ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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今日から更新再開です


終焉の始まり(その十八)

 メルネ=クリスタは一つの疑念を、己がその胸中に抱いていた。

 

「ごちそうさま。さっきも言ったけど、今日も美味しかったわ。ラグナ」

 

「お粗末さまでした。そう言ってくれると作った甲斐があって、嬉しいです」

 

 あの時から、ずっと。

 

 

 

 

 

『貴女は一体、誰なんですか……?』

 

 

 

 

 

 色素の薄い、仄かに赤みがかった、その小さく可愛らしい唇から。紡がれた、その心ない一言を聞いた、あの時からずっと。今の今に、至るまで。

 

 まるで泥のように、胸中にへばりつき。ふとした拍子に、何度も何度も脳裏を過ぎる。そんな拭い取ることのできない疑念────否、恐怖をメルネは抱え込んでいたのだった。

 

 それはどうしてか。一体何に対して、彼女はそんなものを抱え込んでいるのか。

 

 何を隠そう、他でもないラグナの()()に対してである。

 

 自分で直に会話した通り、そして女医のミザリー=エスターにも診てもらった通り。今のラグナが全ての記憶を失ってしまっているのは、覆しようのない、揺らがない事実。

 

 不幸中の幸いとでも言うべきなのか、覚えていることといえば一般的な知識と常識だけで。それ以外の────これまでの(おも)い出は、失われた。

 

 ──……。

 

 自分の分だけではなく、こちらの食器まで運び。言われるでもなく、嫌な顔一つすら浮かべることなく。食器を洗うその可愛らしい小さな背中を、メルネは一言も発さず、静かに見つめる。

 

 今のラグナは空っぽだ。全ての、これまでの憶い出は失われている。何も、憶えてなどいない。

 

 この街(オールティア)の人々のことも。『大翼の不死鳥(フェニシオン)』の皆のことも。

 

 そしてグィンやロックスに、メルネ(こちら)のことも。もはや、目の前の少女(ラグナ)は何一つとして憶えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無論言うまでもなく、()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──解放されたのね。あなたは解放されたのよね、ラグナ……?

 

 そうだという確証がある訳ではない。絶対にそうであるという訳ではない。きっと忘れていると、こちらが勝手にそう思い込み、あくまでも決めつけているだけに過ぎない。

 

 しかし、今日に至る全ての日々の最中で。ラグナは一度たりとも言及していない。何かしらの疑問を抱いている様子も見受けられない。少しも気にすることなく、平然と過ごす最中────一度だって、()()()()()()()()()()()()()

 

 証拠といえば、それくらいのものだけで。それを証拠にするのは馬鹿馬鹿しいまでに烏滸(おこ)がましいことくらい、メルネも重々承知していた。

 

 しかし、メルネにとってはそれが絶対の事実であり現実でもあり、真実でもあって。

 

 そして、その仮初(かりそめ)の虚妄が。歪ながらに彼女を支えていたのは、確かなことだった。

 

「それで、話というのは何ですか?」

 

 素早く手際良く食器を洗い終えると再び椅子に座り、向かい合ったメルネにそう訊ねかけるラグナ。

 

「そう身構えなくても大丈夫。白状すると、別に大した話じゃないから」

 

 今日の夕食を済ませた後、少し話があると。『大翼の不死鳥(フェニシオン)』から上がらせる前に、そんな何処か思わせぶりな台詞をラグナにかけていたメルネ。若干不安そうにしているラグナへ、柔らかで優しい声音で以て、彼女はそう言うのであった。

 

「そ、そうなんですか。よかった……」

 

「変に怖がらせちゃってごめんなさいね」

 

「気にしないでください。仕事で何かミスしちゃったのかなって、こっちが勝手に思ってただけですから」

 

「だとしたら平気よ。大変な状況で、あなたはよくやってるから。……それで話っていうのは、ね」

 

 前振りも程々に打ち切り、本題へと移ろうとするメルネは。一旦そこで口を閉ざし。数秒の間、黙り込む。

 

「メルネ……?」

 

 そんなメルネのことをラグナが不思議に思うのは至極当然のことで、一体どうしたのだろうかとラグナが呼びかけると。メルネはその顔に浮かべた微笑みを崩すことなく、あくまでも平然とした態度で彼女がこう返す。

 

「今の生活って、楽しい?」

 

「え?……えっと、それは」

 

 (いささ)か返答に窮するラグナであったが、まるで花が咲くような笑顔で以て、メルネに答える。

 

「はい!……でも、だからこそ皆さんには申し訳ないんです。私はまだ、何も思い出せていないのに……」

 

 と、浮かべたその笑顔を曇らせながら続けるラグナに対し、最初メルネは何も言わず無言のまま、ラグナのことを見つめ。それから彼女は徐に、その口を開かせた。

 

「ねえ、ラグナ」

 

 心配。不安。躊躇。そして、恐怖────そう呼びかける傍らで、メルネの頭の中でそういった様々な感情が。奔流し、氾濫し、彼女の意思と相反しながら暴れ回り。

 

 だが、それを決して表情(おもて)には出さないよう、鉄の如き意思と強固な精神力で、無理矢理に捩じ伏せ。

 

「は、はい」

 

 こちらの様子が普段とは違うことを鋭敏に察知した故なのか、先程身構えることはないと言われたものの、それでも緊張せざるを得ないでいるラグナを。真っ直ぐ、視線を逸らすことなく、見つめながらに。

 

()()()のことも、憶えてないの?」

 

 徐に、メルネはその名前を口に出した。

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