ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第05話 必然の対立

 

 

 実際のところ、ベンガーナ軍を引かせるだけならば話は早いのだ。こちらが折れてバランを国王名代にでもする。で、一言抗議を届けにいけばいい、それだけで今回の騒動は終わりだ。

 仮にそこまでアルキード側が礼を尽くしてなおベンガーナ側が聞き入れぬなら、そのときはもう一戦交えねば収まりがつかなくなるだろうが、それだって総力戦になりやしない。……まあ多少の血が流れるのは覚悟しなくちゃならないけど。

 

 とはいえここまでの状況の推移を思えばベンガーナも無茶はしない公算が高い。それだけに抗議の一つで手打ちにしてはもったいない、なにせ定例通りに終わらせてはお互い得るものが少ないままなのだ。

 うちは無駄にストレスと敵愾心を高めるだけに終わるし、ベンガーナも目論見半ばの消化不十分で引き上げとなる。これでは骨折り損のくたびれもうけだった。そんなこんなで一工夫してみようかと画策したのが俺である。

 

「貴国からわが国への合同演習の申し込み、ですか? これはまたなんとも……」

「まあまあ、まずはお聞きくだされ。先年わが国の王女であらせられるソアラ姫が、めでたく夫婦(めおと)の儀を結んだことはご存知でございましょう?」

 

 軍服に鎧を着込んだ壮年の男が困惑を隠さず語尾を濁すと、わが国の使者である初老の文官が愛想笑いを浮かべて宥めてみせる。

 

「はあ、勿論存じ上げておりますが、それが何か?」

「いえいえ、王女殿下の夫君であるバラン様はことのほか武に関心をお持ちの、それはもう質実剛健な為人をお持ち遊ばされていましてな。此度貴国の新兵器が試されるという噂を聞きつけ、是非とも一瞥の機会を、と仰ったのですよ。それゆえ不躾ではありますがこうして軍馬の労を取った次第」

「……これを口にするは大変心苦しいのですが、貴殿がいかなご無体を仰られているのか、自覚はありますかな?」

「無論存じ上げております。ですが貴国の訓練も少々熱が入りすぎているご様子。ここは一度ご休息を挟むのも指揮官の務めではありませんかな?」

「む、それは……」

 

 そもそも最初に喧嘩売ってきたのはベンガーナ(てめえら)のほうだろうが、文句言える立場だと思ってんのかこの野郎、と申しあげております。

 ふむ、この狐と狸の馬鹿試合ならぬ化かしあいはなかなか見応えがある。実に心癒されるね、間違っても足を踏み入れたくない世界だ。……いや、まあ、そんな阿呆なこといってる場合じゃないんだけどさ。

 

「しかし合同演習と仰られますが、そちらは十名にも満たぬ小勢ではありませんか。これではとても形になりますまい。それとも貴国はわが国の軍事機密を盗み見しにきたのですかな?」

「これは異なことを。私は『バラン様が興味を示している』と申し上げましたよ。ことにバラン様は謙虚なお方でして、ご自分のわがままに家臣を付き合わせるは忍びないと口にされましてな。それゆえ人を選抜してきた経緯があるのですが……そういえばその折、『あの程度ならば私一人で十分に制圧できる』とも漏らしていたような。――おっと失礼、これは口が滑り申した」

「な――っ!」

 

 うわーい、実にお見事。これぞ慇懃無礼の見本例として教科書に載せても良いくらいだ。さすがに弁舌を生業にしてるだけあって的確に相手の臓をえぐっていく。あまりにあまりな言い草に相手さんのこめかみに血管が浮き出そうだ。

 つまりだ。うちの代表者様が何を言っているかというと、

 

『ベンガーナの茶番に付き合ってやろうじゃないか。喜べよ、正面から叩き潰しに来てやったぜ』

 

 ということになる。

 ベンガーナが展開した部隊は、俺達を確認した後は国境線のベンガーナ側に移動したわけだが、そこから動くことなく俺達を迎え入れた。この時点で挑発の目的がバランの見聞だとほぼ断定できたことになる。無論、本気でアルキード王国(うち)と事を構えるというのなら話は別なのだが、その可能性はほぼ消えた。

 第一ベンガーナ軍は人員を一気に補強した関係で錬度に心許ない事情を抱えているし、そもそも大砲を主軸に据えた軍編成の割り振りも終わっていない。こんな状況で自国の足元を見ずに開戦へ踏み切るような愚王ならば、いっそこちらからベンガーナを呑み込んでしまうのも一興だろうよ。ま、現実はそんなことにはなるまいが。

 

「ご使者殿、少々言葉が過ぎましょうぞ。誇り高きベンガーナ軍を侮るが如き発言は控えていただきたい」

「これは失礼。そのような心積もりはなかったのですが」

 

 白々しく惚けて一礼する様は本当に挑発の代名詞だった。ああ恐ろしい。くわばらくわばら。俺のような心優しい一般人には到底真似できない煽りっぷりに、見ているだけでくすくすと笑みがこぼれてしまいそうだった。……あれ?

 

「それで、どうなさいますかな? まだお返事をいただいておりませぬゆえ、是か非、いずれかをお答えくださるようお願い申し上げます」

「……よろしい、お受けいたしましょう。ですが貴国の兵士が無傷で済むかどうかは保障しかねますゆえ、その点深くご理解いただきたいものですな」

「残念ながら誤解があるようです。わが国から参加するのはバラン様のみ。ほかの者は手出し無用と固く言い含められておりますゆえ。――ああ、仮に最悪の事態になったとしても事故で済ます準備は整っておりますので、貴国の力を存分に見せ付けるがよろしいでしょう。その全てが徒労に終わることまで我々は確信しておりますので、どうぞご随意に」

「後悔なさいますぞ?」

「是非ともそうさせてもらいたいものですな。では、詳細を詰めに参りましょうか?」

 

 とりあえず交渉終了、これであちらさんも受諾、と。ここまで俺の出番なし、何もしなくていいなんて至れり尽くせりである。もっと楽をさせてくれ。

 まあ交渉だなんだといっても、実際のところこうなる以外にはないんだけど。なにせあちらさんが意固地になって引かなきゃ、こっちとしても最後通牒を突きつけるしかない。その程度はお互い承知していることだった。というか承知してもらっていなければ困る。

 

 今回の件、本気でベンガーナ軍が暴走してるというなら、それこそバランに頼んで情け容赦なく制圧してもらわにゃならなくなるし。なにせ市井に被害を出すわけにもいかない。とはいえ、竜の騎士の全力で有無を言わせず制圧、なんてとこまでいくとさすがにやりすぎになってしまうし、それでは俺の予定も狂ってしまう。出来れば避けたい展開だった。

 つまるところ目の前の結果はアルキードとベンガーナの事情を勘案し、落とし込む場所に落とし込んだだけである。正確にはお互いにいま少しの間その按配を探る段階でもあるわけだが、ここまでのやりとりでベンガーナ側も腹の内に何かしら思惑を抱えていることは間違いないと知れている。となれば行き着くところまで特急列車でゴー、なんてことだけにはならないだろう。ほっと一安心だ。

 

 ここからが本番だと人知れず気合を入れながら、その一方で俺の口元には苦笑が刻まれていた。彼らの会話は予定調和にすぎないはずなのに、どうしてこんなにも回りくどくなるのやら。

 これも儀礼の内かと小さな呆れを胸の内に抱えながらバランの様子を伺うと、恐らくは俺と同じような心境だったのだろう。幾らか辟易としている表情を見せていた。そんなバランと二人で顔を見合わせ、無言で軽く肩を竦めあい密かな同意を確かめ合う俺達なのであった。

 

 さてさて、それじゃベンガーナご自慢の大砲をこの目で拝ませてもらいましょうかね、っと。

 

 

 

 

 

 ベンガーナ軍が陣取っているのは国境線付近の森林を抜け、乾燥した地面が目立ち始める開けた平地だった。大砲の運用に山間や森林地帯が向かないことを考えれば妥当な選定ではあるのだが、当然普段から演習場所として利用しているわけではないのだからよく言えば自然の景観そのまま、悪くいえば何の手入れもされていない野営陣地だった。

 

「落ち着かぬようだな」

「少し昔を思い出していただけです。私とて子供の時分にハドラー戦役を経験していますから。アルキード王国の騎士団では目にすることもない兵器が物珍しくて、ついつい視線が泳いでしまっただけですよ」

「そうか。だが、私は時折お前が子供だということを忘れるよ」

「奇遇ですね、私もお仕事中は忘れることにしてるんです。一々気にしていたら何も出来なくなってしまいますから」

 

 己の分を知ることは大事だが、だからといって卑屈になってはいけない。いつだって自信たっぷり、出来て当然という顔をしていなくては仕事仲間だってこいつで大丈夫かと不安になろう。自信とは能率化の大事なファクターたりえるものだった。

 そんないつもより幾分力を込めた気概でもって幾つもの簡易テントが立ち並び、その合間から寄せられる好奇に満ちた数多の視線を気にすることなく歩いていたわけだが、その途中、数は少ないとはいえ車輪つきの箱物がどんと視界に入り込んできた時は思わず吹き出しかけた。

 

 いやさ、そりゃ十年ちょい先では鬼岩城相手に大回転してたし、時期を考えればあってもおかしくないんだろうけど……。大砲だけじゃなく戦車まで持ってくるとか、本当ベンガーナ王は出し惜しみしない人だ。うん、羽振りがよくて実に羨ましい。

 加えて技術士官っぽい雰囲気の兵士も張り付いていたから、実践投入前の最終調整も見越してのものなのかもしれない。それが済めば後は戦車の扱いに長けた熟練兵を育てていくってところだろう。

 うーむ、人は無理でも砲は欲しい……。と、そんな風に指を咥えて眺めているだけの俺であった。

 

 指揮官用の大きなテントの中で演習内容を詰めている間、脳のリソースを一部割いてつらつらと考えに沈む。さすがにそこまで取引できる権限はないし、実際に導入するとなると予算だけの問題に収まってはくれない。騎士団の編成見直しから教練の再マニュアル化、白兵部隊と魔法使い部隊の連携にどう組み込むかなどなど、付随する問題が大きすぎてとても俺の一存で決められるものではなかった。

