ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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Glutonny to Ghostlady──発現

「しゃあああぁぁあぁあッ!!」

 

 本能に身を任せた咆哮と共に、僕は手折った黄金の剣身の刃を、躊躇うことなくヴェルグラトの顔面に走らせた。

 

 一体なにが起きたのか、理解できずに呆けるヴェルグラトの顔面に、ビッと一本の線が引かれる。そしてきっかり一秒後に──その線からやけに鮮やかな血が噴き出した。

 

「ぐ、ぁお、お……おおおおおぉぉおぉおおっ?」

 

 少し遅れて、顔を手で押さえ苦悶に満ちた呻き声を漏らしながら、ヴェルグラトは数歩たたらを踏んで退がる。その様を見て、僕の心にしてやったりという感情と満足感が芽生え──直後、全身から異音が鳴り出した。

 

「くぁ、ぎあぁあはがあぁ……!!」

 

 パキパキバキバキという、乾いた大量の枝を同時に叩き折ったかのような音と、ブチブチと身体の中でなにかが立て続けに千切れていくような感覚に襲われ、堪らず僕は意味を為さない悲鳴を漏らしながら床に崩れ落ちる。その音と感覚が止んだかと思えば、次は今までに味わったことのない激痛が、全てを凝縮したような凄まじい激痛に見舞われる。

 

「あぁあぁぁあああぁ……っ」

 

 何故気を失わないのか、失えないのかが堪らなく不思議だった。今すぐにでも床を転げ回りたいのに、身体が言うことを聞かないせいでそれもできない。だから、こうしてじっとこの気が狂いそうになる痛みに耐えるしかない。

 

 瞬く間に視界が滲んで見えなくなる。ぽたぽたとあり得ない量の涙が目から溢れてくる──それでも、僕の頭は鮮明過ぎるまでに、意識を保ったままだった。

 

 ──痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

 隈なく埋め尽くしてくる痛みの中、ただ一つ僕は考えていた。

 

 ──でも、これで……先輩を……。

 

 僕はヴェルグラトに一撃を入れた。かの魔神に、擦り傷一つ負わせることができた。自分は──遊戯(ゲーム)に勝ったのだ。

 

 ただそれだけを思い、激痛に苛まれながらも先輩の方に顔を向け

 

 

 

「この糞餓鬼がぁッ!!下等生物の、分際でェッッッ!!!」

 

 

 

 ドゴッ──唐突に、顔面を割らんほどの衝撃を受けて。一瞬にして僕の意識はトんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蹴り上げた青年が、まるで玩具のように軽々と吹き飛び、壁に激突しそのまま動かなくなった様を見届け、荒々しく息を吐き出すと共にヴェルグラトが叫ぶ。

 

「ふざけるなよ人間風情があッ!この『七魔神』が一柱、〝暴食〟のヴェルグラト様にィ!!傷を負わせるなど……身の程を知れこの塵芥屑(ゴミクズ)のカスがあああああッッッ!!!あああアああアアああああアアアアアぁぁァア!!!!」

 

 怒りのままに、ヴェルグラトの魔力が逆巻く。それは暴風の如く荒れ狂い、彼の周囲にあった財宝全てを宙に巻き上げ、粉々に砕き散らす。

 

「許さん!許さん!!許さんんんんッ!!!許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さぁぁぁんッッッ!!!!」

 

 ヴェルグラトが腕を振るう。放たれた魔力がその先にあるもの全てを巻き込み、破砕する。

 

 ヴェルグラトが足を叩きつける。それだけで彼の足元一帯の石床に深々と亀裂が刻まれ、少し遅れて爆ぜたように割れ砕け、そこら中に大小様々な破片が飛び散る。

 

「殺す殺す殺すころすころすころすころすころすころすころすコロスコロスコロスコロスコロス殺ス殺す殺殺ころころコロ殺殺すゥッッッ!!!!」

 

