ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第09話 成るは盟約、示すは標

 

 

「こうして一同が会する機会を得たこと、実に喜ばしく思います。発起人の責に則り、会談の進行は私、ルベアが務めさせていただきます。ではまず出席者の紹介から――」

 

 大仰な催しを厭ったアバンと、この会談の重大さを重々理解しているアルキード側の思惑が合致し、世界を救った元勇者を招くにしてはひどくこじんまりとした部屋に俺達の姿はあった。

 出席者は客人のアバン、発起人の俺、そしてバラン夫妻の四人。番外として警備の名目でラーハルトが控えている。ただし彼は会談の席に加わらず、出入り口を固めるように直立したまま警戒に当たっていた。

 今のラーハルトをこの場にねじ込むのはこれがぎりぎりの妥協ラインだ。さすがにバランやソアラと同じ格で座らせるわけにはいかない――むしろ俺だって場違いなくらいだろう。これなら立ってたほうがまだマシだ。

 

「お初、お目にかかります、バラン殿下。本日はよろしくお願いします」

「よく来てくれた、アバン殿。今日という日を指折り数えて待つ毎日だった。こうして顔を合わせることが出来たこと、まさに祝着よな」

「恐れ入ります」

 

 勇者アバンと竜の騎士バラン。

 互いに年齢は二十代前半、タイプは違えど共に見目良く、剛柔兼ね揃えた重厚な気配を漂わせる出来人だ。しかも実績もとんでもない。片や魔王ハドラーを倒して地上に平和を取り戻し、片や冥竜王ヴェルザーを下して地上侵略の危機を防いでいるのだ。これほどの大人物が談笑を交わしているのだからすごいの一言。

 まさしく歴史的瞬間というやつだろう、映像に残しておきたいくらいだ。無論、俺の姿は後に編集して抜いてしまうこと前提で。

 

「ソアラ様もお久しぶりでございます。不精にてご挨拶が遅れました由、まことご容赦の程を願います」

「そんな寂しいことを仰らないでくださいな。我らアルキード王室並びに国民一同、先の大戦を終結に導いた勇士らの奮闘を忘れてなどおりません。礼を尽くすはこちらですよ、アバン様」

「勿体無いお言葉です」

 

 旧知、というほどソアラとアバンに交流があったわけではない。アバンが魔王討伐の旅に出ていた当時、この国をアバン一行が訪れた際に遠目にて挨拶を交わしたことがあったとのことだ。

 むしろこの二人は間接的なつながりのほうが大きいのかもしれない。なにせ――。

 

「ところでアバン様、故郷から足が遠のいて長いのですか?」

「恥ずかしながら仰るとおりです。困りましたね、ソアラ様のお耳にまで届いていましたか」

「フローラ女王がしきりに気に病まれているご様子だったのでもしや、と。殿方には殿方の考えがお有りになりましょうが、華やかさの影で涙をこらえる気丈な(ひと)がいることも忘れないであげてくださいね」

「しかと。御身の芳情、ありがたく受け取らせていただきます」

 

 歳が近いこともあり、アルキード王国王女ソアラとカール王国女王フローラの間には、友人といって差し支えないだけの暖かなつながりがある。

 フローラはソアラより二つ年下とはいえ、即位して女王の冠を担っているため、公的には王女の位にあるソアラよりも立場が上だ。しかしプライベートでは年齢相応の付き合いを続けているらしい。お互い忙しい身の上であり容易に時間を確保のは難しいものの、それでも時折顔を合わせて旧交を温めていた。

 おそらくその折にでもアバンの名が出たのだろう。ソアラの言葉にはどこかアバンをからかう軽快な響きがあり、アバンも痛いところを突かれたとばかりに苦笑を浮かべて頬をかいていた。

 

「ルベア君とラーハルト君は昨日に引き続き、ですね。今日はよろしくお願いします」

 

 こちらこそお願いしますと返す俺。無言のまま会釈するラーハルト。

 ほどよく順調な滑り出しにほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 アバンを招いた――正確には世界を放浪している元勇者を捕まえた経緯は実に単純だ。かつて魔王ハドラーを討伐した勇者一行のうち、行方の知れている二人――戦士ロカと僧侶レイラの夫婦が暮らすネイル村で網を張り、そこでアバンと接触しようと考えたわけだ。もっとも網はネイル村に限った話ではなく、テランやベンガーナ、ロモス王宮のように、直接アバンの素性を知る王族(ツテ)には俺が彼と会いたがっていることを伝えるよう頼んでおいたわけだが。

 

 ちなみにそれらの連絡役にもっぱら利用させてもらったのがディーノ捜索隊の人間であり、その後も彼らを仲介に細々と勇者一行との関係を維持してきた。もっとも俺はロカやレイラ、アバンと直接顔を合わせたことはない。

 パプニカ王宮の相談役を辞して後は隠居してしまった魔法使い(マトリフ)や、魔王討伐以後は人里離れた山奥に篭ってしまったという武闘家(ブロキーナ)はいわずもがな、こちらは所在の確認さえ出来ていない。

 

 もっともマトリフは時折ネイル村を訪れているようだ。ただしこちらの兵が不在の時を見計らっているかのようにニアミスを繰り返している。絶対狙ってやがるな、というのが俺の見解である。

 まあ仕方ないか。戦後、請われて仕えることにしたパプニカ王宮で家臣団の反発に遭い、そこでよほど嫌な思いをしたのか、人間嫌いにプラスして権力者にもうんざりしてるようだからな、あの老人。同じく体制側であるアルキード王室からの使いと聞けば逃げたくもなるだろうさ。

 

 マトリフに代表されるように、今現在、勇者一行は基本的に公権力から離れていた。ブロキーナは元々求道者のような生活を送っているようで滅多に人里に下りてこない。これは昔からそうだったらしい。

 元カール王国騎士団長だったロカは、アバンと共に魔王討伐の旅に出る際に役儀を返上した。時のカール王国王女、現カール王国女王フローラは、大戦終結後改めてロカに騎士団長復帰を打診したが、ロカはこれを丁寧に辞去している。

 

 それは戦火の広がる真っ只中、国防の第一線を預かる騎士団長という重職を放り投げてまでアバンと共に厄災の根本的排除、すなわち魔王討伐の旅に出たことを気に病んでもいたのだと思う。だが、それ以上に彼はもはや激務をこなせる身体ではなかったことが最大の理由だろう。

 

 ロカは勇者一行の切り込み役として常にパーティーの先頭に立ち、その身を盾に仲間を守り、敵を討とうと奔走した。そうして見事勇者の道を切り拓き――その代償としてあまりに深い後遺症を患ってしまった。度重なる戦傷や毒、呪い。肉体の酷使は限界を超え、回復呪文や薬草の類でも癒せる範囲を超えていたのである。生命力を振り絞りすぎたゆえの肉体機能の低下だ。

 

 もっとも限界を超えた戦いの連続はロカに限った話でもなく、たとえばマトリフとて仲間を守るために禁呪と呼ばれる外法の類を乱用したことで寿命を縮めていた。つまるところ魔王ハドラーを打倒したアバン一行の道程は、並外れた艱難辛苦の末の快挙だったというある意味で当たり前の、そして残酷な現実であったといえよう。

 

 故にソアラの口から弔意が零れ落ちたとしても、それは何ら不思議なことではなく――。

 

「ロカ様のことは残念でした。叶うならば直接この身の頭を下げ、尽きぬ御礼を連ねたかったと今でも思います」

 

 ロカの訃報を受け取った誰もが胸の痛みとともに『早すぎる死』と嘆いたことだろう。

 ハドラー戦役の後、ロカはカール王国に在する生家からレイラの故郷であるロモス王国のネイル村に引越し、そこで療養の日々を過ごす。ハドラーとの決戦前に誕生していた娘、マァムも健やかな成長を見せ、父としてもこれからというときに不幸が襲った。流行り病にかかり、おそらく免疫機能も弱まっていたのだろう、合併症を患いそのまま回復することなく亡くなってしまったのだ。

 本当に残念だ。俺としても一度は会ってみたかった。

 

「暖かな弔意のお言葉を感謝します。ただ、こういってはなんですがロカは真っ直ぐすぎて少々無骨な男でしたからね。ソアラ様のような見目麗しいご婦人に幾度も頭を下げられては、そうそうに身の置き所がなくなって逃げ出してしまったやもしれません」

「まあ、アバン様ったら」

 

 我がパーティーきっての朴念仁でしたからねぇ、とひょうきんな仕草でおどけるアバン。続けてその分だけ裏表もなく、本当に気持ちの良い仲間だったとすかさずフォローを入れながら、アバン自身故人を懐かしんでいるようだった。

 

「ロカ殿は細君との夫婦仲も仲睦まじいものだったと聞いている。良き戦士であり、良き夫でもあったのだな。私も子を持つ親としてかくありたいものだ」

 

 故人を偲ぶ切なさに湿った空気に浸りながらも、和やかな談笑の声が小さな室内を柔らかく揺らしていた。

 バランはどちらかといえば家庭人としてのロカよりも戦士としての力量に興味津々だったように思う。以前、機会があればその戦いぶりを事細かく尋ねてみたいと口にしていたからだ。基本的に単独で動いてきた竜の騎士としては『仲間を守り、パーティーの盾となる』戦い様が新鮮なのだろう。

 ただしバランは竜の騎士であり、単騎にして天地魔界最高クラスの戦力を誇る。そんな男が背を預けるに足る実力者など、そうはいないのが現実なのだが。……いやいや、そんな恐ろしい実力持ちがぽこぽこ出てくるほうがやばいな、と即座に思い直したものだ。

 

「ソアラ様――」

 

 と、その時、アバンが居住まいを正し、深く頭を下げた。

 

「ロカの療養のためにと、ロモス王宮から辞退した褒章代わりに上質の薬草や滋養に富む作物が定期的に贈られてきました。私はもちろん、マトリフ、ブロキーナ、なによりロカとレイラもアルキード王国のご芳情には大変深く感謝しております」

 

 顔をあげたアバンの声はなおも続く。

 

「アルキード王国は薬草の一大産地、ロモス王国では中々お目にかかれぬ上質な品も用意できましょう。それを篤志と銘打ってシナナ様を通じ、ネイル村に届くよう『配慮』することも。遅くなりましたが、亡きロカ、そして彼の妻レイラに成り代わり、この場にて御礼申し上げます」

「アバン様、それは……」

「彼らを慮る御心はありがたく、しかし我らを忘恩の徒にしてくださいますな。……こうして内輪の席を用意してもらえて助かりました。遠慮なくお礼が言えるというのは良いものです」

「……わかりました。ならばその感謝はそちらに控えるルベアにお願いします。元々は彼の発案によるもの、私は名を連ねたに過ぎません」

「そうでしたか、では改めまして――」

 

 アバンは一度席を立ち、バランとソアラに一度、そして俺に向かっても恭しく頭を下げ、口上を述べる。ぴんと伸びた背筋が清涼感を抱かせ、一片の淀みない綺麗な動きに圧倒される思いだ。

 ……見事な所作だった。そう、その様はまさに真摯という以外に表現のしようがない、文句のつけようのない作法に則ったものだったからだ。ありていにいって、礼法の見本のような立ち居振る舞いだったのである。

 

 まあ、ロカへの支援に関する動機は割と不純なものだけに、こうして丁寧に礼を述べられてもちょっと罪悪感があるのだけど。

 第一にロカの窮状が回復すれば来たる魔王軍の襲来に心強い手札が増える。それが達成できなくとも、先の大戦の功績に報いることを口実にアバンとつなぎを取る一手にもなりえたため、陛下にもお伺いを立てて積極的に形式を整えたのだ。

 そうやってソアラの名でシナナに話を通し、アルキードの、ひいては俺の意向をネイル村まで届かせるための一手が結実したことで、今、こうしてアバンと席を囲む機会をめでたく実現させたというわけである。

 

「私も改めて明言させていただきます。アバン殿の仰る芳情は、先の大戦における功にわずかでも報いらんと志された王家のご意向です。『恩義に感謝を示したのは王家』であり、あくまで返し切れぬ恩を返そうとしたに過ぎません。どうか考え違いをなさってくださいますな、これ以上の恩義と義理の螺旋はいりませんよ」

「これよりは情実とは切り離して考えよ。そういうことですね」

「はい。私はアバン殿に宛てた手紙のなかであなたの力添えを請いました。そして先日、アバン殿は取るに足りぬ口実を理由に協力の意思があることを伝えてくださった。ならば我らは建設的なお話が出来ると確信しています」

「ふむ。……バラン殿?」

「そう気を遣ってくれなくて構わぬよ。まずは二人で話を進めると良い、なにせアバン殿を招くことに最も熱心だったのはそやつなのでな」

「了解です。信頼されているのですね、ルベア君」

「常日頃からお二方のご厚情に甘えさせてもらっています。だからこそこんな若造が大手を振って権勢を誇っていられるのですけどね」

 

 畏れ多いことです、と肩を竦めてから。

 ふっと空気を入れ替えるように真剣な面持ちでアバンと相対する。

 

「最初に断っておきます。私は――いえ、アルキード王国はアバン殿の士官を願いません。お力添えを請うことはしましたが、それはわが国に仕える形を想定してはいないのです。ここまではよろしいでしょうか」

「もちろんです。それを聞いて安心しました」

 

 言葉通り、アバンは心底ほっとしたように息をついた。演技ではない。

 

「それは戦時の英雄が平時の政に関わるを良しとしないため、ですか?」

「ええ。確かに私は魔王を打倒しました。しかしそれは世の安寧を願ってのもの、栄誉栄達を望んでのものではありません」

「欲のない事です」

「いえいえ、そんな大層なものではありませんよ。私はこの通り、風来坊をしているのが性に合っているだけなんです」

 

 大袈裟な身振り手振りを交えて嘯くアバンは、しかしすぐに困ったように眉根を寄せると、多聞を憚るように声音を重くして続けた。

 

「ですが、そうなるといよいよもってキナくさくなりますね。君は私に今一度『勇者』の肩書きを望むのですか?」

「それを口にする前に、まずは私達の認識を摺り合わせませんか? 説明を必要とする人間もこの場にはいますし」

 

 説明いらずなのも大変結構なことだが、それだけでわかるのは事前情報を把握しているものだけだろう。バランやソアラはともかく、この場にいるもう一人には不親切すぎる。

 そう考えてちらとラーハルトに目を向ける。彼は自身が会談の添え物と理解しているせいか、徹頭徹尾警護番の名目を崩すつもりはないようだった。殊勝というよりは実直、真面目なのだろう。

 

「先日のことですが、私をいの一番に訪ねてきたのはどなたの口添えによるものです?」

「何故そう考えました?」

「『一介の旅人』にまで私の名が届くほど宣伝活動に勤しんだ覚えはありません。確かにアバン殿に宛てた手紙はバラン様と連名でお出ししましたが、それだけで私の実家を訪ね、探りを入れようとするほどあなたの猜疑心が強いとも思えませんので。おそらくは誰ぞかの、最有力はフォルケン王あたりだと推測しますが、こちらに足を運ぶ前にお会いなさってきたのではないかな、と」

「ご明察です。以前からフォルケン様には破邪呪文の手解きを請われていたため、良い機会だからと少々足を伸ばしてきました。その折、フォルケン様からバラン殿やルベア君のことを聞き及びました。それから伝言も預かっています。『破邪研究は未だ形にならぬものの、儀式魔法の簡略化には目処がついた』だそうですよ。そろそろこちらにも報告があがるそうですけど」

「あの方はご高齢のわりに童子めいたところがありますね、困ったサプライズです」

 

 儀式魔法の簡略化は破邪研究の副産物といえるだろう。魔法石を配置することで五忙星を形作り、適切な魔力循環路を用意することで呪文の発動の簡易化や威力の増幅に寄与する。要は輝星石を媒体に魂の力を引き出し、ミナカトールの威力を最大限増幅した儀式魔法の応用、簡略化だ。もしくはポップがクロコダイン戦で魔法石を砕いてマホカトールを成功させた事例にも近い。

 これは儀式と頭につくことからわかるように攻撃呪文を対象とするには向かないが、たとえば雨雲を呼ぶ呪文(ラナリオン)のようなサポート系呪文にならば適用しやすい。多少術者にレベルが足りていなかろうと負担を弱め、呪文の成功率を上昇させることが出来る。

 

 よしよし、ベンガーナ王国から資金供与の申し出があったとはいえ、着々と研究は進んでるな。なにせフォルケン王に大見得きって提言した手前、テラン統治に何の寄与も出来ずでは心苦しくなるばかり。出来るだけ成果があがってほしいと切に望むのは不思議なことではあるまい。

 

「フォルケン様は君と話していると若返った気分になれるそうですよ?」

「……本当に困った人です」

 

 だからといって俺で遊ばないでほしいのだが。

 しかも孫を見るような慈しみに溢れた目を向けてくるものだから文句も言えない。もはや何と言っていいものやら、とにかく困り果てしまった俺である。そしてそんな俺を横目にくすくすと相好を崩す王族が二人いた。

 

 ……にゃろう、実に楽しそうですね、お二方。野次馬根性発揮しないでもらえません?

 

 そんな内心を誤魔化すように一度咳払いをして場を仕切り直す。

 

「何故アバン殿は『勇者が必要になる事態が訪れる』と考えるに至ったのか、それを明らかにしてもらえますか?」

「バラン殿の噂を聞き知ってから、私なりに《竜の騎士》というものを調べてみました。古文書に記される伝承を紐解き、一般的な史書の類を突合せていくと、そこには『竜の騎士らしき存在』が地上に残した痕跡を読み取ることも叶います。そのなかでも確かなことは、大乱あるところに竜の騎士在り、ということですね」

 

 たとえば、とアバンの人差し指がぴんと立つ。

 

「神の使いとされる《竜の騎士》と地上を救う《勇者》の伝承には、偶然とは思えぬほど重なり合う記述があります。ルベア君、《勇者》を象徴する呪文とは何でしょう?」

「《勇者》のみが操れるとされる正義の雷――雷撃呪文(ライデイン)、そしてさらに上位に位置する極大雷撃呪文(ギガデイン)ですね」

「正解です」

 

 その淀みない語り口は、まるで教師が生徒に物を教えるような謹厳の重みと年長者が纏う温かみを感じさせた。

 アバン自身まだ齢二十を幾つも超えておらず、これから人間として成熟を見る頃合だというのに、現時点ですら『一つの道の到達者』のごとき風格を備えているのだ、自然と頭も垂れたくなる。

 ラーハルトにも似たようなことを思ったが、アバンに対してはなお一層の畏怖を覚えるのだ。この年齢でよくぞここまで……。

 

「私は火炎(メラ)氷結(ヒャド)閃熱(ギラ)に代表される魔法使い系列の呪文、そして真空(バギ)回復(ホイミ)、あるいは解毒呪文(キアリー)のような僧侶系列の呪文、いずれも中位ないし上位の階梯まで操ることが出来ます。しかし『勇者』が操るとされる雷撃(デイン)系の呪文は習得していません。正確には契約も出来なかった、といったほうが正しいですね。つまり私は《勇者》と呼ばれてこそいますが、《勇者》を象徴する呪文は身に着けていないのですよ」

 

 能力的な意味で分類するならば、アバンは武芸達者な戦士であり熟達の魔法使いであり僧侶でもある――すなわち《賢者》が最も近い。

 まあ個人的には《叡智を宿す賢き者》という意味で、俺はこの人を賢者と呼び称したいのが本音なのだが。むしろ万能の人と呼び表したいくらいである。なにせこの人、伝え聞くだけでもあまりに多才すぎる。

 

「ご謙遜なさいますな、勇者とは名誉称号のようなもの。世界に戦火をもたらした魔王ハドラーを打倒し、地上に平和を取り戻したあなたこそが今代の『勇者』であることは間違いありません。――と、一応慰めは入れさせていただきます。もっとも、こだわりがあるようには見えませんけどね」

「重荷に感じこそすれ、殊更誇るようなものでもありませんから」

 

 そういえるのはあんたが人格者だからだよ、と心底突っ込みたくなった。

 

「ふふ、とはいえ慰めの言葉はありがたくいただいておきます。まあ、それは本題ではないので今は脇に置いておくとして」

 

 見えない荷物を右から左に移動させる軽妙な仕草でおどけてから、「ここからだ」というようにアバンはずいっと身を乗り出して持論を語る。割と楽しそうだ、やはりこの人は教師のような役柄にやりがいを見出しているのだろうか?

 

「バラン殿は以前ギガデインを放ってみせたのでしたね。それは勇者のみが操れる呪文をバラン殿は習得している、ひいては歴代の竜の騎士も同様の力を持っていたと推測が叶います。つまり私はこう考えているのですよ、この地上に伝わる災禍破りし数多の《勇者》の逸話を、《竜の騎士》こそが作り出してきたのではないか、と」

 

 眼鏡の薄いレンズの向こうで理知的な瞳が輝く。そんな真理を希求する学者の面持ちでアバンは俺へと水を向ける。

 

「そう的外れではないと思うのですが、あなたはどう見ています、ルベア君?」

「アバン殿のような例もありますから、『全て』と言い切ることには疑問符をつけさせていただきます。ですがそれ以外は私もあなた様と概ね同じ結論を出しました。竜の騎士の一族が太古より地上の安寧を担ってきたことを考えると、その痕跡が全く見当たらないというのは不自然に過ぎます。デイン系の呪文の操り手があまりに稀少という傍証もあることですし、高確率でアバン殿の仮説通りかと」

「おや、君は仮説のままにしておいたのですか? 確かめる術も身近に存在しているように思えますが?」

「ところが当のご本人に『知らぬ』と言われてしまいました。《竜の騎士》が受け継ぐのは竜と魔の力、そして戦闘の知識と経験が主たるもの。そこに先代の記憶や感情までは含まれていないのだ、と」

「なるほど、得心しました」

 

 アバンの言う通り、勇者と竜の騎士がイコールに限りなく近いとされる仮説、その検証のための肝心要の実物、すなわちバランの傍近くに控えているのが俺なのだ。史学研究家のような学究の徒からすれば、何を悠長なことをと文句が出てもおかしくない。実際、バランの話を聞きたがる人間は国の内外にごまんと溢れている。

 それらの要請を軒並み却下したり、時に言を尽くして宥めたりと、それはもう忙しく対処してきた過去の苦労を一頻り思い起こしながらそっと肩を竦めた俺に、アバンは全てお見通しといわんばかりの穏やかな顔で笑った。一方でバランはといえばそ知らぬ顔をしてでんと構えるのみだ。まるで動じていない。

 

 竜の紋章を介して力と経験のみが受け継がれていくのも当たり前といえば当たり前の話だろう、なにせ他人の人生をまるまる受け継いでしまえば人格崩壊の危機なのだ。まして竜の騎士は成人するまで紋章の力を自由に振るえないのが普通とされている。経験以外のリセットはある意味で竜の騎士の心を守るリミッターとして働いているのだった。

 まああくまで推測だ、実際のところは竜の騎士という一種の《システム》を生み出した天界の連中にでも聞かせてもらうほかないけどな。

 

「話を戻しましょう。竜の騎士はその身に重い使命を帯びている。そしてバラン殿がこの国に姿を現した時、瀕死の風体であったとか。だとすれば、それは我々の知らぬところで何者かと戦っていた証左ではないでしょうか? あの当時、地上を脅かす《敵》が魔王ハドラー以外にも存在し、バラン殿は人知れずその者と死闘を繰り広げていたのだとお見受けします。そしてその敵の正体、おそらくは――魔界の者」

 

 しん、と空気が張り詰める。

 

「魔界と断じた根拠をお尋ねしても?」

「単純な引き算ですよ。前提として、バラン殿の戦闘力は確実に私より上でしょう。しかしそれほどの実力者の噂は先の大戦中、ただの一度も耳にしていません。地上にバラン殿が戦った痕跡が残っていないのだとすれば、残りは天界と魔界の二つ。そのうち、地上と争いがあるのは魔界だけ、ならば『バラン殿は魔界に踏み込んで戦っていた』と推測するのが自然でしょう。『神の使い』とされている方ならば、世界を隔てる神々の呪法に行く手を阻まれることもないでしょうからね」

 

 そこでアバンはこほん、と咳払いを一つ。

 

「ルベア君が私に力添えを請うてきた理由を色々と考えてはみたのです。思い当たることはそう多くはありませんでしたが、まずはバラン殿が戦っていた相手と決着が着かなかった、あるいはその残党が地上侵略を図っているのではないか、あたりでしょうか。そうした警告と備えこそがこの席を設けた意味だと、稚拙ながら論理立ててみました」

「なるほど、そういうことでしたか……。そこまで読んでいたのならば、昨日のあなたの態度にも納得です。言葉通りに『親切の押し売り』でしたね」

「少々あざとかったことは自覚していますよ。さて、ここまでの採点、お願いできます?」

 

 軽やかなウインクで答え合わせを求めてくる傑物の姿に苦笑いしか浮かばない。

 

「見事と賞賛する以外にありませんね。その先は是非ともバラン様から直接お聞きください。……バラン様、よろしいですね?」

「うむ」

 

 俺の目配せに頷いたバランを確認し、場を譲るように一礼して引いた。

 

「ルベアが是が非にでもそなたの協力を得たいと口にするわけだ。ここまでまったく隙をみせない身のこなしや淀みない弁舌もさることながら、御身の頭脳の冴えには空恐ろしい鋭さがある。勇者の肩書きに恥じぬ佇まい、このバラン、感服仕った」

「いやはや、痛み入ります。こうも持ち上げられるのは些かこそばゆいものですね」

 

 照れた顔はアバンにより一層の愛嬌を与え、自然と席を囲む皆の頬が緩む。心なしかラーハルトの口元にも微笑が浮かんでいるようにも見えた。それだけをとってもすごいことのような気がする。

 

「アバン殿が看破した通り、魔王ハドラーがこの地上を蹂躙していた数年間、私は魔界で冥竜王ヴェルザーと死闘を繰り広げていた。かの者は長く魔界を二分してきた強大な竜の王であり、その眷属も精鋭揃い。竜の騎士の力を以ってしても容易には討伐叶わぬ一大勢力を築いていたのだ」

「ただでさえ魔界のモンスターは地上のそれよりも凶悪かつ精強なれば、その王の力も推して知るべし、ですね」

「左様。アバン殿の前で口にするのは少々憚れるのだがな、かの者の眷属のなかには貴殿が討伐した魔王ハドラーの力を上回る強者も数多くいたと断言しておこう。それほどまでに魔界の闇は深く険しいのだと認識していただきたい」

 

 そこでバランは一息つくと、ゆったりとした動作で卓の上に手を組んだ。

 

「遠き地の話だ、そう容易く信じてもらえるとはとは思えぬが――」

「いえ、我が身を天地魔界に並ぶ者なしなどと自惚れてはいませんよ。あなたがそう仰るのならばそれは真実と受け止めましょう。しかしそれほどの相手に私がいかほどの力になれるのかという疑問が出てきますが?」

 

 アバンは冷静だ、そして微塵も臆した様子はない。その胆力こそが地上の希望を一身に背負った勇者の風格だと、無言のうちに悟らされる程度には圧倒的な威風がそこにはあった。

 

「先程のアバン殿の推測、実に見事なものだった。が、一つだけ訂正を入れるのならば、ヴェルザーとは既に雌雄を決し、天界の力を借りることで奴を封印の虜囚とせしめた。不滅の魂を持つ悪竜を永劫に復活させぬためにな」

「では、心配事はヴェルザーの残党でしょうか?」

「それも否だ。かの者の眷属はことごとく魔界の土に還り、ヴェルザーの勢力は完全に無力化されている。残余の兵を気にする必要はないのだ」

「御伽噺でも聞かされているようですよ。竜の騎士、その名の重みをひしひしと感じています」

 

 少数勢力でハドラー陣営と矛を合わせ続けたアバンだからこそ、単騎でヴェルザー一党を打ち滅ぼしたバランに俺以上の戦慄も味わうのだろう。そこで恐れではなく感心が顔にでてくるのが、アバンのアバンたる所以なのだろうけど。

 

「実のところ、ヴェルザー本人はともかく、奴の勢力圏まで消えてなくなったのは自滅に近いのだがな」

「どういうことです?」

「魔界の奥深くに《黒魔晶》という名の稀少な魔法石がある。その魔法石は禁呪を用いて加工することで、《黒の核晶(コア)》と呼ばれる無尽蔵の破壊力を持つ超爆弾を作り出すことが可能となるのだ。ヴェルザーはいつまでも決着の着かぬ闘争のなかで、ついにその禁断の呪法に手を染めて私を抹殺しようとした」

 

 バランが黒の核晶を話題に出すこと自体、最大限の敬意の表れだ。あれはあってはならないものだと俺達の間でも結論付けている。危険すぎる超爆弾の秘密の一端だけでも開示してみせた、その一事だけでもどれほどバランがアバンに信を寄せたかがわかるだろう。

 

「結果を聞かせてください」

「先程言った通りだ。全てが吹き飛んだよ、アバン殿。ヴェルザーの眷属も、奴の支配していた広大な大陸も、そのことごとくが灰となって消えたのだ。あまりの破壊力に肝が冷えたのだろうな。強欲にして豪胆、悪逆の限りを尽くしたあの者も、私に討伐されるその時まで二度と黒の核晶を使うことはなかった」

「言葉もありません。ヴェルザーを打倒せしめた武勇もさることながら、バラン殿はよくもそんな大規模な爆発に耐えられましたね」

「竜の騎士の底力とでも思っていてくれ、紙一重ではあったがな」

 

 バランも思い出したくない過去なのだろう。黒の核晶を話題に出している間、ずっとしかめっ面だった。そうはいってもバランはソアラやシンシアの前以外では、あまり柔らかな表情を見せたりはしないのだが。

 侍女連中はそんな堅物なところも素敵とか目を輝かせてるけどさ。見目の良い奴ってのは男女問わず得だこと。

 

「ご事情は把握しました。バラン殿のご懸念は冥竜王ヴェルザーと相対していたもう一方の勢力にあるわけですね。首魁の名を伺っても?」

「大魔王バーン。《魔界の神》とも自負する魔界最大の実力者だ。数千年に渡って魔界の大勢力を率いる男で、これまで地上へ進出する野心は見せたことがないゆえ竜の騎士の討滅対象になったことはないのだが……どうにも風向きが変わってきているようだ」

「ヴェルザーの封印が引き金となったのでしょうか?」

「さて、どうであろうな。元々はここにいるルベアの警鐘から始まったのだが、私も魔界の動静は気にかかるゆえ、軽く探りを入れてみたのだが――」

「何か動きがありましたか?」

「逆だ、細々とした動きはあるのだろうが、大々的に領土を拡張するような行動には出ておらん。以前と同じく沈黙を守っている」

「それは逆に不気味ですね」

 

 うむ、とバランが重々しく頷く。

 

「目下最大のライバルが消え、魔界に覇を唱える絶好の機が訪れたにもかかわらず大魔王陣営に目立った動きはない。今まで地上に目を向けず、魔界の勢力争いにしか興味を示さなかった男が、今もって行動に出ぬのは何故か、この沈黙が何を意味するのか」

「現在の地盤に満足しているか、さもなければ――戦力の温存」

「然り。魔界制圧の時期を遅らせてまでとなれば、相応の理由が求められよう。もしやすると、その秘めたる胸のうちにはヴェルザーに匹敵する野心を抱えているのかもしれん」

「といいますと?」

「ヴェルザーが地上進出を望んだのは、奴が地上と魔界の両方を欲しがったがゆえだった。あるいは地上の豊かな土地とモンスター群を手中に収めることでバーンに勝る勢力を作り出そうとしたのやもしれんが」

「大魔王の胸中にも同じ野望があるかもしれない、ということですね」

「天界をも手中に、という可能性もあります」

 

 最後に俺も彼等の討議を可燃させるような材料を放り込んだ。バランが思わずといった風情で顔を顰め、アバンは難しい表情で黙り込んだ。ソアラはあまりにスケールの大きな話に青褪めた顔で必死に平静を保とうと努め、ラーハルトもまた愕然とした表情を隠せなかった

 これでバーンの胸のうちは地上そのものを消滅させることにあるなんて知ったら、皆どんな顔になるものやら。本当、バーンの野望は悪辣に過ぎるだろうと痛感するばかりだ。

 

「少し、整理してみましょう。はるかな過去、冥竜ヴェルザーと雷竜ボリクスが雌雄を決した魔界に名高き《真竜の戦い》を経て、ヴェルザーは竜の中の竜、《冥竜王》を号します。けれど彼は魔界に覇を唱えるまでには至らなかった。理由は簡単で、魔界には彼に比肩する実力者がいたからです。その名を大魔王バーン、超魔力を有する恐るべき魔族です。そうして彼らは千年、二千年と、人の尺度では気の遠くなるほど悠久の時をにらみ合いに費やします。そして時は現在へ。痺れを切らしたヴェルザーはついに地上侵略を企てました。多少の前後はあれ、魔王ハドラーと重なり合う形での地上進出です」

「そのヴェルザーの企てを防いだのがバラン殿」

「はい、そしてもう一方の脅威であるハドラーによる侵略を鎮めたのがアバン殿です」

 

 ここからだ。

 

「些か気になることがございます。魔族とは長寿の種、その生の長さは人間のおよそ十倍とされていますが、相違ありませんか、アバン殿?」

「私もそのように認識しています。そうですね……参考までに一つ例をあげるなら、かつて魔王ハドラーと幾度も剣を交えた折に、彼は自身を三百歳を数える魔族と口にしていたことがあります。おそらく人間でいえば三十前後、最も肉体が充実している時期だったのでしょう。もっとも魔族はその全盛期の肉体を百年単位で維持できるわけですから、私達の基準で全盛期と表すのが正しいのかはわかりかねますね」

「そこです、アバン殿。今までの話のなかで大魔王にまつわる妙な点に気づきませんか? 看過するには大きすぎる矛盾があると思うのですが……」

 

 俺の提言を受け、アバンは俯き気味に数秒の沈思を経てから、はっと顔をあげた。

 

「――寿命。魔族がいかに長命であろうと、その尺はせいぜい千年。けれどバーンなる魔族は千年の倍どころではない長寿を誇っている」

「その通りです。歴代の竜の騎士にとっても、いえ、正確には天界ということになるのでしょうが、いずれにせよ幾千年も前から冥竜王ヴェルザーと大魔王バーンの名は有名だったようです。これは魔界でも同様で、この二名の実力者の名は生ける伝説として長く魔界に定着し、君臨してきたのは間違いありません。だからこそおかしいんです」

「確かに……」

「バーンの姿形は典型的な魔族の老人だそうです。姿を変え、何千年も種族を偽っているとは考えづらい。仮に偽っていたとしても、魔族を超える長命種など限られてしまいます。《知恵ある竜》と呼称される最上位の竜族、あるいは天界を統べる神々くらいしか候補は見つかりません。となれば、あとは魔族の身で不老ないし不死を実現するような外法を身に着けた、それくらいしか考えられないのですが……」

「ありえるのですか、そのようなことが?」

 

 ゆっくりと首を左右に振る。

 

「バラン様のお答えは『ありえない』でした。肉の器を持つ以上、不老不死などこの世に存在せぬと。けれど《最後の知恵ある竜》にして不滅の魂を持つヴェルザーならいざ知らず、肉体的には竜族に劣る魔族のバーンが、魔界の誰よりも長寿を達成している。魔界の神を自称するのも故なきことではないのでしょうが――あまりに不可解です」

「不老不死……。違う、不死は確認されているわけではない。……まさか? いや、人智を超える魔力があれば可能なのか? 不死など存在しない、しかし不老ならば『あれ』を使えばあるいは……?」

 

 かすかに漏れ聞こえるそれは、あまりにも核心に近づこうとする試みだった。たったこれだけの言の葉から、瞬時に全てを紐解いていくその頭脳は、在り難がる前に怯えの対象だと俺は思う。秀才では辿り付けぬ天才の部類、常人の外にある才能の権化というやつだ。まったく、溜息しか出ないよ。

 

「心当たりがお有りのようですね?」

「にわかには信じられぬことです。しかし生物が永遠に近い寿命を達成するならば、私には一つの方法しか思いつきません」

「それは?」

 

 逡巡は一瞬だった。アバン自身信じきれない様子で動揺を隠せず、しかしそれでも発せられた声には確信の響きが含まれていた。

 

「《凍れる時間の秘法》」

 

 アバンは苦い顔でそれを口にし、バランはその秘呪にして禁呪の名を耳にした瞬間、傍目からもわかるほど表情を厳しくした。

 

「その《凍れる時間の秘法》とはいかなるものなのですか?」

「私の知る限り、現存する呪法のなかでも最高難易度を誇る代物です。数百年に一度訪れる皆既日食の刻限のみ可能な、人智を超越した秘呪文。これをかけられた者はその名の通り『時を止められてしまう』のです。つまり生命活動を完全停止させる一種の封印術といえるでしょう」

 

 ――ようやくつながりました。

 

 と、俺は言葉を発した。それはアバンの言葉を引き継ぐように。あるいはこの淀みない会話の応酬劇を壊さぬように。確かな断定口調で続けたのである。

 

「アバン殿は『凍れる時間の秘法』を、かつて魔王ハドラーに対して使用したことがあるのですね?」

「今更隠し立てする気もありませんが、どうしてそう思いました?」

「これでも私はあなたのファンなんです。前大戦のなかでアルキード軍が、あるいは人類軍がどのように戦い、数々の勝利と敗北を繰り返し、そうして最終的にどうしようもなく追い詰められ、アバン殿一行に頼らねばならなくなったかを分析し続けました」

 

 過去の戦訓に学ぶことが未来への剣になると信じた。いや、今でも信じている。

 

「あなた方は一時期パーティーを解散していますね? 理由はレイラ殿のお腹にロカ殿との間に儲けたご息女が宿っていたため。そのご息女――マァムお嬢様がお生まれになる一年近く前に、皆既日食が訪れています。……《凍れる時間の秘法》を知るあなたが、この機を見逃すでしょうか? また、その時期から半年と少しの間、何故か魔王軍の侵攻が弱まっています。勇者一行が活動を休止するのと連動するかのように魔王軍も沈黙する、これを偶然とするのは難しいかと」

 

 アバンは何も言わない。何も言わずに受け止めるだけだ。

 

「各国はこれを偶然ではなくアバン殿たちが手を打った、おそらくは魔王に手傷を与えた結果だと捉えていました。私も同じ意見です。アバン殿たちが何かしらの手を打ち、その結果として魔王軍は攻勢を弱めた、それが真相だと考えています。……実際アバン殿一行とハドラー率いる軍勢による、常ならぬ一大決戦と目されるような激突も確認されていたようですしね」

 

 魔王が大群を率いて出向き、大魔道士マトリフが露払いとして魔法力を全開にして暴れ回った戦だ。大地は削れ、魔物の死骸が積み重なる地獄のような光景を作り出した。戦そのものは痛みわけに終わったのだとしても、激突の痕跡そのものを隠し通せるはずもないのだ。

 

「その決戦において《凍れる時間の秘法》なる封印術が用いられた。だから魔王軍は指揮系統が混乱し、以後半年以上の間沈黙せざるをえなかったのでしょう。もっともその一年後に再度パーティーを結成、最終決戦にてハドラーを打ち破ったそうですから何らかの要因で封印は完全ではなかったようですが」

「正解です、封印が完全でなかったのは単純に私の力量不足でした。本来は永劫の封印とするはずが、蓋を開けてみれば一年にも満たぬ有様。しかも術者である私にまで呪法の反動は及び、間抜けなことに魔王と勇者が揃って案山子(かかし)になってしまいました」

「封印がかかっている間に魔王を討滅することは出来なかったのですね」

「ええ、凍れる時間の秘法は時間を停めます。つまり対象者はその間、いかなる外的刺激も受け付けぬ『この世ならぬもの』と固定されてしまうのですよ。多少意味合いは異なりますが、常時鋼鉄化呪文(アストロン)の影響下にあるとでも考えてもらえばよいでしょう」

「いかなる攻撃も通さぬ絶対無敵の防護壁を纏っているようなものですか。問題は擬似的な不老不死を実現できるのか、ということですが」

 

 そこでアバンは目を閉じて沈思し、幾ばくかの後に答えを口にした。

 

「私の魔力では不可能でしたが、秘術を完全なものとして操れる術者ならば可能でしょう。本来は対象を封じるための《凍れる時間の秘法》を応用し、自身の《若さ》を分離封印、皆既日食が訪れるたびに施術を繰り返すことで限りなく永遠に近い不老を実現する……。恐るべき魔道の技です」

「まさしく魔界の闇ですね。地上とは桁が違う」

 

 魔道は明らかに魔界のほうが進歩している、軍事的な観点では戦力比較したくないな。

 せめてもの救いは魔族も竜族も種族として頑強なせいか、生殖能力に劣ることだろう。とりわけ生命力に秀でた竜はある意味で絶滅危惧種だ。実際《知恵ある竜》と呼称された最上位種族は、ヴェルザーを除いて滅びさってしまったようだし。

 魔界は不毛の大地と呼ばれるくらいだ。地上と比して過酷な環境にあるらしいから、一族の数も増えづらいのだと思う。そうなると人口比ならば地上の人類、そしてモンスター種が勝っているわけか。

 

「しかし、本当に可能ならば世の女性たちが挙って秘術を追い求めそうですねえ」

「永遠の美貌の探求ですか? 確かに女性の夢ですし深刻な問題ですが、こちらはもっと厄介ですよ。死んでもいつかは蘇るヴェルザーといい、不老不死に限りなく近いバーンといい、魔界は悪鬼羅刹の巣窟に思えてきました」

 

 そんな連中を相手にしないといけないなんてどうなってんだか。本気で逃げ出したいくらいだ、ただし逃げ出せる先に心当たりがない。無念だ。

 

「アバン殿は先程凍れる時間の秘法は常時アストロンにかかっているようなもの、と仰りました。……まさかとは思いますが、凍れる時間の秘法の影響下で動ける禁呪の類は存在していませんよね?」

「まさか……といいたいところですが、魔界に伝わる魔道の全貌を把握している人間などいないでしょう。もしいるとすればそれは大魔王バーン本人か、あるいは――」

「どうでしょう、可能だと思われますかバラン様? 凍った時間の中で動くことが」

 

 今度はバランが物思いに沈む。多分、今、バランのなかでは様々な単語や法理が飛び交い、あらゆる可能性が渦巻き、その一つ一つを高速で精査しつつ却下に明け暮れているのだろう。

 そうして出した答えが――是。

 

「秘術のかかった状態にもよるが、人形師のような特殊な魔法術師、あるいは魔界でも希少種の憑依型モンスターならば、外部から抜け殻の身体を操れる可能性はある」

 

 本日何度目の激震だったろうか。数えたくもなかった。

 

「いよいよもって最悪が見えてきました。魔界を牛耳る男の全盛期の肉体がアストロン状態で暴れまわる? 悪夢ですね」

「どうしたものでしょうかねえ。私以上に呪法に詳しい魔法使いに相談でもしてみますか」

「是非に。あとでその心当たりの人物を紹介してもらえると助かります」

 

 地上随一の大魔道士に手を貸してもらえるかどうかはともかく、顔つなぎくらいはしておきたい。

 

「質問を変えます。バラン様、あなたならば、時の狭間を漂う禁呪の産物を破ることは叶いましょうか?」

 

 そう駄目元で尋ねてみたのだが――。

 

「前例のないことだからな、確実なことはいえぬが……本来軍勢をなぎ払うための竜闘気砲呪文(ドルオーラ)を、対人の域にまで絞り込めればどのような敵であれ貫けるはずだ」

「最大出力、最大収束で放てれば、ということですか」

「うむ」

 

 思いのほか前向きな意見が返ってきたことに驚いた。

 バランが出来るというのなら可能性はあるのだろう。大魔道士マトリフ最大の切り札――極大消滅呪文(メドローア)以外に対抗策を用意できるとあれば、確かに諸手をあげて飛びつきたいところだ。

 しかしこの時、俺は示された光明にどうしても乗り気にはなれなかった。それはバランを信じていないからではない。逆だ、信じているからこそ頷くわけにはいかなかった。

 

「バラン様、正直にお答えください。……もちますか? そこまでの無茶をして、あなたの身体が」

 

