ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
「こ、これでいいって……それ、どういう意味だよ?……クラハ」
思わず呆然としかけながらも、どうにか。困惑と動揺を滲ませ、ぎこちなくながらにもラグナはクラハにそう訊ねた。
いや、訊ねたのではない。それは
その、クラハの発言の意味を。その言葉に込められた、彼の心意を。
そんなラグナの思惑を知ってか知らずか、さも当然のことかのように。
「どういうも何も、そのままの意味ですよ」
平然、平淡と。ラグナにそう答えるクラハ。そんな彼を、ラグナはまるで信じられない面持ちで見つめてしまっていた。
──そのまま、って。
つまりは、そうだ。そういうことだ。
──それって、じゃあ……っ。
けれど、そうであるとは、ラグナは理解したくなかった。そうであるとは、心底認めたくなかった。どうしても否定したかった。
──そんなの、俺は……!
そう、嫌だった。だから、すぐさまラグナは言わんとした。伝えようとした。
だが、その前に。
「それにラグナさんだって、そう思っているんじゃないんですか?」
と、クラハに言われた。
「……は」
クラハの言葉は、ラグナにとってまさに寝耳に水で。全くの予想外な。考えもしなければ、頭に浮かべることすらもしなかった。
まるで鳩が豆鉄砲を食ったようになったラグナが。辛うじて、紡げた言葉といえば。
「お、俺もそう思ってるって……意味、わかんねえんだけど……」
それであった。そんなラグナの
「三日が過ぎました。この三日間、何の滞りなく、何の問題もなく過ぎましたよ。僕は
まるで語り手のような口振りで、後半の冒険者、受付嬢という部分をやたら強調しながら、クラハはラグナにそう言う。そして彼はこう続けた。
「ラグナさん。僕はその三日で何をしていたと思います?」
「……そ、んなの」
「
それを、彼は見透かしたのだろう。
「一日目は初々しかったですね。二日目は慣れ始めてましたね。三日目は……
側から聞いていれば、特筆することもない。別段、何らかの考えも思いも感じられない、謂わば変哲のない日常の中の会話。
しかし、ラグナからすれば────それは誹り詰りの類にしか聞こえなかった。そうとしか、もう思えなかった。
「受付嬢の制服を……あんなに嫌がっていた女性物の服を着て。掃除して。給仕して。『
止めさせようと思った。今すぐに口を閉じてほしいと願った。どうかこれ以上、喋らないでくれと祈った。
けれども、ラグナはそれを行動に出すことはできなかった。
「あの時のラグナさんは誰がどう見ても、もうそれは立派な受付嬢でしたよ。……いえ」
遂に、ラグナが言われることを。他の誰でもない、クラハに言われてしまうことを。クラハは口にし始めた。
──ち、違う……!
「ラグナさん」
──違う、違うっ!俺は、俺は……っ。
そしてとうとう、クラハは────────
「今やあなたは、立派な『大翼の不死鳥』の受付嬢です」
────────ラグナへ、そう言い放った。
「違うッ!!…………ぁ」
バンッ──気がついた時にはもう既に、ラグナはそう叫んでいた。叫ぶと同時にその両手でテーブルを叩き、椅子から立ち上がっていた。遅れて、その口からばつが悪そうに声を漏らす。
「……違う、ですか」
そんなラグナを。しかしクラハは咎めることもなければ、不快に思うことも、嫌悪を向けることもなく。
「何がです」
ただ淡々と、そうラグナに訊ねた。
「そ、それは……そりゃ、ぁ……」
答えようとするが、言葉に詰まり、最終的にラグナは口籠る。その傍ら、心の中では諦めるようにこう呟いていた。
──何が、違うんだよ。
そうだ。本当はわかっていた。ラグナはわかっていたのだ。
──何にも、違わねえ……。
故にだからこそ、ラグナは否定したかった。わかっているから────嫌だった、から。だから、クラハの言葉に対し違うと叫んでしまった。
──違わねえよ……ッ!
「…………」
そうして、ラグナは口を閉ざした。まるで苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべ。それから徐々に、その目線を下に伏せ始めてしまう。
今すぐにでも死にたくなる程の自己嫌悪に囚われながら、まるで唯一の逃げ場所に駆け込むが如く、ラグナは思う。
そもそも、自分がこうなったのは。こんな
『今の
ただできることを、ただしたかった。
『じゃあ……『
ただ、それだけだった。
そこに違いなどない。何一つとして、ない。
故にどれだけ御託を並べ立てようと、結局それら全ては。くだらなくつまらない、みっともなく情けない、言い訳にしかならない。
そのことに今更ながら気がついたラグナは、やがて目線を伏せるだけでなく、その顔も次第に俯かせていく。
そんなラグナの姿を、果たしてクラハはどんな思いで目の当たりにしているのか。
──……ッ。
それを、ラグナは怖くて考えることはおろか、簡単な想像をすることですら恐れて、できないでしまっていた。
「つまり、要はこうです。ラグナさん」
不意に、クラハが口を開いた。その声に、ラグナがビクリと肩を跳ねさせた。
──駄目だ。
ラグナがそう思うのも束の間、クラハは続ける。
「僕は
──それじゃ、駄目だろ……!
駆け上がる焦燥。込み上げてくる不安。けれども、ラグナは口を開けず、黙り込んだままで。そんなラグナにクラハは遠慮なく、依然として続けてくる。ラグナにとって出来の悪過ぎる冗談を、彼は平然と宣い続ける。
「過ごせばいい。今こうしているように、
そうして、ラグナを追い込み追い詰めるその焦燥と不安は、その時最高潮へと達した。
──駄目だって……っ!!
