ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
「……………わかってた。最初から、もうずっとわかってた……」
そう、力なくメルネが呟いた後。彼女の瞳から一粒の涙が浮かんで、流れて。彼女の頬に透明な一筋の線を引き。
ゴトン──それから少し遅れて、彼女の緩んだ手元から戦鎚が滑り落ち、廊下の床に落下し重々しい音を立てた。
「そうなんだって、最初から、私はずっと……」
直後、戦鎚からメルネの魔力が溢れるようにして漏れ出し、消失すると。またしても一瞬だけ光り輝いたと思えば、その戦鎚は再び、あの
「ラグナは助けを欲しがってた。あの子は、救われたがってた。……クラハ。他の誰でもない、貴方によ。私には、それがわかってたの」
まるで語るように独白を静かに零すメルネ。今の彼女の表情からは、今し方まで浮かべられていた憎悪に塗り尽くされた怨恨も、苦渋に満たされた懊悩も。
「貴方しかラグナを助けられなかった。貴方しかラグナを救えなかった。だから、私は支えることにした」
今や、それらがまるで嘘だったように。それこそ憑き物が落ちたかのように、消え失せていた。
「支えになってあげれれば、支えになることさえできたのなら。きっと、それでいいって。助ける資格も救う資格も貰えなかった私には……甘いだけで優しくないこんな私には、それしか、できないって」
そうして最後にメルネに残されたのは、どうすることもできない諦観と、どうしようもない絶望だけで。仄昏く、濁り淀んだ光を零す瞳から、彼女は止め処なく涙を流す。流し続けながら、呆然とそう呟くのだ。
「わかって、思って、それで……」
そんな有様の彼女に対し。依然として、クラハは黙ったままだった。彼が返事をすることもなければ、何かを言うこともなく。彼はただ、無言のまま、その場に立っているだけだった。それだけで、メルネの方に振り向く様子は未だに見られなかった。
だが、それでも構わずに。独り、メルネは言葉を続ける。
「でも、こんなことになるだなんて、思ってなかった。こんなことになってしまうだなんて、考えてなかった。考え、れなかった……っ」
そうして、次第にメルネの声が弱々しく震え出し。少し長い間を挟んでから、彼女は今にも消え入りそうな声音で、絞り出すように言う。
「貴方がラグナを助けもしなければ救いもしないだなんて、考えられなかったのよ……!」
「……」
……しかし、その一言を受けても。それでも、クラハは固く押し黙ったままで。
「…………貴方はどうして、ラグナを助けてくれなかったの?貴方はどうして、ラグナを救ってくれなかったの?ねえ、クラハ……どうしてなの……?」
そんな何も物言わぬ背中を放心するように見つめ。もはや抜け殻同然となりながら、しかし、それでも。掠れた呟きを静かに漏らすように、なけなしの希望に縋るようにして、メルネはクラハにそう訊ねるのだった。
数秒の、重圧と緊迫を伴った静寂の後──────────そうして、ようやっと。クラハはメルネの方へ、振り返った。
「貴女の押し付けがましい
振り返り、透かさず。あまりにも冷徹で酷薄なその一言を、躊躇も容赦もなく。特に大したことでもないかのように、彼は彼女にそう言い放つのだった。
堪らず目を見開き、硬直するメルネ。ほんの一瞬とはいえ、本気の殺意を醸し出したロックス。そんな二人のことを、クラハは気にも留めず。平然と前に向き直り、そうして彼は再びその場から歩き出す。
クラハの背中がある程度離れた、その時。まるで止まっていた時が動き出すようにして、メルネは泣き出した。大の大人がまるで幼い子供のように泣き喚き、声を一切抑えることもできずに泣き叫び、恥も外聞も捨てて思い切り泣き
もう限界だったのだ。限界など、メルネとっくのとうに迎えていて。
だというのに、それでもメルネは。何処までも追い立てられ、追い込まれ、追い詰められた。
その結果、平穏を享受できる心の拠り所を失い。感情を処理することもままならず、現実を受け止めることもできなくなり。そうして、最後は弾けた。
今の今まで無理矢理に、心の奥底に。仕舞い込み、押し込み、閉じ込めていたその全てを。爆発させ、噴出させ。ありのままに曝け出しながら、盛大に弾けてしまったのである。
憤怒、憎悪、怨恨、後悔、自責、悲哀────そういった、ありとあらゆる負の感情に、ああして押し流されたメルネであったが。
しかし、この場に駆けつけたロックスの尽力を込めた説得により、彼女は既のところでどうにか立ち止まり、踏み留まることができた。
ここ一番の正念場で、彼女は自分から外れずに。メルネ=クリスタとして在りながら、人としての矜持を喪わずに済んだのだ。
……だというのに、メルネは最後の最後で。あまりにも深く、重く。致命的なまでに決定的な
だが、メルネだけがそれを受けるのは理不尽な不公平である。彼女と同じく、否彼女以上の罰を与えられ、制裁を受けるべき人間が。少なくとも一人、まだいる。
今、その者は。無為淡々とした表情のままに、何の後ろ髪も引かれていない様子で。特に早くもなければ至って遅くもない、
「……ありがとう、ございます。本当にありがとう、姐さん……」
クラハの背中を、またしても遠くから眺めるだけに留め。心の底から安堵したかのように、ロックスは。未だ悲痛で哀絶極まりない号泣を続けるメルネに対し、静かに言葉をかける。
今の彼には、それくらいのことしかできなかった。