするかもしれない。