ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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大空の下在るものは全て同じでも

 ──……言い出せなかった。

 

 急用を思い出したなどという、くだらない嘘を吐いて。何も考えず、ただ我武者羅(がむしゃら)に病院を飛び出して。

 

 脇目も振らず、(なり)振り構わずラグナはオールティアの街道を駆けていた。どこへ向かう訳でもなく、どこを目指す訳でもなく。

 

 ──言えなかった……!

 

 行き交う人々の間を擦り抜け、こちらの身を案じてかけられた声も一切合切、全て無視して。ラグナは独り、走った。

 

 走って、走って。そして走り続けた。陽光に照らされ煌々とした輝きを放つ紅蓮の髪を揺らしながら、ラグナは一心不乱にオールティアの街道を駆け抜けたのだ。

 

 ──聞け、なかったッ!

 

 その身には有り余る程の、己の心を焼いて、焼き尽くして、焼き焦がさんばかりの激情を抱え込んで。

 

 だがしかし、それもやがて終わりを迎える。生物の体力は有限であり、小休憩でも挟まない限り遅かれ早かれ、いつかは必ず尽きる。

 

 とはいえ、()()()()()ラグナであったら、数百倍は長い時間この疾走を続けることができていたのだが────それが今では、保って数分だった。

 

 石畳を蹴りつける足の勢いが徐々に弱まって、果てには完全に停止してしまう。その場に立ち止まったラグナは堪らず腰を折り、膝に手を置くと、息と共に忌々しそうに言葉を吐き出す。

 

「ハァ……ッ!ぐッ……クソ、が……!」

 

 病院からは、そう遠く離れられてはいなかった。クラハならば、自分と違って大して体力も消費せずに、そしてこんな自分よりもさらに早く、この場に辿り着いてみせるだろう。

 

 全身が熱い。足が痛い。もう、この場から一歩も動ける気がしない。効率の悪い、荒い呼吸を馬鹿みたいに何度も繰り返すだけで、手一杯。

 

 体力の限界──それは果たして、何十年ぶりに味わう感覚なのだろう。そんな当たり前のことも、ラグナはすっかり忘れてしまった。

 

 ──胸、苦しい……。

 

 肩を激しく上下させ、頬を伝った汗を顎先から垂らしながら、ラグナは手を胸に伸ばす────と。

 

 むにゅ、という。柔らかで何処までも沈み込んでしまうような感触が手の平に伝わり。たぷん、という。決して少なくはない確かな質量を感じる重みが手の平に乗った。

 

「…………」

 

 最初の頃は、流石のラグナも面喰らった。自分にある訳のない、あってはならないその二つの膨らみに対して、その感触と重みに対してみっともなく動揺し、これ以上にない混乱と困惑に見舞われた。

 

 しかし時が経つにつれ、今ではもう特に感慨も何ら抱かないくらいには慣れた。……慣れてしまった。

 

 これが当然なのだと、自分にはあって当たり前なのだと。いつの間にかそう()()()()()()()()()、一々憤りそうなる自分を無理矢理抑え込んで、納得させていた。

 

 ……否、()()()()()()()。諦め、そしてどうしたって変えようのない現実を、潔く黙って受け入れようと試みていた。

 

 そう、今の現実を。今の──────

 

 

 

「……ふざけんな。んなの、無理に決まってんだろ」

 

 

 

 思わず吐き出しそうになったその言葉(よわね)を、ラグナはギリギリの既で呑み込み。その代わりに、せめてもの言葉(つよがり)を吐き捨てた。

 

 手の平に伝わる柔らかな感触が憎たらしい。手の平に乗っている重さが恨めしい。

 

 それだけではない。この低い背丈も、地面に立っているんだか宙に浮いているんだかいまいちわからないこの身体も。

 

 全部が全部、何もかもが────どうしようもない程に堪らなく、気に入らない。

 

 ふと気がつけば、あれだけ乱れていた呼吸は安定し始めていた。足の痛みも引いて、歩くだけなら何とかなりそうなくらいには体力が回復していた。

 

 顎先に伝っていた汗を手の甲で拭って、ラグナは顔を上げる。未だ太陽浮かぶ空は、青くて。何処までも清々しく澄み渡っていて。今こうしてここから見上げても、どこか全く違う場所から見上げても。きっとこの空は同じように見えるのだろう。

 

 そう、同じ。そしてそれは、空の下に在るもの全てにも言えることだろう。植物も動物も、人間も。

 

 全部、同じはずなんだ────そう思いながら、視線を下げた。

 

「あ……」

 

 すぐ側に、店があった。一体何の店かはわからなかった。ただ、その店の窓硝子(ガラス)に、はっきりと()()姿()は映り込んでいた。

 