だが、それでも言えなかった。拒絶の一言も、否定の一声も。クラハに対して、ラグナは何も言えないでいた。目を伏せ顔を俯かせて、それは出来の悪過ぎる冗談であると、必死に己に言い聞かせながらに。まるで親に叱られている子のようにしかいられなかった。
そして、そんなラグナに対してクラハは──────────
「あなたも、そう思うでしょう?」
──────────止めの一撃が如く、最後の選択を突きつけた。
「……………俺、は」
現実にしてみれば、たかだかほんの数秒程度。だがラグナ当人からすれば、永遠とも思えてしまうくらいに引き伸ばされた沈黙と静寂であった。
それを経て、ようやっとラグナは口を開かせ、そう言って。しかし、すぐさま躊躇い、途中で止めてしまう。
真っ白な頭の中に、言葉など浮かばなくて。浮かべられなくて。
ただ、気がついた時には──────────
「お前がそう思ってるんなら、俺は……それで……」
────────と、最後まで顔を逸らしながらに。ラグナはそう言っていた。
だが、それは考えるまでもなく、考えてはいけない言葉であった。口に出してはいけないことであった。少なくとも、今この時、今この場で。この現況に於いては。
そしてそれがわからず、そうであると判断できないラグナではない。
……が、それは普段通りのラグナであればの話だ。
今のように焦燥に駆られ、冷静さを欠いてしまっていれば。正常な判断も下せなければ、そんな子供にだってわかるようなこともわからない。
これは所詮、たらればな。もはや取り返しのつかない、既に過ぎてしまったことではあるのだが。
仮にもし、この時ラグナが。クラハに対して、そういう素振りをせずに。何も気取らず、誤魔化さず、ただ素直に、ラグナのありのままに。
心に押し留め、隠し秘めることなどせず、その
だがもう、全ては後の祭りである。
そうして、ラグナは選択を誤った。
「……これで僕の話は終わりです。お忙しい中こんな僕の、こんな話の為に。貴重な時間をわざわざ取らせてしまって、申し訳ありませんでした」
ラグナの返事に、何処までも他人行儀な。親しい付き合いなどない、赤の他人と接するが如き距離感を。否応になく感じさせる口調と声音で返すクラハ。
「っ……いや別、に」
そんなクラハのよそよそしい態度にラグナは傷心せずにはいられず。それでもどうにか口にできた返事が、それだった。
ラグナとクラハ。今、この二人を目の当たりにして。かつては親しい先輩と後輩の間柄であったと。一体、どれだけの人間がわかるだろうか。皆無────とまではいかずとも、しかしごく少人数であることは確かだろう。
「では、僕はこれで失礼します」
と、まるで突き放すかのようにラグナに淡々とそう言って。特に後ろ髪を引かれる様子もなく、彼は椅子から静かに立ち上がる。
「……おう」
ラグナも、言えたのはそれだけで。それ以上のことを、ラグナはもう言えなくて。言えずに、ただ服の裾をグチャグチャに掻き乱し、固く握り締めることしかできない。
もはや何を考え何を思えばいいのか。どうしてどうすればいいのか。未だ真っ白な頭ではそれらが全く以てわからない。何もかもが全然、わからない。
気がつけば目の前が真っ暗だった。そんな状態のラグナですらも、クラハは────気にも留めないで、背を向けそのままこの部屋の扉へと歩き進んで行ってしまう。
そうしてクラハは扉の前にまで辿り着き、そのノブに手をかける────────
「ク、クラハッ!」
────────寸前、椅子を吹き飛ばす勢いで。乱暴に思い切りよく立ち上がったラグナが。今まさにこの部屋から立ち去らんとしたクラハを、呼び止めた。
「……はい」
と、やはり冷淡に。しかし律儀にその場に留まり、クラハはラグナの方に顔を振り向かせる。
「その、えっと……っ」
そんなクラハとは対照的に。彼を呼び止めたはいいものの、そこから先はまるで考えていなかったラグナは言葉を続けられず、言い淀んでしまう。
依然としてラグナの頭の中は真っ白だ。真っ白で、その所為でまだ何も考えることなどできそうになくて。そもそもクラハを呼び止めたのだって、焦燥と不安に背を無理矢理に押された故の、衝動に任せた、咄嗟のことだったのだから。
しかし、それでも。沈黙している訳にはいかないと。黙り込んでしまってはならない、と。それだけは────それだけしか、今はわからなくて。
だから、ラグナはそう言ってしまったのだろう。またしても衝動に任せて、咄嗟に────
「この格好どうだっ!?……お、俺、似合ってる…………か……?」
────そう、言ってしまっていたのだろう。
「み、皆からは似合ってるって、評判良くて、さっ。メルネもそう俺に、言ってくれて……っ」
──……あれ、俺、何言って……?
頭の中は真っ白。目の前は真っ暗。訳がわからない。だからいつの間にか、勝手に口から出てしまった自分の言葉すら、ラグナはわからないでいた。
「………………」
まるで数撃てば当たると盲信し、邁進するように言葉を垂れ流すラグナのことを一瞥し。数秒の間を置いてから、クラハがその口を開かせる。
「ええ、似合ってますよ」
喜々と
「今のあなたに、とても良く似合ってますね」
そう言うクラハの口振りは、至って平然と。何処までも、淡々としていた。
「……似合ってる、か。そっか。そうなのか。そう……なんだ、な……」
独りとなった来賓室で。そっと、静かにラグナは呟く。その声は、弱々しく掠れていて。儚げに震えていて。
「俺……本当はどう、言って…………」
そして淋しげに、濡れていた。