ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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ライザー=アシュヴァツグフ

「きゃああぁ!」

 

「な、何してるんだお前っ!?」

 

 変わることのない、平和な日常を送っていたオールティアに、絹を裂くような悲鳴や驚愕の声が響き渡る。

 

 そしてそれらに釣られて、歩いていたラグナは一体何事かとまた振り返る。

 

「クラハどうしたぁ?何があったん……」

 

 ラグナとしては、自分の後ろを歩いていたクラハが派手に素っ転んだか何かして、それに街の住民たちが大袈裟な反応をしているのだと、そう甘く平和的な予想をしていた。

 

 だが、そんなラグナの視界に飛び込んだのは────石畳の上に倒れたまま微動だにしないクラハの姿と、そして握った拳を振り下ろしたまま、それを見下ろす麻布のローブを纏う謎の者の姿であった。

 

 その予想だにしない光景を目の当たりにして、ラグナは堪らず呆然としてしまう。今ラグナの頭の中は真っ白に染められており、思考は完全に停止してしまっていた。

 

 時間にして、数秒。その場に立ち尽くしていたラグナが、真紅の双眸を見開かせ、そして叫んだ。

 

「俺の後輩に何してんだお前ぇッッッ!!!」

 

 胸の奥から、腹の底から溢れ噴き出す激怒のままに、叫んだラグナは弾かれたようにその場を駆け出す────直前。

 

 ガッ──不意に人混みから伸びた手がラグナの腕を掴み、それを制した。

 

「んなッ!?離しやがれこのクソ野郎が!!」

 

 ラグナはその手から逃れようと腕を振ろうとするが、腕を掴むその手は大の男のもので、今の非力なラグナではとてもではないが振り払えるものではなかった。

 

「アンタにはここで黙って見ててもらいますよ」

 

 そんな野太く低い声が、ラグナの頭上から降りかかる。ラグナが顔を上げて見てみれば、そこにはラグナの背丈を遥かに越す大男がいつの間にか立っており、さらにその後ろの方にも仲間らしき数人の男が立っていた。

 

「こんの……!何なんだ、お前らッ!?」

 

 焦燥に駆られ、切羽詰まるラグナ。そんなラグナのことを男たちは愉快そうに、ニヤニヤと下卑た顔で見下ろす。

 

 ──畜生が……ッ!

 

 以前の自分であったなら、まだ男であった自分ならば。こんな状況秒もかけずに文字通り一瞬で打開してみせるというのに。だが、今の自分ではどうあっても────どうにもできない。

 

 その現実をまざまざと思い知らされ、堪らずその表情を苦悶に歪ませる────が、次の瞬間。それは絶望へと変わった。

 

「何を呑気に、悠長に気ィ失ってんだ……この野郎がァ!!」

 

 ドゴッ──未だ気を失って、倒れ込んだままのクラハ。そんな無防備な彼の腹部に、ローブの者は遠慮容赦なく、一切の躊躇もなく強烈な蹴りを打ち込む。瞬間肉を鋭く抉り打つ、鈍く生々しい音が響き、クラハの身体が僅かながらに痙攣する。

 

「いい加減、起きろォッ!!」

 

 その一撃に留めず、何度もクラハの腹部を蹴り込むローブの者。その様を見せつけられたラグナが、悲痛に叫ぶ。

 

「おい止めろ!止めろぉ!!クラハが一体何したっていうんだよ!?」

 

 だが、それでもローブの者は止まることなく。執拗にクラハのことを蹴り続け────そして遂に。

 

「ゴホッ……」

 

 薄く開かれたクラハの口から、妙に鮮やかな血が吐き出され。街道に赤い斑模様を描いた。それを目の当たりにしてしまったラグナの瞳から、とうとう透明な雫が零れて落ちた。

 

「もう止めて、くれよぉ……!」

 

 表情をぐしゃぐしゃに崩し、涙を流すラグナ。その様子を、男共は実に愉快そうに見下ろし眺めながら、皆口々に言う。

 

「おいおい。随分と唆る声出してくれるじゃありませんかブレイズさんよお」

 

「本当だぜ。そんでもってこんな子供(ガキ)の女があのラグナ=アルティ=ブレイズだってんだからな。いやはやこいつは良い見世モンだなぁ全く!」

 

「タマらんなぁあ!!」

 

 心ない、汚れに汚れた男共の言葉────しかし、それはラグナには届いていなかった。否、それを気にする程の余裕など、もはや今のラグナにはなかったのだ。

 

 自分の大切な後輩が、自分の目の前で。痛めつけられている、虐げられている。

 

 だがそれを自分はただ見ていることしかできない。止めろと叫ぶのが精一杯で、けれどそんな言葉一つではどうすることも叶わない。何もできない。

 

 自分では──────助けられない。

 

 ──クラハ……クラハ……!

