ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第08話 天眼

 

 

「――チェック」

 

 猛るでも誇るでも、まして嘲るわけでもなく、それが至極当然の成り行きだと告げるように抑揚のない声音を発した。

 木彫りの駒と盤が触れ合う音が心地よい響きとなって耳を楽しませる。卓上に置かれているのは安物のチェス盤だが、変に装飾を施さないその素朴さを俺は存外好んでいた。そんな俺の眼前には悔しさだとか無念さをどうにか無表情のうちに閉じ込めようとして失敗している魔族と人の混血児が一人。

 期間限定で俺に預けられているラーハルトだ。普段から愛想の良い男とはとてもいえないが、今は常にもまして険しい顔つきで盤面を睨んでいた。

 

「……俺の負けだな」

「ふむ。終局の形も見えてきたじゃないか、お前の読み通りあと五手でチェックメイトがかかる」

「褒められているのだろうが、どうにも嬉しくないな。この盤面は俺を教導した結果だろう? 地力の差はまだまだ歴然としている、口惜しいばかりだ」

 

 そう分析する声には負けた悔しさ以上に終始手玉に取られた自身への戒めが多分に含まれていたように思う。その負けん気の強さと熱を伴う冷静さに思わず苦笑が漏れてしまった。

 

「昨日今日駒の動かし方を覚えた初心者に負かされるようじゃ俺の立つ瀬がないよ。それに筋は良いから悲観することもない、じっくり取り組めばその分だけ伸びるさ」

「そう願いたいものだ」

 

 眉間に皺を寄せて難しい表情をしているラーハルトだったが、俺が今しがた口にした通り悲観する必要などこれっぽっちもないのだ。というのもこの遊戯盤の優れた打ち手であるのならそれでよし、逆に拙い腕しか持ち合わせていなくてもそれはそれでよしと出来るからだ。本命は『チェスで遊ぶことが出来る』だけの教養を身につけること。腕の優劣をことさら問うつもりなどない。

 

「二面打ちでも分が悪いかー。こりゃ次は三面打ちに挑戦かねえ、あいつらが国境警備から帰ってきたら一席誘ってみるか」

 

 と、そこでじっと俺とラーハルトを見守っていたこの部屋の主が口を開く。からかいまじりの声をかけてきたのはアルキード騎士団に所属する貴族の青年――ライム。かつてバランに野次を飛ばして吹き飛ばされ、腹いせに俺にからんできて自爆したりと中々愉快な経歴の持ち主である。特に彼の尊い出自を知っているとなおさら愉快になれる。なにせ大臣の息子がこれほど奔放な為人をしているのだから困ったものだろう。

 

「その際はお手柔らかに頼みます」

「ほざけ、そんな必要性は認めない」

「さいですか」

 

 そんな困った君なライムも十八になり以前よりは落ち着いた……なんてことはなく、実家との折り合いが悪く絶賛プチ家出中だというのだから、面白いを通り越して頭痛の種だった。

 官舎は本来地方から勤務にきている武官や文官に割り当てられるものなのだが、王城の程近くに立派な屋敷があるのに不自由な官舎にしがみつくような物好きはこの男くらいのものだった。その破天荒が許されるのも実家の力ありきというあたりが実に皮肉がきいている。

 

 同じ王都に居を構えていても、俺の場合は実家と王宮が馬鹿にならない距離があるため官舎住まい。ラーハルトの場合はそもそも頼るべき親類もなく、身一つでこの国に腰を落ち着けたため必然的に官舎行き。

 つまるところ今夜は一人暮らしの三人が仕事を終えて一同に会し、和気藹々と交友を暖めていたのだった。部屋の主は開口一番『華がない』などと真顔で嘆いてくれたのだが、徹頭徹尾余談だろう。

 

「しかし、存外上手くやってんだな、お前ら。これで結構ハラハラしてたんだが……」

「ご心配ありがとうございます。騎士団のほうはどうです?」

 

 ライムは清潔に切り揃えられた蜂蜜色の髪をくるくると指で弄くりながら、心配そうな様子など欠片も見せずからからと笑う。嫌味のない笑い方は元々顔の造詣が良いせいか、なるほど女性に人気があるのも頷けると素直に納得させるものだった。

 顔よし、腕よし、家柄よし、どう見ても優良物件ではあるのだ。ただ素行不良というか、破天荒な性格が災いしてここぞという場面では敬遠されてしまうらしい。……剣に対しては真摯になれるのに、実家や女性周りへの配慮がまるでなってない男だった。

 

「さすがにやんごとなき方からのお叱りの言葉は堪えたらしい、団長も副団長も随分と慌てて事態収拾に駈けずりまわってたからな。これで万事問題なしとはいかないだろうが、それでも以前よりはマシだろうさ」

「それはよかった。最近は騎士団に限らず至るところで浮ついた空気が蔓延っていましたから、今回の件は丁度良い引き締めになったのかもしれません。当事者には不運でしょうけど、全体としては悪くない変化でしょう」

「ああ、そういやロモスのほうでも不祥事があったんだったか。確かにルー坊の言う通り少し気が緩んでるとこがあったのかもしれないな。だからってそうも明け透けに言われると反応に困るんだが」

「いつも通り見ざる聞かざるで構いませんよ?」

「そうさせてもらいたいもんだね」

 

 そんな殊勝なことをいいつつ、卓に肘をついてそこに顎をのせ、にやにやと俺を眺める姿からは自重の色を汲み取ることはできなかった。らしいといえばらしい。配慮や自重よりも享楽を優先させやすい男なのだから。

 

「折角のエンジョイタイムなんだし無粋はなし! といきたいとこなんだけど、そうさせてくれないのがルー坊なんだよなあ……。お前も大概友人甲斐のないやつだよな、それとも部下思いの上司だとからかったほうがいいのか?」

「チェスもカードも騎士の嗜み、いわばコミュニケーションツールですからね。ラーハルトはただでさえ無愛想ですから、せめてこれくらいは出来るようになってもらわないと」

 

 仲良くなるにしたってとっかかりはあったほうが良い。遊戯の腕を重視しないのはそのためだった。チェスにしろカードにしろ勝負事に秀でていれば尊敬されるし話も弾む、逆に娯楽に疎く負けてばかりいてもそれはそれで話を膨らませる種になるだろう。素直に教えを乞うてもいいし、道化に徹して笑いものにされるのも一興だ。

 ラーハルトの場合は白兵技能に『恐ろしく秀でている』ため、頭脳遊戯では遅れを取るくらいが丁度良いのかもしれない。そのギャップがラーハルトに可愛げを付与してくれるだろう。

 

「バラン様もチェスを嗜むといったらものすごい勢いで食いついてきましたしね。可愛いもんでしょ?」

「おい、それは言うなと――」

「口止めされた覚えはないから、次からは気をつけるように。黙らせ方や約束の破り方も覚えておくといいぞ」

「ぐっ……」

 

 しれっと言い負かす。そんな口喧嘩ともつかぬ不毛なやりとりにたまらず噴出したのは当然当事者以外の第三者だった。

 

「いや、ほんと心配して損した。意外と相性良いみたいだな、お前たち」

「冗談はやめてくれ」

「ラーハルト、先達は立てるように」

「……ライム殿、冗談はやめていただきたい」

 

 くく、と忍び笑いが漏れた。

 

「ああ、いや、なんかすまん。それと俺に気遣いはいらんよ、俺もそいつと一緒でプライベートでは気楽にしてもらうほうが好きだから。つーか酒の席で畏まられたら美味いもんも不味くなるから、何をおいてもやめさせるのが俺の流儀だ」

「あなたの場合は鷹揚すぎますけどね。『騎士団の問題児』の看板もそろそろ返上したらどうです? 幸い目の前に後釜になってくれそうな者がいますし」

「こんなのが上司で同情するよラーハルト。さぞ虐められていることだろう」

 

 涙を流す仕草も様になっていた。しかも小道具として綺麗な刺繍の施されたハンカチまで用意する周到っぷりである。芸が細かい。

 

「まあチェスやらカードでは相変わらずルー坊に虐められる側なんだが。……ふむ、ラーハルトも大変だ。なにせ目標がバラン様とハンデなしで勝負することだろ? あの方も相当打てるってきいたけど、ルー坊との戦績はどんなもんなんだ?」

「以前は五分五分か幾らか勝ち越せるくらいだったんですけど、最近はすっかり逆転して負けが込むようになってきました。特に早打ちだと殆ど太刀打ちできませんね。読みの深さと速さで対抗できずに力負けしてしまうんです。一局ごとに目に見えて強くなるとか反則だと思いません?」

 

 掛け値なしに溜息が出た。むしろ溜息しか出なかった。多分、あと二年か三年すれば五分どころか十やって三勝てれば御の字くらいまで差が開くだろう。

 それが竜の騎士としての特性なのか、それともバランの地力なのかはわからない。一つ言えることは、とにもかくにも学習効率が常人の比じゃないということだった。特に勝敗の分かれ目となるような、いわば『勝負手』への嗅覚が人間離れしているといっても過言ではない。それほどまでに戦機を読む力がずば抜けて高いのだ。

 

「マジで?」

「大マジです」

「うへぇ、そっちの分野でもバラン様がこの国最強の実力者になりかねないな」

「同意します。まず機会などないでしょうが、もしバラン様と賭けチェスでもすることになったら身包み全て剥がされる覚悟をしておくことですね」

 

 今度は俺がにやりと笑った。

 

「……あー、その言い草だともしかしてばれてる?」

「近々引き締めが必要だと考えていた、と言いませんでしたっけ?」

「似たようなことは聞いたような気がしなくもなくもない」

「騎士ライム?」

 

 少しだけ語気を強めると、降参とばかりに両手を掲げるライム。

 

「すまん。これからは注意するから、出来ればお前の胸に収めておいてくれると助かる」

「よろしい。賭けチェスも夕餉の一品を対象にするくらいなら文句も言いませんけど、金銭や高価な品にエスカレートするようなら厳しい沙汰が下りますから、ほんと気をつけてくださいよ。見てみぬふりをするのだって限度というものがあります」