 ただでさえ竜魔人化しなければ肉体への反動がでかすぎて放てぬ切り札を、従来のもの以上の威力と用途に引き上げようというのだ。それはいかな竜の騎士といえど無謀ともいえる試みのはずだった。

 しかし、バランは既にこの時、不退転の覚悟を固めていた。

 

「限界の一つ二つ超える必要があろうな。――だがな、ルベアよ、私は世界の調停を担う竜の騎士なのだぞ。出来ぬとはいわん、否、いってはならんのだ……!」

 

 雷鳴満ちて峻厳を知る。

 それは強烈なまでの自負だった。幾千年の不敗を誇る確かな事実と天与の使命を押し戴くがゆえの、何者にも負けぬと吼える獰猛な炎。その宣言はさながら嵐のような激しさと凪の海のような静けさを兼ね揃え、泰山の頂を思い起こさせる圧倒的な迫力を醸し出していた。

 

 我知らず、息を呑む。そうしてバランの威を受けた俺、ソアラ、アバン、ラーハルトの、この場にいる全て、皆無言の内に顔を見合わせ頷き合っていた。

 口火を切ったのはアバンだ。

 

「ここに盟を約すと誓いましょう。私、アバン・デ・ジニュアールⅢ世は御身の敵をこの身の敵と思い定め、地上の平和と正義の名の下に、今一度剣を振るうと」

「感謝する、アバン殿。地上の勇者にして随一の賢者殿の助力を得ることが出来た。これほど心強いことはあるまい」

 

 ふと、涙が出そうになった。竜の騎士とバランと勇者アバンが固く手を握り合う光景に安心したのか、それとも歴史の転換点といって過言ではない瞬間に立ち合うことが叶って圧倒されたのか、この昂揚を説明する術を今の俺は持ち合わせていなかった。

 

「バラン殿、ソアラ様、さしあたって私に何を望みます?」

「ルベア、説明を」

「はい」

 

 すうっと深く空気を吸い込み、粛々と呼気を整える。

 

「いかなる意味においても備えは必要になります。まして今、地上は魔王ハドラーの脅威を跳ね除け、平和を謳歌する時のなかにあるのですから、奇襲なんてされては目も当てられません。少なくとも各国王族には魔界の勢力情勢を最低限知っておいてもらわねばならぬでしょうし、叶うならば軍備の増強も進めていただきたいと考えています」

「それがアルキード王国とベンガーナ王国の間で幾度か合同軍事演習がなされていた理由ですか。どうやら私の予想以上に動かれているようですね」

「恐れ入ります。アバン殿にはカール王国女王フローラ様に言伝をお願いしたいですね。『王室管理の《破邪の洞窟》に立ち入り許可をいただきたい』と。特に十五階にあるとされるマホカトールの契約魔方陣を解析できれば、テランでやや停滞している破邪研究の進展にも寄与しますので」

 

 神々が魔法の全てを収めたと伝わる、カール奥地に存在する破邪の洞窟。各階に一つずつ呪文契約の魔方陣が配されているとされ、降れば降るほど強力な呪文が眠ると伝承は言う。ただしその全貌を把握している者はこの世の何処にもおらず、地下何階まで続いているかも不明。そして地下を目指せば目指すほど凶悪なモンスターと多数の罠に行く手を塞がれるため、目的を達して地上に生還するのは至難とされていた。

 さしあたっては十五階のマホカトール契約陣を解析し、地上でも契約の儀式を取りはかれるようにしたいのだ。呪文習得の難易度を少しでも低下させ、術者を増やす。つまりマホカトールに汎用性を与えるのが急務の課題だ。

 

「ふむ……。テランで動き出したプロジェクトも興味深いですし、フローラ様にもお考えがありましょう。私が口を出すまでもないかと。まずは正式な窓口を通してみては?」

「『あなたが』メッセンジャーになるということが、この先大きな意味を持つことは言うまでもありませんよね?」

「だからこそ、それが正道ではないことくらいは承知しているでしょう? 無位無官の私が出しゃばるのは秩序を乱します。ここはソアラ様の伝を頼っても良いと思いますよ」

「個人の友誼が国家の友誼に勝ることはない、なればこそジョーカーとしてアバン殿を立てる――などと小ずるいことはいいませんよ」

 

 ふっと笑う。

 そんなことをしてあなたに嫌われたくもありませんしね。

 

「ご心配なく、国として正式な要請も出しますし、なにより今は打診だけで精一杯なんです。マホカトールの契約魔法陣を解析をしたくとも、十五階まで辿り付ける人材を用意することすら叶わないのが現状です。破邪の洞窟に立ち入るにしても時が必要なのですよ」

「確かにあの破邪の洞窟はリレミトも通じず、生きて帰るには大変な困難も予想されますが……。人材がいない?」

 

 アバンの困惑気味な視線の向く先はバランとラーハルトだった。

 確かにバランならば十五階どころかその十倍の深さだろうと苦もなく踏破するだろうし、ラーハルトとてバランに及ばずとはいえ十分に探索をこなすだろう。それだけの実力があることは俺も重々承知している。

 

「破邪の洞窟は神々が脆弱な人間のために残した慈悲にして試練です。よって竜の騎士が立ち入るのはルール違反に当たるそうなのですよ。バラン様は探索行に加われません」

「では、ラーハルト君は?」

「これは私も未確認なのですが……『人間の神が邪悪に対抗するために残した場所』に、魔族の血が色濃いラーハルトが障害もなく立ち入れるものでしょうか? 古の記述によれば神々は魔族と竜族を魔界に押し込め、人を地上に残し優遇する措置を取ったそうです。――彼等を一律に邪悪と断じていても私は驚きませんよ?」

 

 あ、とどこか間の抜けた声が漏れた。その瞬間、確かにここはそこはかとなくコメディチックな空気に染まっていたような気がする。簡単なことほど見落としがあるってこういうことなのだろうか? 実際俺もラーハルトがバランに仕えることになり、破邪の洞窟探索に送り込むチーム編成をシミュレートし直す段になってから、ようやく魔族が探索行に加われるかどうかの疑問を持った。

 

 何事もなく魔族にも門を開くのか、あるいはマホカトールの張られたデルムリン島に無理やり侵入しようとしたハドラーのように無理をすれば侵入できるのか、考えうる限りの手段をとっても問答無用に不可能なのか、今のところ全てが不明なのだ。あとはカール王国の許可を待って試してみるほかあるまい。

 

「生憎そのあたりの試行記録はテランの古文書でも見つけられなかったものですから……」

「魔族が容易に利用できるのか否かを確かめるだけでもカール王国の益になりますね。なるほど、確かに一度フローラ様と相談したほうがよさそうです」

「できれば純血の魔族との比較データも欲しいところでしょう。混血とは扱いが違う可能性も十分あります」

「そうなりますか。ただ、私はこれで知人は多いほうなのですが、協力的な魔族の知り合いはちょっと心当たりがありませんよ?」

「同じく」

 

 仕方あるまい、そもそも地上に暮らす魔族が稀少なのだ。純血の魔族でそこそこ話が通じそうな心当たりはロン・ベルクくらいしかいないが、それとてこれから口説かねばならぬ相手だ。

 どうなるにせよ破邪の洞窟に潜るのはまだまだ先、という旧来の結論に終始せざるをえない状況だった。ラーハルトに頼れなければアバンに隊を率いて潜ってもらうのも手だろう。

 

 うーむ、浅い階層ならばうちの兵だけでどうにかなるかも、というのは甘い見通しだろうか? 兵の調練という意味では得がたい経験を積めるのも確かなのだ、危険すぎるのがネックだが。

 もっともカール王国が厳重に管理しているだけに、仮に許可が出たとしてもそう頻繁に立ち入ることが出来ないだろうから、所詮は取らぬ狸の皮算用ってことで終わりそうだ。

 

「先程申しました通り、カール王国への要請は正式にこちらから使者も立てますし、なによりいずれはアバン殿を交えてフローラ様とも会談を持ちたいと考えてます。アバン殿にはその均しと、お願いできるなら会談の潤滑油としての役割も期待したいところですね」

「場合が場合ですから、主義主張にかまけて骨折りを渋るなどということはしませんよ。ですが破邪の洞窟の件、なにより魔界の件、本当に危急とせずして良いのですか?」

「私が大魔王の立場ならば竜の騎士の動向は余さずチェックしておきます。たとえ地上に出向く心算がなくとも、ヴェルザーなき今、彼を打倒したバラン様こそが大魔王にとって最も大きな脅威ですからね。ですからあまりおおがかりな動きを見せて大魔王の決断を誘発しても困ります。いわば防諜です、それが一つ」

 

 もう一つは、と溜息交じりに続けた。

 

「個人的な事情で恐縮ですが、単純に私が《暗殺》を恐れています。大魔王の側近には漆黒の道化衣装を纏い、大振りの鎌をこれみよがしに使う殺し屋がいるのですよ。魔界では《死神》と呼ばれ、皆に恐れられている闇の者。名をキルバーン」

「キル?」

「ええ、『バーンを殺せ』と、なかなか洒落た名前を持つ男ですよ。バーンが名付けたのでなければ、あるいは彼等も完全な一枚岩ではないということかもしれません」

「外の勢力、というわけですか。覚えておく価値がありそうですね」

「意味深な命名といえばもう一人、大魔王の第一の臣も似たようなところがありますね。ミストバーン――すなわち『バーンの影』の名を持ちます。素直に捉えるならば大魔王への忠誠の証といえなくもありませんが」

 

 ここまではバランも承知している。なにせバラン自身が魔界に出向いて確かめてきたことだ。つまり重要なことはここから。

 

「仮に大魔王が凍れる時間の秘法を自身に使っているのだとすれば、分離させた《全盛期の肉体》を守るか隠さねばなりません。ミストバーン――その意味するところは《バーンの影》、ミスリードを誘うにしても意味深だとは思いませんか? しかも彼は全身をローブで覆うことで素顔を隠し、数百年無言を通す繊細な一面もあるそうです。大魔王の側近にしては存外奥ゆかしい方もいたものですよね」

「……バラン殿、これは」

「うむ、聞いての通りだ。大魔王バーンはもとより、ミストバーン、キルバーン、この二人を目下最大の警戒対象としてマークしておくべきだろう。努々油断せぬよう頼む」

「承知しました」

 

 とりあえず大魔王陣営における最大の脅威の確認と共有はこれで叶ったわけだ。これでまだ氷山の一角というのだから恐れ入るけどさ。

 

「アバン殿」

「なんです、ルベア君?」

「私は魔界に関する一切をこの王宮以外で口にしたことはありません。他国ではもちろん、城下でもそれは同じです。防諜という意味でも、私自身の身の安全を図る上でも、それは必要なことだと考えているからです。私にしてみれば『バラン様の生活圏』が最も安心できる場所なのですよ。……どこに大魔王の目と耳が潜んでいるかもわかりません、アバン殿も不用意に口外なさることのなきよう願います」

 

 ミストバーンやキルバーンのような大物だけではない、普段から警戒すべきは悪魔の目玉やシャドーのような諜報に向いたモンスターだ。奴らは一匹一匹の戦闘能力は低いし、その特殊能力も平和な時節ならば大して意味を持たないが、『上』に情報を活用しようとする盤の指し手がいる場合は途端に脅威と化す。

