明かりが届かない帝都の片隅で、懐中時計がカチリと時間を刻んだ。
龍驤〈うち〉がその時計にせかされる様に広げたのは、帝都の地図や。
「作戦のおさらいをするで。摩耶」
「暗くてよく見えねぇから、その明かりをもうちょっと近づけて――」
「これでええか?」
「おう。バッチリ」
路地裏の先にある帝都の大通りは、まだ賑やかやった。
コソコソするのは性にあわんが仕方ない。
「うち等が、いま居る裏路地がココや。
ココをドカーンと出発したら、直ぐにギュルギュルと右に曲がって、そこの大通りをズゴゴと進む。
チンチン電車〈=路面電車〉のある通りまで行ったら、左に曲がってガラガラと突っ走り、ココまで行ったらチュドーンと撤退や。
分ったか?」
地図に指を沿わせると、摩耶の目がそれを追うからちょっと面白い。
「細かい事は苦手だぜ」
「何所が細かいねん。対空攻撃より簡単やないか」
「対空攻撃のほうが簡単なんだよ」
愚問やったな、そう言えなかったのは見つかりそうになったからや。
スーツを着ているから会社員らしい。
『あれ?』
『どうした?』
『そこの、ほれ。裏路地の暗がりで何か動かなかったか? リアカーの奥』
『気のせいだろ。ところで聞いたか? ミッドウェー海戦の話』
『聞いた聞いた。大勝利だってな。この戦争勝ったな。日露戦争は不甲斐ない結果で終わったからな』
『お前、日比谷の焼き討ちに加わってないだろうなー』
びっくりした。
見つかったかと思ったで。
うちは胸をなで下ろしたが、リアカーの影にいる摩耶はふくれっ面だった。
「け。いい気なもんだぜ。何にも知らねぇくせによー」
「景気の良い事のみが、報道されとるからな。しゃーないわ」
懐中時計は、作戦開始を告げていた。
「用意はええか?」
「おう」
摩耶とうちは、コートを目深に被ると、鐘楼を載せたリアカーに手を掛けた。
「「よぉーい……どん!」」
◆
日が落ちてまだ間もない都は、まだ賑わっていた。
大通りには人々を乗せた路面電車が行き交い、屋台からは歓談の声がする。
家路につく人よりは、酒場に繰り出す人の方が多かった。
戦時中のささやかな憩いに水を差すのは気が引けるが、やむを得ん。
リアカーに積まれているレバーをグイと倒せば、回転している車輪を動力に、鐘楼がけたたましい音を鳴らし始めた。
『カンカンカン!』
通りを爆走しているうち等を見る人々が、顔を引きつらせるのは当然や。
『カンカンカン!』
だってこれは、空襲の合図に他ならん。
「摩耶! いくで!」
「おう!」
「「せぇのっ!」」
うち等は命一杯吸い込んだ息を、吐き出した。
「敵が来るぜー!」
「敵の新兵器やでー!」
「全部やられて大変だぜー!」
「ボッコボコに負けてまうでー!」
出だしは上々と思う間もなく、もうお巡りさんが来た。
器用な事に、警棒を頭上で振り回しながら走っとる。
「こらー! 待たんかー! この悪太郎どもー!」
悪太郎?
男に間違えられたんか、うち。
失敬なお巡りさんやな。
「明治生まれは仕事熱心やなー!」
「ばっかもーん! 本官は大正生まれだー!」
ちょっとすっきりした。
「摩耶このまま突っ切るで!」
「よっしゃぁ!」
しかし、うち等の司令官の無茶振りにも困ったもんや。
《作戦は良いが、捕まったらどうするんや?》
《絶対に捕まるな》
だもん。
『なんだ! 物取りか!?』
『おい! 行ってみようぜ!』
右へ左へまた右へ。
人混みを避け、電柱を避ける度に、お巡りさんどころか野次馬までもが、どんどん増える。
これ、ヤバかないか?
「龍驤! 時間は!?」
「もうちょいや!」
摩耶の焦りは最もやが、作戦時間まで持ちこたえないとならん。
「最後の曲がり角だぜ!」
間が悪いとはよく言ったもので、そこに子犬がおった。
「げっ! こらあかん!」
急な方向転換が祟って、うち等は盛大にすっ転んだ。
ガランゴロンと、外れた鐘楼が転がり落ちた。
その音の痛そうなこと。
うちの体も当然痛い。
「いっててて! ふぇえ……」
気がつけば、怖そうな顔でうち等を睨み下ろすお巡りさんらに囲まれていた……こりゃマズいでぇ!
「この戦時にあんなホラなど吹きおって!」
「いやコレには深い訳があってな!」
「話なら署でじっくり聞いてやろう。その前に……顔を見せんか!」
話してたのはうちなのに、その手は真っ直ぐに摩耶へ向かった。
アレか、コートの上からでも胸の大きさが分るちゅーんかっ!
「てめぇ! どこ触ってやがる!」
「女? ってその声、」
「あ、お前、あたしの、」
どうやら、この若いお巡りさんは摩耶の元乗組員らしい。
ほれ。事実、摩耶と見つめ合って……なんでやねん。
「あ、えーと、だな、これは、そのだな、」
「その節はお世話になりま、した?」
「どっちかというと、あたしが世話になった様な気もする。幼なじみとは上手く行ったのかよ」
「え、ご存じだったんですか」
「艦内で皆と話してたろ。あれだけ騒げば丸聞こえだぜ」
「あ、あぁ。この間祝言をあげました」
「そっか。やったじゃねぇか!」
野次馬達が白けるのも無理はない。
「「「なんだ。ただの惚気話かよ」」」
「ちがう!」
まぁ、おめでとさん。
そうしていたら、懐中時計がカチリと動いた。
よっしゃ!
時間や!
「はいはい! 全員注ぅー目!!」
その場に居た全員は、うちが指さした方を、一斉に見た。
すると、本通りの向こうにある東京湾、更にその先の水平線から、強い光が立ち上った。
当然、野次馬達はざわつき始める。
「お天道様?」
「馬鹿いえ。日没はついさっ、」
皆が最後まで言う事が出来なかったのは、その光が、夜の帝都を瞬く間に覆い尽くしたからや。
それは、彼方の町まで届きそうな程に強烈な光やった。
警官は勿論誰もが、人の業が作りだした原子の光に、ただ突っ立っていた。
魂を抜かれてしまったかの様や。
彼方の水平線に立ち上がったのは、巨大なキノコ形状の雲……これが核か。
司令官はこんなモノを、腹に抱えとったんか。
性格が歪むのも無理はない。
(……摩耶。任務完了や。さっさと引き上げるで)
「これ、が、落とされてたらどうなってたんだ……」
「摩耶!」
「あ、お、おう」
◆◆
同時刻 東京湾 埠頭
十分に遠くともそれでも尚強烈な光は、アスファルトに人影を落とした。
人影は時と共に徐々に薄くなり、空に月明かりが戻った頃には完全に消えた。
だが影の主は微動だにしなかった。
影の主は、陸海軍の統帥でありまたその国そのものであった。
近衛の制止も聞かず、鹵獲した新兵器の威力を、見定めんとしたのである。
総理大臣・外務大臣・参謀総長、そうそうたる面々がソレの威力に言葉を失う中にあって、山本はただ頭を垂れ言葉を待った。
影の主が外した保護グラスが、月光を浴びて鋭く光る。
「――。」
「は」
山本は、在米大使館への緊急電を命じた。
彼が平文でと厳命したそれに記された内容は、和平交渉である。