「肝に銘じとく」

 

 ひとまず釘を刺したことでこの件については手打ちとなった。お互いそれを無言のうちに了承し、そこで空気を入れ替える意味でラーハルトを誘ってカード遊戯に移行する。雑談を交わしながら手の中でカードを滑らかにシャッフルし、軽やかな調子で配布するのも慣れてしまった。

 

「ところでラーハルト、騎士団でチェスが娯楽として推奨されてるのはどうしてだと思う?」

「戦争を模した遊戯だからだろう? 様々な駒の特性を駆使した戦いは単なる遊びと一笑に伏せるものではない。実際の軍編成や兵の運用、現場指揮の基本に通じるものがあり、覚えておいて損はない、ということだったな?」

「もちろん遊びには変わらないけどな。実際の戦場において五分の戦力でやりあえることなんてないし、合図をかけていざ尋常に勝負ともいかない。ま、ほどほどに楽しめばいいさ」

 

 尋ねたのは俺、答えたのはラーハルト、補足をつけたのがライム。

 友達甲斐がないといわれた俺の本領発揮だ、折角だからライムにも協力してもらおうと思って今夜の集まりを呼びかけたのだから。ラーハルトを騎士団に戻した時のための顔合わせも兼ねていたのだが、そちらは滞りなく済んでいたのだから今更気にする必要もない。

 

「なあ、ルー坊」

「なんです?」

「管理職としての心得を教授してやってくれとは言うけどさ、俺だってまだ肩書きから『見習い』が消えて一年しか経ってないんだぜ。その程度の人選ならお前が直接教えたって構わなかったんじゃないか?」

「こうういうことは本職に任せたほうが説得力が増すでしょう? ほら、先輩風吹かせるチャンスなんですから頑張ってください」

 

 近いうちにラーハルトは騎士団に戻る。となれば騎士団内部で幾分でもラーハルトに好意的な人間がいてくれたほうが都合が良い。

 そこで俺が白羽の矢を立てたのがこの男だった。双方の感触も悪くないし、場合によってはこちらから手を回してこの男の指揮する隊にラーハルトを押し込むのも一計だろう。

 

 なによりこれはソアラに頼まれていることでもある。ラーハルトの目を『外』に向ける機会は多ければ多いほど良いのだ。そもそもラーハルトのホームグラウンドは軍務畑になるのだから、そちらでぎくしゃくしているようでは本末転倒だしな。

 

「そこはかとなく面倒を押し付けられただけのような気がする」

「その認識で間違っていません。ご所望のワイン一本でどうです?」

「乗った」

 

 と、まあこんな不真面目なやりとりをしてラーハルトから白い目を向けられるという笑い話を挟みつつ、至極真面目な講義が始まるのだった。

 ライムが最初に口にしたのは彼自身が苦手にしていることからだった。

 

「まずは通常業務からざっくらばんに説明しようか。そうだな、例えば演習を一度するにも訓練場所の策定、他の隊とブッキングしないための調整や気配りが必要とされるし、遠征が決まれば隊の編成、物資の確保が出来なければ始まらない。国境の砦にでも配置されれば押し寄せる補給申請書類の処理に部下からの苦情も捌き、時にはレクリエーションも駆使して士気の維持も図らなきゃならない。何をするにしたって書類は付いて回るってことだ、これは文武問わず大前提の約束事だからよく覚えておくように」

 

 こくりとラーハルトが素直に頷く。俺の仕事の補佐をしている以上、部下を持つなら読み書き算盤が必要最低限の技能となってくるのは実感していることだろう。

 

「そういうわけだから、出世したいなら今のうちから手順や形式は勿論、部署の組織図や配置も頭に入れておくべきだろうな。偉くなってから覚えるにはちょっとばかり煩雑に過ぎるし、お前の立場だと侮りを受けやすいんだからなおさらだ。で、上にいけばいくほど戦わなけりゃならない紙の束は増えていく。これはもう慣れるしかない。まあルー坊の下にいる間に多少は手解きもしてもらえるだろ、必要以上に心配しなくてもいい」

 

 それも大丈夫だ。業務時間外で教え込んでるし、そもそも俺の下にいる以上広範な知識は必須条項となっている。嫌でも覚えざるをえない。

 

「平時はそれで良いとして、問題は有事の心得だろうな。戦場において指揮官に要求される仕事ってのは突き詰めれば二つに集約される。――いいか、一つは兵に『殺せ』と命じることだ。そしてもう一つが兵に『死ね』と命じること。その二つの命令を兵に遵守させることが出来れば将として一流といえるだろう。……ほんと、言うは易く行うは難しだな」

 

 それが勝てる指揮官――大軍を指揮する『名将』足りえる条件でもある。畏怖、威信、信望、人徳、カリスマ。目には見えぬ力によって兵をまとめ上げ、雑多な意思を持つ軍集団を『一個の生き物』として再構成できるだけの才覚だろう。

 元々騎士団のような軍組織は上意下達が鉄則だ。命をかける戦場だからこそ上の命は絶対だし、そうでなきゃいけない。兵の一人ひとりが己の考えで『最適解』を考え実行なんてしようとすればその時点で烏合の衆だ、勝てる戦も勝てなくなる。

 

 だからこそ兵は最初に『指揮官の命令には絶対服従』と教え込まれるし、そんな初歩さえこなせないものは戦場には不要だ。足手まといにしかなれない。そういう意味ではきちんと訓練の行き届いた軍組織ならば『殺せ』と命じることは『死ね』と命ずるよりも幾らか容易かった。

 問題は、ラーハルトが将として兵に死ねと命じられるだけの力量を持つことが出来るかどうか。種族の壁が立ちはだかり、未だ交流を密にできない今のラーハルトには望むべくもない。けれど将来的にはどうしても期待せざるをえない状況だった。

 

「なるほど、ご教授感謝する。……ルベア」

「なんだ?」

「戯れに尋ねるが、お前なら出来るか」

「無理だ」

 

 ばっさり切り捨てたが、それだけでは納得できていないようなのでもう少し詳しく続けた。

 

「ああ、勘違いはするなよ。常識的な戦場で、味方が優勢なうちは俺でも兵の統制は出来る。けれど一度でも劣勢に陥ったら、あるいは始めから勝ち目の見えない強敵が相手なら、俺の号令はことごとく力を失うだろうな。負け戦を覆す力は俺にはない、そう考えてくれれば良い」

 

 いずれくる大魔王を向こうにまわした戦争において、人類側は兵力の数と質で魔王軍に劣る以上、戦線は常に劣勢を余儀なくされる。つまり『戦略的に敗北した戦況を、戦術的奮闘によって盛り返す』神業を毎回要求されるのだ。正気の沙汰じゃない。

 仮に現場で兵をまとめることを命じられたとして、俺がその任に当たるとなれば実務を取れる補佐官をつけてもらってぎりぎり凡庸な指揮官が精一杯だろう。それが俺の限界だった。

 

 そも、なぜこの世界で指揮官先頭が持て囃されるかといえば、『人間よりもモンスターのほうが強い』という基本原則に対処するためだ。兵の心の支えとなることはもちろん、臨機応変の指揮運用、多種多彩なモンスターの種別に対する効果的な戦術や陣形の構築並びに実践と、人間を相手にするよりもはるかに現場指揮官にかかる負担と期待が大きくなる。

 ゆえに兵は常に『強く賢い』命令者を望むのだった。

 

 翻って俺はといえば、軍令を出し、出兵計画を練る段階ならばともかく、現場指揮に対する適性は著しく欠いている。それはこの先も変わらないだろう。

 そういって短くまとめあげた俺に対し、本当かと真偽を確かめるようにライムへと視線を向けるラーハルトだった。

 むぅ、少し苛めすぎたか? 俺の言うことを素直に信じてくれないようだ、ちょっと悲しい。

 

「概ねは。ただそれがすべてかといわれるとちっとばかし首を傾げたいところだな。私的な見解でよければこいつだってそこそこ兵の運用はこなすぞ? 第一貴族の放蕩息子として腫れ物扱いだった俺に臆することなく将の心得を説いたのも、そこで涼しげに高みの見物してる小僧だ。その一事だけでも大したものだって言われてたくらいだしな」

「ご自分で情けないことを口になさらないでください」

 

 ずきずきと幻の頭痛が襲い掛かってきたかのようだ。そんな俺の様子も意に介しちゃいねえ。

 なんだかなあ、と溜息。喧嘩を売られたから買っただけと考えると吹聴したい内容だとはとても思えなかった。その点、この男はよくも過去の黒歴史を嬉しそうに話せるものだと感心する。まだ懐かしむほどの年月は挟んでないはずなのに。

 

「プライドの高い輩には顔を顰める者もいるかもしれないが、俺を含めた若手連中ならこいつが直接指揮を執ってもそう反発はしないだろうな。その程度には認めてるし、お互いに足りない部分を補おうとするだけの信頼もある」

「何故と尋ねても良いだろうか? いや、どうやって、というべきなのかもしれない」

 

 ライムは今ひとつ得心がいかないといった様子のラーハルトを面白そうに眺めていた。この男は肝は太いし思慮を巡らせることも不得手ではない、しかしそれら全てを置き去りにして刹那的な享楽に耽る悪癖が、せっかくの長所を見えづらくしているところが多分にあった。

 

「そうさな、結局のところこいつはずるいんだ」

「ずるい?」

「ああ。なにせこいつは弱弱しい外見やら同情されるような年齢すら利用して人の心を絡めとろうとする。内面の苛烈さや腹黒さが周囲に知られていないわけじゃない、それ以上に穏やかで誠実な外面が勝ってるんだ。だから畏れられはしても積極的な排除だとか将来的な危惧まではなかなかいかない。清廉潔白を旨とする我ら騎士団一同からすると『可愛げのある切れ者』って評価になっちまうわけだ。ほらな、如才なくて厭らしい男だろ?」

 

