ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
「お待たせしましたー!」
声がした方向に、僕は顔を向ける。瞬間視界に入ってきたのは、こちらに駆けてくるフィーリアさんの姿だった。
彼女は僕の元にまで駆け寄ってくると、少し息を切らせながら、その口を開く。
「どうですか、ウインドアさん?私の水着姿」
ふふんと何故か勝ち誇るように得意げな笑みを浮かべて、僕に見せつけるように恥ずかしがることなく、己の水着姿を晒すフィーリアさん。彼女が今着ている水着は……まあ、可愛いらしいワンピースタイプの白いものだった。
──…………どうと、言われても。
肌の露出は少なめで、外見が幼い少女のフィーリアさんにとても似合っている。だがそこに女の色香というものは皆無で、出てくる感想がただ可愛く、微笑ましいという他ない。そしてこれは自身の外見に対してコンプレックスを抱いているフィーリアさんに対する、この上なく失礼なものである。
そんな僕の心情を見抜いてしまったのか、勝ち誇っていた笑みを、怒りの──ではなく、哀愁漂う表情に変えて、フッと虚しみに満ちたため息を彼女は吐いた。
「……わかってますよ。私こんな体型ですし見た目子供ですし、ええはい。胸だってこの通り壁ですし」
言いながら、ぺたんとしている己の胸を撫でるフィーリアさん。毎度色を変えるその瞳には、光が点っていない。
そんな彼女の様子に僕は慌てて弁明しようとしたが、その前に彼女が僕の身体──主に上半身に対して注視し、意外そうな声音で言ってくる。
「ウインドアさんって、結構着痩せするんですね」
言うが早いか、僕との距離を詰めて、ぺたぺたと躊躇なく僕の胸板や腹筋をフィーリアさんは触ってくる。
「ちょ、フィーリアさん……!」
「うっわ筋肉硬い。腹筋割れてる。脂肪全然ない」
フィーリアさんの手はしっとりとして柔らかく、その感触が余すことなく僕の肌に伝わってくる。おまけに擽るかのような手つきに、ゾクゾクとした感覚が僕の背筋に走り、フィーリアさんの外見も相まって、
「……顔つきとは裏腹に、傷だらけですねえ」
言いながら、今度はその細く小さな指先で、つぅと彼女は僕の──ラディウスでの一件でできた傷跡の一つをなぞる。
彼女の言う通り、以前と比べて僕の身体には大小の様々な傷跡ができた。背中にも刺し傷がある。中でも目立つのが、胸板から腹筋にかけて走る三本の傷だろう。
それらをじいっと見つめて、フィーリアさんが口を開く。
「…………ウインドアさん。もし良ければですけど、これ「待たせたな」
だが突如として、彼女の声を遮るように、別の声が割って入る。反射的に僕とフィーリアさんが顔を向けると、声の方向には──少し気まずそうにしているサクラさんが立っていた。
「……お邪魔、だったかな?」
気まずそうな表情のまま、彼女がそう言う。少し遅れて、その言葉の意味を僕は理解した。
「ち、違います誤解ですよサクラさん!」
「まあまあ落ち着けウインドア。君も男だ。男であるからには、女に対して興味を持つのは当然さ。……しかし、まさかフィーリアに気があったとは意外だよ。君の場合、てっきりラグナ嬢だと思っていたんだが」
「だからそれが誤解なんですって!僕はフィーリアさんとそ、
「大丈夫だ。そう否定しなくても、私は君を軽蔑したりはしない」
「で、ですから……!」
「言い合っている中失礼しますけど、私に気があったのが意外ってどういう意味ですかね」
誤解を解くため慌てて必死に説明を続ける僕に、サクラさんは笑って返す。
「すまない、冗談だ冗談」
「わ、わかってくれたなら良かっ……た、です……?」
サクラさんにそう言われ、いくらか心の中に余裕ができて、僕は初めて気がついた。……いや、彼女に揶揄われなければ、最初から遠目でも気がついたはずだ。
「…………」
恐らく僕とほぼ同じタイミングでフィーリアさんも気づいたのだろう。隣で彼女が慄き、息を呑む気配がする。無理もない、特に彼女からすれば──サクラさんの
「む?どうした二人共。急に押し黙って」
そう言って、固まる僕らを胡乱げに見つめるサクラさん。どうやら己の
普段の立ち振る舞いや言動から、つい忘れがちになってしまうがサクラさんとて、立派な女性の一人である。女性であるからには、まあ……女性らしさを肉体的に主張する部分もある訳で。
