ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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こんな時くらいは

 ──こいつの背中って、こんなに大きかったっけ。

 

 と、クラハの背中で揺さぶられながら。ラグナはふと思った。

 

 

 

『僕が背負って歩きますよ。先輩を』

 

 

 

 最初は何かの冗談かと思った。そんな事、クラハから言われるなんて……夢にも思わなかった。

 

 けれど、情けない事にその時の自分は、一人で地面から立ち上がるだけでも精一杯で。そこから歩き出す事も、一歩を踏む事すらも満足にできなくて。

 

 だから、ラグナはその言葉を呑むしかなかった。この場は大人しく後輩に背負われるしか、後輩に頼るしか他になかった。

 

 それが一体どれだけ惨めで、情けない事だったか。こんな醜態を晒して、平気でいられるはずなんてなかった。

 

 普通ならば、呆れられていただろう。失望されていただろう。だがしかし、ラグナは知っている。

 

 クラハであれば、決してそうはしないと。そうは思わないという事を。

 

 

 

『こんな時くらいは僕なんかでも頼ってください』

 

 

 

 だからこそ、ラグナはクラハの提案を黙って受け入れたのだ。

 

 それしかないという事もあったが、それ以上に────もう、クラハに迷惑をかけたくなかった。

 

 ──……今日の俺、散々だったな。……最低、だったな。

 

 そう心の中で吐き捨てるように呟く傍らで、ラグナの頭の中を今日一日の出来事が駆け抜ける。

 

 自分の勝手で理不尽な憤りから、八つ当たりのように己が抱え込んでいた負の感情をぶつけて。それで後輩を追い詰めて、戸惑わせて、迷わせて。

 

 後になって、自分がしたことに対して後ろめたい罪悪感を抱いて。それから逃れたいが為に、後輩に発破をかけて。

 

 そうしたからには先輩で在らなければと馬鹿みたいに息巻いて。空回って。引っ掻き回して。

 

 それでもと意地になって、その結果────死にかけた。……否、死んだ。

 

 もしあの場にクラハが駆けつけてくれていなかったら、ラグナは間違いなく死んでいたのだから。

 

 クラハがいてくれたから。クラハが後輩だったから、ラグナは今こうして生きている。こうして、彼に背負われている。

 

 結局、今日という一日を使ってラグナが成した事は────クラハに迷惑をかけるという事だけだった。

 

 その事実に、現実にラグナは堪らず、表情を忌々しげに歪める。

 

 ──何が、先輩だ。

 

 心の中で呟いて、ラグナは自分がクラハにかけた言葉を思い起こしながら、それを頭の中で反芻させる。

 

 

 

『本当に、そう思ってんのか?()()俺が……先輩だって、お前は本気で思えんのか?』

 

 

 

 ──そりゃそうだ。こんな奴、先輩だなんて思いもしないだろ。

 

 そう心の中で吐き捨てるように呟いてから、ふとラグナは気がついた。

 

 ──クラハ、何か息が荒い……?

 

 一体いつからなのかは流石に見当がつかないが、それでも背負い始めてから確実に、クラハの呼吸の調子が僅かばかり崩れている。

 

 こんな至近距離というのもあるが、もう十年以上の付き合いになるラグナだからこそ気づけた、ほんの些細な変化である。

 

 それに気づいたラグナは、その表情を俄に曇らせた。

 

 ──……やっぱり、俺男の頃より重くなってんのか?

 

 それは自分が女になってから、ひた隠しにしながらも今の今までずっと抱き続けている疑問。その疑問と、ラグナは改めて向き合う。

 

 ご覧の通り、背丈はだいぶ縮んでしまったが……その分男の時にはなかったものが、色々と付いてきた。

 

 この長い髪も見た目以上に重いし、尻だってやたら膨らんだ気がする。それに一番は────この無駄に大きい胸の二つの塊だろう。

 

 ──こんなの、いらないってのに……。

 

 筋肉は悲しい程ないくせに、全体的に無駄な脂肪が多いこの身体に対して、ラグナは心の中で文句を呟いて。

 

 それから今の自分が本当に重いのかどうか確かめる為に、ラグナは閉ざしていた口を開き、クラハに声をかけた。

 

「……なあ、クラハ」

 

 すると、何故かクラハは肩をビクッと一瞬跳ねさせて────

 

 

 

「はッ、はいィっ?どど、どうしましたか先輩っ!?」

 

 

 

 ────続け様、そんな上擦って素っ頓狂な声を上げたのだった。

 

 ──……は?