 こら、お前も同意して頷くんじゃないラーハルト。

 どちらかというと俺は『弄り甲斐のある小間使い』に近いような気もするけどな。連中にうまく使われている。もちろんそのあたりはお互い様だから文句を言うほどのことじゃないんだが、どうにも釈然としない気分だった。

 

「実際助かってる。こういうのはあまり大声でいえたことじゃないが、バラン様は俺たちとはちっとばかし感覚がずれてるところがあるからな。加減を間違えられると冗談じゃすまない事態になる。そういう意味でも緩衝材があるのは有り難いんだよ、こっちからも要望出して摺り合わせてもらえるからな」

「散々な言われようです」

 

 頭痛をこらえる真似をして、傷ついてるふりをして、その悉くを見抜かれているという前提で話を進める。

 

「仕方あるまいに、それとも否定できるのか?」

「まさか。そこまでわかっていて、あえて知らん振りしてくれるあなたのいい加減さが大好きですよ」

「残念だな、俺が愛するのは見目麗しい婦人方だけだ」

「心配なさらずともあなたの女好きは王都中に知れ渡っていますよ」

「誉れとするところだな」

 

 その奔放さに頭を痛めている人がいることもよく知っている。ついでにいえば俺のところまで飛び火していたりする。

 

「さて、こんなところかな。ライム殿、ご教授感謝します」

「いいさ、どうせ暇を持て余してたんだ」

「重ねて感謝を」

 

 一礼してからラーハルトと向かい合った。

 

「逆境の中でこそその人間の真価が試されるって言葉があるけど、指揮官も同じだよ、ラーハルト。苦しい時こそそいつの才覚、積み重ねてきた努力が試される。お前の行く末はどうなるんだろうな」

「研鑽を怠るつもりはないが……。ふむ、俺もお前も、バラン様のようにはいかないか」

 

 どこか面白そうにラーハルトの口角が上がる。それは陰のある笑みではなく、もっと意欲にあふれたもの――そう、挑戦の気概が漏れ出したものだったように思う。

 とはいえ、引き合いにバランを出すあたりが実にラーハルトらしい。もしも同じことを言ったのがこの男でなければ俺は失笑を余儀なくされただろう、そうして身の程を知れと諌めたのかもしれない。竜の騎士は比喩なしで『戦神』だ、あの規格外を軍事常識にされてはたまったものじゃないぞ。

 

「無茶言うな、畑違いってのもあるけど、比較対象は選ばせてくれとしか言えないぞ。……バラン様か。あの方の命令なら皆喜んで死地に向かうだろうよ。戦場のあの人は絶対のカリスマを発揮するというか、『この人がいれば大丈夫、俺は生き残れる』と問答無用で兵に刻み込むからな。絶望的な戦況にあって兵の逃亡を防ぎ、なお剣を執らせるだけの信頼関係も育んでる。末端の兵にさえしかと根付かせた忠誠心は見事としかいえん、俺には到底望めるものじゃないな」

「だが、貴様は俺にそこまで辿り着けという。なかなかに虫の良い要求ではないか?」

「さすがにバラン様と同じところまでいけとは言わない、というか言えない。お前はもう少し常識的な範囲に留まってくれると嬉しいよ」

 

 苦笑を交えて宥めておく。バランに向けられる信望は一歩間違えば狂信だぞ、俺に言わせりゃ論理だけでは片付かない非常識の領域だ。圧倒的な畏怖と覇気に裏づけされた奇跡のような統率力。参考にするには色々とぶっとびすぎている。

 

「難しいことを頼んでるのは自覚してる。けど、自分に出来ることだけを他人に要求する、それで満足できるほど俺は万能超人じゃないからな。許せ」

 

 そこで一度言葉をきり、目を静かに閉じ、厳かに告げた。

 

「――人、各々領分あり。器を磨く努力を怠るべきじゃないが、だからといって万事悉くを一流にこなそうとするのも傲慢だろう。違うか?」

「同意しておこう。俺も精々励むとするさ」

「助かるよ」

 

 そこまで会話が進んだ折、感嘆とも溜息ともつかぬ小さな吐息が空気を揺らした。

 

「ルー坊がそこまで買う新人、か。こりゃ色々覚悟しておくべきだな」

「そろそろルー坊もやめていただけません?」

「十五になったら止めてやるよ。ついでに色街で女遊びも教えてやる、ラーハルトも一緒にな」

「大変ありがたい申し出ですが、差しあたっては色事ではなく軍務のご指南を優先してください。そのためにこうして一席設けたんですから」

「真面目だねえ」

「私は普通です、あなたが不真面目すぎるんですよ」

 

 つーかラーハルトに変なこと教えると俺がソアラに叱られるだろうが。バランからは……どうなんだろう? 曲がったことが嫌いな男ではあるが、戦場の心理に通じているせいか性には大らかな一面があると思う。本人は側室も取らずソアラ一筋だけど。愛妻家だこと。

 

「なら部下思いとでも言い換えてやろう。お前にはそっちのほうが効きそうだ」

「私のことをよく知っていてくれて光栄ですね。ええ、実に喜ばしいことです。だから私が三倍返しをしたくなる前にちゃっちゃと真面目になることをお勧めしておきますね」

「おお怖い怖い」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。本当、へこたれない奴だ。

 

「ま、色町云々は話半分でもいいけどさ。ラーハルトはこいつの下に就いてるならわかるだろうけど、ルー坊のとこには文武問わずあらゆる書類が舞い込んでるだろ? 軍務では主に兵站だとか訓練計画に一枚噛んでる。そうなると騎士団(うち)にも相応の影響力を持ってるわけだ」

 

 すっと目が細まる。まるで戦場のような気配を漂わせ、真剣な眼差しでこちらを見る男は先ほどまでの腑抜け騎士とは別人のようだった。

 

「内政だけでなく軍政にも広く手を伸ばす。お前はバラン様の補佐をしているんだ、それ自体は不思議なことじゃないし『俺には』文句もないさ。――だが、権限を集中しすぎていると危惧している連中がいることも忘れるなよ」

 

 なるほど、警告(こっち)が本命か。今回はラーハルトのために骨折りしてもらった以上、俺も相応の誠意を見せる必要があるだろう。それでなくても本気で気遣われているとなれば真摯に応えたくなるし。

 

「随分ご心配をおかけしているようですね。申し訳ありません、我が身の不徳です」

「誤魔化すな。……話せんのか?」

 

 だからそうやって本気で心配されると口が軽くなりそうなんで勘弁してください。そんな内心を抱えて曖昧な困惑顔で誤魔化そうとしたが、じっと見つめられて居心地が悪くなったのはこちらが先だった。

 こうも純粋に心配されていると思うとどうにもな。かといってかつてない魔王の軍勢が近くやってくるからその備えともいえないし。まだ明かすには早い、突拍子がなさすぎるし変に広まってほしくもなかった。

 

「……アルキード王国は伝説に謳われる《竜の騎士》をその内に取り込みました。かの力は人類がために十全の形を振るうことこそ難しいとはいえ、ソアラ様、シンシア様、そしてディーノ様がいらっしゃる限りバラン様は我々の側に立つでしょう」

「それはわかっている、俺が知りたいのはその先だ。バラン様の政治的地盤は固まり、それに伴ってお前も安寧を得た。この先はどうなる? いや、どうするつもりだ?」

「見事な識見恐れ入ります、と言いたいところですが、残念ながら誤りがあります」

 

 ぴく、とわずかに眉根が寄った。俺の指摘した見落としに心当たりがあったのか、あるいは答えが浮かばず不愉快に思ったのか。

 

「王室に受け入れられた当初こそ不慣れな一面を見せましたが、最近のバラン様は政務にも精力的に取り組み、臣民からの信頼も厚くなりました。軍務においては言うに及ばず、もはやバラン様抜きでアルキード騎士団を語るは愚の骨頂でしょう。バラン様本人に関してはもう何も心配はいらないんです」

「『本人は』? ……そうか、お世継ぎの問題があったか」

「ええ、まず竜の力は子に遺伝するのか。遺伝するとしても発現の条件は? 無条件に全ての子が潜在的に力を宿すのか? そのあたりはまだ何もわかっていないんです。まさかそのためにあちこちで子を作れとは冗談でも言えませんし」

 

 つまり、と溜息交じりに続ける。

 

「『竜の騎士の血筋』を『王位継承権』にどのような形で取り入れるか、その難題が丸々残っているんです」

 

 竜の騎士に目覚めた者を優先して玉座に就けるのか、あるいは元来のように長子存続を優先させ、竜の紋章を発現させた兄弟姉妹を優遇し、実権のある役職、特に騎士団のトップにでも据えるか。もちろん単なる名誉職として別のポストに就ける選択肢だってある。

 場合によっては複数の宮家の設立――各家の持ち回りで王位を譲り合う制度も視野に入れる必要があるかもしれない。

 

「アルキードを統べる王権と神意の具現ともいえる竜の血の関係性の確立は、急ぎではなくともいずれは向き合わねばならない国家の一大事でしょう。それに加えて頭が痛くなるのは、ただでさえ第一王子にあらせられるディーノ様が行方不明、シンシア様は健やかにお育ちなさっていますがそれ自体が継承の対立につながりかねない火種になっていることですね」

 

 いずれくる嵐を無事に乗り越えることが出来るのか、乗り越えたとしても安定の治世を作り上げるための制度の構築は不可欠となる。

 

「シンシア様が学問を修められる年齢になればより火種は大きくなるでしょう。仮にですが、ディーノ様のご帰還が十年の後になるようでは、もはやシンシア様を王位にと望む声を抑えることは至難のものとなります」

「ふむ、ちっとばかし危険な発言だな。お前はシンシア様の即位に反対なのか?」

「そんな不敬は申しあげておりません。現状ではシンシア様を頼るほかありませんし、海のものとも山のものともわからぬ幼少のうちから資質云々を語ることこそ僭越というもの。私が言っているのは単に男子継承の優先を蔑ろにしたくないという一般論ですよ、誤解のなきようお願いします」

 

