ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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終焉の始まり(その四十一)

 パァンッ──乾いたその音は、やけにはっきりと、鮮明過ぎる程に聴こえた。

 

 少し遅れて、僅かな熱と痺れ、そして確かな痛みが頬に広がる。それをありありと、如実に感じ取りながら。

 

「……どの面下げて、戻って来てんだ。この野郎」

 

 先輩の、怒りと軽蔑が入り混じったそんな言葉を。僕は黙って、聞いていた。

 

 すぐさま厳粛な静寂を取り戻す教会の、祭壇の上で見つめ合う、僕と先輩。おいそれと口を開くことは憚られる沈黙の最中────意を決して、僕は口を開く。

 

「はい」

 

 少し経ってから、先輩もまた閉ざしたその口を再度開かせ、言う。

 

「俺のこと、あんだけ傷つけといて」

 

「はい」

 

「突き放して、勝手に離れて」

 

「はい」

 

 先輩の一言一句を聞かされる度に、僕の脳裏に呼び起こされる数々の非道な所業。それら全ては他ならない僕の意思により、行われたものである。

 

「それでよく、戻って来れたもんだよな」

 

「……はい」

 

 もはや僕には謝罪を口にする資格すらない。故に先輩の非難をただ受け入れる他になかった。

 

 当然、そんな僕の態度に腹を立てたのか、若干棘のある声音で、先輩が僕に訊ねる。

 

「それで?何しに戻って来たんだよ、お前」

 

「もう一度、先輩に会う為に」

 

 その返答が先輩の逆鱗に触れることは、わかり切っていた。だが、たとえそうであったとしても、僕はこれ以外の返答を口にするつもりもなかった。

 

 何故ならば、それが僕の紛れもない、心の底からの本音なのだから。

 

「…………」

 

 案の定、僕の返答を受けた先輩は鋭く、煌めきを灯す紅玉の瞳を細めた────のも、一瞬のことで。

 

「そっか。俺に会いに、な」

 

 と、呟くその声は柔らかく、(たお)やかで。そして先輩の表情には優しく、穏やかで、こちらのことを慈しむかのような。そんな微笑みが浮かんでいた。

 

「も一つ、訊くけど」

 

 柔らかな声音のままそう言って、先輩は僕に更に訊ねる。

 

「今お前さ、俺のことどう思ってんだ?」

 

 ──……。

 

 その先輩の質問は、否応にも────

 

 

 

 

 

『クラハ。お前、俺のこと……どう思ってんだ?』

 

 

 

 

 

 ────あの夜のことを、僕に思い出させる。

 

 あの時の僕は何も答えられなかった。本当なら即座に答えを返すべき場面で答えに窮し、結局何も言えず。そして先輩を失望させてしまった。

 

 ──そうだ。僕は裏切った……あの時からずっと、僕は先輩を裏切り続けて、しまった。

 

 だが、今は違う。今なら、僕は確固たる自信を以て、そうですと答えられる────けれど、今やそれすらも()()()であることも、理解していた。

 

 そう。こんなことになってしまった以上、もはや先輩にとってこの答えは、もう間違いでしかない────

 

 

 

「僕にとっての先輩は、先輩しかいません」

 

 

 

 ────そのことを重々承知した上で、それでも僕はそう答えた。

 

 僕と先輩の間で、静寂が流れる。それが一分程続いた後、不意に先輩は両腕を振り上げたかと思えば、僕の首に回し。

 

 そうして僕を自らの元に引き寄せつつ、先輩も上体を起こし────

 

 

 

「嘘吐き」

 

 

 

 ────と、僕の耳に触れるかないかの、その寸前にまで口を近づけさせ。僕の胸板に柔らかなその胸を遠慮なく押し当て、押し潰しながら。

 

 そして僕が初めて聴く、驚く程甘ったるく、毒々しいまでに蕩けた魔性の声音で。そっと、僕にそう囁くのだった。

 

「女が欲しいなら素直にそう言やいいのに」

 

 僕が呆然とする間もなく、先輩はそう言いながら、僕から顔を離す。

 

