ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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崩壊(その二十九)

「……」

 

 特に何かを考えることもなく、反射的に。ラグナは気怠げに、ゆっくりと背後を振り返る。

 

 薄暗く焦点の定まらない視界の最中に、辛うじて捉え込んだのは。やはりというべきか、先程耳にした声に全く違わないの印象の。それこそ軽薄という概念を擬人化したような、まだ年若い男の姿であった。

 

 その男を目にして、ラグナは直感する。

 

 ──ああ、こいつ(クズ)だ。

 

 別に確かな根拠がある訳でも、動かぬ証拠がある訳でもない。ただこの男の雰囲気がそういっただけの、親切心に富んだ人間という可能性も大いにはあるだろう。人は見かけによらないとも言うのだし。

 

 だがしかし、ラグナには不思議とわかっていた。これが俗に言う、女の勘だとでもいうのだろうか。……元は男だというのに、可笑しな話である。

 

 まあそれはさておくとして。とにかく、ラグナはこの男が信用ならなかった。初対面、全く見知らぬ赤の他人であることは関係なしに。信じられない、否信じてはいけない人種だと、是非もなしに直感していた。

 

 即ち────この男は女を()()()にする類の男である、と。

 

 そしてすぐさま、ラグナが抱いたその直感が正しいことが証明される。

 

「お、へえ……良いね。良いじゃん良いじゃんね?後ろ姿からでも良いとはわかってたけどさ……こりゃ当たりじゃんね」

 

 と、軽口を叩きながら。ゆっくりと、行き交う人の波を掻き分けながら、男はラグナの方へと歩み寄って来る。

 

 もう既にその言動からして充分な説得力を感じることができたが、流石はそういった下心から行動を起こす男というべきか。いや、こうして獲物と定めた相手に悟られているのだから愚かだと蔑んでやるべきなのか。

 

 どちらにせよ、ラグナはひしひしと感じ取る。この男の、こちらを値踏みする不躾で無遠慮な視線を。こちらの身体を舐め回すように、衣服の下に隠された肢体を想像しているような下劣で下卑たの目線を。

 

 ──胸とか足、見過ぎだクソ野郎……。

 

 今、自分は確かに。確実に、この男に視姦されている────身の毛がよだつような、恐ろしく悍ましいその事実を認知し。堪らず、ラグナは男に対して嫌悪感を露わにすると同時に。そんな視線に慣れてしまっているこの自分にも、嫌気を差していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女になってから初めて気づかされたことだが、男は正直な生き物だ。己の欲望に対しては、特に忠実で正直だ。

 

 別にこの世全ての男が皆一様に、女の胸や尻ばかりにしか関心がない、下半身でしか考えられない生物とまでは流石に言わない。まあ、そこは元は同じ男だった立場として、最低限の擁護くらいはしてやるべきだろう。

 

 現に、一番身近にいたある男は()()()()()ことに関して人一倍奥手(ヘタレ)だったし。……が、それでもやはり男の本能(さが)には抗えなかったようで。結局、こちらに気取られない程度にチラチラと見てはいたのだが。まあ、これくらいはまだ可愛げもあるので、こちらは然程気にはしていない。

 

 また別のある男は確かに性欲に対して忠実で正直で、出会い頭に乳を揉ませろなどと何やら戯言をほざいていたが。まあその男は元からそういった人間だし、その言葉だって冗談八割本気二割程度のものだったので、まだ許容範囲だった。

 

 とまあ、こんな感じで男の誰もがスケベでいやらしいなどということは決して思っていない。ないが、しかしそういう男は少数なのが哀しき事実で。そうじゃない男共が大抵を占めているのが揺るがない現実だろう。

 

 ラグナがそれを思い知った切っ掛けは、やはりこうして女になってしまったことで。最初の頃は気にするどころか気づきもしなかったが、時が経ち日が過ぎていくにつれ、否応にも気づく。

 

 自分に向けられる視線。胸に尻に足に注がれる、邪な視線。(ねぶ)って絡んで纏わりつくような、男たちの色に塗れた視線。そしてそれらは、受付嬢になって『大翼の不死鳥(フェニシオン)』の制服を着ている時はより顕著に、露骨なものになった。

 

 その時、ラグナは初めて思い知る────世の中の男はその大半が、スケベで。そして、いやらしいのだと。

 

 自分が情欲を向けられる立場になって覚えた、無視できない不愉快さと堪えられない気色悪さ。

 

 ──俺は、男なんだぞ……?