 ドッと、ヴェルグラトから怨嗟と憎悪に塗れた魔力が噴出される。その魔力は周囲に残っていた財宝の魔力を侵し、そして貪り────魔力が宙に溶ける頃には、全ての財宝は錆びつき、または朽ち果て、あるいは崩れ落ちていた。

 

「ハア、ハア……ハア……!」

 

 一頻り叫び、己が激昂を散々吐き出して、ヴェルグラトは肩で息をする。そして青年──クラハが吹っ飛んだ方へ腕を振り上げる。

 

「欠片すら残さんぞ、羽虫が……!」

 

 ヴェルグラトの手に、魔力が集中する。もしそれが放たれれば、間違いなく気を失っているクラハの身体は周囲の財宝諸共、この世界から消失することだろう。

 

 一切の躊躇なく、集中させた魔力をヴェルグラトは放つ────直前、ふと彼は思い留まった。

 

「…………そういえば」

 

 呟きながら、魔力を霧散させ腕を下ろす。それから向こうの壁に──正確には、その壁に磔にした赤髪の少女──ラグナに顔ごと視線をやる。

 

 ──先ほど、この小娘と小僧は廊下で盛り合っていたな。小僧の反応といい、行動といい……やはり恋仲か。

 

 脳裏にて再生される記憶(えいぞう)を垣間見ながら、不意にヴェルグラトは口元を邪悪に歪めた。

 

 今度は顔だけでなく、身体を少女の方へ向け、そして歩き出す。今、彼の頭には悍しい思考が渦巻いていた。

 

「そうにもなってまで、守ろうとしたものなぁ。それほどに、大切なのだろうなぁ。貴様にとってこの雌は──なあ、小僧?」

 

 返事などある訳がないことを承知で、ヴェルグラトは背後で未だ気を失っているクラハに言葉をかける。まあ元より返事など彼は求めていないので、問題はないが。

 

 ある程度までラグナの元にまで歩き、ヴェルグラトは立ち止まる。そして磔にされたラグナの身体──より正確に言うならばその衣服の下にある肢体──を舐めるように眺め、口端から僅かばかりの涎を流す。

 

「やはり、小柄な割に中々喰い甲斐のありそうな肉体だな。その癖処女ときた。魂も信じられんほどに清らかかつ潔白で、純粋……こんな上玉の御馳走、百年に一度ありつけるかないかだぞ。全く」

 

 ニタリ、と。ヴェルグラトは己の口元をさらに歪める。流れ出る涎の量も増し、ぼたりと床に垂れ落ちる。瞬間、ジュッと音を立てて床が徐々に融解し始めた。

 

「魂はたらふく貪ったが……まあ、別腹という言葉もあるしなぁ」

 

 言いながら、ヴェルグラトが腕を軽く振るう。傍目から見ればそれはなんの意味もない、ただ宙を手で切っただけの行動にしか思えなかったが──

 

 ビリィッ──少し遅れて、ラグナが着ている服の、胸元部分が独りでに破けた。下着も同様に破けてしまい、そこに収まっていた彼女の胸がぷるんと外気に曝け出されてしまう。

 

「安心するがいい娘よ。痛みはない。苦しみもない。ただ、終わるだけだ」

 

 ヴェルグラトはそう言葉をかけるが、未だ昏睡状態であるラグナにそれが届くことはない。もっとも、ヴェルグラト自身そのことは承知の上で言ったのだが。

 

「楽しみにしていろ、小僧。この娘の魂を喰らった後に、貴様は起こしてやる。そして目の前で、貴様の大切な存在であるこの娘の亡骸を──嬲ってやる。陵辱し、犯した後に娘の屍肉を嫌というほど食わせてやるからなぁあ?」

 

 平気な顔で、悍しいこと極まる言葉を吐きながら、ヴェルグラトはラグナに向かって手を伸ばす。しかしその手を届かせるには、まだいささか無理がある距離だ。むろん、それはヴェルグラトもわかっている。

