ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
先輩の見事な飲みっぷりを見届け、そこで休憩を切り上げ僕たちは再び先を進んでいた。
──…………。
開けたあの場所から一転、また狭まっている道を注意しながら歩き進む中、僕は考えていた。どうにも、気になることがあったのだ。
それは────先輩の様子である。
──先輩本当にどうしたんだろう……?
何故そう思うのか、当然理由はある。先ほどの休憩中、明らかに先輩は様子がおかしかった。
妙に落ち着きがなかったというか、変に忙しなかった。あまり顔色も優れていなかったし、何処か苦しげに見えた気もする。
恐らくそれは水分が不足していたからかと思ったのだが、水を飲ませた後も特にそれらが改善されることはなく、むしろ悪化した──気がする。そう、あくまでもその気がするだけなのだが。
体調でも崩してしまったのかと思い、訊ねてみたが大丈夫の一点張り。もうどうしようもなかったので、そこはとりあえず引き下がったのだが……。
『い、いいかクラハ。こっからは、できるだけゆっくりな。ゆっくり、歩いてくれ。そんで後ろ……お、俺の方には振り向くな。わかったか?』
と、出発前にそう念入りに、先輩に釘を刺された。その鬼気迫る表情や雰囲気に圧され、思わず僕は頷いてしまったが、こうして後々からそのことが気がかりになって、仕方なくなっていたのだ。
何故、先輩は僕にそんなことを頼み込んできたのだろうか。その理由がどうにも推測できず、思い切ってそのことを訊いてみようかとも思ったが、あの時の鬼気迫った表情や雰囲気を思い出してしまうと、それも憚られる。
結果、答えの出ない疑問が悶々と、僕の頭の中を回り続けていた。そしてもし本当に先輩が体調を崩しているのなら、今すぐにでも調査を打ち切って、オールティアに戻らなければならない。
──でもそうするとこの人絶対に機嫌が悪くなるんだよなあ。
しかし、やはりそうも言っていられないのではないか。ここは後輩として、しっかりと動くべきであると、最終的にそう考える。
文句を言われる覚悟を決め、失礼ながら背を向けたまま再度、体調について訊ねる────その直前だった。
「ク、クラハッ!」
不意に、先輩が僕の名前を口にした。それも何処か、かなり切羽詰まった声音で。
「は、はい!?どど、どうしました先輩っ?」
そう返すと共に、咄嗟に先輩の方へ振り向こうとして──
「向くな!……こ、こっち、向くんじゃ、ねえ……っ」
──途切れ途切れに、先輩に静止をかけられた。
「ぜ、絶対、向くな、よ……そん、で……っ」
ただならぬ雰囲気を発しながら、思わず硬直する僕に先輩が続ける。
「ちょっと、止まって、ろ……いい、か?なん、にも訊くな。わかったか……!?」
何故か必死な先輩のその様子に、堪らず僕はただ首を縦に振ることしかできない。それを見て満足したのか、それ以上先輩が僕になにか言うことはなかった。……なかったのだが。
「ん、んん……!」
……という、切なげで、苦しげで、何処か悩ましい呻き声を漏らす。しかもそれだけには留まらず、こう……地団駄を踏むというか、身体を揺らすような気配も背中越しに感じられた。
──……え?え?
瞬く間に、僕の頭を困惑と疑問が埋め尽くす。一体、僕の背後で先輩はなにをしているのか。一体、僕の背後はどういう状況になっているのか。
それを確かめたい欲求が即座に芽生え出すが、先ほど先輩に振り向くなと言われたため、それはできない。好奇心にも似たこの欲求を必死に押し潰すこと──実に数分。ようやっと、再び先輩が口を開いた。
「……も、もう大丈夫。大丈夫だぞ、クラハ。急に止めたりして悪かった。先、行こうぜ。……あ、でもまだこっちは向くな。絶対」
「……あ、はい。わかりました……」
先輩の様子を確実に確かめるために、本当ならすぐさま振り向くつもりだったのだが、事前にそう釘を刺されて、了承以外認めないという圧をこちらに向けられ、やはり僕はそう返すことしかできなかった。
そうして実に謎(僕にとっては)だったやりとりも終えて、僕と先輩はさらに先を進み────遂に、この遺跡の最深部と思われる場所に、辿り着いたのだった。
「ここが、最深部……みたいですね」
あの
先ほどの、土人形と戦闘を繰り広げた開けた場所に比べると、まだ少し狭いが……それでもこの場所も充分に広い。そして気になることに──視線の先、中央辺りに奇妙な、台座ようなものがあった。
──あれは、なんだ?