 

 同性(おとこ)に性の対象として見られることに対して抱いた、形容し難い忌避感とどうしようもない拒絶感。

 

 初めの頃は気にしないよう努めていたラグナだったが、こちらが文句の一つも、何も言わないのをいいことに。男たちの()()()()()視線は日に日に強く増していくばかりで、遂にラグナは堪えかねて、ある日メルネに相談を持ち掛けた。

 

 男たちから自分に向けられる視線が辛い、嫌だ。自分は一体どうすればいいのか────と。

 

「……あー、そうね。……そう、ね……」

 

 と、歯切れが悪そうに呟いたメルネの顔は。いつの日か、自分にこうやって相談されることを予期していたかのようなものだった。そして彼女は気まずそうに、申し訳なさそうにこう続けた。

 

「でも、仕方ないと……思うわ。だって、その……可愛い、のだし」

 

 メルネ曰く、これに関してはもうどうしようもないことらしい。もう慣れるしかないらしい。

 

 確かに、彼女の何処か諦めたようなその言い分も理解できる。元はラグナも男──だからといって自分もそうだったのかと問われると、正直自信はないが──なので、まあ。男とは()()()()生き物だということもわかっている。……わかってはいるが。

 

 だからといって、そう簡単に割り切れることではない。いくら慣れるしかないとはいえ、限度がある。

 

「…………ラグナ。どうしても、どうしても我慢できなくなったら。その時は、遠慮なくまた私にそう言って?そしたら、私がどうにかするから」

 

 そんなラグナの心情を察してか、何故か思い詰めたように真剣な面持ちで、メルネがそう言った。

 

 彼女が言う、そのどうにかする方法────それが一体、どういうものなのか。なんとなくではあるが、ラグナは想像できた。

 

 できたからこそ、こちらの身を案じる彼女の好意を受け取りつつも、その必要はないということも、ラグナはやんわりと伝えた。

 

 確かに身体を舐め回すように見られるのは不快極まりないが、たかがそれだけだ。強引に関係を迫られた訳でもないし、手を出されたという訳でもない。なのにこちらの都合でメルネに酷い目に遭わされるというのは、少々気の毒だろう。

 

 そうして、それからラグナは改めて。男共の視線を気にしないことに努めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもこいつは頂けないなあ。君どうしたの?顔色、真っ青通り越して真っ白だけど?もしかしなくても、体調悪い?」

 

「……」

 

 いつの間にか、その男は目の前にまで歩み寄って来ていた。こちらを心配するその言葉も、態度も。その何もかもが、大袈裟な演技のようにわざとらしい。

 

「どっか休めるとこに連れてってあげようか?」

 

「…………」

 

 男の声がこの上なく煩わしい。虫唾が走り、癪に障る。とてもではないが、ラグナは男に対して返事をする気になれなかった。

 

 わかっている。わかり切っている。この男が最初(はな)から単なる善意などで動いていないことなど、とうに見抜いている。

 

 故にその発言の裏に隠された目的も、こちらに気取られぬように必死に誤魔化しているだろうその下心も、ラグナは気づいていた。

 

 仮にこの男の言葉を鵜呑みにし、軽はずみに乗ったとして。自分に待ち受けている結末は──────────

 

 

 

 

 

『今のアンタにわからせてやる。理解させてやる……その身体と、そして心に』

 

 

 

 

 

 ──────────それと、同じようなものだ。

 

 休める場など全くの真っ赤な嘘で、どうせ自分は人気もなければ人通りもない裏路地に連れ込まれて。そしてそこで最初は弄ばれ、辱められるのだろう。

 

 こちらの抵抗などまるで意味を為さず、力づくで押さえ込まれてしまい。それから服を剥かれ、下着を()がれ。そうやって露出した胸をいいように揉まれて、気が済むまで揉み(しだ)かれて。それと同時にこちらの下腹部に手を這わせ、更にその手を下へとやって……。

 

 そうしてこちらの身体を思う存分に愉しんだ後は、はち切れんばかりに怒張した、醜く汚らわしい己の欲望を。遠慮容赦なくこちらに突き入れ、何の躊躇いもなくこちらの純潔を散らし。

