ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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Glutonny to Ghostlady──あなたの元に

「………………クラハ」

 

 本当にようやく。やっと、先輩はその口を開いてくれた。すっかり泣き掠れてしまった声を懸命に絞り出して、開いてくれた。

 

「下ろして」

 

 ギュゥ──その言葉とは裏腹に、何故か先輩は僕の背中に身体をより密着させてくる。

 

「……え?あ、は、はい」

 

 そんな先輩に困惑しながらも、言われた通りゆっくりと、そして慎重に床にへと下ろす。それからつい流れで先輩の方へ振り向こうとした直前、トンと背中を軽く叩かれた。

 

「向くな」

 

 僕が口を開くよりも先に、先輩がそう言う。

 

「俺がいいって言うまで……こっち、向くな」

 

「ぇ?え、えっと……わ、わかりました」

 

 今にも消え入りそうで、そしてかなり恥ずかしそうにしている先輩の声。すぐさっきまであんなことがあったというのに、もしかしたら僕と先輩の関係に修復不可能な亀裂が生じた可能性があったかもしれないというのに──だが、それでも僕の心を惑わせ、掻き乱すには充分過ぎるほどの威力が、それには込められていた。

 

 もはや何度目かわからない沈黙に、場が支配される。数秒、数分と経っても、先輩はまだその口を開かない。さっきとはまるで違う緊張感に、僕は押し潰されそうになる──その時だった。

 

「…………も、もういいぞ。こっち……向いても」

 

 ようやっと、背中越しに先輩がそう言ってくれた。時間にしてみればほんの六分、七分という短い間だったかもしれない。だが僕からすれば、一時間超ほどの長い間にも思えた。

 

 ……が、いざ振り向くとなると、謎の照れというか、気恥ずかしさが途端に込み上げてくる。しかしいち早く先輩の方へ振り向きたいという欲が勝り、僕は意を決して振り向いた。

 

「………………」

 

 当然ではあるが、そこにいるのは先輩だ。可憐ながらも美麗なその(かお)を涙でぐしゃぐしゃにした先輩が、宝石のような輝きを灯す琥珀色の双眸を濡らした先輩が、そこに経っていた。

 

 僕を見上げながら、先輩はその口を開く。

 

「抱き締めろ」

 

 ……思わず、一瞬思考が止まった。一体どんなことを言われるのか、身構えていたが──僕にとって、先輩のその言葉は、全く予想だにしていなかったものだった。

 

 ────だが。

 

 

 

 

 

 ギュッ──思考に反して、もう既に僕の身体は、先輩のことを抱き締めていた。

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 僕の腕の中で、先輩が小さく息を呑む。それから遠慮がちに、先輩も自分の腕を僕の背中にへと回した。

 

 再度、密着する僕と先輩。先輩の身体はやはり柔らかくて、背中越しとはまた違った感触で、仄かに甘い匂いが鼻腔を擽って──それら全てが、僕の心臓をあり得ないほどに高鳴らせて、もう破裂するんじゃないかと危惧してしまうくらいに跳ね上がらせる。

 

 ──……ああ、ヤっバいな。ヤっバいぞこれ。

 

 別に、こうして正面から先輩を抱き締めるのは、これが初めてではない。いつぞやの無人島の一夜でも、それこそお互い水着姿で抱き締め合ったこともある。

 

 ……だというのに、その時よりも今この状況の方が────何倍も強烈で、僕の理性を激しく揺さぶった。

 

 僕の男としての本能が刺激される中、さらなる追い討ちが襲いかかる。

 

「……なあ、クラハ」

 

 背中に回した腕に力を込めながら、もの凄く恥ずかしそうに先輩が言う。

 

「その、もっと……強く、抱き締め……ろ」

 

「ッ……!」

 

 それは、僕にはあまりにも絶大過ぎる破壊力を宿した言葉で、堪らず言われた通りに、先輩の小さな身体をより力を込めて抱き締めてしまう。

 

 服越しに感じる先輩の体温が愛おしい。以前は水着という半裸同然の格好であったが故、肌と肌が直に触れ合い、密着し、もう熱いくらいに先輩の体温を感じられたが──今は互いに服を着ており、当然体温は感じ難い。だが、それ故もどかしく思ってしまい、求めてしまいそうになる。