 

「【魂喰らいの魔手(ソウルイーター)】」

 

 ヴェルグラトの呟きが宙に落ち、溶けると同時に。伸ばされた彼の手が、漆黒に染まる。そして蠢きながら巨大化し──見るからに邪悪な形にへと化した。

 

 命ある存在(モノ)から魂を抜き取る、ヴェルグラトの異形の手がラグナに迫る。しかし、今のラグナにそれを回避する術はない。

 

「さあ、私に喰わせろその魂……くは、くはははッ」

 

 ヴェルグラトの歪んだ嗤い声が地下室に響く。そして伸びる彼の【魂喰らいの魔手】の指先が、柔らかなラグナの胸に触れる────瞬間。

 

 

 

 バチィッ──地下室を埋め尽くすほどの、閃光が迸った。

 

 

 

「ぐっ!?」

 

 思わずヴェルグラトは目を押さえる。その閃光はあまりにも眩しく、一瞬眼球を焼かれたような錯覚さえ覚えてしまうほどだった。

 

 数秒経って、ようやく彼は押さえていた目を解放し、周囲を見渡す──が、未だ視界は真白に染められていた。

 

「な、なにが……ぐおっ?」

 

 困惑に包まれる最中、不意にヴェルグラトの腕に激痛が走る。堪らず呻き、反射的に視線をそこにやる。真白に染まっていた視界は徐々に色を取り戻し、正常なものに戻り──ヴェルグラトは、間の抜けた声を漏らした。

 

「……な」

 

 失くなっていた(・・・・・・・)。先ほどまで、つい先ほどまでラグナにへと伸ばしていたはずの手が、腕ごと消失していた。

 

 斬り落とされた訳でもない。引き千切られた訳でもない。ただ、まるで元から存在していなかったかのように。

 

「なぁにぃぃイッッッ!!??」

 

 痛みを堪えながら、ヴェルグラトは腕を押さえる。断面からは筋肉やら骨やらが見えており、奇妙なことに出血することは一切なかった。驚愕と困惑に動揺しながらも、彼は急いで己の魔力を練り上げる。

 

「ぐぅぅぅああぁぁぁぁ……!!」

 

 ボゴゴボボ──やたら粘ついた水音をさせながら、鏡面のように綺麗過ぎるヴェルグラトの腕の断面が不気味に蠢く。かと思えば、凄まじい量の血が噴き出すと同時に巨大な肉塊がそこから飛び出し、一瞬にしてそれはヴェルグラトの腕に、手になった。

 

「があああ……この、小便臭い雌餓鬼がぁ……!」

 

 再生を終えた血塗れの腕を何度か軽く振るって、忌々しくヴェルグラトは吐き捨てる。

 

「もう貴様の魂などいらんわ!惨たらしく死ねェ!!」

 

 そう叫び、ヴェルグラトが腕を振り上げる。即座に腕は真っ赤に染まり、鋭利な血の刃と化す。鉄程度ならば問題なく両断するだろうそれを、彼は一切の躊躇なく無防備なラグナの身体に振り下ろす──────直前、

 

「ッ?!」

 

 彼の背筋に、今までに経験したことのないような、酷く悍しい寒気が駆け抜けた。

 

 ──なんだッ?

 

 反射的に、本能に身を任せヴェルグラトは背後を振り向く。振り向いて──彼の思考が、止まった。

 

「…………なん、だ……と?」

 

 彼の視線の先に、立っていた。己が蹴り飛ばし、戦闘不能にしたはずの者が──クラハが、立っていた。

 

 呆気に取られるヴェルグラトを他所に、顔を俯かせながら立つクラハは唐突に、静かに、ゆっくりと腕を振り上げる。見ているだけであくびが出そうになる、酷く緩慢な動作──そう、ヴェルグラトが思った刹那。

 

 

 

 そのクラハの腕が、闇と化した。

 

 

 