普段着ているキモノの上からではわからず、しかし近づいて見ればかなり育っているとわかる訳で。
…………もう、単刀直入に言わせてもらおう。サクラさんの
「それにしても水着など久しぶりに着たものだよ。……変ではない、かな?」
珍しく少し不安そうな表情を浮かべ、未だ固まっている僕ら二人に対して訊ねるサクラさん。彼女が着ている水着は良く言えば落ち着いた、地味めな黒のビキニ。しかしだからこそ──サクラ=アザミヤという一人の女性が持つ美貌を、これでもかと強調していた。
その現実離れした胸につい視線を持っていかれるが、他も思わず息を呑むほどに凄まじい。
全体的に見ても余分な脂肪は全く付いておらず、適度に絞られた筋肉があることが容易にわかる肉体。だが硬いという印象はなく、女性特有の柔らかみも仄かに感じさせる。そしてなによりも──その腹部。
──す、凄い……。
割れていた。腹筋が見事に、六つに割れている。その様は、もはや芸術の域である。
「…………その、なんだ。そう無言で眺められると、流石の私も恥ずかしいのだが」
その肉体美にすっかり囚われ、一言も発せられずにいる僕と、目を見開き己の胸と、目の前にある巨大な肌色の果実を交互に見比べることを幾度も繰り返しているフィーリアさんに、その言葉通り僅かに羞恥を漂わせてサクラさんが言う。
「……えっ?あっすすみませんっ!つい!」
彼女に言われて、ようやく自分が女性に対して失礼この上ないことをしていると気がつき、僕は慌ててサクラさんの身体から目を逸らす。
「そ、そうですねっ、にあ、似合ってますとても!はい!」
みっとみもなく声を上擦らせながら、そんな知性も表現もない単純明快な賞賛をサクラさんに送る僕。それを受けて、彼女が安堵の息を静かに漏らす。
「なら良かった。私はセンスというものがないからな……ところで、何故フィーリアは親の仇でも見るような目で私の胸を睨んでいるんだ?」
「…………いや、やっぱりこの世界は不条理でどうしようもなく残酷なんだなと、しみじみ再認識してただけです」
頭上に純粋な疑問符を浮かべて訊くサクラさんにそう答えるフィーリアさんの瞳は、何処までも深淵のように仄暗く静かで、それでいて虹のように色鮮やかなのだから違和感が半端ではなかった。
恐らくそれだけで人を射殺せそうなフィーリアさんの眼差しを、意に介することもなくサクラさんは周囲を見渡す。
「ラグナ嬢はまだなのか」
「……ああ、そういえば」
サクラさんの言葉に、再びその瞳に人としての光を取り戻して、フィーリアさんがそう呟く。かと思えば、一瞬にしてその場から消えてしまった。【転移】である。
そして数秒も経たないうちに──
「本日のメインディッシュ、ただ今お持ちしましたァ!」
──そんな、渾身の叫びとキメ顔を携えて、また戻ってきた。……鳩が豆鉄砲を食らったような、呆気に取られた表情の先輩と。
「…………え?は?」
そんな素っ頓狂な声をぽつりと漏らして、それから一気に顔が真っ赤に茹だった。
「うひゃわああぁっ!?み、見んなぁぁっ!!」
絹を裂いたような、可愛い悲鳴を上げて、すぐさまその場に先輩はしゃがみ込み、腕をフルに活用しなんとか己の身体を覆い隠そうとする。
しかし、そんな健気な努力は、無慈悲にも一蹴された。
「なに座ってんですか駄目ですよブレイズさんほらちゃんと立ち上がってください早く早く」
「んなっ、ちょ…やめっ……!」
先ほどまでの虚無めいた無表情から、一転してやけにニコニコとした満面の笑顔を浮かべ、しゃがみ込んだ先輩を無理矢理立たせようとするフィーリアさん。当然先輩はその暴挙に抵抗するが、健闘虚しくもう一度立たされてしまった。
「くそぉ……くそぉぉ……!」
「女の子がそんな言葉使っちゃ駄目ですって──さて。ほらどうですかお二人方。このブレイズさんの水着姿は?素晴らしいでしょう?」
大役としての務めを果たしたような、歴史に名を残す偉業を成し遂げたような、妙に清々しく誇らしい笑みを携え、必死に身体を隠そうとする先輩の抵抗を捻じ伏せながら、僕とサクラさんに感想を尋ねてくるフィーリアさん。
「………………」
言葉が、出なかった。目の前に立たされている先輩から、目が離せなかった。