 

 とはいえ、いずれベンガーナ軍と共同戦線を張るような機会が訪れるなら今のうちから戦術を練っておくのも無駄にはならないだろう。今回の結果如何ではアルキードの、というよりバランの指摘する戦術考察をベンガーナ王に届けられるようになるかもしれないし。

 今はまだ構想に過ぎぬあれこれを妄想しているうちに話は進んでいく。太陽が天頂に輝く以前に始まり、ベンガーナ軍の好意によって用意された昼食を摂り終わった頃、演習の段取りが全て決まった。

 

「ここまで進めておいて今更なのですが、本当に大丈夫なのですか? いかにバラン様が歴戦の勇士だとしても、我が軍の一斉砲火を浴びせかけられればただでは済みませんぞ」

「カヌゥ殿のご厚情はありがたくいただいておきますが、ご心配には及びませぬよ。……ルベア、これよりはお前がご説明さしあげろ」

 

 場所をテントから野外に移し、突然決まった演習の変更を前に慌しく準備に追われている兵士たちの様子を横目に、じっと開始の合図を待っているのが今の俺たちの状況だった。片一方の主役であるバランは既にこの場から姿を消している。

 そんな中、俺はのんびりと会話を交わす二人の傍に控えていたのだが、どういうわけだか突然指名されて目を白黒とさせてしまう。今回は全部大臣殿にお任せすると話はついていたはずなのだが、なんだって急に心変わりしたかのように俺を引っ張り出した? そもそも俺に好き勝手させないために、わざわざあんたほどの大物がくっついてきたのだろうに。

 

「……よろしいのですか?」

「陛下よりお言葉を賜っていたはずだ。務めを果たせ」

「承知しました」

 

 いろいろと疑問はあったが、他国の人間がいる前でぐだぐだと渋ることほど馬鹿馬鹿しいこともない。逡巡もそこそこに諾と返す。大臣殿はそれでよいと鷹揚に頷くと、再度ベンガーナの武官殿に向き直り、愛想の良い顔で笑いかけるのだった。

 

「すみませぬな、カヌゥ殿。ワシは少々戦の空気に酔ってしまったようです。いや、歳は取りたくないものですな」

「これは気づきませんで。我らのような無骨者はとんと気がきかぬものだと痛感してしまいますな。ところで、不躾ながらそこな少年の素性をお聞かせ願えますか? どうも十把一絡げの小間使いとも思えぬ振る舞いにて、疑問が膨れ上がるばかりゆえ」

「そこな子供はルベアと申します。仔細は申し上げかねますがその者は陛下の信任厚く、平時よりバラン様の従者としての職を賜っております。また若年ながら政にも通じておるゆえ、今回も陛下より同道を許されました」

「ほう、歳若いながらも立派なものですな」

「ただいまご紹介預かりました、バラン様の従者を務めているルベアと申します。こちらこそベンガーナ軍にその人ありと謳われるカヌゥ殿にお目見えできたこと、実に幸運な出会いと理解しております」

 

 カヌゥの顔に浮かぶのは驚きと感心の入り混じったもので、その素直さにこちらのほうがびっくりしたくらいだ。

 あるいはアルキード王の信任を得てこの場にいるという部分に反応したのかもしれないが、それにしても大した感情制御だった。こうして対等の立場で向かい合っても侮りや不信は一切読み取らせてくれない。文武に優れた重臣という評も偽りなしだろう。

 

「……ふむ、困りましたな。こうも正面から口に出されるとこそばゆいものです。昔は若気の至りだったのか武勇伝を嘯くことに羞恥も覚えなかったのですが、最近はどうも勝手が違ってきていましてな。はは、私も歳を取った証拠ですかな?」

 

 いやいやまだお若いでしょう、とよいしょする大臣殿の言葉に三人共に笑い合う。よいしょというか事実なのだが。

 下手な冗談を飛ばしているカヌゥはまだ四十そこそこの年齢のはずだし、鍛えこんだ身体はいかにも健康的な男という雰囲気を醸し出していて、一目見ただけでは三十代で十分通じる男だった。

 

「カヌゥ殿のご子息ですか。やはり軍人になられるのですか?」

「おそらくはそうなりましょう。アキーム――ああ、愚息の名前ですが、あれはどうも石頭のきらいがありましてな。幼い頃より陛下の恩に報いるのだと、周囲に何一つ憚ることなく口にする慮外者です。今年で十三になるのですが、いま少し余裕をもってくれれば、と」

「ご子息殿はとても真っ直ぐなご気性をお持ちのようですね。いずれはお父上の跡を継いで忠に厚い廷臣が生まれましょう。カヌゥ殿も鼻が高いのではありませんか?」

「恐縮です」

 

 再び謙遜するカヌゥだったが、その言葉の節々に息子への愛情が感じ取れた。

 それにしても、アキームってやっぱり『あの』アキームだよな? 今から十年と少し後、パプニカで開催されたサミット。そこで戦車隊の隊長としてベンガーナ王に随伴していたのがアキームという名の男だった。

 

 二十四という若さで王の身辺を任され、一軍を預かる地位を築き上げていた傑物。さすがに実力だけではそこまで異例の出世は出来なかったはずだ。アキームの厚遇ぶりは親子二代、あるいはそれ以上に渡って結ばれてきた強固な君臣関係あってのものだったのだろう。それに親が高名な軍人であったのなら、アキームのあの武人としてのこだわりや信念もわかる。偉大な親の背を見て真っ直ぐに育った結果なのだろう、妙に納得できてしまった。

 

 ……親子、か。今回の件が片付けば時間も取れるだろうし、久しぶりに実家に帰省してみようか?

 前回の休暇は本に埋もれて溺死する勢いで消化してしまったし、次の機会はそうはならないように気をつけなければなるまい。たまには父さん母さんに顔を見せて安心させてあげないと。週に一日は無理でも、月に二日か三日くらいは帰れるように調整しなければ……。

 そんな少しばかり気の抜けた予定を組んでいると、ぴんと背筋を伸ばした一人の兵士が近づいてきた。俺たちに無用な警戒を与えないよう考慮してくれているのか、随分ゆったりとした歩き方だった。兵士らしくない、といってしまうのは失礼だろうか?

 

「隊長、こちらの準備は終わりました」

「ご苦労。号令は私がかける。お前は所定の位置に戻れ」

「はっ!」

 

 軍人らしく必要最低限の応答で済ませて伝令兵が去っていくのを見届けると、カヌゥはそれまでの柔和な雰囲気を一変させる。改めて俺たちに目を向けた時には、既に戦場に立つ指揮官の顔つきをしていた。こういう軍人の切り替えの早さってのは尊敬できるよ、格好良い。

 

「よろしいですな?」

 

 最後の確認に首肯で応じる。この先はバラン次第、俺は高みの見物と洒落込むだけだ。……頼むからやりすぎたりはしてくれるなよ? バランのことだから上手くやってくれるとは思うけど、ちょっと心配だ。慣れない王宮生活にストレス溜め込んでるし、ダイの行方に頭を悩ませてもいる。なにより身重のソアラを心配もしているだろう。

 ああ、バランが今回の件に乗り気だったのってソアラに余計な憂いを抱かせないよう、さっさと騒動の種を刈り取っておきたかったってのもあるか。愛妻家で結構なことだ。

 

「総員戦闘配置! 想定する状況は破壊工作を企む工作員一人の拿捕! こちらの勝利条件は身柄を取り押さえ、敵勢力の無力化を達成すること! 敗北条件は本陣に建てられたフラッグを奪われることだ!」

 

 本来のフラッグ戦は敵味方双方の旗を取り合うゲームだが、今回は彼我の人数に差がありすぎるため変則的なフラッグ戦となった。

 

「手加減は無用! 貴様ら、栄えあるベンガーナ陸軍の誇りを示せ! 一個小隊にも満たぬ小勢に敗れるは恥と思い定めて全力を尽くせ! いいな!」

「はっ!」

「演習――開始!」

 

 空砲と共に開戦を告げる狼煙があがる。どちらも遠く離れたバランに状況が開始されたことを示す合図だ。それは同時にベンガーナ軍に本気を促す発破でもあった。にわかに演習場から戦意がうねりあがり、それは熱気となって擬似的な戦場を作り出す。猛々しい兵の気配がそこかしこで移動を繰り返していた。

 

「歩兵は隊列を組んだまま待機! 砲兵は照準を確かめつつ索敵を開始せよ。斥候班、貴様らの戦場だ、存分に働くといい。敵は小回りのきく最少人数だ、貴様らが鼠を捕らえることのできる優秀な狩り手であることを証明してみせよ」

 

 矢継ぎ早に出る指示に一糸乱れぬ動きで了解を返すベンガーナ軍。ここまでは想定内だけに急造の部隊とはいえ粗は目立っていない。いや、今回の部隊は実験の要素が強いだけに国内でも選りすぐりの兵を連れてきた可能性もあるな。

 そもそも国境のいざこざなんて繊細な問題を任せられる指揮官をきっちり選んでいる時点で、ベンガーナ王の思惑も知れるというものだろう。こちらとしても文句はないが、しかし随分と壮大な茶番を打ってくれたものだ。

 

「カ、カヌゥ様!」

「どうした? 敵を発見したのなら速やかに、そして明瞭に報告せよ。新兵のようにうろたえるでないわ」

「い、いえ、ですが……」

「なんだ?」

「敵――呼称『アルファ』発見致しました!」

 

 その歳若い兵士は最初まごついたように不明瞭な物言いに終始していたが、じろりと睨みつけられたことで意を決したのか、破れかぶれになったように大声で報告をあげた。

 

「うむ、それで何処から攻めて来た? やはり背後の茂みか?」

 

 アルキード側の参加者は一人。しかもその情報すらベンガーナ軍に渡っている状況では伏兵すら用意できない。圧倒的戦力差を覆してフラッグを奪い取るのならば、当然隠密奇襲が常套手段となる――と、カヌゥが想定するのも無理はない。それは極めて正しく常識的で、そしてどこまでも間違っていた。

 

「違います! 距離七百! 方角は南! 木々に身を潜めてもいなければ、電撃戦を目論んで走破してくるでもありません。剣を抜くこともなく歩を進めているのです! 『アルファ』は……『彼』は我々に対し、正面から悠然と歩み寄ってきているだけなのです!」

「なんだとぉッ!」

 

 その叫びは想定外の驚愕だったのか、それとも精強と自負する自軍を舐められたがゆえの憤怒だったのか。おそらくはその両方だ。

 

「それは確かなのだな!?」

「間違いありません!」

「この戦力差で正面突破だと? 正気か、バラン公……ッ!」

 

 戸惑いながらこぼされたその言葉に、俺の口からはくすっと意図せず笑みが漏れた。それにしてもひどい言い草だな、カヌゥ指揮官。問われるまでもなく俺たちは正気だよ。

 俺もバランも、何処までも冷徹に彼我の戦力差を見つめている。そのうえで結論付けた結果が力技による正面突破だ。第一、在り来たりの常識を示すためだけに、わざわざ国境組んだりまでしてベンガーナの誘いに乗るわけがないだろう?