 

 今の自分は本当に何処までも無力だ。こうして止め処なく溢れてくる涙を、情けなく流し続けることしかできない。

 

 それが本当に、本当の本当に嫌で、情けなくて。屈辱的で、悔しくて、悔しくて。

 

 ──…………誰か。

 

 上手く回らない思考の中で、依然双眸から涙を零しながら。そうしてラグナは今一度──────心の底から叫び、乞うた。

 

「誰かぁぁぁぁあああああっっっ!!!」

 

 果たして、それは十何年ぶりの助けを求める声だったか。ラグナ自身、もう忘れてしまっていた。

 

 そしてそれは────────

 

 

 

 

 

「そこまでよ」

 

 

 

 

 

 ────────届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 クラハの腹部へ蹴りを打ち込んでいた足が、既でピタリと止まる。もし止まることなく打ち込まれていたら────その瞬間、ローブの者は無事では済まなかっただろう。

 

 ローブの者の首筋に刃が触れる寸前のところで剣を静止させたまま、吐き捨てるかのようにロックスが言う。

 

「たった一年見ない間に……とんでもねえクズの下衆野郎に成り下がったな、この野郎」

 

「ええ、本当にその通り。……心底、失望したわ」

 

 ロックスの言葉に同調し、悲哀と落胆が入り混じった声音で、複雑そうに呟くメルネ。彼女もまたその手に銀で装飾を施された金槌(ハンマー)を握っており、ロックスと同様にローブの者の顳顬(こめかみ)を打つ直前で止められていた。

 

「答えて頂戴。何故今になって、この街に戻って来たのかしら」

 

 メルネの問いかけに対して、ローブの者はすぐには答えず。勿体ぶるように数秒の間を置いてから、ようやっとその口を再度開かせた。

 

「……おお、怖い怖い。『夜明けの陽』副隊長(リーダー)と元第三期『六険』の二人がかりとは、大人気ないなあ」

 

 まるで人を小馬鹿にするような声音で言いながら、ローブの者が目深に被っていたフードを取り、隠していたその顔を白日の下に晒す。

 

 それを見たラグナは、堪らずに涙で濡れた真紅の瞳を見開かせて。そして信じられないというように、呆然と呟いた。

 

「ライ、ザー…………?」

 

 驚愕と動揺に満ちたラグナの呟きに、ローブの者────ライザーと呼ばれた金髪の男が、口元を凶悪に吊り上げさせて言葉を返す。

 

「そうだ。俺はライザー……一年前、『大翼の不死鳥(フェニシオン)』から抜けた元《S》冒険者(ランカー)のライザー=アシュヴァツグフだ」

 

「な、何で……どうしてここにいんだよ、お前。何でこんなことしてんだよ……クラハに何してんだよ、ライザー!?」

 

 ライザーの言葉によって、ラグナはより狼狽え、感情のままに彼に問う。対するライザーは依然その口元を吊り上げて答える────直前。

 

「答える必要はないわ、ライザー。今すぐラグナを離して」

 

 語気を僅かばかりに強めて、メルネが二人の会話に割って入り、ラグナを解放するようライザーに要求する。……しかし、彼女の金槌の柄を握る力が増したところを見るに、それは半ば脅迫でもあったのだが。

 

 そしてそれがわからないライザーではなく、彼は不愉快にその表情を歪ませ、忌々しそうに舌打ちをし。それから億劫なのを微塵も隠さず、ぶっきらぼうにラグナの腕を掴む男に向かって言った。

 

「離してやれ」

 

 ライザーの言葉に従い、男は名残惜しそうに渋々と掴んでいたラグナの腕を放す。瞬間、自由となったラグナはクラハの元にまで一目散に駆け出した。

 