太陽の光を浴びて、燦然と輝く紅蓮の髪は揺らめき燃ゆる炎の如く。そしてそれに包まれている、身体。
フィーリアさんよりも熟し、しかしサクラさん程はまだ成長していない。だが、それ故の、二人にはない魅力がそこに宿っている。
髪色との対比が美しい真白の肌は滑らかで、触れずとも見ただけでその手触りが伝わってくるよう。すらりと伸びた足の脚線美も見事である。
そしてそれらの要素を際立たせる──水着。先輩が今着ているのは、サクラさんと似た赤のビキニ。彼女のよりも女の子らしい可愛いもので、腰には
──そういえば、水着姿とはいえこうして先輩の身体をゆっくり眺めるのは初めてだな……。
確かに不慮の事故だったとはいえ、先輩の裸を目撃したことはある。その時は咄嗟に顔を逸らしていたが、今はそうする必要もない。
男の性故に、僕は先輩の水着姿から目を離すことができない。それだけ、今の先輩は魅力的だった。
「素晴らしい。本当に素晴らしいよラグナ嬢。今の君は、最高に輝いている」
僕の隣に立つサクラさんが、先輩に対して称賛の声を送る。見やれば──彼女は、実に至極幸福そうな表情で、鼻から血を流していた。
ぼたぼたと砂浜に落ちていくサクラさんの鼻血。傍から見れば仰天ものの光景だったが、彼女のことなので不安だとか心配だとかそういう気持ちには全くならなかった。
「ほら絶賛されてますよブレイズさん。嬉しいでしょう?ね?」
「全っ然嬉しくねえ……!」
せめてもの抵抗か、吐き捨てるようにそう言って、顔を俯かせる先輩。そんな先輩を依然笑顔のままのフィーリアさんは見つめて──
「じゃあウインドアさんからのなら喜べますかね?」
──そう言うや否や、トンと先輩を前に突き飛ばした。
「うわっ?」
──えっ。
彼女に突き飛ばされて、前のめりになる先輩。そしてそのまま砂浜に倒れる──前に、反射的に動いた僕によって、抱き留められた。
「だ、大丈夫ですか先輩……?」
そしてまたもや反射的にそう訊きながら、先輩の顔を見やる。見やって──少し、後悔した。
「お、おう……なんとも、ない」
先輩の顔は依然として真っ赤だった。至近距離の中、先輩の琥珀色の瞳が僕の顔を映す。そこは激しい羞恥のせいか僅かに潤んでおり、不安にも怯えにも似たようなような感情と──どういうことか、ほんの微かな期待も込められていた。
──う、わ……。
間近で見る先輩の琥珀色の瞳は信じられないくらい綺麗で。間近で見る先輩の赤らんだ顔は驚くほど可愛くて。だから僕は先輩の顔を見てしまったことに、後悔を覚えたのだ。
心臓が早鐘を打ち始める。やはり言葉など浮かばず、僕と先輩は無言になって、この場にはフィーリアさんもサクラさんもいるというのに、互いの顔を見つめ合う。
そしてようやっと、恐る恐る僕が口を開く──直前だった。
バシャアァァン──突如として、海から凄まじい勢いでなにかが飛び出す音がした。
「っ!?なん」
だ、とは言えなかった。音が聞こえ、咄嗟に海の方へと顔を向けた瞬間、身体が包み込まれるような感触と共に、先輩諸共抵抗のしようがない力によって引っ張られたからだ。
「ぐ、う、わぁぁ…!?」
「な、なんだ!?なんなんだよおおぉ!」
僕のすぐ耳元で、先輩が困惑と恐怖をごちゃ混ぜにした声を上げる。すると、急に全身をふわりとした浮遊感に襲われた。
なにが起きているのかさっぱり理解できない中、僕の視界が捉える──真下には、青く澄み渡る広い海があった。
──……は?
先ほどまで、僕と先輩は砂浜にいたはず──そう考えて、見えるずっと下の海から、今僕と先輩を襲うこの浮遊感の原因がわかった。
──ああ、そうか。僕たちは今、宙に浮いてるんだ。
「…………なんで!?」
「……なあ、フィーリア」
「……なんですか、サクラさん」
荒れ狂う青海に──もっと正しく言えば突如としてその中心部に浮上した
「アレは、正しくアレか?」
「まあ、アレですね」
こちらのことなどお構いなしに、二人抱き合って(少なくともサクラとフィーリアにはそう見えていた)いたクラハとラグナを、目にも留まらぬ俊敏さで捕らえたそれを見ながら、二人が口を揃えて言う。
「イカですね」「イカだな」
先ほどまで静寂だった海。しかしその静寂はなんの前触れもなく突然現れた