 頼むから俺が恣意によって王位継承を歪めようとしているなどとは間違っても言ってくれるな。さすがに身内のゴタゴタで首を切られたくない。なにせ事が事だ、物理的に身体がお別れする事態だってありえる。

 

「ああ、それはわかるな。なにせ次代はソアラ様が女王として立つことは決まってるんだ、となるとうちの国は二代続けて女王の治世が続くって線も十分ありえる。……慣習といっちまえばそれまでだが、諸手をあげて歓迎とは言えないわな」

「前大戦の最中、十代の女王が即位せざるをえなかったカール王国の政情に比すればまだマシといえましょう。とはいえ、やはり王族の女性は世継ぎを望まれる立場ですからね。激務の約束されている王冠に手を伸ばされるのは臣下として承服しかねます」

「となると、あまり時間も残されてないか。あと五年、できれば三年以内にディーノ様をお迎えできないと厳しいな。バラン様も必死に捜索なさっているんだ、出来れば見つかってほしいものだが……」

「同感です。ここに『竜の血筋』が関わってくるのですから、ソアラ様の次の御代はいささか荒れる可能性を多分に孕んでいるという危惧も根拠のない夢想とはいえますまい。だとすれば、いずれくる混乱に備える意味でも王室は強くあってもらわねば困ります。以上が私の見解ですが、ご納得いただけたでしょうか?」

 

 これだけすらすらと軍務の外を語れるのだから騎士道一本に絞ることもあるまいに。皆がいうように実にもったいないと思う、結婚でもすればすこしは落ち着くのだろうか?

 

「よくわかった、お前が無茶したがるわけだ。……すまんな、どうにも生き急いでるように見えてお節介を焼いた」

「構いません、いずれ陛下を交えてご相談せねばならないことです。ここで懸念を口にするのも悪くないと思います。……今の話、あなたのお父君にも伝えるのでしょう?」

 

 わずかに沈黙が、あるいは思惑が交差した。けれどその緊張は長く続かず、どちらからともなくふっと息をついて話は終わりとなる。

 

「つくづく思う。お前って性格悪いよな」

「おや、何のことでしょう? 私は忌憚ない意見を口にしただけですが。それこそあなたの望みどおりにしたつもりですよ?」

「そうやってそ知らぬふりでとぼけてみせるとこだよ。ったく、無視するには話がでかすぎるし重すぎる。俺の腹だけに収めるには到底無理ってもんだ。それがわかっててわざわざ口にしたのがお前なんだ、愚痴くらい言わせろ」

 

 本気で胃もたれするぜ、と心底嫌そうに腹のあたりをさすっている。あからさまに辟易とした表情を浮かべているあたり、俺の口を割らせたことを後悔しているのかもしれない。ご愁傷様。

 

「良い機会です、いつまでも実家から逃げ回ってないで覚悟の一つも決めることですね。もっともあの心配性な大臣殿なら、もしかすると薔薇色の重しの一つや二つ用意してるかもしれませんが」

「……この野郎、よくもヌケヌケと。さては親父と共謀しやがったな」

「共謀とは人聞きの悪い。近頃はあなたのお父君から『息子の行状を諌めてくれ』と泣き付かれてばかりいるのでお力添えを、と考えただけです。どちらかといわずとも、人が良いと褒め称えられるべき配慮でございましょう、御曹司殿?」

「小さな親切大きなお世話ってな、そこは友情を優先してくれれば言うことないね」

 

 ああやだやだ、と大袈裟に身振りで遺憾の意を示されてしまった。反省はしないけど。

 

「それにしても親父の奴調子のいいこった。ちょっと前までお前のことを蛇蝎のごとく嫌って、俺にも付き合いを断てだのなんだの口喧しかったくせに、いつのまにか主義主張を取り下げてお前と仲良くなってやがるんだから。あんの節操なし」

 

 そう悪し様に言わなくても、と割と本気で宥める羽目になった俺である。相変わらず親子仲が冷えているというか、すれ違ったまま改善の見込みが見えない二人だった。誰か仲裁してやればいいのに。

 

「今でも仕事のうえではしょっちゅうぶつかりあってますけどね。それに離合集散は政の常、その程度のことで恨みに思うほうがどうかしています。ぶっちゃけた話、大臣という重責を担っている以上、王族のご威光を笠に好き勝手に振舞う不届きな輩など煙たく思うのは当然ですし」

「お前はどうもそのへん達観してるよな。怒るべきか呆れるべきか。そんなだから年齢詐欺だとか言われるんだ」

 

 実際詐欺だよなあ、と自分でも思う。どうにもならない、如何ともしがたい思いだってそれなりに抱いているが、気にしたって仕方ないのも事実だった。

 

「そういうあなたは王都で散々浮名を流している割に、この手のことには妙に潔癖ですよね。もう十八なんですからいい加減反抗期は卒業しましょうよ」

「余計なお世話だ。つーか黙れ、それを十三のガキに言われちゃ俺の立つ瀬がないっての」

「残念ながらこの件であなたを擁護してくれる人は少ないとなけなしの忠告をさしあげましょう。ああ、それともう一つ。折角なので私にもちくちくと苛められてください」

「よしわかった、俺が話をつけといてやるから、また騎士団の訓練に参加しにこい。好きなだけ足引っ掛けて地面に転がしてやる」

 

 とてもとても良い顔をした騎士が一人いた。係わり合いにならないほうがきっと平和である。

 

「そうやって大人げないことを嬉しそうに宣言しないでくださいってば」

「はっはっは、仕方あるまい、実際楽しいんだから。……ま、冗談はさておき、もうしばらくは放っておいてくれや。親父は親父、俺は俺。今は仲間と剣振ってるほうが楽しいし、俺は生涯騎士団に奉職するつもりだかんな。それだけは譲れん」

 

 こういうとき、俺は親が子に向けるような、あるいは兄が弟に向けるような、そんな言葉で定義するには少々羞恥心が勝り、躊躇するような笑みを浮かべているのではないかと不安になるのだ。達観というよりは、やはり『ずれ』だと思う。

 それは無理に矯正するものではないが、さりとて素直に表に出してよいものではなかった。誰だとてプライドはあるのだ、年下に慈しまれてはそれだけで矜持が傷つく人間だっているのだから。

 

「曰く、頑固者は褒め言葉、でしたか? あなたがそんなだから余計にお父君が心配されているのでしょうね。いずれは国政の参画者として自身の後継にと考えられているのに、息子であるあなたが一介の武辺者で満足するのはいささか親不孝に当たりませんか?」

「はん、柄じゃないし向いてないっての。そうさな、どうせならお前が親父の後を継いでくれよ、うちの家名が欲しけりゃ妹をくれてやるからさ。姉さん女房も悪くないぞ?」

「またそんな突拍子もないことを……」

「問題ないだろ?」

「大有りです。第一、あまり悪ふざけが過ぎると数少ないご家族内の味方にまで嫌われてしまいますよ? ついでにいえば私にお見合いを勧める前にあなたが身を固める努力をしてください。そうやって露骨に話を逸らさなくても、これ以上は何も言いませんから」

 

 義理は果たしたし、あとは親子の問題だろう。……だよな?

 

「へいへい、わかりましたよっと」

「そう不貞腐れないでくださいってば」

 

 ラーハルトにもこういったことじゃ頼れないしな。というかお前はもう少し関心を示せ。拙くてもいいから嘴を挟め。

 しばらくの間は多少の無作法とて年齢を理由に酌量されるのだから、ある程度は冒険もしてよいと思うのだ。無論、公的な場ではまた別なのだが。

 

「それじゃ気分直しに勝負再開といきましょう」

「異議なし。というわけでオープン! 役は?」

「金貨のフラッシュ」

「……8のフォーカード」

「俺はエースとクイーンのフルハウス。となるとラーハルトの勝ちか。最下位はルー坊だな、シャッフルは任せた」

「了解」

 

 さて次は何をする、と弾んだ声で尋ねてくるライムは、まるで童心に還ったかのように瞳を輝かせていた。こうも屈託なく遊戯を、そして今を楽しんでいる邪気のない様を見せ付けられると、自然とその明け透けな心根を羨ましく思えてしまうものだとしみじみ実感するばかりだった。

 

 

 

 

 

 ある晴れた昼下がり。俺とラーハルトは王都の乗合馬車を利用して移動中の身の上だった。

 季節の移ろいを予感させる乾いた風は寂寥の念を感じさせられ、無言の車内から息苦しさを払拭していた。昔は馬車などとんと利用する機会はなく、馬に引かれた車輪と整備された石畳の擦れ合う断続的な音が耳障りだと不満に思ったものだが、最近ではすっかり慣れてしまったようだ。

 もっとも硬い床板から伝わってくる振動だけはいつまでたっても強敵には変わりない。舗装された王都の大通りでさえこれなのだ、行商人の利用するような碌に手入れのされていない悪路ではどれほどの苦痛となるのか、想像したいとはとても思えなかった。やはり移動は徒歩が一番だ。

 

「たまには城下の大衆食堂に足を伸ばすのも良いもんだろ? 『食』はこの世でもっとも手っ取り早く幸福を得られる営みだと思うんだよ。だとすれば毎日違った幸福を噛み締めたいと思うのは人として当然の帰結」

「……演説も結構だがな、俺たちが店に入った瞬間明らかに空気が固まったし、店主は哀れなくらい冷や汗を流していたぞ。お前が顔見知り相手にも容赦のない人でなしだということがよくわかった」

 

 沈黙だけではつまらないだろうとせっかく話を振ったのに、返ってきたのはけんもほろろな対応、すなわち割と本気の苦言と心底呆れた眼差しだった。

 言いたいことはわかる。白昼堂々魔族(ラーハルト)が店を訪れ、愛想のない顔で料理を注文し、黙々と食事を摂っていれば店員も客も穏やかではいられない。実際、食事中はずっと伺うような視線がまとわりついていたし、周りの連中は息を潜めて口を閉じていた。楽しい昼の一時がまるでお通夜のような雰囲気に様変わりだ、さぞ俺たちは煙たい客だったことだろう。