 無論、このアルキード王宮はバランが目を光らせているのだから奴らの暗躍する隙はない。なにせソアラやシンシアがいるからな、バランの力の入り具合も違う。俺も枕を高くして寝ることが出来るというものだ。

 

「肝に銘じておきましょう。それにしても随分と徹底しているものですね」

「こちらが彼らをマークしていることをわざわざ教えてやる義理もありませんから。地上の各国はようやく復興に目処がつき、これからは国力を充実させる時期を迎えます。魔界からのつまらぬ横槍など断じてごめんですし、なにより立て続けの大戦に耐えられるほどの体力は人類に残っていません。今は静謐に努めるのが唯一にして無二の対応でしょう」

「道理ですね」

「ああ、それと忘れないでほしいのですが、私は臆病者です。下手に目立って命を狙われたくないという切羽詰った事情もお忘れなく」

「ふふ、この場合は慎重と評されるべきだと思いますよ?」

「ではそちらでよろしくお願いします」

「了解です」

 

 くすっとアバンが口元を綻ばせる。もしかして冗談と取られたかな? 韜晦抜きで本気の危惧なのだけど。

 実際、ミストバーンにせよキルバーンにせよ、バランの助けがない状況で狙われたら俺にはどうにもならないのだ。バランの傍近くにいるだけで奴らの目に止まりやすいのに、バーンの正体に迫る凍れる時間の秘法の存在を吹聴しただの、バーンの野望を警戒して備えを用意しようとしているだの奴らに知られたくもなかった。大っぴらに俺という人間を宣伝したくないのが本音である。

 

 ささやかな慰めもある。

 バーンの信条は弱肉強食、つまり強者のみの世の中を好ましいと考える男だ。となれば戦場で槍を振るう兵ではないからと、俺を路傍の石と見て監視の目から外してくれていれば万々歳。

 とはいえ、だ。アバンの知に並々ならぬ警戒を持っていたのもバーンである。奴の基準を俺が把握しきれているわけでもなし。実際、そろそろやばいかな、というのが最近の悩み事でもあった。

 

 怯えて暮らすのは御免被りたいんだが、かといって安全重視で王宮に閉じこもっているわけにもいかない。これまで同様仕事で他国に赴くことだってあるし、なによりこれから先、対魔王軍を見据えて各国の紐帯を強めるためには積極的に国外に出ていかねばならないのだ。そのたびバランを連れまわすわけにもいかない。俺自身の身の安全をどう図ったものだか。

 

「アバン殿、私からも感謝を。これで一つ肩の荷が下りました」

 

 万感の思いで頭を下げ、しかと礼をとってから改めて口を開く。

 

「正直に申し上げるならば、地上の危機さえお伝えすれば、アバン殿はこちらが何を言わずとも立ち上がってくださると踏んでいました。実際、先日は『政治利用されない形』での協力を申し出てくれたくらいですからね。ですからここから先は要請ではなく、あなたへの発奮材料を提供させていただきたく思います。それが地上の、ひいてはアルキード王国の利と安寧につながりますから」

「実は先日からずっと楽しみにしていました。この子は私に何を語ってくれるのだろうと。これまでのお話しでも十分度肝は抜かれたものですが、このうえまだ何かあるのですか?」

「はい、心して聞いていただければこれに勝る喜びはありません」

「怖いですねえ」

 

 そう口にする言葉とは裏腹に、アバンの目に怯えの色は欠片もない。むしろ乗り気な風さえ装っている。意識して空気を軽くしてくれているのだろう、その心遣いがありがたい。

 

「アバン殿は政に対する意欲をお示しにならない。それは戦後カール王国に帰参せず、各国の士官伺いを固辞し続けていることからも明らかです。もっとも故郷で権を振るうにしろ、ジニュアール家は学者の家系として敬は得ていても家格そのものは高くありません。功を以って立身をなしても成り上がりを厭う者は多かったでしょう。さらにいえば、国力の低下した大戦直後に国内の平穏を乱す可能性を座視できなかった。国政を乱す英雄の肩書きなど不要、そう断じるのも無理からぬことだとは思います」

「その通りです」

 

 うんうんと頷くアバンにこちらは苦笑を浮かべるばかり。

 

「少々素直すぎますね、アバン殿」

「はい?」

「こんな(なり)でも、人の心を弄ぶ術についてはいくらか心得はあります。建前で誤魔化すことも、人を納得させる優しい嘘のつき方も、生き抜くために必要な嗜みのひとつに過ぎません」

 

 決して胸を張って言えることではない。けれど処世術を疎かにすることは破滅と同義だった。

 

「無論、あなたが悪意からそのような振る舞いをされていないことは存じあげています。しかし事ここに至ってまで、おためごなしを口にするのはご遠慮願いたいのです」

 

 悪意の有無でいえば、この場にいる誰も持ち合わせていない。それは俺とて同じだ。

 昨日、アバンが俺の身の上に踏み込んだのは故意ではなかった。踏み込みすぎたと頭を下げた謝儀に嘘や打算もなかった。けれど、俺は彼ほどには善人ではないし、より良い未来を引き寄せる可能性が見えるのならば躊躇いもしない。だから、ここより先は痛みを伴う会話劇だ。

 

 種は十分に撒いた。そして踏み込んだ先には、珠玉の果実が実る未来が待っているはずだと信じている。

 誰にとってのものかなど今更言及する意味もないだろう。俺にとって、バランにとって、アルキード王国にとって、そしてなにより――アバンにとっての未来だ。

 

「あなたが盟を約してくださったように、我らもその信に全力で応えとうございます。ですから私からは未来への《標》を贈らせていただきましょう」

「《標》、ですか?」

「ええ。あなたがハドラーを討伐した後、故郷に凱旋せず旅の身の上になった理由がありましょう。今なお世界を放浪し続けるあなたへお力添えする用意がこちらにはある。そう申し上げています」

 

 俺が何を語ろうとしているのか戸惑い、次いで『何を知っているのか』と険しさを増したアバンの表情に、やがて哀切と痛苦が呼び起こされることを俺は知っている。俺が彼をそうするのだと、どうしようもなく確信していた。

 

「この身が諸国で如何な異名で称されているか、あなたならご存知のはずだ。ですから《標》と申し上げました」

「――《託宣の御子》」

 

 アバンの小さな呟きは波紋のように部屋を満たし、泡のように儚く溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 アバン・デ・ジニュアールⅢ世。

 とぼけた顔で、何でもない風に、さらっと真理を解き明かすように世相を紐解いてしまうこの人が、俺は怖い。

 元来、情報とは集めてナンボの代物なのだ。たとえばドラマや映画、あるいは時代劇にお約束として描かれる機密文書の漏洩、こんな都合の良い事態は現実ではほぼありえないと断言して良い。

 

 それはこれまでの魔界の情勢、ならびに大魔王の秘密に迫る談話に限ったことではない。

 たとえば先日アバンが『アルキード王国の方針として種族融和政策を推し進めている、モデルケースはラーハルト』と即座に見破りこちらへの好意としてラーハルトの同席を要請した。この結論に辿りつくために必要はのは国家機密に指定された文書を盗み見ただとか、国の重鎮の口を割らせたなんてことはない。なにせ『それ』を知るのはここにいるメンツと陛下くらいのものだし、動き出してから一ヶ月にも満たない。無論、文書に残しているわけもなかった。

 

 けれどアバンは察した。俺がラーハルトを街で連れ歩いていたパフォーマンスを市井の噂で聞き知ったり、『竜の騎士の従者』が直々に実家に招待するという事実、俺の王宮での立場やひととなり、あるいはバラン、ソアラ、ラーハルトをはじめ、ありとあらゆる情報を分析し、つなぎあわせ、仮説を紡いでは却下し、そうやって真実に辿りついたのだ。

 情報とは玉石混交、雑多にして単体では意味をなさぬものを山のように積み上げ、それらを取捨選択して形にすることこそ賢者の本懐。それをアバンは『個人の力』だけでここまでやってしまうのだ、恐ろしいとしかいいようがない。

 

 一から十まで自ら動き、万里を見通すその途方もない力量は、到底俺の力の及ぶところではなかった。まあ、同じことをするにしても《人》を使うのだってそれはそれで別の才覚が必要とされるものだが。これは負け惜しみかな? この人が俺の立場にあったならば、多分、いや絶対俺以上に上手くやるのだろうし。

 

 いかんな、どうも必要以上に意識してしまう。こんなつまらん仮定を弄んでどうしようというのだ。

 人は生まれを選べないし、人は自分以外の誰かになれることもない。そんな自明などいわれずとも理解しているつもりだった。それでも、もしも俺がこの人を『敵に回したい』と、少しでも、冗談でも、戯言でも、ほんの欠片ほどでも考えてしまったとするならば、それは……。

 

 ――多分に俺は、この人と競いたがっているのだ。全霊を尽くした知恵比べを挑んで、完膚なきまでに打ちのめされて、それでも笑って納得できる駆け引きが出来ると信じている。それだけの器をこの人に見込んでいるのだろう。……勝手なことだ。

 

 最近はラーハルトの身辺と王城、王都の住民感情に神経質なくらい気を張っていたため、少しばかり好戦的になりすぎているのかもしれない。さても自身がままならぬ人間だと思い知ったところで、ここからはアバンの心意気に対する、俺なりの最大の返礼で応える時間だと肝に銘じるのだった。

 

「アバン殿は政を厭います。それは再三繰り返されてきた基本姿勢であり、一貫した主張でもある。――けれどそれはあなたの本心ではない」

 

 この時、俺はあえて強い声音で断じてみせた。

 

「なぜなら小人の妬みを解消する術も、まして政務を滞りなくこなすだけの手腕も、あなたには十全に備わっているからです。『英雄』の肩書きを制御し、それを上手く国政に生かす方策とてあなたには見えていたはずだ」

「私をそこまで買っていただけるのは嬉しいのですが……」

「加えて、その程度の理由であなたが主筋かつ親交厚かったフローラ様を放り出し、諸国を放浪する旅に出られるとも思えません。なによりフローラ様は未だ一人身です。本来ならば早々に婿を取り国情を安定させねばならぬところを、デメリットを承知で我侭を貫いている」

 

 淡々と語る。それが事実だと強調するように。

 

「あの方がどなたを待っているのか、あるいは二人の間で約束があるのやもしれぬと邪推する心算もありません。あなたが『世界を第一に考える勇者』であるほうが都合が良いのは確かですが、『カール王国を支える忠臣』であっても、あるいは『それ以上の立場』であっても手を携えることは出来ますから」

 

 目に、身体に、心に、かなう限りの気迫を込めてアバンと対峙する。

 

「国の建て直しと発展を細い双肩に託された年若い主君を、一時放ってまで為さねばならぬことがあなたにはあるようだ。フローラ様もあなたの旅を黙認している節があります。では、その真意は何処にあるのか?」

 

 フローラは国民に望まれて即位した女王だ。人望は高く、その政治手腕も『世界一の軍事大国』を率いるに値する力量の持ち主だった。けれど彼女の人生は決して順風満帆だったわけではない、むしろ度重なる波乱に翻弄された女だろう。

 前大戦時、カール王国は病床に喘いでいた国王の代わりとして王女が国民を鼓舞し、国主としての責務も実質彼女が差配していた。そして最後まで魔王打倒の旗頭だったフローラと浅からぬ仲にあったのがアバンである。元々アバンは苦境にある主君を放り出せるような人ではないし、フローラが未だ一人身であることからも、今なお王配の座はアバンの眼前に拓けているとみるのが自然だろう。

