ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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Glutonny to Ghostlady──八年前

 突如大広間(ホール)に閉じ込められ、魔物の襲撃に遭いつつも、なんとか退けることができた僕と先輩は、大広間から脱出して、引き続き終わりの見えない廊下を歩いていた。

 

 しばし互いに無言だったが、不意に先輩が申し訳なさそうに、そして気まずそうに口を開いた。

 

「なあ、クラハ」

 

「はい。どうしました先輩?」

 

「い、いや……重く、ねえのかなって……」

 

「え?……あ、ああ!全然重くないですよ、先輩。……むしろ軽過ぎて、少し心配になってくるくらいです」

 

 苦笑いしながら、僕はそう答える。一体先輩はなにが重くはないのかと訊いたのか──なにを隠そう、それは先輩自身(・・)のことだ。

 

 様々な経緯は省かせてもらうが、大広間にて先輩は腰を抜かしてしまい、とてもではないが自力で歩けない状態になってしまった。いつまでも同じ場所に留まっていては、また魔物の襲撃に遭いかねない。だが先輩は動けない。

 

 そこでいつぞやのように、今僕は先輩の身体を背に負ぶって廊下を歩いているのだ。だから先輩は僕に重くはないのかと訊ねたのである。しかしさっきも言った通り、先輩の身体は驚くほど軽い。

 

 ……軽い、のだが。

 

 ──その割には妙に肉付き良いんだよなこの人……。

 

 何度も言わせてもらうが、決して先輩は重くはない。日々しっかりとした食事を摂っているのか、普段から共にしているはずの僕がそう疑問に思うほどに、先輩の身体は軽い。

 

 その癖、太腿はほど良くむちむちとしているし、その可愛らしいお尻についても、廊下にて先ほど語った通りそれはもう素晴らしいのなんの。

 

 そして極めつけは──今僕の背中に触れているこの胸、だろう。流石にサクラさんほどのサイズではないが、それでも充分な大きさかつ形も整っており、これぞ世に言う『美乳』という代物なのだろう。

 

 と、ここまで説明するとそれなりに体重があるように思えるが、散々言及した通り先輩は軽い。軽過ぎる。

 

「そ、そうか。なら、別にいい……のか」

 

「はい。だから気にしないで、今は休んでください」

 

「……おう。そうする」

 

 そこで一旦、僕と先輩の会話は終わった。再び沈黙と静寂に包まれながら、この果てしなく続く廊下を、僕は先輩を負ぶりながら歩き続ける。

 

 ……しかし、こうして人を背負うのは久しぶりだし、それもこんな長い間背負うことは初めてだ。

 

 だから、だろうか。思わずこんなことを考えてしまうのは。

 

 ──おんぶって、こんなに身体が密着するものだったか……?

 

 気にしまい、考えまいとしていたが、もう無理だった。この背中越しに伝わる熱を、これ以上無視することなんて、できなかった。

 

 腰に感じるむちっとした、太腿の感触。時折首筋にかかる、ほんのりと温かい吐息。場の静かな雰囲気も相まってか、それらが否応にも僕の鼓動を早める。

 

 ──…………まずい。

 

 堪らず頭の中に浮かんでくる邪念を、僕は咄嗟に振り払う。……当然であるが、やはりおんぶは僕と先輩のような、年頃の男女がしていい行為ではない。いやまあ先輩は元男だが。

 

 これ以上続けると反応(・・)しかねないと思った僕は、平静を装いながら先輩に訊ねる。

 

「あの、先輩。そろそろ自力で動けますか……?」

 

「……ちょっと、まだ上手く足に力が入らねえ」

 

「…………了解です」

 

 男の正念場だ、クラハ=ウインドア。ここは心を無にして堪える他ない。そう覚悟を決めて、僕は前を見据える──その直後だった。

 

 

 

「……クラハ」

 

 

 

 ギュウゥ──僕の名前を呼びながら、不意に先輩が僕の首に両腕を回してきた。

 

「…えっ?え!?ちょ、先輩どうしました!?」

 

 もう平静を装うだとか、そんなことできなかった。ただでさえ背中に感じていた柔い先輩の胸が、さらに押しつけられて潰れるほどに密着しているし、ほんの掠める程度だった先輩の吐息が、今やむず擽ったく思える。そしてなによりも──先輩の体温が、僕をどうしようもなく焦らせた。