 先輩の顔には微笑みが浮かんだままだった。が、いつの間にかそれは変質してしまっていて。先程が慈愛的であるとすれば、今やそれは性愛的なものに、文字通り変貌を遂げていた。

 

「まあ、お前なら構わねえよ別に。他の男に比べりゃ全然マシっていうか、なんていうか」

 

 まるで一匹(ひとり)(おとこ)を寝所に誘う、一匹(ひとり)(おんな)のように。(さなが)ら娼婦のような口ぶりと、蠱惑的な笑みで。

 

「じゃあ接吻(キス)から始めるか。ああ、それとも俺の胸でも触ってみるか?お前だって少しくらいは揉んでみたいだろ」

 

 堪らず固まる僕に対してそう言いながら、片腕を僕の首に回したまま、もう片方の腕を離れさせ。僕の胸板に指先を沿わせて下へなぞらせ、そうして僕の手を掴み。そして自らの胸元へと、導こうとする先輩。

 

 小柄な体躯に反して豊かに膨らんだ先輩の胸に、僕の指先が触れる────寸前。

 

「ラグナ先輩」

 

 少し力を加えただけで、それだけで粉々に砕けて壊れてしまいそうな。そんな印象を抱かざるを得ない、小さく華奢なその手を。僕は慎重に、けれど何かの拍子でするりと抜け落ちてしまわないように、確かに握り締めて。

 

 そして自分が今最大限出せる、真剣な声で、その名を口に出す。

 

 そんな僕の行動が予想外だったのか、似合わないその笑みを崩し、僅かに目を見開かせる先輩。そんな先輩に対して、僕は続ける。

 

「嘘なんかじゃありません。先輩は先輩だって、僕は何度だって言ってみせますよ」

 

 目は逸らさない。決して、絶対に。たとえ目潰しをされるとしても、僕はそれを望んで受け入れる。

 

 その覚悟と思いの下、僕は先輩の顔を見据える。当の先輩といえば、呆然としていた────と、僕がそう思ったのも束の間。

 

「もうちょっと、さ。他の建前は思いつかなかったのかよ」

 

 呆れたその声音と違わない表情で、先輩は僕にそう言い、仕方なさそうに嘆息するのだった。

 

「やっぱ恥ずかしいってか?そりゃ確かに童貞だしな、お前。とりあえず、俺に任せて楽にしてろ。こっちだってまあ、処女だけどよ。どうすりゃいいのかは大体わかってるか「建前でもありません」

 

 優しくも何処か揶揄うような先輩の言葉を、途中で遮り。はっきりと、僕は先輩にそう言う。

 

 先輩といえば、やはり驚いたように目を丸くして。それから動揺して僅かに震える声で、先輩は僕に言い返す。

 

「だ、だからもういいって言ってるだろ、そういうの。わかってんだからな、俺だって」

 

「いいえ。先輩は何もわかってません」

 

 僕の言葉に透かさず先輩は何か言おうとしたが。その前に、僕は声を上げる。

 

「なので、言いますね」

 

 そうして無理矢理にも先輩の出鼻を挫いた後、その宣言通り、僕は先輩にはっきりと告げる。

 

「先輩は先輩です。嘘でも、ましてや誤魔化しの建前なんかでもありません。それが僕の思いです」

 

「……黙れ」

 

「嫌です。何度でも言ってみせるって言いましたから。僕にとって先輩は、先輩です」

 

「煩い」

 

「ただ一人の、唯一の、先輩なんです」

 

 パァンッ──瞬間、今度は左の頬を引っ叩かれた。

 

「ふざけんのも!馬鹿にすんのも!いい加減にしろッ!!」

 

 すぐさま、先輩が声を張り上げさせる。こちらを睨めつけるその瞳は、完全な敵意で満ちていた。

 

「先輩?俺が?今の俺が、こんな俺がか?お前それ本気で言ってるんだよな!?なあッ!!」

 

 笑みはとうに、跡形もなく消え去って。その代わりに今浮かんでいるのは、ただただ純然とした怒りのみ。それをまざまざと僕に見せつけて、ラグナ先輩は続ける。

 

「お前こそ何もわかってねえんだよ!お前がさっきからほざいてる先輩なんてもうどこにもいやしない!」

 