 

「どうなさいます、歩兵で囲みますか?」

「むぅ……」

 

 判断を尋ねる兵にカヌゥはすぐに答えず、俺たち、いや、俺を強烈な視線で射抜くように一瞥した。しかしその物問いたげな表情も一瞬のことで、すぐに己の職責を思い出したかのように険しい顔つきに戻る。いくら演習とはいえ、ここまでコケにされてはベンガーナ軍とて引くに引けないだろう。そんな俺の予想を裏付けるかのようにカヌゥの怒号が響き渡った。

 

「致し方あるまい……砲撃戦用意! 砲兵隊は速やかに目標へ照準を合わせろ! 十分に引き付け、飽和爆撃によるキルゾーンを作り上げる。遠慮は無用、ベンガーナ陸軍の武威を見せ付けるのだ!」

「了解!」

 

 それから程なくバランの姿が肉眼で確認された。背に提げた真魔剛竜剣に手もつけず、散歩に出ているような気軽さで一歩、また一歩と地面を踏みしめる。

 

「――砲撃開始ッ!」

 

 俺の目にはバランが豆粒ほどにしか見えない距離で、やがて砲火の爆音が戦場を震わせる。ついに砲撃が開始されたのだ。

 旧式の大砲に弾を詰め、火薬に点火する兵士。新式の戦車を操り、砲身が焼け焦げるほど連続で砲弾を吐き出す戦車兵。半包囲網を築いた殺し間に幾度も爆撃の花が咲き、耳を劈く轟音が木霊した。

 その砲撃の全てがバランという一個人へと向いているのだ、遠慮は無用と申し付けておいたにしても驚くほど遠慮呵責ない攻撃だった。一応わが国の王族なんですけどね、その人。ちと挑発が過ぎたかね?

 

 ただ、これがこの世界の常識でもある。かつての世界基準で例えたとして、人間一人を粉砕して原型がなくなるくらいの砲撃の嵐でも、こちらの世界の戦士ならば普通に凌いでしまう。国を代表するような実力者ならば、砲火の嵐の中でも多少の怪我で済ませてしまうのだから恐ろしい世界だった。

 断っておくがこの世界の火力が劣っているわけではない。むしろ俺の知る近代軍隊が火力を集中した威力に迫る練度をベンガーナ軍は見せ付けていた。砲の材質や火薬の質が地球文明とは隔絶した差があるせいだろう。普通に作物の出来も違うし、さすがは《神の祝福を得た大地》なだけはある。

 

 それでもベンガーナの軍事力よりもカールやリンガイアのほうが上なのは、単純にこの世界の人間の耐久力が尋常ではないというのが一点、そしてもう一つが魔法や闘気の運用が兵器に勝る戦力になるということ。

 数を揃えれば砲火の集中によって中級爆裂呪文(イオラ)級の破壊力になるだろう、とはバランの弁だった。これによりベンガーナ王国は大砲や戦車部隊によって地上における大抵のモンスターを下すことのできる圧倒的な火力を得た。だが真に恐るべきは、このベンガーナ王国の誇る砲兵器ですら、魔法換算でいえば初級爆裂呪文(イオ)に等しいそれだということだ。

 

 勿論魔法使いのレベルによって同じ呪文でも威力は異なるため、兵器の火力と魔法の火力を比して一概に言い切れるものでもないのだが、平均的な魔法使いを想定すると凡そその程度の力関係に収まるとのことだった。……そりゃ中級閃熱呪文(ベギラマ)使えれば人類最強クラスだと言われるわけだ。極大呪文なんてそれこそ伝説級の扱いで、行使できれば一人でそこらの軍隊を敵に回して殲滅できるだけの火力を確保できる凶悪さである。

 そう考えるとマトリフとかよく王宮から放逐されるだけで済んだな、どこまで魔法使いとしての才能を評価されていたのかはわからないが、下手をしなくても暗殺者の一ダースを送られても不思議じゃない人間災害っぷりだぞ。知る者はほとんどいなかったとはいえ、極大消滅呪文(メドローア)とか本来は絶対に後世へ伝えちゃいけない呪文の代表格だしな。

 

 ――もっともそんな人間災害すら霞む、神代に語られるべき超越存在も同じ地上、同じ時代にいたりするのだが。

 

 ま、同情はするさ。

 カヌゥは戦士としても指揮官としても優秀だが、それゆえに『一個をもって万理を覆す』常識外を思考の内に置くことができなかった。当たり前といえば当たり前で、その油断ともいえない思考の檻は本来責められるようなものじゃない。

 何故といって、魔王ハドラーの脅威を知っていてなお『次元が違う』と、そう言わしめるだけの化け物をあんたは相手にしている。いってしまえばそれだけのことでしかないのだから。

 

「馬鹿な……ッ!」

「……ワシは夢でも見ているのか?」

 

 隣であがる呟きをよそに、視界の向こうでバランは歩みを続けていた。

 あたかも無人の野を行くがごとく、砲火の嵐を歯牙にもかけず、涼しげな顔で、足取りをただの一度も乱すことはなく、ただただ歩み寄ってくる理不尽の塊となって――。

 

 個々の白兵戦において戦闘技術の研鑽は確かに大事だ。しかし、『技』とはそもそも同じ土俵に立てねば使う機会すら与えられない。圧倒的なパワーとスピードの前には、並大抵の攻撃など全て児戯に等しい小手先のそれへと堕してしまう。

 目の前の光景はその良い見本だった。それほどまでに竜の騎士が含有するエネルギーは桁違いのものだった。

 

 眼前では竜の騎士を最強足らしめる秘密が開帳されている。全開にした竜闘気はあらゆる攻撃を弾いてしまうのだ。……なるほど、こうして実際に目にすると、ポップがバランを足止めするために重圧魔法(ベタン)を仕掛けた時の気持ちがよくわかるな。これは敵対するものにとって絶望しか呼び起こさない理不尽そのものだ。

 

「くっ! 砲撃止め! 歩兵部隊前へ! 囲んで押しつぶせ!」

 

 わずかの自失からすぐに立ち直るあたりやはりカヌゥは非凡な指揮官だったのだろう。しかし全ては遅きに失した。

 

「はッ!」

 

 突風が吹き荒れ、兵士の足を止める。バランの放出した闘気がある種の結界を作り出していたのだろう、皆が皆、怖気づいたように身動きができなくなった。それも仕方あるまい、絶対の自信を持った自国の兵器を向けて、毛一筋の傷すら負うことのなかった怪物を前にしているのだから。そうそう挫けた士気を回復できるはずもなかった。

 

 バランは足を止めない。遠巻きに囲む兵士の群れを一瞥したかと思えば、すぐに視線を真っ直ぐ正面に戻してしまう。

 竜の紋章を輝かせ、竜闘気を纏ったバランは神々しくすらあった。無粋な砂煙に遮られてなお漂わせる絶対王者の貫禄は、誰が見てもこの戦場の主役が彼だということを決定づけていただろう。

 ここに勝敗は決した。バランが目的地へと辿り付き、悠々と風になびく旗を手にした瞬間、ベンガーナ軍にとっての悪夢となったであろう壮大な遊びは終了したのだった。

 

 さて、俺も務めを果たすことにしようか。

 演習が無事終了し、バランが合流するのを確認してカヌゥへと近づく。

 

「カヌゥ殿。我らが国王陛下より貴殿らに感謝のお言葉を預かっております。どうぞお納めください」

「感謝? それはいかなる仕儀によるものでしょう?」

「では僭越ながら私が陛下のお言葉を代弁させていただきます。『国境を越えし魔物の一群を討伐せしめるはまこと見事なり。そなたらの勇壮を称え、ここに感謝の意を示し、もって誉れとせよ』」

「それは一体……?」

「こういうことですよ。バラン様、お願いします」

「心得た」

 

 今しがたベンガーナ軍をたった一人で沈黙させた男が再び前に出る。すると空気を裂く紋章の鳴動が耳に鋭く鳴り響き、呼応するように天が動き出した。

 意思をもってうねる風が吹き荒れ、黒雲を纏う稲光が心に影をつくり、とめどない不安を呼び起こそうとしている。張り詰めた空間を畏怖で支配するそれは、つまるところ人の形をした竜が巻き起こす嵐だった。

 人が天を操るその一幕は、きっと神話の再現だ。

 あるいは誰もが幼少の砌に読み聞かせられた英雄譚――伝説の勇者を記述する一説を思い起こすものもいたかもしれない。いずれにせよそれは尋常を超え、人知を覆し、常識を置き去りにする彼方の光景そのものだった。

 

 ――天意招来。迅雷疾駆。轟音爆砕。

 

 世界を引き裂く一撃。

 天を迸り、地を貫いた一閃の光が、この場に観衆として存在する有象無象全ての視界と意識を真っ白に染め上げた。その天災は勇者のみに操ることを許された正義の雷。現世に伝わる呪文名を極大雷撃呪文(ギガデイン)

 