 

「まったく、どうしてお前はこうも突拍子もないことをするのだ?」

「なに、早いか遅いかの違いだけだ。魔族を国民として受け入れさせるなら避けては通れない通過儀礼でしかない。王城だけが世界の全てじゃないんだ、少しずつ慣れさせていかなきゃいつまでたってもお前は『お客様』のままだぞ。それはまずい」

「その気遣いに対して礼を言うべきなのだろうが、な」

「いらんよ、頼まれた業務の範囲でしかない。それにこれでも楽しんでるんだ、気に病むこともない」

 

 どういうことだと言わんばかりに物問いたげな視線を受け、にやりと笑う。最近はこういったやりとりが増えてきた。

 

「少し昔を思い出した。それが懐かしくてな」

「懐かしい?」

「今回の原因は間違いなくお前の魔族を象徴する外見に起因するものだけど、二年近く前までは俺自身が原因で似たような反応をされてたからな。もちろん楽しい思い出じゃないんだが、どうしてかな……こうして振り返るとおかしな感慨がわきあがってくる」

 

 ラーハルトは俺の要領を得ない説明に妙な目を向けてくる。さもあらんと笑ってもう少し詳細を語って聞かせた。

 そんなに難しい話じゃない。四年近く前、俺はバランの処刑騒動の後、傷の療養を理由に王城に移送された。そこで目が覚めた後、当時立場の弱かったバランに付けられる形でなし崩しに奉職が決まり、そこから一年の間は諸事に謀殺されてほぼ王城に缶詰状態だったのだ。ほとんど実家に帰ることもなかった。

 

 俺がどこで何をしているのかが隠されていたわけではない、だが半ば音信不通に近かったことも合わさり、城下で俺の噂が無責任な形で先行するのも致し方ない状況だったといえる。

 噂自体は取るに足らぬものだと断じても良かった。厄介なのは『本来平民が踏み入れるべきではない貴族の、ひいては王族の政』に年端もゆかぬ小僧が参加しているという、信じがたい事実のほうにこそ多大な問題があった。結果として俺は平民、貴族どちらにも受け入れられぬ土壌を得てしまったわけだ。

 

 ざっくばらんにいえば『コミュニティからの追放危機』である。

 気持ちはよくわかる、俺だって為政者、権力者とつながっているような人間と進んでお友達になりたくはない。そう思える平民は少数派だろう。君子うきに近寄らず、という言葉はまさにこんなときに使われる言葉なのである。

 

「そういった事情もあってな。王城でも城下町でも俺はすっかり腫れ物扱いだった。お前に比べりゃマシだったとはいえ、結構へこんだ時期もあったよ。今となっては笑い話だけどな」

 

 暇を見つけては城下に足を運んだ。

 別にある日突然怪物に変身したとかそんなんじゃないのだ。なるべく城下に足を運んで何気ない会話をかわし、人畜無害をアピールしつつ隔意の解消を図ったり、あるいは職権乱用――もとい仕事の領分を拡大して街の代表者や実力者と新たな関係を築いたりと、『普通に付き合える』関係を構築してきた。

 彼らの畏れは結局『よくわからないモノ』への恐怖だったのだから、俺が多少変わり者であっても、努めて等身大の姿を見せ付けるようにすれば、大抵の溝は埋まっていったものだ。

 

「ま、そんなわけでお前もそう悲観することはない。今は一人で街に出すわけにはいかないけど、そのうちお前が城下を歩いてても当たり前になる日もくるだろうさ。もっともしばらくは俺と一緒に動いてもらわにゃならんけど。俺のことを話半分でも知ってる連中ならそうそう口も手も出してこないからある程度は安心してもらって良い、なにせ治安を守る側が騒動を起こしてちゃ話にならんからな」

「言葉に行動が伴っているのだかいないのだか。お前はもう少し慎重な男だと思っていた」

「自信家といってくれ。これ全て俺の掌の上よ」

 

 ふふん、調子の乗って嘯いてみたらひどく白けた視線を向けられてしまった。相変わらず冗談の通じない奴だと笑いながら続ける。

 

「慎重と臆病は紙一重、これは戦場でも同じことだろう? ケースバイケースというやつだ」

「相も変わらず口の減らない男だな」

「お褒めに預かり恐悦至極」

 

 処置なしとばかりに頭上を仰ぐラーハルトがおかしかった。

 竜の騎士の従者と人魔の混血児。若輩ながらに国の頂点近くに控える俺と、いずれは国家の安全保障を担うであろう卓越した戦士の才を持つラーハルト。さて、俺たちは端から見てどんな印象を抱かせる二人組なのだろうか?

 願わくば――。

 

「今はいいけど、目的地に着いたらもう少し表情を柔らかくする努力をしろよ。子供達を泣かせて困るのはお前なんだから」

「そうはいうがな……。孤児院の視察はまあ良いだろう。お前が希望し、決済を取ったものに俺が付き合うのも、同行の命令が下った以上断るのは不実ゆえ従うのも吝かではない」

「職務熱心な部下を持って俺は嬉しいよ」

 

 ラーハルトが来て初日に決済を取らせた仕事だ、多少は印象深くもあるのかもしれない。内心でそんなことを考えながらしれっと受け答えを成立させていく。

 

「だがな、お前の身上は『適材適所』なのだろう? どうして俺が人間の子供(ガキ)――しかも前大戦で親を失った不遇な境遇にある者ばかりが集まった施設で、よりにもよってこの遊び相手を務めなければならん。お前の真意は何だ」

「不満なのか?」

「混ぜっ返すな。不満ではなく危険ではないかと言っているのだ。人間に憎まれる魔族を孤児の世話役に放り込むなど何を考えている? それこそお前の言う『火種を育てる』事態に発展しかねないだろう、メリットとリスクが釣り合わん。……今更言うべきではないかもしれんが、それでもあえて繰り返そう――何故俺を連れてきた」

 

 この時、ラーハルトは声こそ荒げてはいないものの、その表情には不安と疑問が渦巻いていた。悪いことじゃない、以前より明らかに慎重になっているし『優しく』なっている。格段に細やかな配慮が行き届き、しっかり周囲へと気を回せるようになっているのだ。

 

「確かに人間の中には魔族を恨み、憎んでいる者も多いが、だからといって誰かれ構わず当り散らすには時間が経ちすぎてる。そもそも恨むべきは魔王ハドラーと傘下の魔物軍団だしな、顔も知らぬ相手をいつまでも憎んでいられるものか。大抵の感情は時とともに風化していくもんだ」

「それは一般論だろう、事実例外はいた」

「八つ当たりで済んでたんだからまだマシだったと思うぞ。戦後七年になろうとしている今、当時の無念や憎悪を今に至るまで燃やし続けている相手はそう多くない。逆にいえばそれが出来る奴は本当の意味で怖いし危ない、お前が警戒すべきはそういう少数派だ」

「だから街を練り歩いたり孤児の相手をさせようとするのは問題ないと?」

「群集心理にさえ気をつけておけばそう心配することはないだろう、この意見は何も俺だけのものじゃない。バラン様からも一人では外出するな、なるべく人目のつく場所で生活を送れと申し付けられているだろ? つまりはそういうことだ。まったくの無防備無警戒ってのも困るが、だからといって四六時中神経を尖らせておく必要もないのさ」

 

 そして最低限の警戒さえしておけば、ラーハルトが不意の襲撃者に後れをとるようなこともあるまい。こいつを殺したければ、それこそかつての勇者一行のような、地上でも指折りの実力者を持ってこないかぎり不可能だ。 

 

「なるほど、つまり――」

「思う存分子供達の遊び相手になってやれってことだ。鬼ごっこでもしてやれば喜ぶんじゃないか? ただしお前が本気出すと絶対捕まらないだろうから、ほどほどに手は抜いてもらわないと困るけど」

「武人の技を見世物にするようで気が進まんな」

「『適材適所』だろう? 俺は孤児院が適切に運営されているかの査察名目をきっちり果たす必要があるし、仮に金勘定をお前に任せても結局最後は俺が見直さなきゃならないんだから二度手間だ。来年以降の卒業生の奉公先についても院長さんと相談しなきゃならないし、そっちをお前に任せるのはまだ無理」

 

 力不足だと断じた俺に対し、ラーハルトは激昂するでもなく淡々と口を開く。

 

「卒業生の一人がお前の実家に奉公に出ることが決まった、だったか? それを理由にわざわざ視察を回してもらった男の言い草とは思えんぞ」

「ささやかながら祝いの催しを、ってな。もちろんそれだけじゃないぞ。なにせ親なし子の奉公先として教会や軍の門戸を開かせるために、王家のバックアップを全面的に押し出す案をまとめたのは俺だからな。本来孤児への教育に許されない初等魔法の契約を力ずくで盛り込んだ以上、ある程度の監視の目を入れることと新たな試みの経過観察をきっちり報告するのは必須だ。普段は下の者に任せるにしても、たまには上の人間が顔を見せないと。そのへんの按配は教えただろ?」

「……私益を公益に優先するなかれ」

「そういうこと、お前も杓子定規に考えすぎるなよ」

 

 その言葉の本意は『公益さえ満たせばある程度融通をきかせてもよし』だ。私心をまるっきり否定するものじゃない。つまるところ『うまくやれ』と言っているに過ぎない。

 

「とはいえ、年少組はともかく卒業生は俺やお前より二つか三つ年上だからなあ……。これはこれで心情的に厳しい」

 

 国や地方によって多少の差異はあれど、この世界の子供の就職年齢は早ければ十五、平均すれば十六が一般的だ。そして商家の店先や職人工房で二年から三年の下積み生活を経てようやく一端の扱いを受けることができる。

 当然だが孤児はこの初期段階で一般家庭の子供とは大きく差がつき、なかなか奉公先が見つからない。下手をすれば卒業してもいくあてがなく、ほどなく犯罪者に落ちてしまうなんてこともある。

 