 

 そのえも言われぬ征服感と支配欲を、これ以上にはない極上の馳走のように味わいながら、ありのままの快楽を思うがままに享受し。

 

 そして最後はただ込み上げる衝動のままに、溜め込んでいた情欲を好き勝手に噴かせて、果てる。

 

 そんな男の浅はかで見え透いた魂胆の全てと、それを(はら)の奥で受け止める最低の感触と最悪の感覚を想像して。

 

 そのあまりの悍ましさにラグナは身震いし、ただでさえ酷い吐き気が更にこの上なく悪化してしまった。

 

 ──んなの、絶対()だ……死んでも、嫌だ……。

 

 そう思いながら、あらん限りの嫌悪と拒絶を込めながら────

 

 

 

 

 

 ──…………ああ、でも。

 

 

 

 

 

 ────コクリ、と。ラグナは無言のまま、小さく静かに頷いた。

 

「お。じゃあ仕方ねえな、この親切な俺に任せときな」

 

 男は至極当然の如く、頷いたラグナが同意したと受け取り。直後、何の疚しさもなく、実に軽やかな足取りでラグナの元へと歩み寄る。

 

 その場から、ラグナは動こうとはしなかった。その場に立ち止まったまま、男が歩み寄って来るのを呆然と眺めるだけだ。

 

 ラグナとてわかっていた。頷くなど、同意以外の何物でもないことくらい、わかっていた。その上で、ラグナは頷いたのである。

 

 何故か────それは、単純な理由だった。

 

 ラグナにはもう、自分が他人のようにしか思えなくなっていた。他の誰でもない自分自身が、他の誰よりも一番遠い赤の他人としか、思えなくなってしまっていた。そうとしか、考えられなくなってしまった。

 

 まさに自己否定の究極系。或いは新たな二面性の発露。もしくは別人格の発生(たんじょう)

 

 ともあれ、今やラグナはラグナで在りながらラグナのままに、()()()()()()()()()()

 

 では今ここに立つラグナは────否、この()()は誰なのか。その疑問に対し、答えられる者も。そして知る者も。誰一人して、存在しない。存在などし得ない。

 

 何故ならば、この少女自身ですらその答えを知る由もなく、答えを知り得ないのだから。

 

 ──どうでもいい。別にどうだっていい……自分(おれ)でもない自分(こいつ)がどんな目に遭わされようが、もうどうでもいいや。

 

 自分が一体何処の誰なのかすらわからず、こうしている自分の人格がラグナなのか、少女なのか、それともその両方で、しかしそのどちらでもないのか。

 

 そんな、終わりの見えない螺旋模様を描くような思考を続けて。

 

 だがそれすらも、もはやどうでもよくなった。

 

 少女は内在する自分(ラグナ)の意識に従うように、その場に留まり男が近づいて来るのを大人しく待つ。そうして大した時間もかからずに、男はラグナの傍にまで辿り着いた。

 

「んじゃま、善は急げとも言いますし?早いとこ行っちゃいましょうかぁ」

 

 と、男が言うと。腕を振り上げ、気安く軽々しく、ポンと。少女の華奢な肩に、馴れ馴れしくも手を乗せた。

 

「ッ……!」

 

 瞬間、少女の全身に倦怠感が覆い被さった。同時に抗えない睡魔に襲われ、無意識にも瞼が徐々に下りていく。

 

 ──何、だこれ……?

 

「あらら。何やらこっちが思ってた以上にしんどかったっぽいね?いいよいいよ、遠慮せずに俺に身を任せなよ」

 

「おま、ぇ、ぉれに……なに、し……て…………」

 

 慌てて男に問い詰めようとしたものの、あっという間に意識が遠退き。そうして、少女は強烈な睡魔に抗えず、気を失うように眠りに落ちた。

 

「おっと」

 

 倒れ込んできた少女の身体を抱き留めると、男は口元を歪め、薄汚い笑みを浮かべる。

 

「はは、おやすみ世間知らずのお嬢さん……また目を覚ます頃には、お前はもう立派な大人になってることだろうぜ」

 

 と、周囲の誰もが聞き取れないような独り言を呟き。そうして男は少女の身体を抱き抱え、その場を後にするのだった。

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