 やがて痛いほどの沈黙が訪れる。

 膨大な熱量は地を焼き、石を溶かした。爆発の衝撃と高温の余波が人々から声を奪っている。災禍を撒き散らせた雷鳴が去った後は、ただただ人の子の驚愕と静寂が残されるのみだったのである。

 

 何というか……すさまじいの一言しか出てこない。まさに神様でさえ殺してしまいそうな一撃だった。

 これはちょっとやりすぎたかと、ある程度心構えのできていた俺ですら不安に思うほどの圧倒的な『力』の顕現。うん、雷撃呪文(ライデイン)で十分だと進言しておくべきだったのかもしれない。とはいえこれはこれで有効なカード足りえるのだから、俺の懸念など贅沢な悩みでしかないのだろうけど。

 

「カヌゥ殿」

「――は! ……な、何でございましょう?」

 

 呆然とした顔で、それでもどうにか現世に帰ってきた指揮官殿に同情を寄せこそすれ、手加減はしない。畳み掛けるように舌鋒を浴びせかける男がここにいた。ルベアとかいうガキのフリをした畜生らしい。

 

「ご報告申し上げます。ここにベンガーナ王国からアルキード王国に流れ込んだモンスターの一団は消滅しました。貴国の大砲と我が国の将によって幾重にも抉られたこの巨大なクレーターが証拠です。『これをもって此度貴国がもたらした国境線を越える一連の不義を不問とする。疾く兵を引くが良い』。以上でございます」

「む……」

「まだ説明が足りませぬか? 花はそちらが手にして結構ということですよ」

 

 そこでようやく得心がいったのか、それとも抗弁は無意味だと悟ったのか、ベンガーナ陸軍を束ねる男は諦めたように深く溜息をついた。

 

「なるほど、これは手厳しいことですな。随分と高価な花束を用意していただいたものです」

 

 アルキード王国はベンガーナ王国に対し、穏便に兵を引くだけの理由を示し、併せて礼も尽くす。もちろんそれは慈善事業なんかじゃない。

 『花はくれてやる、その代わり実を寄越せ』。こちらの言い分としてはそんなところである、譲歩には譲歩を返せと迫っているわけだ。いやはや、恐喝外交に踏み切る余地があるってのは実に健全なことだね。

 

「国元に持ち帰る名分としては十分でございましょう? わが国としてもこれ以上は看過できません。ご納得いただけなければ、次は花ではなく雷を贈答することになりますね」

「それは切に遠慮したいものですな」

「お互いに賢明でありたいものです」

 

 そこで懐から封書を取り出し、恭しく差し出す。

 

「では最後にわが国の陛下から貴国の王様へ宛てた親書をお受け取りください。それとこれは老婆心からご忠告申し上げますが、中身を検めることはお勧めできません。古い友人としての挨拶を認めたと仰っていましたから、少々格式の足りぬ文面になっているやもしれませんので」

 

 神妙な顔で申し訳なさそうに口にしながら、その実『好きに文句を書き綴って良いですよ』と陛下に勧めたのは俺だったりするのだけど。最近ベンガーナ王国の威勢に押され気味だった反動なのか、痛快だと機嫌よさげに大笑いしてたもんなあ、陛下。あれ、絶対アルキード王国の武威を示すことに喝采をあげていたわけじゃなくて、陛下個人の鬱憤晴らしが根っこにあったと思う。別にいいけどさ、その程度の可愛げ。

 

「軍人など堅物なものだと相場が決まっているのですが、友人同士の語らいを覗き見るほど無粋な男にはなりたくないものです。なに、私はこれで昔からものぐさなところがありましてな。この場はご忠告ありがたく受け取っておく、とお答えしておきましょう」

「感謝致します」

「いえ、竜の騎士の伝説、確かにこの目で確認させていただきました。陛下にはありのままを報告いたしましょう。改めて貴国のご厚意に深く御礼申し上げる次第です」

 

 お互いに礼を口にし、握手をして儀式の完成とする。両国ともに得るものはあった。そういえるだけの結果を出したことで、今度こそ国境線のいざこざはひとまずの節目を見たのだった。

 

 

 

 

 

 少しの休息を挟み、ようやく帰れると撤収準備を始めた矢先、今回の一行の文官トップ、つまり大臣が俺が一人になった瞬間を見計らって尋ねてきた。バランを交えぬ密やかな会合を強制的に持たされたわけだ。当然、それは俺が意図したものではなかった。

 

「此度はご助力感謝します。おかげで遅滞なく事が運べました」

「勘違いするでないぞ、ワシはお前が嫌いだ。だが、先も申した通り陛下のありがたいお言葉も忘れてはおらん。最後まで貴様に何もさせずではワシの器量が疑われよう」

「ご好意ありがたく受け取らせていただきます」

 

 しかし俺の礼を受け取ることなく、眼前の男は表情に険を宿す。小言かとも思ったのだが、実際はもっとずっと深刻だったことを俺はすぐに知ることになった。

 

「正直な腹の内を告げようか、ワシは心底バラン様を恐ろしいと思うておるよ。……お前は、『あれ』を制御できるつもりでいるのか?」

 

 恐怖をありありと覗かせる瞳と、それを必死に押し隠そうとでもいうかのように厳しい眼差しで睨みつけてくる初老の男は、おそらく俺の前で過去最大となる本心を語っていた。彼は隠す気のない、赤裸々なそれを俺に――忌み嫌う生意気な小僧を相手にぶつけてきていたのである。

 

「買い被りです。私にそんな力はありませんし、そもそも初めからバラン様を御しているつもりはありませんよ?」

「つまらぬ韜晦はよい。あれは――あの力は人の身で届くものではないと、そういっておるのだ。断言するぞ、あれを抑える術は我が国にはない」

 

 これは駄目だと、そう悟って小さく息をついた。

 小細工を弄して逃げることは許されないだろう。誠意には誠意を。こちらも本気で応じねば不実というものだ。

 

「存じ上げております。そして今のバラン様は我らが仰ぐべき主でもあります。……ご懸念は理解できますが、未来のことなど誰にもわかりませんよ」

 

 多分届かないのだろうな。

 そんな諦観を振り払わせてくれと願いながら言の葉を重ねる。丁寧に、ゆっくりと唇に乗せて空しく語りを続けていた。

 

「どうかご安心ください。バラン様はお優しい方です。あの方が人と(えにし)をつないでいるうちは、今日の雷が無辜の民に向けられることは決してないと断じさせていただきます」

 

 その言葉を境に沈黙が一時降りかかる。意図せず形成された重苦しい空気をただただ甘受するに努め、目を逸らすことなく待った。

 

「……信じてよいのだな?」

「皆様に比べれば安い命ではありますが、万一の時はこの身をかけてお諌めいたします。それでどうかご納得いただけませぬか?」

 

 今度の無言は長かった。そして眼前の男も「わかった」とはいわなかった。同意も了解も決して口にせず、しかし最後にぽつりと口にされたそれが、俺の耳にはひどく印象に残ったのである。

 

「時代は移ろう、人も変わらねばならぬか……。小僧、いや、ルベアよ。これ以上はもういわぬ、元よりワシにはお前たちを押し止めるだけの力もない。だが、努々忘れてくれるな。アルキード王国は『人』が住み、『人』が治める国だということをな」

 

 この時、わからずやと罵れたらどんなに楽だったろう。杞憂だと笑い飛ばせたらどんなに心安らかになれたことか。

 だがこの世界の異なる歴史を知り、竜の騎士のありえた選択を知り、竜魔人の姿と超越したエネルギーを知る俺が、無邪気に『それ』を唱える無体をどうしてできよう。

 それとも俺は、彼の懸念と恐れを家臣の身で僭越だと一蹴するべきだったのだろうか?

 

「……人の心を持ち合わせている。人の痛みを理解できる。それだけでは足りませぬか?」

「足りぬよ、足りるはずがない。我らは弱き人間だ。卑しさを肯定せねば生きていけぬ、臆病なまま権を振るう小物よ。……何者にも臆さず、怯まず、柔軟な心で万象を受け入れる。それができてしまう貴様にはわからぬやもしれぬがな」

 

 これが老いかと、そう零して寂しげに背を向ける男は、ここにくる以前よりも一回り小さく見えた。……なにかが折れてしまった。そんな背中だと思った。

 俺はきっと、誤解だといいたかったのだ。

 あなたが評価した男はそんな大した人間じゃない。俺だってあなた方の側の人間だ。弱くて、卑怯で、ままならない現実からいつだって逃げ出したいと考える、どこにでもいる普通の人間なのだと、そういいたかった。

 けれど俺の口はついぞ開かれることはなく。

 その場には遠ざかる背にかける言葉を失い、ただただ無言で立ち尽くす一人の無様な子供だけが残った。

 

 今日ここでバランは示した。竜の騎士として、その力を高らかに謳いあげたのだ。それが何を意味するのか、俺はわかっていてバランの枷を解き放った。

 

 ゆえに天意はここにあり。人の形をした、人ならざる天命の顕現。其は竜の騎士バランなり。

 

 古来、人は天に運命を()た。時に瑞兆、時に凶星として。確かにバランのそれは人の目に無法そのものと映るのかもしれない。穏やかな明日を望む人間には相容れない災いとしか受け取れないのかもしれない。

 そんなことは俺だってわかってるさ。……本当に、わかってるつもりなんだよ。

 それでも俺が彼に何も言えなかったのは、そして彼に何も言ってはいけなかったのは――俺はもう決めてしまっているからだ。自身の行く末を、俺は既に己自身で定めていた。

 

 竜の騎士と共に生き、その果てを見届ける。

 

 それが道半ばで潰える俺の未来だろうと、構うものかと決めていたのだ。だからどんなに彼らに共感したとしても、どんなに彼らの理を認めようとも、最後はその手を握ることが出来ないとわかっていた。そう、彼らに差し出す手を俺は持っていない。

 天を仰ぎ見た。バランの呼んだ雷の影響も去り、雲ひとつない澄んだ青空をただただ仰ぎ見る。その時、不意に滲んだ視界にわけもなく胸が締め付けられた。

 

