ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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崩壊(その二十七)

「……………わかってた。最初から、もうずっとわかってた……」

 

 そう、力なくメルネが呟いた後。彼女の瞳から一粒の涙が浮かんで、流れて。彼女の頬に透明な一筋の線を引き。

 

 ゴトン──それから少し遅れて、彼女の緩んだ手元から戦鎚が滑り落ち、廊下の床に落下し重々しい音を立てた。

 

「そうなんだって、最初から、私はずっと……」

 

 直後、戦鎚からメルネの魔力が溢れるようにして漏れ出し、消失すると。またしても一瞬だけ光り輝いたと思えば、その戦鎚は再び、あの金槌(ハンマー)へと戻るのだった。

 

「ラグナは助けを欲しがってた。あの子は、救われたがってた。……クラハ。他の誰でもない、貴方によ。私には、それがわかってたの」

 

 まるで語るように独白を静かに零すメルネ。今の彼女の表情からは、今し方まで浮かべられていた憎悪に塗り尽くされた怨恨も、苦渋に満たされた懊悩も。

 

「貴方しかラグナを助けられなかった。貴方しかラグナを救えなかった。だから、私は支えることにした」

 

 今や、それらがまるで嘘だったように。それこそ憑き物が落ちたかのように、消え失せていた。

 

「支えになってあげれれば、支えになることさえできたのなら。きっと、それでいいって。助ける資格も救う資格も貰えなかった私には……甘いだけで優しくないこんな私には、それしか、できないって」

 

 そうして最後にメルネに残されたのは、どうすることもできない諦観と、どうしようもない絶望だけで。仄昏く、濁り淀んだ光を零す瞳から、彼女は止め処なく涙を流す。流し続けながら、呆然とそう呟くのだ。

 

「わかって、思って、それで……」

 

 そんな有様の彼女に対し。依然として、クラハは黙ったままだった。彼が返事をすることもなければ、何かを言うこともなく。彼はただ、無言のまま、その場に立っているだけだった。それだけで、メルネの方に振り向く様子は未だに見られなかった。

 

 だが、それでも構わずに。独り、メルネは言葉を続ける。

 

「でも、こんなことになるだなんて、思ってなかった。こんなことになってしまうだなんて、考えてなかった。考え、れなかった……っ」

 

 そうして、次第にメルネの声が弱々しく震え出し。少し長い間を挟んでから、彼女は今にも消え入りそうな声音で、絞り出すように言う。

 

「貴方がラグナを助けもしなければ救いもしないだなんて、考えられなかったのよ……!」

 

「……」

 

 ……しかし、その一言を受けても。それでも、クラハは固く押し黙ったままで。

 

「…………貴方はどうして、ラグナを助けてくれなかったの?貴方はどうして、ラグナを救ってくれなかったの?ねえ、クラハ……どうしてなの……?」

 

 そんな何も物言わぬ背中を放心するように見つめ。もはや抜け殻同然となりながら、しかし、それでも。掠れた呟きを静かに漏らすように、なけなしの希望に縋るようにして、メルネはクラハにそう訊ねるのだった。

 

 数秒の、重圧と緊迫を伴った静寂の後──────────そうして、ようやっと。クラハはメルネの方へ、振り返った。

 

「貴女の押し付けがましい理想(もうそう)に、僕を付き合わせないでください」

 

 振り返り、透かさず。あまりにも冷徹で酷薄なその一言を、躊躇も容赦もなく。特に大したことでもないかのように、彼は彼女にそう言い放つのだった。

 

 堪らず目を見開き、硬直するメルネ。ほんの一瞬とはいえ、本気の殺意を醸し出したロックス。そんな二人のことを、クラハは気にも留めず。平然と前に向き直り、そうして彼は再びその場から歩き出す。

 

 クラハの背中がある程度離れた、その時。まるで止まっていた時が動き出すようにして、メルネは泣き出した。大の大人がまるで幼い子供のように泣き喚き、声を一切抑えることもできずに泣き叫び、恥も外聞も捨てて思い切り泣き(じゃく)った。

 

 もう限界だったのだ。限界など、メルネとっくのとうに迎えていて。

 

 だというのに、それでもメルネは。何処までも追い立てられ、追い込まれ、追い詰められた。

 

 その結果、平穏を享受できる心の拠り所を失い。感情を処理することもままならず、現実を受け止めることもできなくなり。そうして、最後は弾けた。

 

 今の今まで無理矢理に、心の奥底に。仕舞い込み、押し込み、閉じ込めていたその全てを。爆発させ、噴出させ。ありのままに曝け出しながら、盛大に弾けてしまったのである。

 

 憤怒、憎悪、怨恨、後悔、自責、悲哀────そういった、ありとあらゆる負の感情に、ああして押し流されたメルネであったが。

 

 しかし、この場に駆けつけたロックスの尽力を込めた説得により、彼女は既のところでどうにか立ち止まり、踏み留まることができた。

 

 ここ一番の正念場で、彼女は自分から外れずに。メルネ=クリスタとして在りながら、人としての矜持を喪わずに済んだのだ。

 

 ……だというのに、メルネは最後の最後で。あまりにも深く、重く。致命的なまでに決定的な一撃(ことば)で以て、これ以上にない止めを刺された。故に彼女がこうなることは、至極当然であり。また、避けられない必定でもあり────そして彼女が犯し損ねた過ちによる、報いにも捉えられた。

 

 だが、メルネだけがそれを受けるのは理不尽な不公平である。彼女と同じく、否彼女以上の罰を与えられ、制裁を受けるべき人間が。少なくとも一人、まだいる。

 

 今、その者は。無為淡々とした表情のままに、何の後ろ髪も引かれていない様子で。特に早くもなければ至って遅くもない、日常(いつも)通りの歩みで、この場から遠去かっていく。

 

「……ありがとう、ございます。本当にありがとう、姐さん……」

 

 クラハの背中を、またしても遠くから眺めるだけに留め。心の底から安堵したかのように、ロックスは。未だ悲痛で哀絶極まりない号泣を続けるメルネに対し、静かに言葉をかける。

 

 今の彼には、それくらいのことしかできなかった。


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