 そして遂に、その一言を先輩は口にした。

 

「今いんのは、こんなヒラヒラした服着た、一人の女だッ!!!」

 

 言い終えた先輩は、肩を大きく何度も上下させ、荒い呼吸を繰り返し。しばらくして、僕から目を逸らし、顔を伏せ。

 

「……お前が俺を女にした癖に……」

 

 そうして、消え入りそうな声で、先輩はそう呟くのだった。

 

 ──……その通りだ。

 

 その最後の呟きが、僕の自己嫌悪と罪悪感を一気に加速させた。

 

 ──先輩の言うことは何も間違っていない。僕の所為で、僕なんかの所為で、先輩は……。

 

 ()()()()()、一言一句違うことなく。

 

「それでも」

 

 何の後ろめたさも感じさせることのないように。そしてこちらの言葉に嘘偽りなど微塵も皆無で、そんなものが介在する余地もないことが伝わるように。

 

「先輩は、先輩です」

 

 そう、僕は言い切った。……が、それに対して先輩は何も。反応らしい反応を、何も示すことはなかった。

 

「たとえ世界中の誰も彼もがそうではないと、否定しても。そして他の誰でもない先輩自身がそうではないと、否定したとしても」

 

 しかし、たかがそれしきのことで。僕はもう止まらない。止まる訳にはいかない。後には退かず、前に進むだけだ。

 

 不退転の覚悟と意思を以て、僕は躊躇うことなく、そして遠慮なく────

 

 

 

「僕だけは先輩を先輩だと、言い続けます。どんなことがあったとしても、そう言い張り続けます」

 

 

 

 ────そう、先輩に告げるのだった。

 

 数分の静寂が教会に満ちる。その間、僕は先輩から目を逸らすことはせず。先輩は顔を伏せたままだった。

 

 ──自分が言いたいことは言った。これで後はもう……。

 

 胸が張り裂けそうな緊張感の下、僕が固唾を呑んで、黙って待っていた、その時。

 

 不意に、鼻を啜る音が微かに聴こえた。それは間違いなく、先輩の方からしたもので。そうであると僕が認識した、その瞬間。

 

「……ふざ、けんな……っ」

 

 と、どうにか言った直後。先輩は伏せていたその顔を上げた。

 

 先輩は、泣いていた。次々と、止め処なく。その瞳から雫を溢れさせては、零していた。

 

()りぃよ、お前、本当に……!」

 

 と、言った後。少しの間を挟んでから、ラグナ先輩は再び口を開く。

 

「なあ、クラハ」

 

 ようやっと僕の名前を呼んで、恐る恐る先輩が言う。

 

「この格好、さ……その、えっと……に、似合ってる、か……?」

 

 

 

 

 

『この格好どうだっ!?……お、俺、似合ってる…………か……?』

 

 

 

 

 

 その問いかけもまた、その日のことを僕に思い出させた。

 

 本当なら、似合ってなどいないと。そう答えるのが定石(セオリー)なのだろう。

 

 ……だが、しかし。僕は先輩に対して、もう()()()()()()()()。この人に対する自分の気持ちを、偽りたくなどない。そんな真似はもう、二度としたくない。

 

「…………似合ってますよ。似合ってない訳、ないじゃないですか」

 

 だからこそ、僕はそう答えた。瞬間、先輩の顔が固まる。その反応は予想の範疇内で、そして僕の言葉を聞いて、先輩がどう思ったのかも、手に取るようにわかってしまう。

 

「先輩のドレス姿。とても綺麗で、素敵で、本当に魅力的だと思います」

 

 依然として涙を流すその瞳を大きく思い切り見開かせ、憤怒と悲哀が混在する、凄絶極まる形相で三度手を振り上げる先輩を前に。僕はそれでも構わず、言葉を続ける。

 

「でも」

 

 そうして、振り下ろされた先輩の手が僕の頬を打つ────

 

 

 

 

 

「先輩には相応しくない」

 

 

 

 

 

 ────寸前で、僕は言い終えることができた。

 

「…………」

 

 振り下ろされた先輩の手は、僕の頬に触れる寸前で、止まっていた。

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