ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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崩壊(その二十四)

 間違ってもメルネにその一線を越えるつもりなど、毛頭なかった。ましてや、メルネはラグナを傷つけたい訳ではなかった。

 

「今!さっきッ!!あなたはクラハに見捨てられたのよッ!!それでもまだあんな男が大事で大切だって言うのッ!!?」

 

 その一線を越えたいが為に、ラグナを傷つけたいが為に、その言葉を口に出した訳ではなかった。それだけは、確かなことだった。

 

 これまでも。そして今し方も。ラグナが受けたクラハの仕打ちの数々。それら全てを鑑みれば、そうはならないだろう。絶対にそうはならない筈だろう。

 

 普通であれば、怒るべきだ。責めるべきだ。見限り、見放すべきだ────少なくとも、それがメルネの考えで、意見で、気持ちだった。

 

 ……けれど、ラグナはそうならなかった。そうはしなかった。

 

 クラハに対し怒ることも責めることもしなければ、彼を見限ることも見放すこともしないで。

 

 ただ悲しみ、ただ淋しがり、ただ泣いた。ただ、それだけだった。そしてそんなラグナの行動が────否、ラグナそのものが、メルネにはまるで理解できなかった。できる訳がなかった。

 

 どうして怒らないのか。どうして責めないのか。どうして見限らないのか。どうして見放さないのか。

 

 もうそれは、ラグナのそれは。もはや寛大だとか慈悲深いだとか。ましてや優しさでもない。言ってしまえば何処か病的で、気が触れたような、そんな異常の類で。

 

 メルネにはそれが、酷く歪で不可解極まりない、悍ましいものにしか目に映らなくて。

 

 そして自分が知るラグナが、知っているラグナが。手の届かない、彼方の果てに消え去ってしまったように思えて。だからこそ、メルネは怯えて、取り乱した。

 

 恐慌と錯乱に挟まれ、ラグナに食ってかかってしまい────そうして、彼女はこの結末を招いた。自らの口で紡ぎ、自らの手で描いた。

 

 メルネとラグナの二人の間で静寂が満ちる。重苦しい沈黙は数秒に亘って続けられ、やがて先に口を開いたのは、言うまでもなくメルネの方だった。

 

「ま、待って……ちが、違うの。今のは、違うの、よ」

 

 メルネの声は情けなくもみっともなく、惨めに震えていた。当然だろう、何せ彼女が一番わかっている。理解している。もう、取り返しのつきようがないことを。他の誰よりも一番、わかってしまっているし、理解してしまっているのだから。

 

 だが、それでも。一縷の望みに、微かな希望を託して。メルネは弁明を図ろうとした。

 

「ねえラグナ、私はあなたに言いたかった訳じゃない。あんなこと、言いたかった訳じゃ、ない、の。ただ、私は、私は……っ」

 

 けれど、とてもではないがメルネの言葉は弁明の体を成してはおらず。寧ろ大火に煮え滾った油をぶち撒けるが如く、最悪の状況をこれでもかと更に悪化させかねない程の逆効果しか発揮できないものだった。

 

「…………」

 

 そんな、メルネの言葉を。ラグナは黙って聞いて、数秒を経て。それからゆっくりと、ラグナもまたその閉ざしていた口を、静かに開かせた。

 

「俺の所為だ」

 

 ラグナの最初の一言は、それだった。

 

「クラハに呆れられたのも、クラハに嫌われたのも、クラハに見捨てられたのも、俺の所為だ」

 

 言葉を続けるラグナの瞳に、不意に大粒の涙が滲んで、浮かぶ。

 

「クラハがあんなんになっちまったのも、クラハが『大翼の不死鳥(フェニシオン)』を抜けることになったのも、俺の所為だ」

 

 ラグナの涙はやがて瞼の縁から溢れるように零れ出し、零れたその涙はラグナの頬を濡らしながら、顎先にまで伝って。

 

「こんなことになったのも、俺の所為だ。全部……全部、俺の所為だ」

 

 そうして落ちたラグナの涙は、宙に輝きの尾を引き、床に衝突すると周囲に散った。

 

「俺の、所為なんだ、よ……ッ」

 

 直後、まるで堰を切ったように。次から次に、ラグナの瞳からは大量の涙が溢れて零れ出す。

 

 その様を目の前で直視した瞬間、メルネは息を呑み。何かしらの言葉をかけようとしても、真っ白な頭の中には言葉なんて浮かぶこともなく。が、それでも何か言おうとしても、喉の奥が痛々しく震えるだけで、掠れ声すらも出せそうになかった。

 

 そうして次の瞬間、ラグナの手を掴んで握り締めていたメルネの手から、力が抜け。するりと、まるで解けるようにして彼女の手からラグナの手が滑り落ちた。

 

「ぁっ」

 

 と、声にならない声を漏らすと同時に。すぐさまメルネがラグナの手をまた掴む────前に。素早くラグナは身を翻して、再びその場から駆け出してしまう。その弱々しい小さな背中を、メルネはもう追いかけられなかった。追いかけられそうになかった。

 

「……………どうしてよ」

 

 と、力なく呟いたメルネが。そのまま膝から崩れ落ち、廊下の床にへたり込んでしまう。

 

「どうして、こうなるの……?どうしてこうなるしか、ないの……?」

 

 誰に訊く訳でもなく、消え入りそうな声で静かにそう呟いて。それから、メルネは肩を小さく震えさせ始めた。

 

「ふふ、ふふふっ……あーぁ、もう疲れちゃったな。私、疲れたな……」

 

 と、呆然自失に呟くメルネの肩の震えは次第に大きく、激しさを増していく。

 

「どうしてこうなるのかしら。どうしてこうなっちゃうのかしら。……どうして、こうなったのかしら」

 

 絶望と諦観に塗れて染まった瞳で床を見つめながら、メルネが呟く。それと同時に、彼女の頭の中では、こんな言葉が浮かび上がっていた。

 

 ──誰が悪い?これは一体、誰の所為……?

 

 誰に問うでもなく、心の中で呟き。そしてすぐさま、彼女の鼓膜をその幻聴(ことば)が震わす。

 

 

 

『俺の、所為なんだ、よ……ッ』

 

 

 

「……いいえ。違う、違うわ。違うわよ。それは違うのよ、ラグナ」

 

 それを考え出した瞬間、自ずとメルネは悟った。この時から、自分は()()()()()ことを、自覚した。

 

「誰が悪い?誰の所為?……ふふっ、そんなの、決まってるじゃない。わかり切ってることじゃない……今更、考えるまでもないわ……」

 

 メルネが渦に囚われる。憎悪と怨恨犇めく渦中に、彼女は進んで囚われて、呑み込まれていく。

 

「ええ、ええそうよ。悪いのは、全部悪いのは……ッ!」

 

 底無し沼の如く、一度沈んでしまえば。もう二度と浮上は叶わない、深淵の闇の最中に堕ちながら。メルネはその顔を思い浮かべながら、まるで吐き捨てるようにその名を呟く────直前。

 

 

 

 

 

 カツン──そんな足音を、背後から聴いた。

 

 

 

 

 

「……………クラハ=ウインドアッ!!!!」

 

 こちらに目もくれず、平然と通り過ぎ。そのままこの場から立ち去ろうとしたその背中を、射抜くように睨めつけ。瞳孔を全開にさせながら、改めてメルネはその名を叫ぶのだった。


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