ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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消えてしまえばいい

 徐々に徐々に、一切合切の光も届かせんとする深淵の暗澹へ。為す術もなく成すがままに、抗おうともせずにただ無抵抗に沈んでいくラグナ。

 

 ──もう、なんも……考えられ、ね、ぇ……。

 

 倒れた身体は完全に脱力してしまって、もはや手足の指一本とて動かせそうにない。この窮地からどうにか脱出しようにも、その為の思考もまた、その脱力感に触発されたのであろう虚脱感に。頭の中を覆われ、包まれて。その結果鈍ってしまって、曇ってしまって、どうにもなりそうにない。

 

 もはや、今のこの危機的状況を覆すことは到底叶わないのだと、他人事同然にぼんやりとラグナは思い知らされ。こうしている間にも、闇に沈み、呑まれ、引き摺り込まれてしまっていって────そんな時のこと。

 

 ラグナ自身、別にそうしたかった訳ではない。そうしようと思い、考え、そして行動した訳ではない。そもそも、今のラグナにそう思考する余裕など全くもって皆無なのだから。

 

 謂わば、それはラグナの無意識下での行動で。しかし、もし好意的に捉えるとするならば、それは。矮小で細やかな抵抗すらできずにいたラグナの、なけなしで唯一の反抗でもあった。

 

 微睡みに誘われるようにして、ゆっくりと閉ざしたその瞼を。ラグナは今この時、この瞬間、この期に及んで。薄らとではあったが、それでも確かに開いたのである。

 

「………………ぁ」

 

 視界の良好度合いは最悪の一言に尽きた。薄らとである為に半分程度しかなく、その上どろりと濁って淀んで、映す何もかもがぼやけてしまって、ろくに見えやしない。

 

 ……だというのに。ラグナは見た。ラグナはその視界の最中に、その姿を。確とはっきりに映し込んでいた。

 

 周囲は漆黒。明かりとなる光など僅かすらもない。なのに、その姿だけは鮮明に、色彩鮮やかに映る。ラグナはそれが堪らなく不思議に思えて、仕方がない。

 

 闇へ沈み続けながらに、心の中で。その名前をラグナはそっと静かに呟く。

 

 ──……クラ、ハ……?

 

 つい先程までは、声だけの存在でしかなかった。ついさっきまでは、言葉だけの存在でしかなかった。ラグナの頭の中で残響する声と、羅列する言葉だけの。虚空にして虚構の存在(モノ)に過ぎず、漆黒が塗り潰し、暗黒が埋め尽くす空間には存在する訳もないはずだった。

 

 だのに、今。ラグナの視界の最中にて、映り込んでいた。幻覚と片付けるには些か無理がある、これ以上にない現実味を帯びながらに。

 

 ──クラハ……。

 

大翼の不死鳥(フェニシオン)』の《S》冒険者(ランカー)────クラハ=ウインドアは、そこに立っていた。

 

「……」

 

 力なく横たわり、今すぐにでも闇に溺れんとするラグナに。背を向けてではあるが、揺らぎない確かな現実として、そのクラハは立っている。

 

 その姿を映し、見つめたラグナ。瞬間、虚無めいた空白となっていたラグナの頭の中で、唐突に────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん……お前しか助けられなくて、ごめん……ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────酷く、懐かしい声が響き渡った。

 

「……っ」

 

 ラグナは知っている。

 

『ごめん……お前しか助けられなくて、ごめん……ッ』

 

 その声の主が、一体誰であったのかを。知っている────否、確と()()()()()

 

「ぁ、ぁぁ……っ」

 

 瞬間、何もかもが真っ白な空白の頭の中で次々に浮かぶ光景の数々。それは浮かび上がっては目まぐるしく切り替わり、そして埋め尽くす。

 

 ラグナの空白を。ラグナの虚空を。ラグナの虚無を。埋めて、埋めて、埋め尽くしていく。一分の隙間なく、隅から隅まで、僅かな余地すら少しも残さず、全て。

 

 気がつけば、頭の中を覆って包んで、思考を鈍らせ曇らせていた虚脱感は吹き飛んで消えていた。

 

「く、ぅ……はぁ、ぁああ……っ!」

 

 そして全身の脱力感も。鉛のように重たかったことがまるで嘘だったかのように身体は軽くなり、そこら中から漲って溢れて止まらない力が、手足に伝っていくのをひしひしとラグナは感じ取る。

 

 そうして、薄らと開けていた瞼を全開に、闇の中へ完全に沈んでしまった自らの腕を。その力のままに、ラグナは振り上げた。

 

 その様はさながら、粘度の高い液体が如く。闇が徐々に迫り上げられて、ゆっくりと盛り上がる。時間をかけながら、着実に────そして、その時は唐突に訪れた。

 

「うああああああッ!!」

 

 ラグナの口から必死の叫びが迸ると同時に。こんもりと盛り上がった闇が裂け、割れ、弾け。直後、その下からラグナの華奢な細腕が突き出し、現れた。

 

 そこから先のラグナは、怒涛の勢いだった。闇の最中から振り上げたその腕を振り下ろし、手を闇の表面へと叩きつける。

 

 現状、下半身はおろか臍の上辺りまでが完全に闇に沈み込んでしまっているラグナの身体であるが。しかし、今し方闇を叩いたその手は沈まない。

 