 はるか遠い未来で、いつか選んだその道を後悔する日がくるのだろうか。

 そんな詮無い疑問が浮かびあがり、けれどすぐに無意味なことだと嘆息してゆるりと首を振ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから幾実かが経過したある日のこと。バランに時間を作ってもらい、王城の一室で卓を挟む。議題はベンガーナ軍による国境侵犯の一件についての総括めいた話だった。ようやく事後処理も含めてひと段落したのを幸いに、報告を兼ねて雑談を交わしていたのである。

 

「バラン様、ベンガーナ王国からの贈り物が届きました。といってもこれは目録のコピーですけどね。一応目を通しておいてください」

「うむ」

 

 残念ながらベンガーナから使者が訪れた時、バランは王宮に不在だった。愛妻家のバランらしくソアラの元に身を寄せていたからだ。夫婦仲が良好で羨ましいことである。

 

「これはテランからベンガーナへの移住者リストか? いや、違うな、近年ベンガーナに居を移した赤子連れの世帯調査……。となると――」

「はい。つまりディーノ王子を捜索したが見つからなかったぞ、という好意の贈り物ですね」

「それはありがたいことだが、どういうことだ? 調査規模とこれが届いた時期から見て、今回のごたごたの侘びにしては準備が早すぎる」

「恐らくですが、今回送られてきた資料の元本は数年前、あるいはもっと以前から続けられてきた調査の一部だと思います。国家にとって人口の把握は急務ですし、外からの流れ者を警戒する意味もありますから。逆にそういった者達へ仕事を斡旋するためにも必要ですしね」

「なるほどな。侘びの品はほかにもあるのだろう?」

「ええ、うちに対して薬草取引量の増加と中型船の売却を格安で打診してきました。それからテランと共同で進めている破邪研究への参加も表明してきましたね。まあ、そちらは実質賠償金代わりの資金提供申し出ということになります。研究成果は共有することになりますから、ベンガーナにとっても悪くない手かと。これだけの手打ち材料を用意してから事を起こしたのですから、ベンガーナ王も食えない人ですよ」

 

 しかもそのどれもがベンガーナにとって後々の利益になる。たとえば薬草の取引規模の拡大は軍の規模を大きくしたベンガーナでは備蓄を増やさなければならなかったのだし、逆にこれ以上の人口流入が期待できなくなったがために余り気味な交易船の処分を兼ねた有効利用もできる。どちらもベンガーナにとっては損にならない。

 そのうえ竜の騎士が伝説に違わぬ本物と知るや否や、早々に誼を結ぶ意思も示してきた。このあたりはさすがの損得勘定だろう、そのうちバランが個人的にベンガーナ王に招待されることもあるかもしれない。

 

「こちらとしてもベンガーナ王の申し出は手間が省けて助かりました。わざわざ落とし所を示す必要もありませんでしたから。それにテランとの遺恨を和らげることはベンガーナの国防にとって急務です。今回のことは難しい外交状況にあったテランへ素直に頭を下げる口実になったんじゃないですか? うちを通してベンガーナとテランの関係を改善する良いきっかけでしたから」

「連帯を強めたアルキードとテランによって南北から挟み撃ちにされるのを嫌った、か」

「あくまで可能性ですけどね。うちとテランは軍事同盟というほどお互い踏み込んではいませんから。ですがバラン様がフォルケン様のお力になると口にした通り、将来を見据えて含みも残しているように見えます。ベンガーナ王はその状況を放置して安眠する気にはなれなかったのでしょう」

 

 遠交近攻。

 いくらテランが小国とはいえ、ベンガーナは二正面作戦を強いられる地政学上のリスクを無視するわけにはいかない。今回わずかな出費でその懸念を解消できるならベンガーナにとっても上々の成果だろうさ。ベンガーナ王は気位が高い、素直に頭を下げるのは難しかったゆえにこんな仕儀となったのだろう。自身の不満で国家の利を潰すのは論外だしな。

 うちだってベンガーナと事を構えるためにテランと結んだわけじゃない。妙な勘ぐりをされたくはなかった。

 

「国家が問題を抱えていない時間なんてありえません。同時にそれを解消する手段と材料なんて幾らでも転がってるのですから、一つ一つ丁寧に拾って形にするのが政治です」

 

 もっとも悩みの種が消えないのは人も同じだけどな、人生は問題と解消の繰り返しだ。

 

「良いお手本ですよ、ベンガーナの王様は。あの方は上手な負け方を知っています。私もかくありたいものですね」

「隣国の王も強かなものだ。もっともそれは身内も変わらんのだが。大方、お前の想定の内に終わったのだろう?」

「異議あり。私だけを企みの首謀者にするのは卑怯ですよ。『私たちの』想定の内でございましょう?」

「抜け目ない奴だ、私が義父に語った言葉を覚えていたか」

 

 喉を震わせ、低い声音で渋い笑みを覗かせるバランに俺も苦笑を浮かべるのだった。まったく、俺に責任をおっ被せようとするなんて困った人である。

 何にせよ、これでひとまずは平穏が戻ってくるだろう。どうやらベンガーナ王に払ってもらった授業料は、うまいこと買い叩かれて安くついたらしい。結構なことだ、それだけ魔王軍を相手にする朋友としてベンガーナ王国を頼りにできるということなのだから。

 

 三方が綺麗に収まった今回のいざこざは上々の出来だったといえる。俺は負けるのは嫌いだが、勝ち方にはこだわりたい。そして勝ちに完勝はいらない、六分七分を確保できれば十分だ。むしろ最上といえよう。――ああ、遊びでは別だぞ? 接待プレイを除けばガチが俺の信条だ。

 

 ほどほどの勝ちで満足する、それはつまり勝利の美酒に酔いすぎぬよう自戒することだった。甘美に慣れればやがては正気を失ってしまうし、勝ちが過ぎれば相手も引き際を悟れなくなる。戦場で死兵を作り出さぬようあらかじめ逃げ道を作っておくのと同じだ。『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』ともいう。死なば諸共の覚悟を決められては元も子もない。俺にとって政とは妥協と譲歩の産物だった。

 

 国家間の争議に生きるか死ぬか(オール オア ナッシング)を求めることほど危険なことはない。もっと単純に言い放つならば、共存も共栄も端から考慮に入れず、ただただ相手を殺しきることだけを考えるなんてどこの蛮族だって話だ。そんなものを俺は政治――統治の法だと認めたくない。誰が認めてなどやるものか。

 

 だからこそ俺は絶滅戦争(それ)を強要する大魔王バーンが嫌いだった。――大っ嫌いだった。

 

「すまぬな、私がお前の懸念を消せればこのような小細工も不要なのだろうが」

「仕方ありません。竜の騎士の本分は『世界のバランスを崩そうとする巨悪の討伐』です。野心を露わにせぬ潜在的脅威にまでその矛を向けるわけにはいかないことも承知していますよ」

 

 現状、バランが俺に協力的なことだけでも助かっているのだ。今回のようにかなりの無茶も聞いてもらっている。これ以上の我侭はいえなかった。

 

「人には人の理があるように、神には神の理がある。それだけのことでございます。幾千年に渡って紡がれてきた竜の騎士の使命とあり方を軽んじることは、人の身で望むべくもない不敬でしょう。――あなたは誇り高き竜の騎士です。誓って血に飢えた獣などではない」

 

 それは歴史の重み。

 大魔王バーンが太古神々に迫害された魔族の歴史を背負ったように、バランは古より連綿と続く竜の騎士の偉業を背負ってこの地上に立っている。その形なき立脚点は混血児だったダイが持ちえず、また頓着もせず、されどバランにはついぞ捨てることの出来なかった竜の騎士としての誇りだった。

 歴史とはすなわち先人への敬意である。バランの頑なさを愚かだと切り捨てるのはあまりに酷だろう。

 

「私としてもバラン様には無理をしていただきたくありません。この先は仮定の話とさせていただきますが、もしもバラン様が単身魔界に攻め込むおつもりなら絶対に止めさせていただきます」

「……ふむ、やはりお前は私一人では勝てぬと見ているのだな?」

「バラン様が大魔王に及ばぬとは申しません。万全を期して一対一の戦を実現できれば勝機は十分ありましょう。しかしかの者の側近には冥竜王ヴェルザーに匹敵する強者が控えております。翻ってあなた様には勝利のために捨石とできる右腕(ナンバーツー)がいない。これではヴェルザーを複数同時に相手どって勝利を収めよと要求されているようなものです。いくらバラン様といえど押し潰されましょう」

「それが真ならば、恐るべきはそこまで至った途方もない忍耐力よな。一体どれほどの時を雌伏に費やしたのか計りしれん」

「まさに《天を呑みこむ巨悪》といったところでしょう。世界の調停者である竜の騎士をも欺いてきた途方もない叡智と狡猾さ、用心深さを持ち合わせる巨魁です。しかしながら、私はかの者がいずれ動き出すと確信していますよ」

「――いつの世も争いか。ままならぬものだ」

 

 争いを収めるために争いを続けてきた修羅を宿す世界の守り手は、口惜しそうにぽつりと呟くと、深く深く嘆息してみせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ベンガーナ王国との折衝も恙無く進む中、忠勤に励んだ功績が認められて臨時の休暇を勝ち取った俺である。久方ぶりに実家に帰省し、骨休みに努めることにした。さすがに国境線まで出向いての強行軍によって身体が悲鳴をあげていたのか、ここ最近疲れがピークに達していたので、丁度良い休息になるとどうにか一息つけたのだった。

 城下町で顔見知りのご近所さんと挨拶を交わしながら帰宅し、祖父母の生前の姿を象った絵姿を前に祈りを捧げる恒例行事を済ませると、その後はとにかく身体を休めることに腐心した。

 

 他界した祖父は兵士をしていただけあって精悍な顔つきと頑強な身体をしていたことが記憶に新しく、こういっては何だが羨ましく思うことしきりである。

 その一方で俺は祖母に会ったことがない。何でも俺の生まれる前に流行り病で亡くなってしまったらしい。遺影代わりの姿絵の中で微笑む祖母は、長い黒髪を結い上げた淑やかな様子で佇み、茶褐色の髪を短く刈り上げた祖父とは雰囲気から何まで対照的だった。

 決して安くはない依頼料を払ってまで祖父母の姿絵を残しているのだから、うちの両親も大したものである。

 

