ちゃぷ。
これは慣れ親しんだ水の音だ。
目を開けなくても分るのは、私が船だからだ。
『――。』
風は優しく、穏やかな凪の日らしい。
暖かい日の光もあった。
きっと、雲一つ無いに違いない。
こんな海を、軽く巡航〈はしった〉ら、とても気持ちが良いだろう。
『――ら』
大海原に描かれる曳き波は、遠く遠く、水平線の彼方にまで届くのだ。
『―がら』
私の艦名〈なまえ〉を呼ぶ声で、ゆっくり目を開けると顔が三つ並んでいた。
妙高・那智・羽黒 ――私の姉妹艦だ。
『―しがら』
でもどうしたことだろう。
妙高は深刻そうな顔をしている。
羽黒など泣きそうだ。
でも、那智が私の目の前で手の平を振っているのは、何故だろうか。
挨拶と言うよりは、診断の様に見える。
……目を開ければ?
あれ?
姉妹艦が~しそうな顔?
あら?
艦艇に、顔? ……ちょっと待って。
そもそも、那智姉さんと羽黒は沈んだ筈……
《お主の願いを叶えてやろう》
って事は――突然暗くなったのは、那智が右手を高々と掲げているからである。
何なのだろうか、その自信満々な顔は。
まるで、壊れたおもちゃも叩けば直ると言わんばかりでは無いか。
何なのだろうか。
敬礼の亜種かと思えば、どう見ても手刀の打ち下ろしではないか。
「ちょ、まっ!」
制止を促す私の声は、残念ながらほんの少しだけ遅かった。
「斜め四五度チョップ!」
「きゃーーーっ!」
パッコーンという腹が立つ程心地よい音は、空と海の狭間に消えた。
◆
巨大な貨物を吊したりするガントリークレーン。
船が接岸する為の岸壁・桟橋。
姉妹らに連れられて歩くその場所は、見慣れた軍港だ。
なのに違和を感じるのは、見慣れない大勢の陰陽師たちが居るからだ。
木製の巨大な鳥居があれば、神社の雰囲気すら合った。
「いや、お疲れ様です。三度目の正直と言いますが大型艦は難しいですか?」
「金剛は素直でしたが、この船は実に手強かったですな」
白い軍服を着た将校が、年老いた陰陽師をねぎらっていた。
どういう事だろうか。
「もう駄目かと思ったわ。余り心配させないでね」
軽く振り返りながら言うのは、長女らしく先頭を行く妙高姉さんだ。
「足柄は、二度艦娘への儀式に失敗している。羽黒より遅いのは、その為だ。三度目で駄目なら、中止に成る予定だった」
私の右隣を歩く那智姉さんは、見るからに厳しそうだ。
失敗……神の影響だろう。
他に考えられないし。
「足柄姉さんは、人の体に戸惑いがないんですね。羽黒はビックリしました」
最後は羽黒だ。
控えめに一番最後を歩いていた。
「(そりゃぁ、経験済みだなんて、言えないし)」
「ごめんなさい。今なんて?」
「あ、ごめん。なんでもないのよ羽黒ちゃん」
「やっと会えたかと思えば、まだ寝ぼけているのか。この調子ではさい先不安だな」
「那智姉さんに叩かれた頭が痛いのよ」
頭が痛いとは、妙な感じだ。
「ほう。そうか、そうか。姉のせいにする不誠実な妹はしっかり指導しないといけないな」
「皆。姉妹喧嘩は駄目よ」
「一番怖いのは妙高姉さんですよ」
「足柄も妙高〈あねうえ〉だけは怒らせるなよ」
「二人とも?」
「「なんでもありません」」
穏やかな空気があった。
鋼の船型だった頃には、無かった感覚だ。
だが、人型に成るなんて良い事なのだろうか……いや、人型だろうと船型だろうと関係ない。
開戦までにパワーアップして今度こそ勝利を!
あんな結末なんて認めない!
◆
「無事に妙高型が揃った様だな」
その声は突然だった。
将校が立っていた事に気づかなかったのは、思いにふけっていたからだろうが、戸惑ったのは、その姿が余りにもらしくなかったからだ。
色白で、華奢、まるで女の子の様だ。
年齢は……二〇代半ばだろうか。
姉妹達が敬礼をしたので、私も流される様にしてしまった。
うわ、目が合った。
「折角の再会に水を差す様で悪いが、これから軍令部に向かう。妙高と羽黒は足柄を案内してやれ。那智は同行しろ」
「かしこまりました」
「はい」
「ふむ。司令官の命では仕方ない」
十分後に正門でと、逢い引きの約束の様な言葉を残して、その将校は去って行った。
あんな人居たっけ?
「私たちの提督よ。少し前に着任されたの。若くして抜擢された逸材と言う話よ」
妙高姉さんは、気が利くわね。
疑問に気づいてくれるなんて、流石一番艦。
「それだけ優秀って事なんですよ」
はて。
羽黒ちゃんは、どこか誇らしげだ。
「羽黒は、あの少年提督の肩を持つのだな。ああいうのが良いのか」
対する那智姉さんの物言いは、悪戯めいていた。
「え、や、やだ! 変な事を言わないでください!」
「だと良いがな」
「そう言う那智も、何時の頃からか提督に親身よね」
「冗談は困ります。海軍軍人たるもの、屈強で精悍でなくては――」
賑やかな姉妹達をよそに、私は、徐々に小さくなる彼の後ろ姿から目を離せなかった。
「那智姉さん。随分若い様だけれど、あの提督は何歳なの?」
「十七歳だ」
「じゅうななっ!?」