ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
『
掃除が隅々にまで、的確に行き届いているおかげか。この来賓室は清潔感で満たされており、いるだけでその者を上機嫌にさせてくれる────が、今だけは違う。
「……」
「……」
鼻腔に取り込み、肺へ送り込むことを躊躇ってしまうような。そんな鬱屈とした重苦しい空気で充満しており、いるだけで陰鬱な気分になって。余程感受性に乏しく、感情性に欠けた者でなければ。途端にうんざりとしてしまい、あっという間に塞ぎ込んでしまうに違いない。
そんな部屋の、そんな空気の真っ只中にて。今、二人の人間が存在していた。
『大翼の不死鳥』に所属する、新進気鋭の《S》
元は世界最強と謳われる《SS》冒険者の一人、しかし今やその見る影もない、『大翼の不死鳥』の新人受付嬢────ラグナ=アルティ=ブレイズ。
その二人が今、ソファに座り。テーブルを挟み、互いに顔を見合わせている。
……いや、見合わせているというのは些か表現違いだろう。
何故なら────ラグナは顔を俯かせてはいないものの、その視線は定まらず常に周囲を泳ぎつつ。時折、遠慮がちに面と向かって座っている相手に注がれる。けれどそれは数秒も続かず、気がつけば再び明後日の方向へと向いている。
だが、それでもマシである。だいぶマシなのである。どんな形であれ、一応は向き合おうとする意思がラグナにはあるのだから。
では向こう側────当の相手たるクラハといえば。それはもう、酷いものだった。
ラグナのように落ち着きなく、視線が常に周囲を泳いでいるという訳ではないが。暗澹とした闇が広大に続く、空虚な瞳が捉えるのはテーブルの一点のみで。全く以て微動だにしない。
そう、ラグナがこちらと向かい合った時から。ラグナがソファに座った時から。ラグナがおっかなびっくり歩き進んだ時から。ラグナが非常に気不味そうに部屋に入った時から。
ラグナが慎重に扉を叩き、中にクラハがいることを訊ねた時から。
ラグナが知る由もないが。扉が叩かれ、中にいることを訊ねられたその時でさえ────クラハの視線が僅かにも揺らぐことなく、一心不乱にテーブルの一点に注がれていた。
なので、会話など始まる訳がなく。部屋を共にしてから今に至るまで、恐らく十数分の間。こんな様子のクラハは当然として、ラグナもこの状況と空気に口を開くことを憚られてしまい、一言すら出せないでいた。
十数分にも亘って続く沈黙と静寂。それらに伴う息苦しさと気不味さは尋常ではなく、しかもそれは続けば続く限り、際限なく膨張し増大する。
さらにどうしようもないことに、膨張し続け増大し続けたその末に破裂────
破裂するということは少なからず、状況が進展するということだ。至極極端で単純な話────
だが、今回はその限りではない。この息苦しさと気不味さは膨張し続け、増大し続ける。何時迄も、何処迄も。
それをラグナは自ずと理解していた。最初からずっと、とっくのとうに。
以前までなら。三日前ならば。否────
『さようなら、
────あんなことがなければ。まず、こんな状況に陥ることなど万に一つもなかった。そのはずだった、というのに。
『あなたなんて、消えてしまえばいい』
もはや全てが、何もかもが。手の施しようがない程に手遅れで。
『自分一人では何もできやしない、非力で無力なあなたには、何の価値だってありはしない』
取り戻しようのない事態が、取り返しのつかない悪化を辿って、辿り切ってしまって。
『無価値なのだから、もう消えてしまえばいいんだ』
その結果が、これだ。もう、どうしようもなかった。
どうすることもできなかった。どうすればいいのか、わからなかった。
わからなくなった。考えられなくなった。考えたくなかった。
「……っ」
ギュ──無意識の内に、ラグナはスカートの裾を握り締める。
おい、クラハ。お前何黙ってんだ──────────嘘を吐いた。誤魔化した。
お前が俺を呼び出したんだろ。俺に話があんじゃねえのか?──────────本当はわかっていた。考えていた。
だから、そんな風に黙ってないで。いい加減、話してくれよ──────────でも、無理だった。駄目だった。
──……今の、俺じゃ。
そう、今の。こんな有様の自分では。こんな無様な自分なんかには、もう。
クラハに対して強気に出れる度胸もない。クラハに対してそう言える勇気もない。
その全部を、ラグナは失ってしまっていた。
状況は変わらない。事態は進展しない。時間だけが無情にもただ過ぎ去っていくばかり──────────に思えた、その時。
「この三日で、随分と慣れたようですね」
今の今まで、固く閉ざし。何があろうと、どんなことが起きようとも決して。開かないだろうと思われたその口を、ここに来て開き。
深く黙り込んでいたクラハが、遂に言葉を口にするのだった。