ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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冒険者と受付嬢(中編)

「この三日で、随分と慣れたようですね」

 

 十数分にも及ぶ重厚な静寂と重圧な沈黙を経て。今ようやっと、この部屋に音が────人の声が響き渡った。

 

 突如、不意打ち気味にクラハが喋ったことで。ラグナは驚き面食らってしまった。

 

 しかし、最初に口を開いたのがクラハだったことに────否、クラハがその口を開き、言葉を発してくれたこと自体に対して。その実、とても安堵してもいた。

 

 ──クラハが喋った……!

 

 状況の変化。事態の進展。それをどれ程、ラグナが切望していたか。自らの手でどうにかすることもできず、時間もただ過ぎるだけで何も解決してはくれないと。つい先程まで半ば諦めていただけに、気が抜け否応なく脱力してしまうような安心感が。どっと、ラグナにのしかかってくる。

 

「ぁ……え、な、慣れた……って?」

 

 なので簡単な受け答えをするにも手間を要し。しかもその上今の今まで黙っていたのはラグナも同じで。故に今すぐ喋るのはおろか返事をするのもままならなかった。

 

 ……なかったのだが、それでも。クラハが喋ってくれた。クラハがこちらに話しかけてくれた。

 

 その僥倖、この機会(チャンス)を。ラグナはみすみす逃す訳にはいかなかった。いや、逃したくなかったのだ。

 

 故にだからこそ。ラグナはその一心で、どうにかこうにか。引き攣りそうになりながらも、無理矢理に震わせた喉の奥から絞り出した返事が、それだった。

 

 我ながら情けない、あんまりにもあんまりな返事だということは重々承知していた。もう少し言い方というものがあるのではないかと、ラグナとてわかっていた。

 

 だが、何も言えないよりかはマシであると。無言になってしまうよりかは、ずっとずっとまだマシであると。ラグナはそう思ったのである。

 

 すると数秒の間を置いてから、再度クラハが口を開いた。

 

「受付嬢としての仕事に、です」

 

 淡々とそうとだけ、クラハはラグナに告げる。確かに、それはそうだった。

 

 ラグナが受付嬢として働き始めて、(はや)三日。だが、そのたった三日で、ラグナは────()()()()()()()()()()

 

 最初こそ、ラグナも不安で仕方がなかった。『大翼の不死鳥(フェニシオン)』に所属する冒険者(ランカー)である自分が。しかも元々男だったこの自分が。

 

 何の脈絡もなく突然に『大翼の不死鳥』の受付嬢となって。いきなり、そうなってしまって。

 

 他の、それも自分がまだ《SS》ランクになる前の。そんな昔からの付き合いがある冒険者たちと。今度は受付嬢として接する────ラグナにとってそれが一体、どれだけ空恐ろしいことだったか。

 

 こんな受付嬢(じぶん)を彼らはどう見るのだろう。どう言うのだろう。どう思うのだろう。

 

 こんな受付嬢を彼らは快く受け入れてくれるのだろうか。こちらの立場が変わっていても、以前と変わらずに接してくれるのだろうか────という、心配と不安に。

 

 ラグナは駆られて、押し潰されそうになって──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなたは……違う……ッ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────しかし。その矢先の出来事によって、ラグナのそれらは一切合切纏めて、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

 今ならわかる。もう認める。認める他にない。自分はただ、逃げたかった。

 

 目を逸らし、顔を背けて。拒絶された記憶を、ラグナは拒絶したかった。

 

 投げて。放って。捨てて。避けて────そうしたいが為に。

 

 要領良く効率的に。受付嬢の仕事を学び、倣い、覚えていった。

 

 何も知らない者が側から見ただけでは、そういう風にしか映らなかった。そのはずである。

 

 だが、そうではない。確かにラグナは要領良く効率的に学び、倣い、覚えた。それは紛れもない事実だ。

 

 けれどそれはあくまでも────逃げたかったからである。

 

 一時でも、一瞬であっても。瞬きにも満たない、ごく僅かな短い間だとしても。

 

 それでも。どうしても、ラグナは逃げたかったのだ。

 

『あなたは……違う……ッ』

 

 その記憶(ことば)から、逃げ出したかっただけなのだ。

 

 ……いや、足りない。逃げるだけで留められない。それだけで済ませることなど、できやしない。

 

 逃げるだけでなく、もう()()()()()()()()。いや、いっそのことならば、そもそも()()()()()()()──────────

 

「……は、はは。そ、そうか?そういうの、俺……自分じゃよくわかんねえ、な」

 

 ──────────と、そこで無理矢理に自らの思考を打ち切って。そう、ラグナはクラハに返すのだった。自分でもどうかと思う返事であることは承知の上の、覚悟の上で。

 

 だからこそ。間髪入れずに、ラグナはクラハへこう続けた。

 

「で、でも、な?意外と評判は悪くないっつうか、『大翼の不死鳥(フェニシオン)』の皆は良いって、受け入れてくれて。受付嬢の仕事も俺が思ってた程、そんな難しくなかったし。それにその……こ、この格好だって。えと、な、慣れちまえば平気っていうか、なんていうか?……あ、あれ?俺何言ってんだろなー……?」

 

 言っているその途中で、自分でもどうかと思う返事がさらに拗れ。その所為で余計に意味がわからないものとなっているばかりか、もはや何を言いたいのかすら不明となりかけていることを自覚し。堪らず、ラグナは自らそれを指摘してしまう。

 

 要領を得ないラグナの言葉に。しかし、クラハはその顔を険しくさせることもなければ、眉を顰めることもせず────

 

 

 

「……────……──────」

 

 

 

 ────と、何か呟いた。だがそれは非常に小さな声量で、とてもではないがラグナが聞き取れるような代物ではなかった。

 

 ──え……?クラハ、今なんて……?

 

 だがしかし、そんなクラハの些細な一挙手一投足の全てすら今は見過ごせず、否応にも気にしてしまうようになっているラグナが。それを無反応で片付けることなど、絶対にできず。

 

 故にだからこそ、そうして引っかかり、奇妙に思って。そして恐れ多くも、けれど聞かないよりかはまだずっといいと。

 

 ラグナが訊ねようと口を開く────その寸前で。

 

「これでいいと、そうは思いませんか」

 

 まるでそれを遮り邪魔でもするかのように、不意にクラハがそう言った。


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