 俺がしたのは王家や貴族の名義を利用し、孤児院に箔を用意するとともに、王都の商組合や職人工房を駆け回って受け入れ枠を願うことでコネを広げさせることだった。そしてある種の社会実験として魔法使いの素質を持つ者を軍に、僧侶の資質を持つ者を教会で受け入れられないかと打診し、予算を工面することに成功した。このあたりはソアラの名が効いたな。

 これで少しでも低年齢層の犯罪率が低下し、治安が保たれれば御の字なのだが、仮に成果が数字となって表れるとしてもそれはまだまだ先の話だ。

 

 これらを踏まえるとラーハルトがいかに優遇されているかがわかるだろう。孤児、それも他国から流れてきた流民というだけでも社会の最底辺扱いは逃れられないというのに、人に憎まれ疎まれる魔族の血を引いてもいるのだ。どう考えても栄達とは無縁の身の上だろう。

 しかし今のラーハルトは王族が後見人につき、やや回り道をしているが近いうちに改めてアルキード騎士団の幹部候補生と迎え入れられることが決まっている。しかも内々の話とはいえ将来的には将軍職――騎士団の団長クラスに就くよう王族に嘱望されてもいるのだ。バラン達の予定通りに事が運んだ場合、ラーハルトの経歴は立派な立身出世物語として世に出しても恥ずかしくないシンデレラストーリーそのものである。

 

 俺の場合は言わずもがな、さらにひどい。齢十三で国家の中枢を担う立場にあり、内務、軍務、外交、貿易、諸事全般それぞれの大臣職に比肩しかねない権限を振るっているのだから開いた口が塞がらないというもの。ホラ吹きが大好きな吟遊詩人ですらもう少しまともな出世物語を紡ぐだろうよ。

 

 戦時ならまだしも平時においてこの状況は異常だ、確実に国の将来に禍根を残す。となればどこかでこの歪みを清算せねばならないのだが、今すぐは不可能だった。それではこれまで無理を押してまで築いてきたものの多くが無駄になる。しかし、いや、だからこそというべきか。大魔王バーンの脅威を退けたその時は――。

 と、密かに十年先、二十年先の青写真を脳裏に思い返していると、どこか不機嫌そうに眉を寄せるラーハルトの顔が目に入った。

 

「ここで年の階を嘆かないでくれ、気が滅入る。俺たちにとってそれは本当に今更なことだろう」

「同感だけど、それでも嘆きたくなるのはどうしようもあるまいよ」

「言うな」

 

 顔を見合わせ、重苦しい溜息を一つ。

 せめてあと五年早く生まれてくるべきだった。それが俺たちの偽らざる本音に違いなかったのだろう。

 共有する苦労話に多少の連帯感が増し、されど決して覆ることのない事実に思い悩むだけ無駄な些事であると断じるまでがワンセット。

 やがて馬車が止まり、大荷物を抱えて歩を進める俺の姿を発見した孤児院の顔見知りから元気よく名前を呼びかけられる。その時には既に俺は営業スマイルを固めることに成功していたのだった。

 

 

 

 

 

 ただいまと掛け声を口にしてから見慣れた扉をくぐる。

 日の傾く夕刻、目に鮮やかな赤が飛び込む刻限が迫っていた。孤児院訪問を恙無く終えたことで本日の業務は終了、心地よい倦怠感に包まれながら馬車に揺られ、ようやっと帰宅の運びとなったのである。

 向かった先は王城ではなくフェルキノの実家だった。そう、件の報告書は翌日に回して良いとのお達しが出ていたため、ありがたく気遣いを貰って実家に一時帰省することにしたのだ――ラーハルトを伴って。

 

 別段緊急の事態となったわけではない。ではなぜかといえば、俺の交友関係を心配している両親を安心させるためである。

 というのも俺は十の頃に王城へと奉公することになったため、同年代の知人友人とは等しく疎遠になってしまったのだ。子供は子供らしく無邪気に遊ぶ姿を見せることが親孝行になるわけだが、俺はそうした当たり前を見せることが出来なくなってしまったわけだ。そして王城には当然ながら俺と年代の近い人間はいない、そのあたりもうちの両親は随分気に揉んでいたらしい。

 

 ――だからといって半魔族であるラーハルトを連れてくるのは我ながらぶっ飛んでるなあ、とは思うけれど。

 

 今回ラーハルトを招待することはあらかじめ二人に伝えてあるし、彼の身の上も簡単にではあるが説明してある。事実二つ返事で了解を貰っているから妙な心配はしなくてよい。

 むしろ意外だったのはラーハルトのほうだった。業務上のことならともかく、プライベートの誘いには容易く乗ってこないはずだと考えていたのだが、さしたる苦労もなく誘いに頷いてくれたのは本当に驚いたものだ。

 

「なんだ?」

 

 俺の物問いたげな視線でも感じ取ったのだろうか? ラーハルトは相変わらず愛想のない顔をしていたが、物腰は随分と柔らかなものだった。こいつはこいつで何か思うところがあるのかもしれない。

 両親はまだ店に出ている時間だ。夕食の食卓を囲うための材料は既に用意していたため、今は中途半端に手持ち無沙汰な時間になっていた。とりあえずということで客人用のお茶をラーハルトに出したところである。

 

「いやな、正直言うとお前がここまで素直なのは予想外だった。ああ、今日のことだけじゃないぞ、俺の下につけられてから今までの『人間』に対しての態度って意味だ。心のうちを上手く隠してるって風でもなく、何ていうかな、うまく折り合いを付け始めてるって感じがするんだ。何か心境の変化でもあったか?」

「貴様に話す義理はない」

 

 そんないつもの調子でけんもほろろにだんまりを決め込まれると考えていたのだが、ラーハルトの言葉には続きがあった。

 

「――といいたいところだが、強いて隠し立てするようなことでもないな。この国に来る前に、バラン様に言われたことがある。それを俺なりに考えていた」

「へえ、どんなことを仰られたんだ」

 

 自分の分のカップに茶を抽出しながら尋ねる。ラーハルトの話には結構な興味がそそられた。

 

「『お前はこれから今まで以上に人間の弱さを知り、醜さに憤り、時にその身勝手さに失望するやもしれぬ。されど願わくばお前が人間を肯定できる男であってほしいと思う。……すまん、私にはそれしか言えぬ。強くなれ、ラーハルト』とな。だから――」

 

 それは遠くを見やる大人びた眼差しだった。

 

「――だから俺は、あれほどまで苦衷に満ちたお顔で語られた御心と、バラン様がこの地で見出した強さの意味を見つけたがっているのだと思う。あの方が辿り着いた場所に俺がいけるとは思わんが望んでみたくはある。つまりはそういうことだ」

 

 ……驚いた。

 喉が詰まり、容易には言葉が出てきてくれない。それでもなんとか空気の通り道を確保し、どうにかこうにか喉を震わせて相槌を打った。

 

「そうか、バラン様がそんなことを」

「ああ。ところで何故貴様は目頭を押さえている?」

「気にしないでくれ、こっちの事情だ」

 

 一言でいうと感動してる。『あの』バランがねえ、とひどく感慨深い思いがこみ上げていたのだ。

 とある歴史ではソアラを殺され、その死を実の父によって蔑まれたことで激昂し、真っ赤な激情に任せたまま一国を塵に変えた男だぞ? それがここまでの懐の深さを見せ付けるようになったのだから感傷も一入だった。

 本当、バランは日増しに全霊の忠を向けるに相応しい仕え甲斐のある男になっていく。そういう意味では俺も結構ラーハルトの気持ちがわかるというか、随分と近い立ち位置にいることを意識せざるをえなかった。そんな共感を抱かれていると知ったら、やっぱりラーハルトは怒るだろうか? 『一緒にするな、俺のほうが忠義高い』とでも言って。

 

 なんとはなしに黙り込む。ラーハルトは喋りすぎたと少し照れている様子で、俺は俺で過去に端を発する幾つかの思い出が脳裏をかすめていて、結果として二人で沈黙に身を委ねていたのだった。

 来客を告げられたのはそんな時だ。アクションの生じにくくなっていた内部からではなく、突然の外部からの強制刺激だったせいだろう、急激に時の濁流が襲い掛かってきたような錯覚に苦笑を零しながら応対に出る。

 

 家業として客商売をしているため、昔から人の出入りの多い家だった。だから昔ながらの気軽な調子で玄関の扉を開き――そこで予期せぬ相手を目にして立ち尽くす羽目になった。

 そこにいたのは一人の男だった。

 男性にしては長く艶やかな長髪はふわりと柔らかで、くるりとカールさせた様はどこか愛嬌を感じさせるもの。薄いレンズの向こうに垣間見える双眸も柔和でありながら抑え切れぬ理知の光が宿り、整った顔立ちが後押しとなって一介の旅人とはとても思えない。。

 さらに視線を動かせば、旅装束に包まれた身体は細身でありながらも絞り込まれた長年の鍛錬を思わせるものだった。その反面、粗雑さなど欠片も見せず、清冽な雰囲気を醸し出しつつ涼やかな威を両立させるという、もはや奇跡というほかない絶妙なバランスを体現した人である。

 

「はじめまして、ルベア君。いえ、ルベア殿とお呼びするべきでしょうか。なにはともあれ無事にお会いできてよかった。ああ、申し遅れました、私はアバン・デ・ジニュアールⅢ世と申します。以後、お見知りおきを」

 

 心臓に悪いと掛け値なしに思う。そんな俺の驚きを斟酌しているのだかいないのだか、若々しい(かんばせ)に人好きのするにこにことした笑みを浮かべたその人は、実に嬉しそうな様子で丁寧に挨拶を口にした。

 今、俺の目の前に、かつて魔王ハドラーを討ち果たした英雄、地上に平和をもたらした勇者その人が立っている。

 突然の来訪に混乱し、かの人の涼やかな佇まいに気圧された。その現実を受け入れるのに数瞬の時を必要としたことを否定しない。とはいえいつまでも呆けていては話が進まないし、なにより失礼だろう。そう思い至ることでどうにか再起動を果たすのだった。

 