 

 情理ともにそんな状況なのだ、いずれアバンがフローラのためにカール王国に帰参することは目に見えている。どれほど厚遇を約束しようと、アバンはフローラの待つカール王国以外に仕えようとはしないだろう。それが士官伺いを求めなかった理由でもある。

 そんなアバンが今なお最愛の女性(フローラ)を袖にしている理由は――。

 

「ヒュンケル」

 

 短く人の名を口にした瞬間、アバンの肩が跳ね上がり、澄んだ瞳に痛苦が宿る。いくばくかの迷いを経て、やがて諦めたような顔つきで重い口を開いた。

 

「その名前が出てくるということは、調べたのですね?」

「ええ。あなたが竜の騎士を見極めようとしていたように、私もあなたの足跡を追っていました」

 

 ディーノ王子捜索網をフル活用することで、『ついでの情報』を世界の各地から収集した。アバンにまつわることも収穫の一つだ。

 

「戦後、あなたはパプニカ王国の山奥で一人の少年を弟子に取り、剣の技と生きる術を教えていたそうですね。人里離れた山奥で過ごすこと数年間、しかしアクシデントが起こります。正確な時期は不明ですが、どうもお弟子さんが行方知れずになったと聞き及びました。あなたが街に出て、一人の少年の行方を人に尋ねるようになったからこそ判明したことです」

 

 アバンが世界を放浪していた目的の半ば以上が、愛弟子の行方を探ることに集約されていたのだろうと思う。

 まあ『半ば以上』と評した通り、アバンの旅にはヒュンケルの行方以外にも付随する目的が見え隠れしているのだが、それはいずれ時と場所を改めて話すことになるだろう。できればその場にはマトリフも招きたいものだが、はてさて?

 ま、いずれにせよ今は双方にとって余談に類するものだ、よって忘れておく。

 

「教え子の名はヒュンケル。年の頃は……今も生きているのならば十二歳、で合ってますよね?」

「よく調べていますね、訂正の必要もありません。……どうぞ、続けてください」

 

 常の明朗快活なアバンらしくない、弱弱しい影が声音に潜んでいた。さすがに気落ちしているか。

 

「大事なのはここからです。一つお尋ねしますが、その少年の剣腕は達者でしたか?」

「何故そのようなことを?」

「必要なことなのです。あなたが教え導いたお弟子さんは天与の才を持っていたのでしょうか? それこそ長ずればあなたを凌ぐと予感させるほどのものを」

 

 俺の問いに幾分の不審を感じ取っていたようだが、それでも隠す気は起きなかったのか、戸惑いながらも首肯し、補足した。

 

「彼に剣を教えたのはそう長い間ではありませんでした。そもそもまだ身体が出来上がる前の年頃です。無理をしては取り返しのつかない事態を招いてしまう。必然、修行は年齢に見合った密度でしか行っていません」

 

 ヒュンケルを思い出しながら語る口調には、哀愁以外にも隠し切れない誇らしさが感じられた。そして弟子を想う確かな愛情もまた、アバンの語り口には色濃く滲んでいたのだ。

 

「ヒュンケルを立派な剣士にする。それが彼の亡き父と私が戦場で交わした約束だったのです」

 

 ルベア君、と呼びかけられる。

 

「ヒュンケルの剣の才を何故君が気にかけるのかはわかりません。けれど、師の贔屓目なしに率直な答えを返しましょう。――天才でしたよ。彼が十年早く生まれていれば、魔王ハドラーを討伐するのは私ではなく彼の剣だったはずです。それくらい卓越した才覚の持ち主でした」

 

 懐かしそうに、嬉しそうに、寂しそうに、そしてんなにより哀しそうにアバンは語る。皆が神妙な佇まいでアバンの独白に聞き入っていた。

 

「子供の不自由な身体とわずかな修行だけで、私に迫る剣技を身に着けていたのです。驕ることなく修練を続けていけば、遠からず私を超え、はるかな高みに羽ばたくと、そう確信させるほどに」

 

 生きてさえいてくれれば、と口惜しそうに唇を噛む。そんなアバンに俺は神妙な声で語りかけた。

 

「我々もまた人を探す身であることはご承知でしょう。今日まで培ってきた人海戦術とノウハウをもってあなたの力になれるかもしれない。いえ、なるべきだと考えます。ですが、その前にお聞かせいただきたい。彼が行方を晦ませたのは何故です?」

「……喧嘩別れ、というには少々生臭い話になりますよ?」

「構いません」

 

 アバンが一度瞑目し、心を落ち着かせているように見えたのは、内心で決意を固めていたからだろうか?

 

「――修行に一区切りをつけ、ヒュンケルに一人前の証を渡したあの日、あの子は私を父の仇と叫んで飛び掛かってきました。私の命を狙った剣は鋭く、私は反射的に鞘で打ち払ったのです。……あの子の優れた剣腕が、私に手加減を許してくれなかった。ヒュンケルは勢い余って渓流に飲み込まれてしまったのです。私もすぐに飛び込んで下流を捜索しましたが力及ばず、あの子は今もって行方知れずのままです。……情けない限りですよ」

「つまり突発的な事故ではなかったのですね?」

「残念ながら。ヒュンケルは元々父の仇を討つために剣を握りました。彼は敬愛する父を死に追いやった私を憎み、その暗い感情は剣に殺気として宿るほどだったことをよく覚えています。結局私は、最後まで彼の闇を払ってあげることが出来なかった」

 

 ぽつりぽつりと漏らした告白には、きっと俺には想像できぬほどの葛藤と痛みが含まれていたのだろうと思う。恨まれていると知っていて、それでも約束を果たそうとした。あるいはヒュンケルの生きる力になればと半ば復讐を肯定していたのかもしれない。そんなお人好し相手だからこそ、俺は何も言わず、何も咎めず、伝えるべきことを伝えることに異存もない。

 確認を取るようにバランを見やり、間違いないと断じるような力強い目を受けて、すうっと大きく息を吸った。

 

「私はあなたの力になるといいました。ですからそのままお聞きください」

 

 そう前置いてからゆっくりと話し出す。

 

「……魔界にはある御伽噺が伝わっています。魔界最強の剣士と、その剣士を殺めた魔族の話です。誰も敵わなかった剣士を殺めた方法は、少女の姿に変化して剣士を油断させることで彼の剣を奪うことだった、とそんな寓話のようなものらしいのですが」

「申し訳ありません、それがヒュンケルのお話とどうつながるのか、私には今ひとつ……」

「失礼、肝心要の部分を後回しにしてしまいました。御伽噺に登場する最強の剣士が誰をモデルにしていたのかは諸説あるようなのですが、その一つに『ヒュンケル』という名があるようです。魔界に実在した有名な剣豪の名だったようですね。彼に肖ってヒュンケルという名を子に贈る親もいるのでしょう」

「そうかもしれませんね」

 

 まだアバンには戸惑いがある。それはそうだ、これで察しろというほうが無理がある。

 

「ところが最近、魔界で――正確には大魔王バーンの勢力圏において、ある噂が流れているそうです。近年バーンの居城に迎え入れられた小柄な戦士は優れた剣の使い手であり、伝え聞く風貌は白髪に鋭利な瞳、刃物のような殺気を漂わせ、一心不乱に剣の修練を繰り返す変わり者だと。素性は不確かなれど腕は確か、しかも明らかに子供の風体をしていて、名乗りはヒュンケルときたものです。あまりに符号することが多いためか、城下では『御伽噺に謳われた魔剣士の再来』だともっぱら噂になっているようですよ」

 

 竜の騎士様々である。彼なくしてこれほどの『生きた情報』は手に入らなかった。なにせ質云々を問題にする前に魔界を闊歩できる人材がバランしかいないのである。その情報一つ一つが値段のつけられぬほど貴重なものであることは言うまでもない。

 バランには足を向けて寝ることができんよ、マジで。

 ただでさえ日々の政務をこなし、軍務を済ませつつ自身の鍛錬にも励み、ダイの捜索のために世界中を飛び回り、暇を作ってはラーハルトに稽古もつけるという、これ以上とない激務の日々を送っているのだ。そこに俺の頼みで魔界にまで足を運んでもらっているのだから幾度頭を下げても足りない。……まあバラン本人も魔界の動静を確かめておくことは義務なのだから気にするな、とは言ってくれているが。

 

「アバン殿の弟子の名はヒュンケル。魔界の新進気鋭の少年剣士の名もヒュンケル。――これを偶然とお思いになりますか?」

 

 ひたとアバンを見据え、言い放つ。

 アバンは俺の語る内容に次第に目を見開き、身体に力が入り、最後には椅子を蹴飛ばして飛び掛らんばかりの勢いで、一言一句聞き逃すまいと身を乗り出していた。……その鬼気迫る様子が少し、いや、かなりおっかなかったことは秘密にしておこう。どうせおれの動揺もソアラ以外にはばれてるだろうけど。

 

「あの子が……魔界で生きている?」

 

 思いがけず知ることになった弟子の消息に、呆然とした面持ちで立ち尽くす。そんな弟子思いの師の姿にさもあらんと納得しながら、ここはあえて軽めに振舞おうと決めた。

 

「大袈裟ですよ、元より生存の可能性を信じて旅を続けてきたのでしょう?」

「ええ、ええ、その通りです。その通りですが、それでも私は――」

「喜びに水を差すのは私としても不本意ですが、万感に浸るのはまだ早いでしょう。噂の人物があなたのお弟子さんと決まったわけではありませんし、仮にあなたの探し人と同一人物だったとしても、お弟子さんは簡単に手を出せる場所にはいません。バラン様は確かにこちらと魔界を自由に行き来できる地上唯一の人ですが、本格的に大魔王と事を構えるような衝突は慎むようお願いしています。……『彼』がバーンの居城に匿われている以上、こちらから手を出すことは出来ません」

 

 一人のために地上全てを危うくするような真似は出来ない、と。

 

「隙があるようならバラン様に奪還してもらうのも手なのですが、なにせ場所が場所です。繰り返しますが、大魔王の居城にバラン様一人で挑ませるのだけは駄目です。ソアラ様はもちろん、私とて許容できません」

「探りを入れつつ機会を待つ、ということですね。承知しました」

「なにより彼は我々にとって反逆者予備軍です。今も彼は師を殺めるために剣の腕を磨き、故あれば魔王軍の尖兵になりえる素養と背景を持っている。それを否定はできません」

「……ええ」

「ただ、彼の存在がこちらの助けになっている部分もあります。大魔王が人間の子供を『飼う』ことにした理由を酔狂と読むのならばともかく、師殺しに燃える復讐鬼を『座興』と考えているのなら地上侵略の時期を読む指針になります。彼は何年であなたを凌ぐ力を得ると思います?」

 

 はっとアバンの顔に生気が戻る。いや、師の顔以上に勇者の顔が戻ってきたというべきなのかもしれない。明晰な頭脳が回転し、素早く結論を叩き出す。

 

「我流ならば十年、優れた師がつけば五年あれば十分でしょう。少なくとも成長期が終わり、身体が出来上がる頃には私と並ぶ剣腕を身に着けているはずです。もちろん目安に過ぎませんが」

