ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
「………い。おい、ウインドア。起きろ、大丈夫か?」
そんな声が聞こえてくると同時に、身体を揺さぶられて、いつの間にか閉じてしまっていた瞼をゆっくり開くと、目の前にはこちらのことを心配そうに覗き込むサクラさんの顔があった。
「……サ、クラ、さん…?」
「無事、気を取り戻してくれたか。良かった」
そう言って、今度は安堵の表情を浮かべるサクラさん。そんな彼女の様子を不思議になって眺めて──遅れて、僕は今横になって倒れていることに気がついた。
背中に触れる細やかな砂の感触を感じながら、先ほどのことを思い出す。
──そうだ、僕は確かこの人に腕試しをすることになって、それから……?
そこで不意に、右腕に強烈な痺れが走った。驚いて思わず動かそうとしたが、全くもって動かせなかった。
──う、腕が全然動かせない……。
そのことに動揺していると、安堵した表情から一転申し訳なさそうにしながら、サクラさんが僕に手を差し伸べてくれた。
「こんなことに突然付き合わせて本当にすまない、ウインドア。立てるか?」
「え、ええ」
とりあえず右腕はしばらく動かせそうにないので、左腕を上げて、僕は彼女の手を掴む。そうして僕はようやく砂浜から身体を起こせた。
「しかし、目立った怪我はないようで安心したよ」
「ははは……そう、ですね」
確かに右腕は動かせなかったが、骨折はしていないらしい。時間もある程度経ち、心に幾らか余裕ができたからか直前の記憶も戻ってきた。
──そうだった。僕はこの人の突きを受けて、それから気を失ったんだった。……それにしても、よく無事だったな、僕。
手加減をしてくれていたとはいえ、あの『極剣聖』の突きを受けたのだ。腕が木っ端微塵にならなくとも、最低でも骨折は免れないと思っていたのだが……右腕を見やれば、異常はどこにも見られない。どうやら僕の身体は、僕が思っていた以上に頑丈だったらしい。
──けど、一体なんだったんだ。あの感覚は……?
思い返す、サクラさんの突きが炸裂する直前の景色。あの時、確かに僕が捉える視界の全てが、あくびを漏らすほどに遅く見えた──無論、サクラさんの動きまでもが。
結果として咄嗟に右腕を上げ、握っていた剣を胸の前に掲げた訳だが、その瞬間右腕全体にとんでもない圧力が伝わり、気がつけば僕は意識を手放していた。
──……そういえば、僕の剣は?
今、僕の右手にはなにも握られていない。そのことに気づき慌てて周囲を見渡すと、サクラさんが口を開いた。
「君の剣ならここにある」
その言葉に見てみれば、彼女は僕の剣を握っていた。
「確認したが、この剣も無事だったよ」
「す、すみません。ありがとうございます」
頭を下げながら、僕は彼女から剣を受け取る。それから慣れない左腕を使って、慎重に再び鞘に納めた。
僕が剣を納めたのを見計らって、サクラさんは優しく穏やかな口調で言ってきた。
「さて、これで私の気は済んだ。再三言わせてもらうが、こんなことに付き合わせて申し訳なかったな、ウインドア。ホテルに戻るのなら手を貸すよ」
「いや、サクラさんにそこまでさせる訳にはいきませんよ。僕は大丈夫ですから」
戦々恐々としながら答える僕に、サクラさんはやはり申し訳なさそうにしていたが、そうかと僕に言った。
「では自分はホテルに戻りますね」
「ああ。私はもう少し海を眺めてから戻るとするよ」
「了解です」
と、社交辞令のような会話をして、僕とサクラさんの夜は終わった。
クラハが去って、夜の砂浜に独り残されたサクラ。数分ほど静かに押しては引いていく海の波を眺めて、ふと唐突に彼女は口を開いた。
「もうそろそろ出てきたらどうだ?──フィーリア」
その言葉が宙に放り出されて、数秒。不意にサクラのすぐ隣から、闇から浮き上がるようにして一人の少女──フィーリアが、その姿を現した。
突如としてこの場に出現した彼女は、呆れたようにため息を吐いた。
「どうだ、じゃないですよ。なにやってんですか貴女は」
「腕試し」
「する相手を考えてください馬鹿」
フィーリアから咎められて、サクラは肩を竦める。そんな彼女の様子になおさら呆れながら、フィーリアは続ける。
「全く。もしこれでウインドアさんを本当に病院送りにしてたらどうするつもりだったんですか。今回のクエストは人手が大事なんですよ、人手が」
「だが結果として彼は見事私の突きを受け止めた。しかも無傷で、な」
「……受け止めた、ですか」
胡乱げな表情を、フィーリアは浮かべる。
「立っていた場所から、数メートルも吹っ飛ばされて……あれで受け止めたって言えるんですかねえ」
まあ、あれで無傷だったことは素直に評価しますけど──そう付け加えたフィーリアに、サクラは頷く。
「けど、ウインドアさんはあくまでも手加減した突きを受けただけに過ぎません。……手加減し過ぎたんじゃないんですか、『極剣聖』様?」
「……………………」
まるで煽るようなフィーリアのその言葉に、サクラはなにも答えない。ただ未だに持っていた木の棒を、軽く宙に翳す。
「確かに、私は手加減したさ。……だが」
ザバァァアッ──静寂を破り捨てる、そんな音と共に。夜闇が溶け込んだ海から、突如として
鮫、である。しかしその大きさは常軌を逸しており、またその鱗もまるで鉄のような光沢を放っている。
〝殲滅級〟、通称『大海のギャング』。メガロヴァニス──それがこの鮫の、魔物の名前であった。
大口を開けて、海から飛び出したメガロヴァニスはサクラめがけて落下してくる。ズラリと並んだ、もはや剣と呼んでもなんら遜色ない歯に、彼女の頭頂部が映り込む。
このままでは間違いなくサクラは喰われる──しかし、彼女はその場から一歩も動かず、
ヒュン──ただ、手に持っていた木の棒を軽く振るった。
恐らく、およそそれは常識という概念から、馬鹿げたほどに遠く、遥か遠くかけ離れた光景だっただろう。
そして恐らく、たとえその目で見たとしても、大概の人間はその光景を、現実を受け止められはしない。それほどまでに、馬鹿げていたのだから。
ありのままに、書き記すのなら────
自らの身体を両断されたことに気づくことなく、メガロヴァニスだったものが海に落下する。その様を見届けてから、ゆっくりとサクラは口を開いた。
「あんな若造に受け止められるような、柔な一撃を贈ったつもりもない」
「……………………」
彼女によって断ち割られた海が、再び一つに戻る光景を見て、フィーリアは一言だけ呟く。
「海を割ったっていう話、本当だったんですね」
「まあな。では私もホテルに戻るとしよう。いい加減、眠くなってきた」
言いながら、サクラは木の棒を振るう。それだけで二度も彼女の膂力に晒された木の棒は、瞬く間に粒子状に分解され宙に霧散してしまった。
踵を返し、その場から立ち去る──直前、サクラはフィーリアの方にへと振り返った。
「そういえば、ラグナ嬢は今どんな感じなんだ?立派な
「はい。順調に進んでますよ──この調子なら、明日にはきっと花も恥じらう乙女になってますよ、ブレイズさん」
「………………なあ、フィーリア。今夜は君の部屋で寝かせてくれないか?」
「嫌です」
「……………………どうしてもか?」
「はい」
「………………………………そうか」
そうしてしょんぼりと肩を落として、サクラはホテルに戻るのだった。