「お会いできて光栄です、アバン様。遠路はるばるお越しいただき、まこと感謝にたえませぬ」

「んー、そう畏まられると困ってしまいますね。お手紙に記した通り、私のことは流れの旅人と扱っていただきたいのですが」

「ではアバン殿と。それでよろしいでしょうか?」

 

 ベリーグッドですと嬉しそうに頷く姿に思わず眦が下がってしまう。

 なるほど、怖い人だ。一言二言を交わしただけに過ぎないのに、もう俺の警戒心が引っ込み始めている。それがなにより恐ろしいと戦慄にも似たさざなみが心を乱す。

 そんな内心の分析もひとまず脇に置き、苦笑を浮かべてちくりと苦言を呈すことにした。

 

「あなた様の功績を省みれば、本来は国家の賓客として遇すのが筋。しかしながら政からは一線を引きたいとの申し出がありましたので、『ジニュアール』の名を継ぐ学者先生として招かせていただきました。必要とあらば我が主ともども城下に足を運ぶ用意がございますが、今はどちらの宿に?」

「『薫風の宿木亭』にお世話になっています。ですが、わざわざご足労いただくのは不敬というものでしょう。旅人であれ学者であれ、貴人と拝謁するならばこちらから出向くのが道理。数日は城下に滞在するつもりですし、明日あたりお城の兵隊さんに取り次ぎ願おうかと考えていたのですよ」

 

 確かに勇者の肩書きを使わない以上は俺たち、特に王族(バラン)が出向くのは不自然だしアバンの側の失策、不敬にあたる。だからといって額面通りに処理するには相手が大物すぎるのも事実だった。なにせ勇者アバンといえば今でも各国が諸手をあげて自国に迎え入れたいと願う大人物なのだ、その影響力は無視するには大きすぎる。どの国であろうと最上級の礼で接するのが当然の対応だった。

 ともあれ明日朝一でアバンの到着と『上』への取次ぎを約束して事なきを得、ほっと一息つく。それから折角訪ねてきてくれたのだからと、粗茶でもどうかと水を向けた。というのも、だ。

 

「君のご両親が経営しているお店を訪ねたら、思いのほか話が弾んでしまいましてね。仕事の関係でご子息と会う予定があるのだと告げたら、今日はこちらに帰ってくるので先にお会いになったらどうですか、と実に親切にしていただきました」

 

 こう言われてしまったからには、用が済んだからとて「はいさようなら」と玄関先で辞去を願うわけにはいかないだろう。というか両親の紹介がなくてもそれはあまりに非礼というものだ。

 

「ところでアバン殿、その花はどうされたのです? ご婦人に贈るには数と種類が噛み合わないと思うのですが」

「お察しの通り、これは墓前に活けるような葬祭用の花です。あなたのご両親から息子は祖霊を大変信心深く敬っていて、実家に帰るたびに祖父母の姿絵に祈りを捧げているのだと聞き及びましてね。そこで突然訪ねるのだから一献奉じるべきかと慌てて用意してきたんです」

 

 またしても冷や汗ものの答えだった。知らず背筋が寒くなるも、それを押し隠すことにどうにか成功する。……成功したと思いたい。

 よっぽど話し上手で聞き上手な人なのだろう。うちの両親も偏屈さとは無縁な人柄をしているが、初対面の相手にこうも無防備な対応を取っているのだから相当だ。別段この人と対立する意図も理由もないが、間違っても敵には回したくない相手だと切実に思った。

 

「ま、そんなわけでして、迷惑でなければ手を合わさせてもらいたいのです。お願いできますか?」

「もちろんです。アバン殿のような方にそこまでしていただけるなら亡き祖父母もあの世で喜ばれましょう。ご案内します、こちらへどうぞ」

 

 途中で部屋に残っていたラーハルトにも声をかけ、祖父母の生前を描いた姿絵が置かれた小部屋へと移動する。ラーハルトもアバンに何か感じ入るところがあったようで、わずかの間ではあったが明らかに好戦的な感情が発露していた。……強者の勘でも働いたのか?

 一方のアバンはといえば、あからさまに魔族の血を引くラーハルトを見て驚くでもなく、何故か納得したかのように深く頷いていたのである。これはこれで反応に困るというか、真意の見えない所作に俺のほうが困惑する有様だった。

 ともあれ互いの自己紹介も波乱なく終わったのだからよしとしておこう。ぎくしゃくするよりはずっと良いはずだ。

 

「ここです。すぐに花を活けますのでしばしお待ちを」

 

 準備はすぐに整い、皆、無言のうちに膝をつき、厳かに祈りを捧げる姿勢を取った。姿絵に描かれているのは二人、そのうち祖父との思い出は幾つか思い出せるが祖母の思い出はない。なにせ俺が物心つくまえに逝去しているのだ、記憶に残っているはずもなかった。

 

 祖父は身分も高くなかったため、一生を軍務に捧げたとはいえ華々しい経歴を持っているわけではない。平時は軍需物資を扱い、王都と砦をつなぐ輸送兵としての役割が主だったものだった。だが、後方支援を担った祖父も魔王ハドラーが巻き起こした一大戦役のなかで否応なくモンスターとの戦いに身を投じ、そして帰らぬ人となった。職務に殉じての死だ、誰を恨むでもない。祖父を手にかけたモンスターも討伐されているとなればなおさらだ。強いていえば戦役そのものを憎むべきなのだろうな。

 

 そんな祖父と並んで描かれている祖母も、取り立てて派手な人生を生きた人ではなかった。だからといって卑下するようなものではない明らかだ。親から受け継いだのれんをしかと守りぬいた一生だ、誇って良いと思う。

 波乱万丈といえたのは若かりし日、婿養子に兵士として奉職していた祖父を迎え入れたことくらいだろう。当時家族やご近所の間ではそこそこの騒ぎになっていたと聞く。黒髪をきっちりとまとめあげ、その表情にも芯を感じさせる。人当たりの良い人ではあったが肝の太い豪放な一面は祖父と似通っていたようで、結局似たもの夫婦だったのだろうと思う。

 

「ルベア君、つかぬことをお聞きしますが、この姿絵はいつごろ描かれたものかわかりますか?」

 

 唐突な質問を口にしたのはアバンだった。横目に伺った彼は若干目を細めるように姿絵を眺め、けれど俺の視線に気づくとすぐにもとの優しげな顔つきに戻る。

 少し、取り繕うのが遅かった。訝しんでいることを隠し切れていなかった。そんな小さな綻びにやたらと安堵している俺がいる。あまりに遠くにいる人が少しだけ手の届く場所に降りてきた、あるいはもっと単純にこの世に完璧などないという証左が嬉しかったのかもしれない。

 それほどまでに俺はこの人を恐れていた。――畏れて、敬って、慕わざるをえない魅力を眼前の男が有していることを自覚するゆえのことだ。

 

「詳しい成立年までは存じ上げておりませんが、祖母の生前に描かれたものらしいので、少なくとも今から十五年以上は昔のことでしょう」

「そうでしたか。見事な筆使いに思わず見入ってしまいました」

「十把一絡げの画家が描いたにしてはよい出来だろう、とよく父が話してくれます。アバン殿は芸術にも造詣がおありで?」

「浅学ですが多少の心得はあります。まあ下手の横好きというやつでしょうね」

「ご謙遜を。一目見ただけで『後から書き加えられた違和感』に気づいてしまうのですから賞賛を贈るほかありますまい」

 

 痛いほどの沈黙が舞い降りた。

 一人成り行きを把握しきれていないラーハルトが顔を顰めたのがわかったが、ひとまずは後回しにしておく。もしかしたら何も気づかなかった自身に苛立っているのかもしれないが、人間に追い立てられ、人里離れた僻地で暮らしてきたラーハルトにこの手の知識や洞察を期待するのは無茶だろう。

 というか普通は気づかんよ。『一度完成した作品に後から手を加えた形跡』なんて微妙なもの、気づくほうがどうかしている。俺だって細心の注意を払い、間近で睨めっこしてようやくわかったことだぞ。だというのに、アバンは遠目に一瞥しただけでそれをなしてしまった。まったくどういう観察眼を持っているんだか。

 

「お気になさらないでください。生前の祖母はそこに描かれた私のような黒髪ではなく、父と同じ日差しに透けるような綺麗な茶の色彩をしていました。それを知ったのも私が五つの頃。今更傷つくような衝撃にはなりませんよ」

 

 いや、ほんと可愛げのない子供だったと思うよ? もっとも絵のギミックに気づいたのは、周囲の大人たちがふと漏らした言葉を聞き知ってから改めて確かめて判明した事実だけど。

 人の口に戸は立てられないということだ。うちは客商売、口止めをするにしたって限度がある。大人は見た目が子供だというだけで侮る、ましてそれが幼児ならばなおさらだろう。

 つまり俺が『それ』に気づいた順序はアバンとは逆で、まず事実を知ってから傍証として肖像画の細工を確かめた、という形になる。

 

「おい、どういうことだ」

 

 たまらず口を差し挟んできたのはラーハルトだった。我慢が限界にきたというよりは混乱から思わず口をついて出たといった感じだ。俺とアバンの視線を集めたことに気づいてやや面目なさそうな顔をしている。だからついてこれなくても気にすることはないって。

 別段引っ張るような話題ではないので、軽い口調で事の核心を詳らかに語る。

 

「大したことじゃない。要するに俺は拾われ子で、この家の誰とも血がつながっていないってだけなんだから」

「……それは本当なのか?」

「こんな時にまで嘘はつかん」

 

 十三年前、寒空に放り出された俺を拾ったのが当時恋人関係にあった現在の父と母だ。俺というそこそこの年齢にある子供がいながら、二人が未だ三十才に届かないのもそういう経緯があったためだ。今になってもフェルキノ家の第二子――本来の意味での第一子が誕生していないのは俺が理由だったのかと思い悩むこともある。あるいは、もしかすると母の側に産めない事情があるのかもしれないと推測は立てているが、真実は二人だけしか知らないことだった。

 

 いずれにせよ彼らは俺を実の子として扱い、育てることを決めたのだ。しかも俺が親に捨てられた哀れな子供だと気づかぬよう腐心し、愛情をこれでもかと注いでくれた。そうして『俺の黒髪は祖母譲り』とまで吹き込み、親の肖像画に手を加えるなどという暴挙に近い決断までしてくれたのだ。それほどの志を知ってどうして無心でいられよう?