 秒ごとに揺らめき、一瞬たりともその形を留めないそれが、ヴェルグラトの認識をすり抜け、振るわれる。

 

「……は?」

 

 ヴェルグラトのすぐ隣を、闇が駆ける。それはその進路にある全てを瞬く間に呑み込みながら進み続け、壁に到達し、弾けた。

 

 弾けた闇はなおもその周囲にある全てを呑みながら、嘘のように消える。……そして、そこにあったはずの財宝も、石床すらも──消えて失くなっていた。

 

 そんな光景を目の当たりにし、数十秒かけてヴェルグラトはなんの意味もない声を絞り、漏らす。それに続くようにして、立っていたクラハが再び倒れる。

 

 床に伏し、全く微動だにしないクラハを見やり、呆然とヴェルグラトが呟く。

 

「……なにが、起きた?なにが起こった?あれは……アレは、なんだ?」

 

 戦慄にも似た疑問がヴェルグラトの頭を埋め尽くす。彼は全く理解できなかった。今己が目の前で起きた全てが、理解し得なかった。

 

 ただわかるのは──あの闇は、決して人間などが振るえるような、扱えるような代物ではない。それどころか、下手をすれば闇と深く触れ合っているはずの我々魔神ですら、魔なる存在にですら……不可能かもしれない。

 

 ヴェルグラトの頬に、一筋の液体が伝う。それが冷や汗だということを、彼は知らない。何故ならその冷や汗こそ──今まで生きてきた中で、初めて流したものなのだから。

 

 ──……もし、仮にもし……あれが、アレが私に当たっていたら……私は、どうなっていた?

 

 呑まれ跡形も、もはやそこにあったという事実も過去も消え去った箇所を流し見て、ヴェルグラトの内側を隈なく埋め尽くす。今までに感じたことのない、真綿で首を絞められるような、言い様のない不安にも似た、だがそれとは全く以て違う感情が彼の心を埋め尽くす。

 

 数秒をかけて────それが『恐怖』なのだと、唐突にヴェルグラトは理解した。してしまった。

 

「恐怖、だと?これが……恐怖なのか?この『七魔神』たる私が、〝暴食〟のヴェルグラト様が恐怖した、のか?私に……恐怖を抱かせたのかぁあ…………???」

 

 その事実を、現実を受け止めた瞬間────それを消し飛ばすために、ヴェルグラトは己の内から激情を噴出させた。

 

「ふぅざぁあけえるなぁぁぁあああああああッ!!!人間、人間の、虫ケラ虫ケラ風情の、餌の分際で恐怖をォッ!この『七魔神』〝暴食〟のヴェルグラトにぃイ!許さんッ!許さん許さん許さん許さぁァあああアああアアアアア!!!!」

 

 再度その激情に身を任せ、その激情のままにヴェルグラトは己が魔力を巻き上げ、渦ませ、暴流と化させる。全てを圧し潰し、破壊する魔力を考えなしに、制限なく全身から溢れさせる。

 

 理性を掻き捨て、誇りも自尊心(プライド)もかなぐり捨てヴェルグラトは叫ぶ。もはや声ではない、音をその口から吐き出し、魔力の矛先を──床に倒れ伏すクラハにへと向けた。

 

 本来であれば、その十分の一の出力でも今のクラハを消し去るには充分過ぎる。そのことは、ヴェルグラトもわかっている。それでも彼は己の全力を以てクラハを消し去ろうとしている。

 

 今、ヴェルグラトの本能は警鐘を鳴らしていた。目の前に倒れている人間を、絶対に葬り去れと彼の本能が訴えていた。

 

 それに対してヴェルグラトは否定を全く抱かなかった。

 

 そして荒れ狂う破滅の魔力を、僅かな躊躇もなく──────

 

 

 

 

 

 バゴォォンッ──ヴェルグラトの手から放たれる直前、轟音を立てて地下室の壁が吹き飛んだ。

 

「…………どこですか、ここ?」


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