「ルベアがお城に召し上げられてからはや一年か……」

「ちょっと、そんな深刻そうな顔をしてどうしたのさ、父さん。お城勤めは今に始まったことじゃないでしょうに」

「それはそうなんだが、やっぱり慣れないよ。いくら王族様方の目に触れたとはいえ、お前はまだ十一。奉公に出すにしたってもう少し猶予はあるものだ」

 

 そういって再度不景気な顔で唸るのは誰であろう、俺の育ての父だった。黒髪黒目の俺と違い、祖父によく似た茶褐色の髪を適度に伸ばし、澄んだ碧眼が印象的なまだ三十前の男性である。『ルベアの童顔は俺に似たんだな』が口癖になっている人ではあるが、大抵の場合、その後に俺の黒髪は祖母譲りだとしみじみ頷くまでがワンセットで続くのだった。

 そのぱっと見頼りなさそうな外見に反して両親――俺にとっての祖父母が他界した後も、しっかり一家の大黒柱として精力的に働く良き父であり、良き夫でもある。

 

「もう、あなたも良い歳なんですから少しは子離れしたらどうです? ルベアは立派にお勤めを果たしているのですから、私たちが応援してあげなくてどうします」

 

 キッチンから夕餉の支度を済ませた母が戻り、卓上に大皿を置く。その際まとめあげた金の髪が数本ほつれて垂れ下がり、煩わしそうな仕草で耳の後ろに流す。そうして俺に笑いかけてくる優しげな表情に俺も和んだ顔で笑みを返した。

 母は女性にしては大柄なほうで、父と並ぶとほとんど身長が並んでしまうくらいだ。翻って俺は同年代では小柄なほうだから、その点でも父に通じるものがある。とはいえ、俺の場合は案外睡眠不足が祟って身長が伸びていないだけかもしれない、と最近少し危機感が募ってもいるのだけど。

 

「おいおい、応援と心配は別だろう? 大体お前だってルベアのいない食卓を囲うたびに、溜息をついて寂しがっているくせに」

「あら、何のことです? そんなことあったかしら」

 

 そんな夫婦漫才を繰り返す暖かな空気に絆され、自然と軽やかな笑い声が出てしまう。最近はすっかり顔を合わせる機会がなくなってしまったが、こうして笑いあうたび俺は愛されているのだなと実感できた。ありがたいことだと心底思う。

 

「やれやれ、昔から妻に口喧嘩で勝てた試しがないな。ルベアはもっとおしとやかな娘さんをもらうんだぞ」

「それこそ十一の息子に振る話題じゃないよ、父さん……」

「そうよ、ルベアにはまだ早いわ」

 

 実際肉体年齢は小学生だからなあ……。こういっちゃ何だがオママゴトの延長みたいな恋愛をするくらいなら、大人しく数年待ってからお付き合いをしたほうがずっと楽だ。さすがにそんなことまで両親にはいえないけど。

 

「ソアラ様とバラン様の仲睦まじい様子は城下町まで聞こえてくるよ。それだけじゃなく、最近はバラン様の武勇伝も良く噂に上るようになった。ソアラ様を射止めた騎士様は、鬼神もかくやのお力を振るうのだとか」

「噂話のほうが大人しいくらいだと思うよ。あの方は本当にすごいから」

「……そんな方のお傍にお前が侍るようになった、というのがまたなんとも。不思議な巡り合わせとしか思えないよ」

「それはまあ、俺自身びっくりしてるというか、こんなことになるとは思ってもみなかったから」

 

 実際、ここまで重用されるようになるとは予想だにしなかった。その分面倒ごとも背負い込むはめになったし、職責以上の気苦労を抱えているような気がしないでもないが、端から見れば十分恵まれているのだろう。その自覚をもって務めに励まなければいろいろと申し訳ない。

 

「確かに驚きはしたが、いくらかは納得もしていたぞ。お前は昔から聡明なだけじゃなく、何処か浮世離れしたところがあったからな」

「浮世離れって、また随分な言い草だね」

「そうでもないわよ? あなたは隠していたつもりなのでしょうけど、『周囲に合わせて幼さを演じるぎこちなさ』みたいなものを私たちはずっと感じていたもの」

 

 ここは隠し事は出来ないものだ、と頭を抱える場面なのだろうか。さすがに十年も同じ屋根の下で暮らしていると、行動の節々まで細かく見られているらしかった。それでも『早熟な子供』以上には不信がられなかったのだから、そこそこ上手くいっていたのだと思いたい。

 

「俺も、もちろんお前のお母さんだってご政道のことはまったくわからない。お前の才覚についてはそれこそ天からの授かりものなのだと納得するしかないと思っている。……それでも歯がゆさは消えてくれなくてな。父親としては複雑だよ、あの方々に重用いただけていることは素直に喜ぶべきなのだろうが」

「ごめん、心労ばかりかけてるね」

 

 どの世界でも親が子を心配するのは一緒か。俺には苦悶する父の姿をしかと目に焼き付ける以外にできることはなかった。

 

「っと、すまん。勘違いはしてくれるなよ。さっきもいったが、俺たちはそれだけ賢く育ってくれたお前のことを誇りに思ってるし、その分だけ案じてもいるってことだ。……本当に、王城での暮らしは大丈夫なんだな? 身体を壊したりはしていないだろうな?」

「大丈夫。バラン様もソアラ様もお優しいし、お城勤めの方々もよくしてくれてるから心配いらないよ」

 

 王城にあがる以前に俺を気味悪く思うような素振りもまったく見せず、王城に上った後もそれ以前と変わらず、本当に暖かい態度で接してくれる二人のことを俺は心底尊敬していた。

 

「そうか、それならいいが」

「ありがと。出来れば家業も継ぎたかったけど……」

「難しいのか?」

「うん」

 

 そういえば城に上がってからはこうして将来の話をすることもなかったな。丁度良い機会だし、ここで俺の未練も断ち切っておこうか。まがりなりにも志を立てた以上、中途半端になるのが一番怖い。

 

「ソアラ様が懐妊なされたことは聞いていると思うけど、少なくとも次代の指導者が長じられるまではバラン様のお傍を離れられないと思う。行方知れずのディーノ王子のこともあるしね」

 

 実際は魔王軍の脅威が晴れるまで、叶う限り権力の中枢から離れるわけにはいかない、という切実な事情があるのだが、それはさすがに口に出すわけにはいかなかった。

 

「父さん、母さん、ここまで俺を育ててくれてありがとう。本当に感謝してる」

「急にどうした?」

「うん、これからのことについてちょっと話しておきたくて。俺はこの通りちょっと早い自立になったけど、食べていくには十分すぎるほどお給料だって貰ってる。だから俺のことは心配いらないんだ」

 

 そう告げられた両親の顔は喜びではなく戸惑いと少しの悲しみだった、と思う。それが早すぎる親離れに対してだったのか、それともそれ以外の何かだったのかまでは、とんとわからなかったけれど。

 

「そこで相談なんだけど……出来れば新しく養子を迎えるなりして家業の後継者を育ててほしい。俺は一人っ子だし、三代続いたのれんを絶やすわけにはいかないでしょう? もしも俺が邪魔になるのなら、その時は潔く離縁してもらう覚悟だって――」

「ルベア、そこまでだ」

「それ以上を言うと本気で怒るわよ」

 

 頭を下げた姿勢を取りやめ、恐る恐る二人と顔を合わせると、それはもう裸足で逃げ出したくなるくらいの怒気を発していた。……あれ、これは空気を読み違えたかな? もう少し時期を選ぶべきだったのだろうか。

 父が溜息を零し、母は未だに俺を睨んでいた。ちょっとこれはいたたまれないな、身の置き所がない。

 

「ルベア、お前は思い切りが良過ぎる。何を思い悩んでいるのか知らないが、俺は十一の子供を放り出すほど冷血な父親になった覚えはないぞ。家を想うお前の気持ちは嬉しく思うが、それとこれとは話が別だ」

「そうよ。軽々しく縁を切るなんて言わないちょうだい。あなたは私たちの息子なんですからね」

「……ありがとう」

 

 久しぶりに目頭が熱くなり、それ以上何もいえず彼らの芳情に打ち震えているだけだった。俺にはもったいないほどよく出来た両親だよ。だからこそ余計に心苦しくなることもあるのだが……。

 

「なあルベア。お前、もしかして……」

「ん、何? 父さん」

「――いや、何でもない。さあ、湿っぽい話は終わりにして飯にしよう。折角のご馳走が冷めてしまう」

「そうね、折角腕によりをかけて作ったのだから、美味しく食べてくれなきゃ許さないわよ。さ、召し上がれ」

「いただきます」

 

 俺の声と父さんの声が重なり、金属製のナイフやフォークが皿とこすれあう微かな音が交差する。最初はぎこちなかった食卓も三人が意識して場の空気を塗り替えようと考えていたためか、再び談笑がとびかうようになるのにそう時は必要としなかった。

 今はきっとこれでいいのだろう。

 先のことなど誰にもわからないと言ったのは俺だ。ならば焦らずとも、いずれ時が解決することもあるのだと言い聞かせよう。そして――もう少しだけこの人達の好意に甘えさせてもらいたい。この人たちの子供でいさせてもらいたいのだと、そんな図々しい願いを胸に秘めるのだった。

 

 

 

 

 

 俺が作り出してしまった微妙な雰囲気を乗り越えたことで程なく夕餉を終え、母の手できっちりと手入れされていた俺の自室に戻る。寝台に潜り込み、就寝を前にしばしの思索に沈んだ。

 今回のベンガーナとの小競り合いを、『バランの武威を全世界に誇示するデビュー戦』とする俺の目的は十二分に達成できた。バランを弱く見せる時期も終わりだ。国内における地盤をある程度整えたことで、ようやく外に目を向ける余裕も出来る。それは本格的に魔王軍への対策を打てるようになったことを意味する。

 

 つまり正史で大勇者アバンが唱え、パプニカ王女レオナに受け継がれた地上の正義――『全ての戦いを勇者のためにせよ』。この精神を俺なりに実践していくことになるだろう。

 その中で俺が注力すべき戦略の初期目標は、『魔王軍の奇襲に耐えうるだけの地力を各国に用意させる』ことだ。

 これが存外難しい。なにせ今現在、世界中が平和の訪れを謳歌し、次の大戦などまったく警戒していない状態だからだ。この世界の歴史的に見てそれは間違っていないのだろう、だからこそバーン率いる魔王軍の襲来は、人類の心情的にも効果的な奇襲になっていたことがよくわかる。ありえぬ事態にどの国も恐慌に陥っていたのではないだろうか?