 大の男の胸に届くか届かない程度の低い身長。背中を完全に覆い隠せるまでに伸びた髪。

 

 華奢な肩や細い腕は見るからに非力そうで、当然筋肉などある訳もない。

 

 そう、そこに映っているのはどこからどう見ても一人の少女。そしてその少女は紛れもない──────今の自分。

 

「……違う、じゃねえか」

 

 呟いた声は情けなく、惨めにも震えていて。だが到底、抑えられそうにはなくて。まるで誰かに背中を押されるようにして、ラグナはその場から一歩二歩と踏み出し、フラフラと身体を危なげに揺らしながら、その窓硝子へ近づいていく。

 

「何でだよ。何で、俺だけ……」

 

 窓硝子のすぐ目の前にまで歩み寄って。ラグナは恐る恐る腕を上げて、手を伸ばして。そして窓硝子に────映り込む少女の顔に触れた。

 

 真紅の双眸でこちらを見据えながら、少女がその口を開く。

 

「俺だけ違うんだ」

 

 空は同じだった。その下に在るものも同じだと信じていた。……だけど、自分は違った。もう、同じではなかった。同じではなくなってしまった。

 

 そこにはもう、ラグナ=アルティ=ブレイズの姿など────何処にもいなかった。

 

 

 

『先輩』

 

 

 

 そう呼ばれるべき存在(モノ)など、とっくのとうに消え失せていたのだ。

 

 ──ああ、なんだ。

 

 その瞬間、諦めにも似た絶望に包まれて。勝手に乾いた笑いが口から溢れ出す。

 

 ──別にもう、聞かなくてもわかるじゃねえか。

 

 先程言いかけたことを思い返して、だがそれは必要なかったという結論を出す。何故なら、別に聞かなくてもわかることなのだから。

 

 恐らく、きっと──────

 

 

 

 

 

『今のアンタを、俺は認めない』

 

 

 

 

 

 ──────同じ風に、クラハもそう思っているだろうから。

 

「…………あ、れ……?」

 

 気がつけば、視界は街道の石畳を映していた。そして何故か、少し濡れていた。雨が降っている訳でもないのに。

 

 不思議に思って顔を上げれば────窓硝子に映る少女が、泣いていた。その真紅の瞳から、涙を止め処なく溢れさせていた。

 

「……畜生、畜生……!」

 

 言葉を漏らす度、涙は流れて、落ちて。眼下の石畳を点々と濡らしていく。

 

「ちくしょぉ…………っ!」

 

 気がつけば、頭の中はもうぐちゃぐちゃで。何が何だかわからなくて。どうしようもなくなって。まるで幼い子供のように、泣くことしかできなかった。

 

 まともに思考もできないその最中で、ただ一言ラグナは窓硝子の少女へ問いかけた

 

「今の俺って、一体誰なんだ……?」

 

 ……答えなど、返ってくるはずがなかった。当然だろう、窓硝子の少女は──────紛れもない今の自分(ラグナ)なのだから。

 

 走ってすぐに尽きてしまう体力。非力で脆弱な身体。それが、今の自分。しかし、それでも。

 

 ──それでも、俺は……。

 

 と、その時だった。窓硝子の端に、まだ記憶に新しい、見覚えのある後ろ姿が映った。

 

「!」

 

 注目を集めるだろうその金髪を、見間違えるはずもない。ラグナが見つめている中、その背中は早足で進み、あっという間に遠去かり。そして薄暗い裏路地へと消えた。

 

「……」

 

 ラグナの脳裏に、昨日の光景が過ぎる。どうすることもできず、ただ助けを求めて叫ぶことしかできなかった自分のすぐ目の前で、自分の大事で大切な存在(モノ)をいいように痛めつけられて、散々甚振(いたぶ)られて。

 

 でも、何もできなかった。自分はただただひたすらに、無力だった。それを思い出すラグナは、無意識の内に拳を握り締める。固く、そして固く。

 

「…………」

 

 瞳を閉じて、深く息を吸い。それからゆっくりと吐き出す。

 

「よし」

 

 そう言うや否や、ラグナは閉じた瞳を再度開かせる。涙はもう、止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?おいおい、ここは君みたいな子が来るとこじゃないぜ。お嬢さん」

 

 鉄扉を背後にして立っている男は面倒そうに言う。それと同時に目の前に立つその者を、頭から爪先まで見下ろし眺め、ハッと気づいたように続ける。

 

「いやアンタは、確か……」

 

 その男に対して、その者は────ラグナは睨みながら、震え一つとない毅然とした声音で言った。

 

 

 

「今すぐライザーの奴に会わせろ」


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