 

 ――だからこそ、俺は彼らに恩返しをしたい。暖かな家庭を与えてくれた一家に、たくさんの『ありがとう』を返したいのだ。

 

「……ご両親は『あなたが知っていること』を知らないのですね?」

「ええ。俺が拾われ子であり、俺自身がその事実に気づいていると承知しているのは、バラン様とソアラ様、そして陛下だけです」

 

 バラン処刑の場に介入し、調査の手を向けられた時点でこの事実が明るみになってもおかしくはなかった。だが、両親が俺に知られることを厭い、涙ながらに寛恕を願ったらしい。そしてソアラ達も口を噤んだことで、結果として俺が捨て子だった事実が広まることはなかった。

 

 少々生臭い話をするならば、あの当時それを公表しても王族側にとって何もメリットがなかったことがあげられる。握りつぶすのは当然といえば当然なのだ。

 同じ平民といっても『王都の裕福な一家の息子』と『親に打ち捨てられた孤児』では風評にも雲泥の差が出る。ましてあの当時、バランもソアラも立場が弱かったのだから、俺を利用することに決めた陛下からすれば不都合な事実を葬り去ることに何らの躊躇もなかっただろう。

 

「もっとも両親も薄々察してはいるようです。多分、慣例として奉公に出る年齢を迎えれば全部話してくれると思いますよ。それまでは父や母の好意に甘えようと思っています。そういった次第ですので、時がくるまで今の話は聞かなかったことにしていただければ助かります」

「それはもちろんそうさせていただきます。……しかし参りましたね、少々踏み込みすぎてしまったようです」

「半ば自分から話したようなものですから、アバン殿が気にやむ必要はこれっぽっちもありませんよ。吹聴しないと約束していただいただけで十分です。――勿論ラーハルトも。お前もそれでいいよな?」

「無論だ、他人の身の上を軽々しく口にする趣味はない」

「サンキュ」

 

 これにて一件落着と大手を振って言うにはいくらか不足があるとしても、同様にこれ以上膨らんでいくこともないだろう。元よりアバンは人格者だしラーハルトも根は善人だ、他人の過去を突ついて面白がるような悪癖は持っていない。

 

「配慮に欠けた物言いに終始してしまった由、慙愧に堪えません。ついてはルベア君、先の非礼を詫びる機会を私に貰えませんか?」

 

 だからといって、こうも下手に出られても困り果ててしまうのだが。

 この人はかつて地上を救った勇者であり、けれど今は公職を持たぬ中途半端な立場にある。つまりひどく扱いが難しい立場なのだ。公務のうえでは(へりくだ)りすぎてはいけず、さりとて恩義と心情を加味すれば頭を垂れずにはいられない。為政者側から評すのならば、さっさと何らかの役職を拝領してくれと悲鳴をあげたいくらいだろう。……これも明日の課題だな。

 

「アバン殿、どうかそのように仰らないでください。先に申し上げた通り、あなた様が気になさるようなことではないのです。それに今となっては外に漏れてもさして影響の出る案件ではありませんゆえ」

「ふーむ、親切の押し売りに目を瞑ってしまえば割とお得だと思うんですがねえ。たとえば明日、私に便宜を図れと申し付けてもらえればそれなりに力になりますよ?」

「押し売りの自覚はあるのですね」

 

 今度こそ溜息が出た。この人が善人であり、類を見ない人格者であることに否定を唱える余地はない。だが、それでいて食えぬ人であることも確かな事実だと改めて突きつけられた思いだ。探りを入れているというほど露骨ではない、しかしこちらの思惑と人となりを計られているのは間違いなさそうだ。

 ガンつけされないだけマシなのかね? 荒っぽい洗礼をぶつけてきた現部下もいることだし、と避けえぬ通過儀礼に妙な思いが込上がるばかり。偉人や権力者に試され、胃が痛くなるような繊細さとは無縁な性根を持ち合わせてよかったと心から思う。センチメンタルな心根など幾年幾十年の昔にどこぞかへと投げ捨ててしまったため、もっぱら行方不明と評判だ。主に俺の中で。

 

「お返事、貰えます?」

 

 ウインクの似合う成人男性というのは実に貴重だと思う。そのひょうきんな振る舞いに和んでしまうせいか、問答無用で許せてしまう空気を纏うのだからずるい。

 だから俺も、これ以上ないほど朗らかに笑み崩れることで答えとした。言葉などおまけのようなものだ。

 

「その儀はご無用に願います。どうぞお忘れなさってください」

「それでよいのですか?」

 

 よいに決まってる。自身の口の端が釣りあがり、やがて浮かべた笑みは不敵なそれへと変貌を遂げていく。

 そうでなければ、と思う。そうであらねば、と思う。慈悲を乞うのは俺の趣味ではなく、また長い付き合いを通して友誼を育みたい相手だと認識するならば、理と利だけにとどまらぬ相応の振る舞い方というものがあるはずだ。

 

「申し上げます。そも降って湧いた幸運に頼らずとも、私はあなたを正面からきっちり口説き落とすつもりなのですよ。これより道を交えんと意気込んだ矢先に、さてもつまらぬ枷を嵌めるはあまりに興醒めというもの。アバン殿は風流を解すお人柄と伺いました。なればここで私の楽しみを奪うはあまりにご無体でございましょう?」

 

 『それなり』では足りない。この先の激動を乗り切るためには何をおいてもこの人の協力が必要だ。だからこそ『こちらが欲しいのはあなたの本気の合力なのだ』と暗に込めて言い放った。

 視線が交差し、思惑もまた交錯する。今後の判断材料を交えて並べる品評会を経て、此度の沈黙は長く続くことはなかった。先に表情を崩し、緊張を解いたのはアバンが先だ。その答えもまた、俺の意図を正しく汲んだものだった。

 

「ふふ、君という人間が少しだけわかった気がしますよ。明日はどんなお話が聞けるのかと楽しみになりました」

「私にはあなたの腹の内がまったく見えませんけどね。どうかお手柔らかに願います」

 

 お互い様ですよ、とやはり人好きのする気持ちの良い笑い方で前哨戦にも似たステージの幕を降ろす。そのままの泰然な面持ちでそろそろ夕餉の時間だろうと口にし、非の打ち所のないタイミングで辞去を口にした。

 実際、そろそろ下準備を済ませないとまずい。それでなくても問題を抱えた『お友達訪問と夕餉を囲った団欒』が待っているのだから、これ以上の不確定要素は歓迎できなかった。

 ……まあアバンも夕餉を共にしたほうが談笑が弾むことは間違いないのだろうけど。しかしながらそこまで図々しくなれる人間ではないのだろうし、このタイミングで宿に戻るのは妥当としか言いようがない。俺も引き止めるような真似はしなかった。

 

「そうそう、明日はそちらの少年、ラーハルト君といいましたね。彼にも同席してもらいましょうか。そのように私が希望していたとでも伝えておいてください」

 

 だからこう――去り際に強力な爆弾を放り込んでいくのは反則ではないだろうか? 実はこの人、相当性格悪いのではなかろうか、という割と洒落にならない疑惑が俺の中で固まった瞬間である。

 頭脳明晰であることは疑いなく、そうでありながら常に飄々としていて底を見せない。だというのに誠実さを疑われにくい人柄とくれば、これは心底羨ましいと妬むに十分だった。いや、ほんと羨ましい。

 

「……ご提言しかと承りました。万事恙無く取り計らせていただきます」

 

 ごくりと唾を飲み込み、どうにかそれだけを口にすることが出来た。

 

「わずかながらの尽力に過ぎませんが、それをもって先のお詫びとさせてください。無作法に見合うだけの埋め合わせになっていれば幸いです」

 

 この男、やはり意地が悪いのではないだろうか?

 

「十分すぎるほどのご厚意に言葉もありません。正直、あなたがどれほどの目と耳を有し、どれほどの高みから遍く地上を見下ろしているのかと不安になりますよ」

 

 その明晰な頭脳、その精緻な思考力、その俯瞰する天眼。それらことごとく全霊の尊敬に値する。この人は俺がどんなに望もうとも届かない地平にいるのだ、だからこそ手を伸ばしたくなるのが若さというものだった。

 これはラーハルトの無謀を笑えたものじゃないな、俺の中にもまだこれほどまでに身の程知らずな炎が残っている。

 

「――俄然、やる気が出て参りました。私は明日、あなたをこの舌鋒にて思うがまま打ち据えることでしょう。どうぞお覚悟召されますよう、アバン『先生』」

「おやおや、今度はこちらが加減を要請する番かもしれませんねえ。あまり脅かさないでもらいたいものです」

 

 稚気と畏敬を込めて先生と呼ぶのはこれが最初で最後になるだろう。アバンがアルキード王国に腰を落ち着けるならば彼を上に置いて敬うのも良いだろうが、おそらくそうはなるまい。だからこれは今だけの幻――そしてアバンを師と呼ぶのはかつて遠い世界を生きた身だからこそ抱く密かな夢だった。本懐である、なればこそ十分だ。

 これ以後は感傷も無用、竜の騎士並びにアルキード王国に仕える人間として、この男をきっちり口説き落とすのが俺の仕事なのだから。

 

 ――お覚悟を。

 

 もう一度繰り返したそれは声に出さずともしかと自身に刻みつける、このうえなく鮮烈で明快な言霊へと昇華したものだったと自負している。

 時が過ぎてアバンが去り、両親が合流した後も、かくも昂揚に浮き立ち静まらぬ心を、今回ばかりは抑えつけようなど微塵も考えず――さて、その未熟、俺は誰に詫びるべきだったのだろうか?

 

 

 


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