 

 現在世界を覆っている平和ぼけを抜きにしても問題は多々ある。軍隊ってのはなにせ金がかかるのだ。平時から戦時体制に等しい軍備増強策など取っていたらすぐに財政が破綻してしまう。魔王軍が攻めてくる前に国が自壊してしまっては意味がないどころか害悪だ。

 だからこそ平和のなかにあって限られた予算で牙を研ぎ、爪を磨き、魔王軍に対抗できるだけの十分な戦力――精強な騎士団を用意させるという離れ業が要求されるのだった。

 

 それを踏まえてまず俺が目論んだのが、『各国にアルキード王国を仮想敵国として認知させる』ことだ。

 より正確にいうならば、《竜の騎士》の力に恐れ戦くことでバランを仮想敵とし、その圧倒的なパワーに対抗できる騎士団を生み出してもらうつもりでいる。今回の件はバランの鮮烈なお披露目に丁度よかった。なにせ血を流さずに事を終えるだけの前提条件が揃っていたから。

 魔王軍の侵略まで時間がない。可能な限り人類戦力の底上げをやってもらわなくてはならないだろう。その軍事力の蓄積と研鑽をいずれ魔王軍にぶつけてもらうために。

 

 そして、この絵図を描くためにはバランがアルキード王国内にて簡単に排除されないだけの立場と信頼を形作る必要があった。

 この一年で証明したバラン自身の威やカリスマによって得た兵からの信望、ソアラとの正式な結婚を経て、第二子の出産予定により磐石となったバランのバックボーン。今のバランなら竜の騎士の力を振るっても早々に脅威論が出ることはない。同じだけの擁護論が期待できるからだ。

 バランを理性の人と認知させることで竜の騎士の脅威を最大限削る。なによりアルキード王国に『バランを取り込んだ』という意識を刷り込む。そこまで持っていくのに俺の予定より一年以上早かったのは嬉しい誤算だ。

 

 それがあればこそ、今回のような無茶が出来た。一年前に同じことをしていれば、間違いなくバラン排斥の声がぶり返していただろうから。

 バランを中心に据えた人類軍の端緒をつける。この段階に至ったことでいずれ来たる脅威――大魔王を相手とした戦争の青写真をようやく描き出せるだけの最低限の準備が整ったわけだ。

 

 まずは魔王復活から時を置かず、ほぼ同時に世界各国を奇襲殲滅してくるであろう魔王軍の初期攻勢を押し止め、膠着状態を作り出すことを第一の戦略目標とする。

 これに失敗することは多数の国家が崩壊することを意味し、それに伴い前線で戦う兵士のみならず、銃後に控える無辜の民からおびただしい犠牲者を出すことになるだろう。

 そうなれば最悪だ、人類戦力の枯渇とはつまり『国家による継戦能力の喪失』をもたらし、同時に『戦略行動の自由喪失』すら意味する。残された道は少数精鋭による特攻よろしく、勇者パーティーによる敵陣強襲、乾坤一擲の暗殺狙いしか手札が切れなくなってしまう。

 それでは駄目なのだ、勇者パーティーによる一大決戦はあくまで『能動的に切れる手札』として確保しておくべきものなのだから。

 

 そもそも一か八かの大博打はエンターティンメントとしてなら面白いのだけど、実際はそこまで追い込まれた時点で大敗北と同義だった。なにせここは『正義の勇者が悪の大魔王を倒しました、めでたしめでたし』で書を閉じることができない現実なのだ。国家にとって満身創痍の勝利とは、イコールで地獄の現出を意味するのである。

 残念ながら魔王軍に民間人への殺傷攻撃禁止義務なんてものはない。前大戦のハドラー傘下の魔王軍にそんなものはなかったし、地上消滅を目論むバーンに至っては『人間同士の戦争作法』など端から考慮する意味のないものだった。

 それが多少なり期待できるのは、おそらくヒュンケルの指揮する不死騎団くらいのものだろう。一度滅ぼされたパプニカがすぐさま国の機能を取り戻せたのは、ヒュンケルが王家以外には手心を加えていた可能性が高い。

 

 魔王軍の地上侵略を押し止められなかった場合、つまり各国軍の敗北がもたらすものは、全世界規模の民間人虐殺と流民の発生、国家そのものの崩壊だ。

 加えて国土の荒廃は農作物を始めとする生産高の減少をもたらし、交易路の寸断は物流のストップを招く。残るのは全盛期から半数以下に減少した人口と死に体の国、そして荒んだ人心だけ。俺が生き残れるかどうかはこの際置いておくとしても、そんな状態から戦後の復興とかどうしろっていうんだよ? 人は(かすみ)を食って生きていけるわけじゃないんだぞ。

 

 一応、俺には税金でご飯食べてる責任もある。解雇されない限りは全力を尽くして奉仕する義務があった。それは愛国心とは別の守るべき職務規範というやつだ。なりはガキでも心は社畜、もとい大人なのだから。

 と、そんな韜晦は別として、ハドラー戦役でさえ死者は出たのだ。それも大量に。

 被害はアルキード王国の王都ですら例外ではなかった。家屋が崩れ、人が爪で牙で切り裂かれ、あるいは炎の渦に焼かれて絶命する。少なくない人間の屍が無造作に放置される悪夢の光景と、否応なくつきつけられた()えた死の臭い。幼くともその一部始終を見届けた俺が、どうしてあの地獄を忘れることができようか。

 ゆえに戦線の死守は絶対条件、この戦略目標の完遂は俺にとって譲れない一線だった。

 

 この魔王軍による大攻勢を凌ぎきることで次の段階に入ることができるようになる。

 膠着状態を作り出した後の魔王軍の動きとして想定されるのが、各軍団長の直接指揮、並びに再襲撃による決戦だ。これにはおそらく魔軍司令も加わるだろう。この動きに対し、バランを中心とした人類最優の戦士たちを集め、各地を転戦させることで各個撃破に出る。軍団長を潰せば魔王軍は一時的に機能不全に陥ることになるはずだ。

 ここまでを戦略の第二目標とし、魔王軍の動きを鈍化させることで銃後の安全を確保する。そうして初めて本格的な攻勢に出るチャンスが訪れるのだった。ここで間髪入れずに第三目標にして最終目標に以降する。すなわち敵拠点の制圧と首魁(バーン)の首を狙うのだ。

 

 この時想定される敵陣拠点は二つ。

 一つは中央大陸はギルドメイン山脈に初期配置される陸上要塞《鬼岩城》、そしてもう一つが人の足の向かぬ不毛の地、死の大地と呼称される大陸に隠された空中要塞《バーンパレス》だ。そのどちらも移動を始めてからでは手に負えない。

 特に空中を遊泳するバーンパレスなど現在の人間の力ではどうにもならないだろう、制空権を支配されるのは痛すぎる。よって鬼岩城だろうとバーンパレスだろうと動き出す前に落としてしまうのが最善だった。

 

 それが出来ないときは大破邪呪文(ミナカトール)に頼ることになろうが、それとてバーンパレスを効果範囲に収めるため、一時的にでも静止させておく餌、ないし有効な状況を用意する必要がある。自陣戦力、特にバランの温存さえできていれば、一応力技でのバーンパレス停止も不可能ではない……と思うのだが、実際に試してみないことには何ともいえなかった。やはり不確定要素が強いのは否めないのだ。

 となればバーンが手札をきる前に攻め込み、奴が本気になる前に終わらせる。バーンに《凍れる時間の秘法》だの《鬼眼の魔力解放》だの、反則すぎる奥の手を晒す暇を与えない。それが考えうる最上の展開だ、戦の常道は敵に全力を出させぬことである。

 そもそもあんな理不尽の塊とがっぷりよっつで組んでも勝ちの目が見えない、という切実すぎる理由があるし。

 

 それでなくても戦争なんてのは長く続けて良いものじゃないのだ。可能な限り電撃戦で終わらせる必要がある。これらの完遂をもって俺の大戦略とするわけだが、実際はここまで理想的に進みはしないだろう。必ずどこかでつまづく。

 特に軍団長撃破で魔王軍に機能不全を起こさせて後、こちらが攻勢に出るだけの時間的猶予があるかどうか。バーンが六軍団に勝る手札をきってくるのがいつになるのか。そしてバーンが本腰を入れることで、本格的に手に負えなくなる前にその首を狩ることが出来るか。

 どうしたって事態は流動的にならざるをえない。そのあたり臨機応変に対処する柔軟性は実際に戦局を担うバランやアバン、成長したダイやポップたちに期待するしかなかった。最後は彼らに頼るしかないのである。

 

 だが、それでいいと思う。戦略に奇をてらってはならないし、策略に絶対を求めるなどもってのほかだ。所詮は机上の思考遊びであることを前提として、都度臨機応変に対応できるだけの底力を確保するのが肝要となる。

 何故なら戦略の王道とはすなわち、相手が何を仕掛けてきても正面から跳ね返せるだけの必勝状況を構築することであり、その基本は兵の数、錬度、将の力量を兼ね揃え、指揮系統の統一と兵站線の確保を握ることにほかならないなのだから。邪道が王道に勝ることはない。

 

 ただしそれら兵の数、将の質、バックアップ体制の確立、戦略拠点の策定と明確な勝利条件、様々な点で俺たちは魔王軍の後塵を拝している。まったく、大魔王の周到っぷりには参ってしまうばかりだ。

 奴らの欠点なんて精々将である軍団長同士が功を競っていたために、横の連携が弱かったことくらいじゃないか? それが弱点にならないだけの圧倒的な軍勢を用意できるバーンがマジで羨ましい。世界同時進攻、すなわち六正面作戦を可能にする大軍勢って何だよ。いや、魔軍司令の本陣を含めれば七正面もいけるのか? 溜息もでないっての。