 

 上擦った僕の声に、何故か先輩はこちらのことを、何処か微笑ましく思うような声音で答えた。

 

「お前、背中大きくなったな」

 

「え?」

 

 懐かしむように、先輩は続ける。

 

「八年前はあんな小せえガキだったってのに……本当に成長したよ、お前は。背中だって全然頼りなかった癖に、今じゃその背中に身体預けてる。……それとも、俺が女になってるから、そう思っちまってるのかな」

 

「…………」

 

 先輩の声は、優しかった。何処までも優しくて、何処までも温かくて──何処までも、淋しそうだった。

 

 今、先輩はどんな顔になっているのだろう。どんな表情を浮かべているのだろう。気になったが、振り返る勇気が、湧かなかった。

 

 黙る僕に、なおも先輩は続ける。同じ声音で、まるで子守唄でも歌うかのように。

 

「さっきだってそうだ。一応強くなってんのはわかってたけどさ、まさかあそこまで強くなってるとは思ってなかった。もう、あの頃のお前はいねえんだなって……思い知らされた」

 

「……先輩」

 

 その場に立ち止まって、そこで初めて、僕は口を開いた。だが、それ以上のことはなにも言えなかった。

 

 三度目の沈黙と静寂。しかしそれは、先輩によってすぐさま断ち切られた。

 

「覚えてるか、あの日(八年前)のこと」

 

 訊かれて、思わず全身が強張った。そのことを悟られぬよう、ゆっくりと答える。

 

「覚えて、ますよ。忘れる訳……ないじゃないですか」

 

 そう、忘れる訳がない──忘れられる訳がない。

 

 

 

 あの日。八年前のあの日。クソッタレの運命とやらが、僕から全てを奪い去ったあの日。

 

 今でも鮮明に思い出せる。思い出せてしまう。業火に巻かれ一瞬にして消し炭にされた人。巨大で鋭利な爪によってバラバラに引き裂かれた人。その豪腕で押し潰されグチャグチャになった人。

 

 悲鳴。怒号。まだ年端もいかない女の子が、泣きながら崩れ落ちた建物の下敷きになった。赤子を抱いた、まだ若い婦人が赤子諸共生きながらにして炎に焼かれた。

 

 立ち向かった男たちは悉く殺された。逃げようとした人たちも悉く殺された。まだ幼かった子供たちすら悉く殺された。

 

 その光景が、目から離れない。網膜にこびりついて、離れない。

 

 あの地獄の惨状が、脳裏に焼きついて、八年経った今でも離れてくれない。

 

 逃げろと言った父は、自分の目の前で喰い殺された。自分を庇った母は爪で身体を串刺しにされた。助けようとした自分の妹は、無残にも踏み潰された。

 

 一瞬にして、全部奪われた。僕は──なにもかも、奪い尽くされたのだ。

 

 

 

「……ごめん。()なこと思い出させた」

 

 申し訳なさそうに先輩がそう言う。……やはり、この人に隠し事はできそうにない。

 

「気にしないでください。もう、過ぎたことですから」

 

 そして絶対に忘れてはいけないことだ──そう思いながら、僕は言う。遅れて、先輩も口を開く。

 

「海に行った時にさ、俺に教えてくれたよな。お前」

 

 その言葉の意味がわからず、一瞬僕は困惑したが、すぐに思い当たった。

 

今の(・・)俺が昔の(・・)俺のこと忘れても、教えるって』

 

『い、今。今教えてくれ。お前が凄いって思ってた、昔の俺のこと』

 

 恐らく先輩はそのことを言っているのだろう。そう思った僕は、頷きながら先輩に答えた。

 

「はい。ですけど、それがどうしました?あ、また教えてほしいとかですか?それともまた別の武勇伝が聞きたいんですか?」

 

「…………違う」

 

 それだけ言うと、また先輩は口を閉じてしまった。先ほどから感じる雰囲気といい、何処か悲しげな態度といい、一体どうしたのかと僕が訊こうとした、その瞬間だった。

 

 

 

思い出せなくなった(・・・・・・・・・)

 

 

 

 そう、先輩がぽつりと呟いた。


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