ちょっとした好奇心に駆られて、周囲を警戒しながらもゆっくりと、僕はその台座に近づく。どうやら元はそこになにか乗せられていたようだが、今は空となっていた。
「……」
ごく微かに残った魔力の残滓に、僕は思考を巡らす。改めてこの場所を見渡して、一つの推測を立てた。
恐らく、ここは儀式の間──のような場所だったのだろう。広過ぎず狭過ぎず、そして今まで通ってきた道と比べると、大気に漂う
──考えてみればみるほど、興味深いというか……本当になんなんだろう、この遺跡。
一体どういう目的で建てられたものなのか。そもそも何故こんな遺跡が今になって発見されたのか。普通なら、とっくの前に発見されてもおかしくはないものだし、それにこの遺跡が一体どの年代のものなのかも、判別が難しい。
──……ん?
そこまで考えて、ふと僕は気づいた。この場所に辿り着いてから──何故か、先輩が一言も発していないことに。
「……先輩?」
そのことに気づき、振り向くなと言われていたにもかかわらず、僕はつい先輩の方へ振り向いてしまう。本来なら僕のすぐ後ろに立っているはずだったが──そこに、先輩の姿はなかった。
「……!?」
先輩の姿が消えていることを認識し、即座に僕の身体は冷や汗を流す。確か、この場所に入った時にはまだいたはずなのだが。
焦りながら、僕は慌てて周囲を見回す。見回して──安堵するのと同時に、少し拍子抜けしてしまった。
──いた……!
先輩はすぐに見つかった。先輩は、隅にいたのだ。しかしその姿を目にして──思わず、絶句してしまった。
──せ、先輩……ッ!?
先輩は、真っ直ぐに立たず、腰を少し曲げお尻を後ろに突き出すような姿勢を取っており、そしてあろうことか片手を、片手を……とても大事というか大切というか、こう大っぴらに口に出すことは絶対にできない己の場所に、押し当てている。
とてもではないが見ていられない、見てはいけない先輩のその姿を目の当たりにしてしまい、僕は大いに動揺してしまう。一体どうするべきなのか、とにかくそのはしたない、女の子が決してするべきではない姿勢を今すぐ止めさせるよう、注意すべきなのか──混乱する僕だったが、ふとあるものに気づく。
残る先輩の片手が伸びる先、そこに石で作られた、棺があった。中々に巨大で、しかしただ石を削っただけのものなのか、装飾らしい装飾は一切見当たらない。何処までもシンプルな棺である。
そんな棺に向かって、何故か先輩は手を伸ばしている。それも腰をくねらせ足をもじつかせながら。薄ら赤く染まり、苦悶に満ちた、一欠片の希望に縋るような、そこに救いを求めるような表情を浮かべて。
──…………あ。
そんな状態である先輩を見て、僕は一つ思い至る。何故先輩の体調が悪そうだったのか。何故この道中、先輩は苦しそうにしていたのか。
体調が悪かったのではなく、もしかするとこの人は────だがしかし、その僕の思考も途中で断ち切られる。
先輩がその手を伸ばす棺から、背筋が凍るような悪寒を感じ取ったのだ。その悪寒の正体を確かめる間もなく、僕はその場から駆け出す。
「ま、待ってください先輩!」
「うぁいっ?!」
僕に急に呼びかけられたからか、先輩が驚いたようにこちらの方を向く。その瞬間、見るからに動かせそうになかった棺の蓋が音を立てながら開き、中から無数の黒い手が、一斉に先輩に向かって伸びた。
「……へ?」
伸びてくる黒い手に、先輩が間の抜けた声を漏らす。次の瞬間黒い手たちは先輩の身体を掴み、棺の中に引き込もうとする。
「先輩ッ!!」
完全に中に引き込まれる寸前、なんとか僕は先輩の腕を掴むことができたが────
「しまっ……」
────また中から新たな黒い手が飛び出し、先輩と同じように僕の身体を掴んだ。慌てて僕はその場で踏ん張ろうとしたのだが、抵抗も虚しく黒い手たちは凄まじい力で、僕も棺の中に引き込んでしまう。
そして視界が真っ黒に染められたかと思うと──背後で、再び蓋が閉じられる音が、無情にも響いた。