 

 自分はただ声をかけただけだというのに。そのクラハの反応と声音があまりにも予想外で、ラグナは呆気に取られると同時に困惑してしまう。

 

 おかげでラグナはすぐに言葉を続けられず。二人の間で妙な沈黙が流れる。それから少しして、若干遠慮気味にラグナが再度口を開いた。

 

「……い、いや。その、重くねえのかなって……」

 

「え、ええ?いや、そんな全然!重くないです!これっぽっちも重くなんてないですよ!ええ、はいっ!」

 

 こちらの戸惑い混じりの問いかけに対して、クラハはそう即答するが……それに対してラグナは不信感を抱かずにはいられなかった。

 

 ──こいつ、嘘吐いてんじゃねえか……?

 

 依然としてクラハの様子はおかしい。それに、先程までは若干程度だったというのに、今では確実と言える程に息も乱れてしまっているし。

 

 そして何よりも、クラハの身体に密着しているラグナだからこそわかったことだが、少し心配に思ってしまう程に彼の鼓動が早まっていた。

 

「でも、何か……様子がおかしいじゃんかお前。さっきも今も、声変だったし」

 

「き、気の所為ですよ先輩。僕は大丈夫ですから。平気へっちゃらですから」

 

 そう胡乱げたっぷりにラグナが言及すると、やはりクラハは慌てたように、けれど流石にさっきとは打って変わって、幾らか毅然とした態度でそう返事をする。

 

 だがそれでも────いや、だからこそラグナの疑いは晴れなかった。どころか、より深まった。

 

「本当か?クラハ、お前誤魔化そうとしたり、無理してる訳じゃねえんだな?」

 

 ラグナは引き退らずにそう訊ねると、遂にクラハは少しムキになったように声を荒げた。

 

「そんな滅相もありません!だから、どうか先輩は僕の背中でゆっくりと身体を休めてください!」

 

 そこでラグナは理解した。これ以上訊いたところで、クラハの返答が変わる事はないと。

 

 ──こいつ、昔から変なところで意地張りやがるからな……。

 

 半ば呆れたように、だがそれでも何処か嬉しそうに、ラグナは心の中で呟く。

 

 そういった我を押し通す力は────意志は強いに限る。それは今後において色々と必要になってくるものだ。

 

 そしてそれが今のクラハにはある。その事がラグナは嬉しくもあって、それと同時にほんの少しだけ────淋しい。

 

 けれど、それを表に出す事は決してせずに。あくまでも先程と変わらぬ風を装って、そして敢えて長い沈黙を挟んでから。ラグナはクラハに言った。

 

「……わかった」

 

 そうしてラグナとクラハの会話は一旦終わりを迎えた。そうしてまた静寂が訪れる。

 

 クラハに背負われながら。クラハの背で揺さぶられながら。再び訪れた静寂の中で、ラグナはふと想起する。

 

 デッドリーベアに襲われた時の状況。目の前にまで迫り、眼前にまで鉤爪が振り下ろされんとしていたあの光景。

 

 その時の────自分の姿。殺されようとしていた、死が迫っていた。

 

 ……けれど、何もできなかった。自ら放った武器を手に取れず、逃げる事すらできなかった。

 

 そう、あの時の自分は間違いなく、たった一つの感情に縛られていた。

 

 それは久しく忘れていた感情に────恐怖に。

 

 もう、自分にはないと思っていた。そんな感情は自分の中から、消え失せてしまっていたと思っていた。

 

 とうの昔に捨て去った────だが、違った。そうであると、ただ思い込んでいただけだった。

 

 恐怖は未だ、ラグナの中に残っていたのだ。

 

 ラグナはそれを恥じた。みっともなく、惨めで、情けないと感じた。

 

 ……しかし、ラグナは何処か安堵もしていた。

 

 

 

 自分もまた──────一人の人間なのだと自覚できたのだから。

 

 

 

 ──……。

 

 幾ら最強と謳われようが。どれだけ埒外と伝われようが。それが取り上げられてしまえば。歴とした、ただの人間なのだ。

 

 十数年振りにそれを思い出して、思い出せて。ラグナはさっき言われたばかりの、クラハの言葉を頭の中でもう一度繰り返す。

 

『こんな時くらいは僕なんかでも頼ってください』

 

 ──……こんな時くらいは、か。

 

 確かに、その通りかもしれない。こんな時くらいは────否、こんな時だからこそ。

 

 クラハの背中に、ラグナはより密着する。胸が押し潰れようがお構いなく。そしてクラハの首に回している両腕を、更に絡ませる。

 

 今日の事で存分に思い知らされた通り、今の自分一人では何もできない。こうして誰かに頼らなければ────後輩の背中に縋らなければならない。

 

 であれば、そうしよう。

 

 ──そうだな。そうだよな……こんな時くらいは、後輩だとしても。

 

 まるで己に言い聞かせ、己を納得させるように。腕のほんの僅かな震えに気づかないまま。

 

 ラグナはクラハの首筋に額をそっと押し当て、ゆっくりと瞳を閉じた。

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