 

 ……しかし、(すんで)のところで踏み止まる。何故なら、これ以上腕に力を込めたら、もう止まれそうにないから。先輩のことを壊してしまうかも、しれないから。それほどに先輩は華奢で、そして柔らかい。

 

 だが、そんななけなしの理性すらも────

 

「…………クラ、ハ」

 

 ────呆気なく、吹き飛ばされる。

 

「ど、どうしました先輩?」

 

 僕の名を呼んだ先輩は、躊躇いながらも腕の中から、今にも燃え上がりそうなくらいに真っ赤に染まった顔を上げて、僕のことを真摯に見つめながら、やはり恥ずかしそうに──本当に恥ずかしそうに、口を開いた。

 

「お、俺のこと……こ、こわ…………も、もうぶっ壊すつもりで抱き締めてくれっ!」

 

 ガツン、と。理性が殴りつけられた。そんな台詞、まさか先輩の口から飛び出してくるなんて、夢にも思っていなかった。

 

 しかも、これだけでは終わらなかった。

 

「クラハのこと、感じたい、から……っ!」

 

 そう言うと同時に、先輩もまた僕の背中に回した腕に、力を込める────もう、限界だった。

 

「先輩ッ!」

 

 ギュウッ──言われた通り、ありったけの力で先輩を抱き締める。それこそ、本当に先輩のことを壊すつもりで。

 

「ふあぁ……ぁぁ……」

 

 先輩から苦しげな、でも何処か幸せそうな、蕩けた呻き声が漏れ出す。……しかし、それはすぐさま塗り替えられる。

 

 僕の腕の中で、先輩の身体が小さく震え出す。流石に力を込め過ぎたと思い、咄嗟に緩めようとしたが──その前に、先輩が口を開いた。

 

「クラハ、クラハぁ……!」

 

 必死にしがみつくように、縋りつくように先輩は僕の名前を呼ぶ。涙ぐんだ、震えた声で何度も。

 

 僕の胸に顔を埋めながら、まるで幼い子供のように言葉を続ける。

 

「ごめんごめんごめん……っ!お前に酷えこと言って、お前に当たって……!」

 

 僕への謝罪を零しながら、もはやなんの躊躇なく先輩は泣く。……もう、僕の腕の中にいるのは、か弱い一人の女の子だった。

 

 そしてふと、思い出す。今となっては少しばかり遠い記憶となった、オールティアのとある一夜。深夜の病院でのことが。

 

 あの時も、こうして先輩は僕に抱きついて、泣いていた。気が済むまで、ずっと泣いていた。声を抑えることなく、僕には滅多に見せない、弱り切った姿を全て曝け出しながら。

 

 あの時の状況と、今の状況が重なる。違うところといえば──あの時とは違い、僕も先輩のことを抱き締められていることだ。

 

「もうしねえから、あんなこと、もうしないから……!」

 

 だから、と。口を開けず黙る僕に、先輩は懇願する。

 

「俺のこと、捨てないで……!俺から離れないで、クラハぁ……!」

 

 恥も外聞もかなぐり捨てて、先輩は僕のことを求める。……こんな先輩を見るのは、初めてだった。先輩がこんな風になるなんて、思いもしなかった。

 

 わんわん泣き続ける先輩の姿を目の当たりにして、ふと遠い日の──本当に遠い日の記憶にある言葉が、脳裏を過った。

 

 

 

『本当はね、あんな性格の子じゃなかったのよ』

 

 

 

 ──ああ、こういうこと……だったんですね。マリア姉さん。

 

 それは、家族を失ったばかりの、まだ子供だった自分の面倒を見てくれた一人の修道女(シスター)の言葉。あの頃は理解できなかったが──八年経った今、ようやくその意味をこうして理解した。

 

 抱き締めながら、僕は先輩に言う。

 

「大丈夫ですよ、先輩。僕はここにいます。あなたの元に、いますから」

 

 瞬間、勢いを増して先輩は泣き始めた。声も抑えず、溜めていたものを全て吐き出すように。

 

 そしてそれを僕は受け止め続けた。この人の気が済むまで、ずっと。

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