「……本当に優れた素質を持っているのですね」

「私の誇りですから」

「その一言で流すにはちょっと厳しいです……」

 

 アバンを超えるということは、ハドラーを超えるということ。アバンの分析によれば、ヒュンケルは十五歳でかつて世界を災厄の渦に巻き込んだ魔王に比肩する実力を持つというのだ。そう考えるとヒュンケルもまた明らかに尋常の域を超えていた。

 まあ日常的にバランやラーハルトを見ている俺が驚くのもおかしな話なのかもしれないが。

 とはいえこの二人は出自からして人間じゃないからな。生まれも育ちも……間違えた、正真正銘人間の両親から生まれた、生粋の人間であるヒュンケルがこうも容易く魔王の領域に踏み込むと太鼓判を押されてはたまらない。どいつもこいつも、と、そっと溜息をつく程度の自由は許されて然るべきだろう。

 

 これも時代の巡り合わせか。幾千年続いた竜の騎士システムに狂いが生じ、決して子を授からぬはずのバランが何の因果かこの地上に自らの血を残した。そんな変革の時代に居合わせる綺羅星たちだ、過去の通例をはみ出す連中がぞろぞろと現れてもおかしくはない。

 俺も外から他人事として見物していられればよかったんだが、思い切り巻き込まれてるのが覆しようのない現実である。どこまで流れに竿を挿すことが出来るのかと、先行きに暗雲が漂わぬことを祈るばかり。

 

「弟子の不逞は師の監督不行き届きです。いずれヒュンケルなる剣士が魔王軍の尖兵として人類に厄才をもたらすのであれば、その時はあなたが弟子の始末をつけてください」

 

 ありあまる不安を断ち切るが如く、重々しい口調で一息に切り出した。こちら側の王族はこの場を俺に一任している、ゆえに口を挟まない。槍使いの混血児はもとより発言権を持たない。そして無慈悲な宣告を受けた心優しき師匠は――俺の言葉を受けてにっこりと微笑んで見せたのだった。その察しの良さがありがたいですよ、ほんと。

 

「それは私に彼の処遇を委ねていただけると考えてよろしいのですか?」

「違う意味に受け止められてしまったなら謹んで訂正させていただきますが?」

「ふふ、十分です」

 

 面倒ごとは丸投げ、これが偉い人の基本である。――などという冗談はともかく。

 

「これは例え話ですが、彼が『一国を落とす』ような深刻な被害を撒き散らした場合は情状酌量の余地もなくなってしまいます。よって穏便な処理をするためには被害は少なければ少ないほど好ましく、反逆者予備軍は予備軍のまま立ち消えさせてしまうのが皆にとっての幸福となります。そうでしょう?」

「同感です」

「私にとっての線引きも申し渡しておきますね。彼がアルキード王国に牙を剥いた時は容赦できません、その時は苛烈な対応になると心得ておいてください。……ただしこちらが標的になった場合もなるべく最悪が訪れぬよう配慮はします。迅速な対応のためにも我々の連絡は密にしておきたい。それでよろしいでしょうか?」

「重ね重ねお心遣い感謝します」

 

 最善はヒュンケルが自分から復讐の愚を悟るなり、養父に直接手を下した仇はアバンではなくハドラーだったことに気づいて大魔王への忠誠を失ったり、あたりなんだけど。望み薄かな、やっぱり。アバン憎しに凝り固まっている今のヒュンケルに接触するのは危険だしなあ……バーンに告げ口でもされたら目も当てられん。

 ベター案としては俺が口にした通り、ヒュンケルが人類側に被害を出す前に決着をつけてしまうことだ。可能ならばこちらに引き込む。不可能ならばその時は――。

 ふっと力を抜く。そんな最悪が現実にならないよう仕込みを行っているのだ、ヒュンケルについてはアバンの手腕に期待しておこう。愛弟子のためなのだ、粉骨砕身の心構えで望んでくれるはずである。

 

「ならばあとはお任せします。無論、お弟子さんの事情抜きでも助力は惜しみませんから、何かあれば頼ってくれて構いませんよ――バラン様を」

「ルベアよ、そこで私の名を出したら締まらんだろう」

 

 そうして場に明るい笑い声が戻った。何一つ解決はしていないが、解決に向けて努力することが確認できただけで大きな前進だろう。

 

「懸念といえばもう一つ。勝てますか、アバン殿? 次に彼があなたの元に現れる時は、間違いなく『魔王ハドラーを倒した勇者』を超える実力を身に着けて立ちはだかりましょう。あなたが評した剣の天才が、復讐のためだけに磨いた剣を打ち破らねば何も始まりませんよ?」

 

 半生を費やした人生の目的を安っぽい言葉一つで翻せるはずもない、どのような形であれ激突は必至だろう。となれば殺し合いを制する技量が必要だ。

 そんな俺の意をアバンは正しく読み取っていた。

 

「彼には確かに卒業の証を渡していますが、そう簡単に師匠超えを許しては張り合いもないでしょうからね。ついてはバラン殿やそちらのラーハルト君に稽古相手を所望したいところです。ご迷惑でなければ是非ご一考くださいな」

「道理ですね。アバン殿の要望ですが、いかが思われますか、バラン様?」

「聞くまでもあるまいよ、結んだ盟を果たすに異存はない。加えて本来竜の騎士が果たすべき地上の安寧を為してくれた恩人の頼みなのだ、最大限の便宜を図ると約束しよう」

「了解しました。さて、ラーハルトはどうだ?」

「願ってもない、こちらから申し出たかったくらいだ」

 

 戦士の血が騒ぐとでもいいたげな顔つきである。この二人、稽古相手に難儀しているせいか、戦闘狂ではなくても技を競い高めあう場には貪欲なところがある。この際だ、存分に遊び倒してくれ。あんたらが仕事を忘れない限り俺も文句はいわんよ。

 

「決定ですね。日程や場所の調整は私が担当しますので、事前に連絡をくれれば万事取り計らせていただきます」

「重ねて感謝を、このご恩は決して忘れません。……なにかお返しができればよいのですが」

 

 いけませんね、アバン様。俺は人の弱みに付け込むことが得意な人間なんですよ、そんな殊勝なことを口にされては歯止めがなくなってしまいます……なーんてな。

 心配せずともアバンにはこの先いくらでも働いてもらう機会があるし、この機会に是非とも尋ねておかねばならないこともあった。アバンの言葉尻をこれ幸いと捕らえて、俺が図々しさを発揮することは必然といえよう。

 

「でしたら一つ恩を返してもらいましょう。アバン殿、博識のあなたならばと見込んで尋ねたいことがあります。……『魔物が人間の子を守り育てる事例』をご存知ありませんか?」

「……困りました。君は本当に何者なのでしょうか?」

 

 睨まれるかと思ったが、何故だか呆れられてしまった。

 

「その問いに答える術はない、昔バラン様にそうお話したことを思い出しました。先の問い、どうか深読みはせぬよう伏してお願い申し上げます。望むのはイエスかノーの一語のみ、『誰が』と明かす必要はありません。私も『誰のために』と口にする気はありませんから」

 

 他言無用。

 たとえそれが自明のことであっても、口に出さぬことが優しさにつながることもある。

 

「そういうことでしたら正直にお答えしましょう」

「ありがとうございます」

「いえいえ。では――」

 

 こほんと咳払い。

 

「魔物が幼子、あるいは赤ん坊を育てるケースは実在します。少なくとも私は実例を知っていますよ。拾い子を慈しみ、健やかな成長を見守った心優しいモンスターがいたことを、生涯忘れることはないでしょう」

 

 この場にいる全員がアバンの語る『実例』が指す人物に思い当たっただろう。そして俺が前置きした通り、その内容に触れるものは誰一人いなかった。しかしアバンの側の事情には触れられなくとも、こちら側の事情には触れられる、触れざるをえない。そのために《託宣の御子》などという大仰な肩書きまで持ち出したのだから。

 

「ルベア、それはまさか……」

 

 ソアラの掠れたような囁きが耳を伝う。

 

「どうか今はそれ以上はお尋ねになりませぬよう。……細かな調整は陛下も交えた席がよろしいでしょう」

「……そうね。わかりました、今は我慢します」

 

 一時、場が停滞する。皆が次の言葉を捜しているようでいて、その一方で沈黙を破ることを恐れるような、そんな奇妙な時間が過ぎ去っていく。結局、その静寂を壊したのはアバンだった。

 

「久しぶりに肝が冷えました。君は私の予想以上に怖い子でしたね」

「先日の意趣返しじゃありませんけど、それこそお互い様だと返させていただきますよ。とはいえ我々は手を携える幸運の中にある。違いますか?」

「ええ、その通りです」

 

 じっと見詰め合っていたアバンの表情からふっと緊張が抜け、その眼差しはやんちゃな子供を見るような優しいものに変わった。その内心まではさすがに俺では察することはできないが、アバンなりに煩悶を決着させた証拠だったのだろうと思う。きっとそれはかつてバランとソアラが、あるいはアルキード王やテラン王が経験した葛藤と似たものだったのだろう。

 

 手が伸びたのはどちらが先だったのか。軽く触れ合うように結ばれた手はさして力強く掴まれていたわけでもないのに、これ以上とない安心感をもたらしてくれた。それは深い叡智を秘めた賢者が相手ゆえの安堵か、あるいはこれこそが勇者の名が背負う重みと肌で感じたがゆえだったのか。いずれにせよこの時の俺の心は喜びに包まれていたことは間違いなかった。

 

 自身の口にした通り、あらゆる幸運をしみじみ思い噛み締めていたところで、不意に忍び笑いが耳朶を揺らした。発生源はアバンだ。俺の視線に気づいたアバンはそれでも笑みを絶やすことなく、にんまりとさらに相好を崩すのだった。

 

「どうかされましたか?」

「いえ、先日お会いした折に君の言った言葉通りの結果になったと思いまして。この通り強かに打ち据えられてしまいました」

「そうでなければ格好がつきませんからね、見栄を張るためにも全霊をもって約定を果たさせていただきました。もしやご不快に思われたでしょうか?」

「いえいえ、このような清清しい気持ちになれるのでしたら、この先何度でも打ち据えてもらいたいくらいですよ」

「残念ながら品切れです。あとはご自分でどうにかしてください」

「では存分に頼らせていただきましょう」

「……あの、話が噛み合っていませんよ、アバン殿?」

「そんなことはありませんよ。これ以上となく噛み合っています」

 

 満面の笑みがそこにはあった。そして、一言。

 

「――言ったでしょう? 君という人間が少しわかった気がする、と」

 

 アバンの囁くようなそれは、ひどく優しい色をしていた。こちらが気恥ずかしくなるくらい真っ直ぐな口説き文句に、照れくさくなって顔を背けてしまう。

 しかして残念ながら、逃げたその先にも暖かな微笑みを浮かべた竜の騎士と慈愛の姫に出迎えられ、居た堪れなくなった俺は最後の砦とばかりに半魔の混血児に縋るが、案の定というか「諦めろ」と目で語られ、ふんと鼻で笑われる始末だった。無念だ、ここに俺の味方はいない。

 

 そうして俺は泣く泣く天を仰ぎ――けれど彼等に負けぬほどの満ち足りた想いをそっと口の端に乗せたのだった。


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