ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
そう、それは酷い有様であった。
「違う、違う違う……違、う……っ」
本当に酷い有様で。尋常ではない有様で。
「僕は……僕は、僕は僕は僕は……!」
その有様が正気ではないことは、火を見るよりも明らかなのは確かめるまでもなくて。その有様が異常を極めていることは、誰もが容易に見て取れて。
「ゔ、あ、ぁぁ……あ、ぁあああぁぁぁ…………ッ!!」
そしてそんな有様を、悲痛この上ない醜態を。早朝静かな『
無論、そのようなクラハを目の当たりにして、何もせずに黙っていられるラグナではなく。最初こそ驚愕を伴う衝撃に意識を叩かれ、否応なしに思考が止められ、呆気に取られて。不覚にも呆然としてしまったが。
「ク、クラハ……クラハ!」
それでもすぐさま我に返り、ラグナは即座にその場から駆け出す────直前。
『僕の知っているラグナ先輩じゃない、
既のところで、その言葉が。ただただ、ひたすらに冷たくラグナの脳裏に響き渡った。
──っ……。
それがラグナの足を鈍らせ重くさせ、なんということのないたかが一歩を踏み出すのを躊躇わせるのには。あまりにも充分過ぎる程に、事足りた。事足りてしまった。
一瞬にも満たないという表現ですら遅い、極まった刹那の最中で。ラグナは未だ躊躇しながら、混迷として止まない懊悩をその胸中に抱え込み、苦心する。
いいのだろうかと。自分がそうしても、いいのだろうかと。その資格があるのだろうかと。
駆け出して、寄り添って。痛ましく震えているその身体を抱き締め、今にでも砕けて壊れてしまいそうなその心を癒しながら。精一杯の温もりを込めた、もう大丈夫だと優しい言葉で以て慰め、安らげさせる────────果たして、そうしてもいい資格が自分にはあるのだろうか。
『僕の知っているラグナ先輩じゃない、
クラハの知る
未だ断ち切れずにいる懊悩から出る己への問い。それに対し、ラグナはすぐさま答えを出す。
──んなもん、ある訳ねえ。
聞かれるまでもなく。考えるまでもなく。間違いなく、ないと。そう、ラグナはその答えを断言する。
だが、
「ゔあ゛、あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……っ」
駆け出す資格がないから。寄り添う資格がないから。抱き締める資格がないから。慰める資格がないから。そうする資格が何一つとしてないのだから。
「止めろ、違う……僕は……こ、こんな……あんな、ことを……っ!」
……けれど、
故に、こうやって。尋常ではない様子で苦しみ、顔半分を片手で覆い隠すように押さえる辛そうなその姿を。こうやって、黙って眺める──────────
──ふっっっざけんなッ!!!
──────────訳などなく。そんな訳があっていいはずも、全くなく。
──資格がねえからって、だからって……!
それ故に、こんな理由などで。この上なくつまらない、くだらないこんな理由などで。
──こんなんになっちまってるクラハを放っておけるかよッ!!
為す術もなく止められ、ただただ無抵抗でその場に縛られていていい訳もない。
本当ならば脇目も振らず即座に、形振り構わず咄嗟に動くべきであった場面。動かなければならなかった時に、不覚にも呆気に取られて固まって。次いでにその一歩を踏み出すことを躊躇った自分自身に憤りを募らせながら、ラグナは拳を固く握り締める。
──……ごめんメルネ!
最短距離を突っ切る為に、受付嬢にとって大切な
──待ってろクラハ。今すぐ、俺が行ってやるから。
と、意気込むラグナは苦労しながらも、どうにか受付台に上がって。それから足首を挫いたりなどしないよう、気をつけながら慎重に下りる。そうして、ラグナは受付台の内側から外側へ、再び立った。
「ぅぐっ、ぁぁ、ぁぁぁ……っ」
今自分がこうしている間にも、クラハはずっと苦しんでいる。酷く辛そうに呻いている。そのことを、すぐ眼前にあるその現実を改めて受け止めたラグナは、顔を上げその名を叫ぶ。
「クラハ!」
呼びながら、ラグナは己が抱いたその決意を奮い立たせる。力の限り。力のあらん限りに。奮わせ、言う。
──今行くから。今すぐにでも俺が行くから……!他の誰でもない、お前の為にッ!!
『止めてくださいよ、僕を
その瞬間のことだった。今度こそ、クラハの元へ駆け出そうとした瞬間、その言葉がラグナの鼓膜を冷徹に、冷酷に。そして静かに震わせた。震わせ、今こそ先へ踏み出さんとしていたラグナの一歩を、またしても容易く呆気なく止めてみせた。
──ち、違う……っ。これは俺の幻聴。俺の幻聴、だから……!
堪らず目を見開いたラグナは、慌ててそう自分に言い聞かせる。
事実、それはラグナの幻聴に過ぎず。実際、クラハは今や息絶え絶えになりながら苦悶の声を漏らし、ラグナの目の前で呻いている。それは紛れもない、確かな現実である。
だと、いうのに。
『止めてくださいよ、僕を
その声が。その言葉が。ラグナの脳裏で響いて止まない。ずっと響いて、こびりついて、止まらない。
──違う。違う、違う、違う違う違うっ!言ってねえ!んなこと、そんなこと……クラハは今言ってっ……。
さっきと同じように今も立ち止まってしまっている自分を一秒でも早く動かす為に、ラグナは必死に自分に言い聞かせ続けていた。言い聞かせ、そして気づいた。
──…………今、言って……クラハは言って、なんか……。
確かに。それはラグナの幻聴で、クラハが今言ったことではない────が、しかし。
──クラハは言って…………。
──俺に、言って………………。
「止めてくださいよ、僕を