 

 結局のところ、この差は蓄積した年月の差なのだ。何千年も昔から強固な意志をもって準備してきた大攻勢に、人類が十年そこらで対応しようとか蟷螂の斧もよいところだった。

 これはあれだな、バーンは地道に努力した者が勝つという道徳に優しい配慮をしてくれる非常に出来た王だということだ。――いかん、皮肉にすらなってない。

 

 ま、そもそも情報の精査を怠っている時点で本来は俺の絵図など破綻してるんだが。

 大昔、神々が地上と魔界の行き来を阻害する仕掛けを施したために人類側がおいそれと魔界に踏み入ることもできないし、現在バーンの勢力圏を調査出来る力を持つのは竜の騎士であるバランだけ。どうしたって穴だらけになるのは仕方なかった。

 地上の人間と魔界の魔族の地力の差が如実に出ている力関係に頭が痛い、ホント困ったものである。……せめて開戦の予兆だけでも掴めれば、各国に奇襲の警鐘を鳴らすことが出来るのだけど。

 ままならん。魔族のコミュニティと国交さえあれば、宣戦布告くらいしろと文句を言えるんだけどなあ。作法も何もあったもんじゃない。

 

 にしても、結構な綱渡りを要求されるな。平和の中で牙を研ぐ。すなわち軍事に割く予算を確保させ、戦意を維持することで軍備をしっかと増強させる。各国にバランの脅威をきっちりと理解させることで全体の底上げを図り、可能ならばアバンの使徒に追随できるレベルを持つ強者の出現を期待する。

 けれど熱を高めすぎて戦争まで行き着いては駄目だ、人間同士で戦力を削りあっているようじゃ魔王軍に蹂躙される未来しか待っていない。人類にそんな余裕と時間は残っていないのである。

 

 それゆえバランを餌にしすぎても危険だった。反動でバランを廃するような不穏な動きに発展しかねないし、第一そこまでバランに対して不義理な真似などできやしない。

 程よい緊張を保った国際情勢を最低でも十年の間は維持し、有事に当たっては人類戦力の結集を可能にするだけの友好関係を構築する。できればアルキード王国が主導権を握る形で。……うへぇ、神経磨り減りそう。

 

 あとは俺の思惑を可能な限りバーンの目に触れないよう隠蔽することか。

 なにせ地上の動きを『大魔王対策』だと看破された時点で人類は敗色濃厚に陥るという詰みっぷりだった。何故といって、現時点で地上侵略にでも踏み切られたら、押し止められる可能性は限りなくゼロに等しいからである。

 そのため可能な限り開戦までの猶予を稼ぎたいのだが、それとてバーンを刺激しないという消極策に落ち着いてしまう。地上と魔界は物理的に接触が遮断されているうえ、国交もなければその前例もない魔族の勢力が相手だ。……こちらから探りを入れるにしても何が適切なのか、何が定石なのか、その手出しの糸口すら見つけられないのが現状だった。

 

 となれば目を向けるべきは地上しかない。今回俺はベンガーナの動きを奇貨として、いずれ来る大魔王への脅威を竜の騎士に置き換え、これに抗することで各軍の強化を図るなどという迂遠な方法を取った。引き出すべきは各国の自助努力、そしてバランに請うのは彼の悠久に比肩する経験とその身に秘めた軍事的素養を生かし、地上に遍く知識と力を伝えてもらうことだ。

 まだ各国はハドラー戦役の傷から立ち直りきっていない上に、現在の地上戦力では大魔王の首を取れるだけの戦術能力を期待できない。バランとアバン一行――竜の騎士とかつてハドラーを討伐した勇者パーティーだけではとても大魔王とミストバーン、キルバーンの三人を相手取ることは出来ないだろう。

 

 地上対魔界の図では大魔王に譲歩は望めない。そもそもあの男の信条を思えば講和など端から夢物語。だとしたら戦争を終結させるために取る術は、結局バーンの首を取る以外にないのだ。そしてでかすぎる戦力差が俺たちに戦術行動の自由を与えてくれない。最後は斬首戦術――少数精鋭による勇者パーティーの奮闘に頼る以外の方策が見出せないのが現状だった。

 そう、大魔王バーンの何が一番厄介かといえば、軍隊など組織せずともたった一人で全てを成し遂げるに足る、純粋な暴力をその身に秘めていることである。いわばバーン自身が天地魔界に並ぶ者のない『超弩級戦略存在』だという絶望的な事実があった。

 

 ――つまり大魔王バーンを相手どる戦争は、ある地点を境に戦略と戦術の重要性が逆転する。

 

 まったく、こっちはあの男の盤上遊戯に付き合うだけでも死に物狂いだってのに、魔王軍の大攻勢を押し止めるよりバーン一人を抑えるほうがよほど難しいとかホントどうなってんだか。盤面をひっくり返す魔法の道具があるなら切に欲しいところだ。叶うならこっちも複数黒の核晶を用意して、バーンパレスに放り込むくらいはしてやりたい。

 それには黒魔晶の入手、精製の技術的問題、魔力を蓄える時間的制約、ついでに倫理的問題といった諸般の障害が立ちはだかり、運用はまず無理だろうけど。というかバーンが野心を露わにしていない現状で黒の核晶なんぞ用意しようとしたら俺がバランに殺されるわな。超爆弾を持つ人間がいるなんて、それこそ地上の危機――竜の騎士が動くに足る案件だ。

 

 しかしなあ、仮にバーンに勝ったとして、戦後は魔界と紳士協定でも結んで黒の核晶の所持に制限かけないとまずいんじゃないか? 核を撃ち合う仁義なき戦争とかぞっとするんだけど。

 そんな心胆寒からしむる悲惨な未来は脇に置いておくとして。とにもかくにも戦場でバーンを討てるだけの飛びぬけた力を秘めたパーティーが必要だ。そのために在野から俺も知らぬ実力者が頭角を現してくれるのなら助かる。

 とはいえ……バランに次ぐレベルの実力者とか、ちょっと俺には心当たりがないです、マジで。大魔王の前に立てるだけの実力者を探すにしろ育てるにしろ、そのために国が賄える資金は有限だし、予算を引き出す折衝にしたって容易なことじゃない。俺の立場でどこまで効率的にこなせるものやら。

 

 今から神頼みかと溜息が漏れそうになって慌てて堪えた。道のりの険しさなど先刻承知なのだ、今更嘆いたって何も事態は進展しない。

 とりあえずこちらはこちらで足掻くとしても、やはりダイやポップといった次世代の綺羅星――アバンの弟子以上の人材を見つけ出すのはハードルが高いといわざるをえなかった。よく『人材はいないのではなく見出されないだけ』とは言うけれど、こればっかりは気長に進めるほかないだろう。

 

 ついでにいえばバランの不慣れな王宮生活のストレス解消手段――もとい更なる高みを目指すための稽古相手も欲しいな。現状ではハンデ戦を前提としても勇者アバンと魔界の名工ロン・ベルク、それに大魔道士マトリフと拳聖ブロキーナくらいしか務まらないだろうけど。

 彼らは対魔王軍のためにもいずれ接触しなければならない相手なのだが、それにしたってどんな名分を用意してコンタクトを取りにいったもんだろう? アバンを除いて皆、半ば世捨て人の隠遁生活をしているうえに人間に非好意的だったり無関心だったりのダブルパンチ。控えめに言って癖がありすぎる連中だけに今から頭が痛かった。

 

 加えてまがりなりにも国内情勢が安定してきた以上、ダイを迎えにいくタイミングについても慎重に見定める時期がきている。『モンスターに育てられた王子』と『王子を育てたモンスター』を混乱を最小限に抑えつつ国民に受け入れさせねばならない。

 幸いバランの将としての名声も高まり、王宮だけでなく民の間にも徐々に浸透が進んできている。そのおかげで後の政治的演出を可能にする最低限の手札が用意できつつあった。あとは焦らずじっくり情勢をコントロールすればいいだろう。

 

 デルムリン島に降り立つという神の涙の行方も気になるところだが、こちらの下準備が完了次第動くことになる。おそらくダイが三歳から四歳の頃に迎えにいくことになるはずだ。そのどれもが繊細な問題だけに、一つ一つ丁寧に処理していく必要があった。

 

 さて、ひとまずはこうした方針の下で十年を過ごすつもりだが、これらの俺の選択ははたして吉と出るか凶と出るか。その答えが出るのは当分先のこととなるだろう。

 そんな風につらつらと脳のリソースを未来のシミュレーションに費やしながら、住み慣れた部屋にいる安心感と暖かな毛布に包まれた安堵を呼ぶ感触に、やがて俺の意識はゆっくりと闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 翌朝。心機一転、気合十分で登城した俺を待ち受けていたのは、別荘に移っていたソアラが無事赤子を授かったという喜ばしい報告だった。幸いなことに母子共に健康で、危なげもない至って順調な出産だったらしい。

 これでバランも一安心だろう。それとも今頃男泣きしてるかな? どちらにせよソアラの元に急ぐことだけは確かだろうけど、と密かに笑みをこぼす。おっと、俺もお祝いの言葉を考えておかないと。あまり素っ気なくするのも失礼だし、礼節を保ちながら心からの喜びがしかと伝わるよう趣向を凝らさねば。

 

 ともあれ慶事である。

 アルキード王室に誕生した新たな至宝の銘は『シンシア』。それがバランとソアラが娘へと授けた尊名だった。

 ディーノ王子――今は離れ離れとなっているダイの一つ違いの妹にして、未だ自身が何者かもわからぬ無垢な赤子。けれど、やがては兄と共にアルキード王国を背負って立つことになる、重い宿業を負った王家の末姫であった。

 

 彼女は俺が全霊をもって敬し奉る主筋の娘を意味するわけだが、とりあえずそんな堅苦しいことは忘れておくべきなのだろう。今はただ未来の安寧を祈れば良い。この日、この時、新たな命を祝福する鐘の音が、アルキード王国全土で高らかに鳴り響いていたのだから――。

 

 


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