 そんな不可思議極まる現象には目もくれず、ラグナはその顔を決死の形相に歪ませ、くぐもった声を荒く漏らしながらに。先程から全身の至るところから漲って溢れて止まらないでいる力をあらん限りに振り絞り、そして振り絞ったそれを余すことなく腕へ集中させると。

 

「ふんぐ、ぅぅぅッ……!」

 

 闇へ沈んでしまっていたラグナの身体が、少しずつ。徐々に、ゆっくりと引き上げられ始め────

 

 

 

「ぅおおらぁあああああッ!!!!」

 

 

 

 ────そうして、張り上げられたラグナの気合いの怒声と共に、闇の最中から完全に引き上げられた。

 

「はあっ、はぁ、は……っ」

 

 闇に沈んでいた半身の浮上を果たしたラグナ。体力の大半を費やした為に、すぐには立ち上がれず。ラグナは息絶え絶えに、荒い呼吸を何度も繰り返す。繰り返しながら、心の中で呟く。

 

 ──ま、だ……。

 

 呟きながら、今やラグナにとっては普通の地面と何ら変わらない闇の表面につく手に力を込める。

 

 ──まだ、死ねない……終われない……!

 

 そして今一度、ゆっくりと。危なげにふらつきながらも、ラグナは立ち上がった。立ち上がり、顔を上げ、吼えるように。

 

「俺は!死ねねえんだよ、終われねえんだよッ!」

 

 そう、叫んでみせた。その表情にはもう、先程までの昏き絶望と失意に呑まれ、色を失った虚無はなく。

 

 輝く希望と決意に彩られた、気高き覚悟が。今、そこにあった。

 

「だから、だから……だからッ!」

 

 依然としてこちらに背を向けたままでいるクラハの姿を遠目に見据えながら。ラグナは一歩、前へ踏み出し。そうして一気に、その場から勢いよく、軽やかに駆け出す────ラグナはもう、闇に沈まない。

 

 紅蓮に煌めく赤髪を揺らし。真紅の瞳に燃ゆる炎を灯し。ラグナは闇の最中を駆け抜け、そして。

 

「クラハッ!!」

 

 すぐそこまで。少し手を伸ばせば届くところまで、ラグナは辿り着いた。辿り着き、その名を叫ぶ。叫ばずには、いられなかった。

 

 時間にしてみれば、それはほんの十数秒という。あっさりとした、意外と短い間の出来事。

 

 名を呼ばれた為か、今の今まで背を向けていたクラハであったが。不自然な程に微動だにせずその場に突っ立っていた彼が、ゆっくりと。今にでもその手を届かせんとするラグナの方へと、振り返る。

 

 振り返ったクラハの顔を、ラグナは目の当たりにする。今、その表情にあったのは──────────果てしない虚無だった。

 

 ──え……。

 

 と、それをラグナが訝しむ間もなく。感情らしい感情を一切読み取れない、人形が如き無表情をしたまま、クラハがその口を開かせる。

 

「消えてしまえばいい」

 

 開かせて、そう。躊躇わずに、容赦なく。目の前に立つラグナへ、そう告げた。

 

「…………は……」

 

 最初、そう言われたことを上手く理解できず。一呼吸遅れて、間の抜けた声を呆然と漏らすラグナ。そんなラグナのことなどお構いなしに、クラハが言葉を続ける。

 

 

 

「あなたなんて、消えてしまえばいい」

 

 

 

 謂うなれば────などでは、もはやなく。まさにそれは、紛うことなき言葉の刃。鋭き冷き、言葉の刃。

 

 

 

「自分一人では何もできやしない、非力で無力なあなたには、何の価値だってありはしない」

 

 

 

 その刃は切り刻む。ラグナの身も心も、その刃が切り刻む。

 

 

 

「無価値なのだから、もう消えてしまえばいいんだ」

 

 

 

 そしてそれが、終いの(とど)めとなった。

 

「……ぅ、ぁ」

 

 唐突に、遠慮なく切られ。突然に、容赦なく刻まれ。突如として、遠慮容赦なく、クラハに切り刻まれて。ラグナは駆けたその足を止め、力が抜けた呻き声を弱々しく漏らすことしかできない。あと少しで届いていたはずの、伸ばしたその手は────宙で静止していた。

 

 動揺、混乱、当惑、悲哀、寂寥────そういった様々な感情が滅茶苦茶に入り乱れた上で、もうどうにもならない程までグチャグチャに掻き混ぜられたような表情を浮かべ。そして静かに、ラグナは真紅の瞳の縁に涙を滲ませ、その涙はすぐさま雫となって零れ落ちる。

 

 まるで胸の内を抉り裂かれたかのような気分だった。そんな気分に陥ったラグナが、堪らずというように数歩、クラハから後退り。

 

 直後、ラグナの背後に広がっていた漆黒の昏闇から無数の────()()()()()()が伸びて。

 

 伸びたその手全てが群がりながらラグナに殺到し。ラグナの足や太腿、臀部に腰に腹、胸と肩と首、そして頭を。それぞれ無遠慮に掴むと、そのまま後方へとラグナの身体を引っ張り。

 

 

 

 

 

 トプン────そのまま、ラグナは闇に失せた。


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