ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
抱いた恐怖が限界を振り切り、奇声と紙一重な絶叫をその口から迸らせながら。道中、何度も派手に素っ転びかけるまでに不安定で危なげな、側から見たらただただ、甚だしく滑稽な足取りで。脇目も振らず、その場を後にしたクライド。
ファース大陸を代表する
その『大翼の不死鳥』に所属する、有数の《A》
並いる他者からすれば、自分たちなど遠く及ばない程の選ばれし者。華々しく輝かしい人生を約束された者────そんなクライドが。
あのような。あんな、無様極まりない醜態を。こちらの眼前でこれでもかと見せつけてきたら。誰だって、どんなに無関心であっても誰だって、否が応でも注視してしまうだろう。
そして誰もが皆、彼に対して抱いた失望を更に加速させるのだった。
……そう、失望だ。オールティアの人々は今や、クライドに対して失望していた。あのクライド=シエスタを、剣聖と謳われ『閃瞬』と呼ばれる彼を。
それは本来であればあり得ない、あるべくもない、あってはならないことだ。
だが、それは無理もない。いや、
事実────先日、人の往来が激しい大広場にて、どこにでもいそうな至って普通の男が。突如として、周囲にばら撒いた魔石。その魔石に封じ込められていた魔法────【
数多く存在し、世に知られている汎用魔法の中でも高等な部類に位置する【映億追想】が見せた、その嘘偽りのない、誤魔化しようがない、紛れもない
『僕は彼と同意見さ。悪いけど、そう簡単には認められないな……クラハ=ウインドア君』
その第一声から始まった、あまりにも身勝手な理由からによる一方的な決闘。その上の、呆気なさ過ぎる敗北。
この
それ故に、その光景を目にした全員は思わざるを得ない。この日、この時。剣聖、『閃瞬』のクライド=シエスタは────敗北したのだと。それも誰も彼もが見知らない、若輩の
失望、幻滅、落胆。オールティアの誰しもがそういった
「どうして、どうして、どうして……僕が、この僕が?こんな?こんな目に遭っているんだ?遭わなきゃいけないんだ?遭わされなければ、ならないんだ……!?」
逃げ込むようにして駆け込んだ
「僕はクライド=シエスタだぞ……僕は剣聖、『閃瞬』のクライド=シエスタなんだぞ……!《A》
被害者────そう、クライドは思っている。何の疑問も欺瞞もなく、自らは紛うことなく被害者であると。今回の事態に於ける、被害者以外の何者でもないと。クライド=シエスタという人間は、本気でそう固く、思い込んでいるのだ。
「全て、全て全て全て悪いのはあいつなのに。終始徹頭徹尾非があるのは、あいつ……
そしてそれと同時に、やはり疑問も欺瞞もなく。クライドはそう思い込み、完全に信じ込んでいた。
……礼節と常識の下に、至って正常な思考と健全な精神を持ち。罪を悪と感じること────即ち、罪悪感。それが十二分に育まれた人間であれば。普通、そんな風には捉えない。
だが、残念ながらクライドはそうではなく。彼は自分に咎められる謂れはないし、当然責められる非もないと。疑う余地すら残さず、そう思っている。思ってしまっている。
何故ならば、自分は
「第一あの日、あの時!僕に黙って素直に負けてれば良いものをッ!卑怯な手に頼って!姑息な手に縋って!無理矢理必死になってまで、僕にィ!このぼくに、《A》
クラハは特別でもない。クラハは選ばれてもいない。クラハはただの有象無象、何の価値もない────それこそ
クラハ。クラハにこそ、他の誰でもないクラハ=ウインドアこそが。非を有する加害者で、咎めも責めも受けて然るべき人間。断罪の裁きを与えられるべき、悪そのもの────クライドにとってそれが揺らがない
そんなクライドを他者が側から見れば。恐らく誰だって例外なく、こう評するはずだ────怪物、と。驕り高ぶった自尊心と膨れ過ぎた虚栄心に囚われた、醜悪極まりない怪物であると。
そんな世にも悍ましく、そして哀れな怪物に成れ果てているとも自覚しないままに、クラハに対して。クライドは純然たる悪意を以てひたすらに彼への
そうしてやがて、それは凄まじく強烈無比極まる────
「ああ、ぁぁぁ……あ゛あ゛あ゛あ゛ッ……!」
────誤魔化しようのない、嘘偽りのない。そしてどうにも、どうしても堪え難い殺意に変質し。
「殺────
────潰す────
────ッッッ!!??あああッ!あああああああああッ!?」
そうしてそれを口に出そうとした直前で、鼓膜にこびりついて離れない、その何処までも無情で冷淡な声が響いては。途端に一瞬で顔面蒼白となり、
寝台全体が揺れて動く程に身体を震わし、息吐く暇も全くないまでに尋常じゃなく、ひっきりなしに目を泳がせ。そんなクライドが再び落ち着きを取り戻すのには、数分の間も要し。
「……どうして、どうして……どうしてクラハが、クラハみたいな
そしてまた、最初の状態に戻る。そのようなことをここ数日の間、クライドは延々と繰り返している訳だが。
コンコン──その時、突然この部屋の扉が外からノックされ。瞬間、まるで射殺すように鋭く、クライドが扉を睨みつける。
「何だッ!?ルームサービスは頼んでないぞッ!!」
と、扉越しに立っているだろうこの
「クライド様。私です」
「ああッ?……待て。その声……」
クライドにとって、扉の外から聞こえてきたその声は覚えがあり。恐る恐る、確かめるように彼が呟く。
「まさか、ジョーンズか……?ジョーンズなのか……?」
と、クライドに訊ねられ。扉の外にいる者が────ジョーンズが返事をする。
「はい。ジョーンズです。ジョーンズ=マッカンベリー……
「ジョーンズ……何故、お前がここに?どうしてお前がこんなところにいる?」
ジョーンズ=マッカンベリー────シエスタ家に代々仕える執事であり、余程のことがない限り彼が屋敷を出ることはまずない。
つまり、その余程のことがあったから、ジョーンズは今ここにいる訳で。最初こそ皆目見当もつかないでいたクライドであったが。不意に、彼の頭の中で一つの憶測が立ち。
──……まさか、まさかまさかまさかまさか……っ!
瞬間、クライドは猛烈に嫌な予感を覚えて。そしてそれを助長するように────
「クライド様。一旦、お屋敷にお戻りください。……カイエル様がお呼びです」
────父の名を出して、ジョーンズは固まって黙り込む彼にそう言うのだった。