「クラハッ!」

 

 未だ地面に倒れたままのクラハに駆け寄り、その身体を揺さぶるラグナ。しかし彼が意識を取り戻す気配は皆無で、ぐったりと完全に脱力してしまっている。

 

「おい起きろ!なあ、クラハ!クラハッ!!」

 

 そんな状態のクラハを目の当たりにして、堪らず焦燥に駆られ揉まれ、大いに取り乱す。そして何度も呼びかけるその最中────突如、メルネが鋭く叫んだ。

 

「落ち着きなさいラグナ=アルティ=ブレイズッ!」

 

「ッ!?」

 

 予想だにしないメルネからの叱咤に、思わずラグナが肩を跳ねさせる。それから驚いた顔で見上げるラグナへ、依然険しい表情でメルネが言う。

 

「クラハ君はただ気を失っているだけ。そうなる気持ちはわかるけど……この子の先輩だというのなら、あなたは今最も冷静にならなければならない人間なのよ」

 

「!……」

 

 メルネの言葉は正しく、そして当然のことであった。ラグナの立場であれば、なおさらのこと。

 

 しかしそのことにラグナは真っ先に気づけなかった。目の前でクラハを虐げられたことに、彼の意識が戻らないことに焦り────自分はただ惨めにみっともなく泣いて、不甲斐なく取り乱すことしかできなかった。

 

 メルネに言われ、我に返ったラグナはギュッと拳を握り締め、そして顔を伏せた。

 

「……ごめん」

 

 途轍もなく、これ以上にない悔しさを無理矢理に捩じ伏せ。何処までも苦々しく震える、弱々しい声音でそう呟いて。

 

「…………」

 

 そしてラグナのそんな姿を、ライザーは感情を上手く読み取れない無表情で黙って見下ろしていた。

 

「ライザー。この街から出て行きなさい。……ここにはもう、貴方の居場所なんてないのだから」

 

 あくまでも冷静に、だが怒りを押し殺した声で言われ、ライザーはその視線をラグナからメルネに移す。彼は横目で彼女を睨めつけ、ただ一言────

 

「断る」

 

 ────確実な殺意を微かに滲ませ吐き捨てた。

 

 ──ッ……!

 

 思わず一歩後退りそうになるのを、メルネは既で堪える。表情にこそ(おくび)にも出さなかったが、ライザーのそれは彼女に危機感を抱かせるには充分過ぎる程に充分であった。

 

 数秒、息の詰まる沈黙が流れ。先にまた口を開いたのは──ライザーだった。

 

「メルネ=クリスタさんよ、俺はもう『大翼の不死鳥』の一員なんかじゃあないんだぜ。もはや貴女の言うことを聞いてやる道理なんざ……ねえんだよ」

 

「ハッ!よく言うぜ。ついさっきまで『大翼の不死鳥』の広間(ロビー)で、この二人を熱心に見張ってたくせによぉ」

 

 ライザーの言葉に透かさず噛みつくロックス。そんな彼に対してライザーは何も言わず視線だけ送り、それから小さく舌打ちし吐き捨てるように言う。

 

「まあいいさ。今日のところはこれくらいで済ませてやるよ」

 

 そして言うが早いか、ライザーは足元のクラハを跨ぎ、歩き出す────その直前。

 

 

 

 

 

「今のアンタを、俺は認めない」

 

 

 

 

 

 クラハの身を案じ、彼に寄り添い石畳に座り込み、顔を俯かせたままのラグナにそう告げた。

 

 その言葉に、堪らずラグナの肩が僅かに跳ねて震える。だがそんなラグナにはもう目もくれず、仲間だろう数人の男たちを引き連れライザーはこの場を去って行く。

 

「……ラグナ。クラハ君を病院に運びましょう。彼を医者に診せないと」

 

 遠去かるライザーの背中を尻目に、メルネはそっとラグナに声をかける。……が、彼女の言葉に対してラグナは何も返さなかった。

 

「ラグナ……?」

 

 一体どうしたのかと思ったメルネが、再度呼びかける。すると依然その顔を俯かせたまま、ラグナは言った。

 

「今の、俺…………」

 

 その声はどうしようもない程に思い詰めていて。そして不安と──────諦観にも似た絶望で満ちていた。


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