ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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ARKADIA────青年よ、今宵は己が手で

 ──……疲れた。

 

 ふわふわの極上感触である寝台(ベッド)に、ごろんと無防備にも細く白い素足を晒しながら、寝っ転がるラグナはそう心の中で呟く。このマジリカという未知の街を歩き回り、そのおかげで酷使した足がまるで棒のようになっていた。

 

 浴室の方からはシャワーの音が漏れる程度に聞こえてくる。言うまでもないが、今入っているのはクラハだ。

 

 ──……。

 

 ぼうっと天井を眺めながら、ラグナは今日一日のことを振り返る。クラハと共に歩き、そして見るこの街は新鮮な驚きで溢れていて、凄く楽しかった。

 

 特にフィーリアに連れられ、食べてみたスライム饅頭。絶品だった。味もさることながら、口に入れた時のあの食感が今でもはっきりと思い出せる。オールティアに帰ったら、是非とも自分なりに再現してみたいものだ。……その時は、レインボウの視界(そもそも目があるのかわからないのだが)に入らないよう、気をつけなければ。

 

 そんなことを考えながら、ラグナは次にクラハのことについて──というよりは、街を歩き進む中で彼に声をかけていた冒険者(ランカー)たちのことを思い出す。

 

 

『『大翼の不死鳥(フェニシオン)』のクラハ=ウインドアさんですよね!?その、サインって貰えますか!?』

 

『ウインドアさん握手お願いします!』

 

『も、もし機会があれば一度チーム組みませんか!?』

 

 

 ……その大半が自分たちと同じような観光中の冒険者で、そして女性であった。一応男性もいたにはいたが、それでも圧倒的に女性の方が多かった。

 

 ラグナとて、一ヶ月ほど前のこと────ラディウスでの依頼(クエスト)の一件で、クラハの知名度が爆発的に伸びたことは承知している。それから個人で様々な依頼もこなし、それによりさらに知名度が上がったこともわかっている。そして『大翼の不死鳥』の受付嬢──メルネの話から、女性冒険者からの人気が高いことだって知っているし、理解している。

 

 今まで実績らしい実績がなく、そのせいで日の目を見ることができないでいた可愛い自慢の後輩が、ようやくその実力に見合った、相応しい名声を得られることができたことはラグナだって嬉しい。……嬉しい、のだが。

 

 クラハが他の(・・)女性からちやほやされているのを見ていると──何故か無性に腹が立ってくるのだ。

 

 ──女に群がれて、鼻伸ばしてんじゃねえよ馬鹿クラハ。

 

 大勢の女性に囲まれ、困りつつも満更でもない表情を浮かべるクラハの姿を思い出し、ラグナは不快そうに眉を顰めるが、その傍らで困惑の表情も浮かべる。

 

 ──てか、なんでそんなんで、こんなにイライラしてんだろ……俺。

 

 燻る原因不明苛立ちに、ラグナは己の胸に手を当てる。……まあこんなことをしたところで、この苛立ちが一体なんなのかはわからないのだが。

 

 それに、まだわからないことはもう一つある。この苛立ちはもう一ヶ月ほど前から感じているが、これはつい最近のことである。

 

 クラハのことを考えると────何故か胸がきゅうっと締めつけられるような、そんな心苦しい謎の切なさを胸の奥に覚えるようになってしまったのだ。

 

 この切なさが一体なんなのか、ラグナは全くわからない。ただクラハのことを考えてしまうと、胸の内がこの切なさで一杯になって、どうしようもなくなる。今まで、こんなことは全くなかったというのに。

 

 一度メルネ辺りに相談しようかと考えもしたが、その直前で何故か後ろめたさというか、気恥ずかしさを覚えてしまい、結果未だに相談できないでいた。

 

 この無性な苛立ちといい、この胸を締めつける切なさといい……男の時には全く抱いたことのない感情だった。それ故ラグナの脳内は困惑で満たされ──直後、ぐしゃぐしゃと髪を手で掻き乱した。

 

 ──あーもう止めだ止め!これ以上考えてたら、なんか頭ん中変になっちまいそうだ。

 

 そしてごろんと寝返りを打って、ラグナがうつ伏せになる。ラグナの体重と寝台に挟まれて、むにゅぅという擬音が出そうな具合に、胸が押し潰されその形を歪ませた。

 

 ──……あ。

 

 寝台と同じくらいにふわふわな枕に顔を押しつけながら、ふとラグナはとあることを思い出した。

 

 

 ──良いかラグナ。胸を揉むんだよ胸を。それで相手の女がときめきゃあ、それが『恋』ってモンなんだぜ──

 

 

 それは十六年前、ほんのちょっとした好奇心で訊いた質問の答え。今の今まで、脳の片隅から抜け落ちていたいつかの記憶。

 

 当時の自分ではその意味がよくわからず、そして思い出した今でもよくわからない。そもそも、『ときめく』ということが理解できない。

 

 しかし、今は立場が違う。十六年前も四ヶ月前も、その時は男だったが──今のラグナは()である。

 

 ──ジョニィ……アイツ、まさかこん時の為に……?

 

 己に喧嘩の技術を与えてくれた、謂わば師匠のような男の顔を思い出しながら、ラグナは上半身を起こし、自分の手を胸に伸ばし、触れる。今の自分には──揉めるだけ(・・・・・)の胸がある。

 

 ……実を言えば、ラグナとてこの苛立ちにも切なさにも、一つの心当たりがあった。昔、とある孤児院に共に住んでいた修道女(シスター)が、よく言っていたのだ。

 

 

 ──その子のことを考えると、なんだか胸が苦しくなったり、切なくなったりしちゃって……それでその子が他の子と仲良くしてるところを見ちゃうと、別にその子のことが嫌いな訳じゃないのに怒りたくなっちゃう。その思いがね……『好き』ってことなんじゃないかな──

 

 

 当時の自分にはその言葉の意味があまり理解できないでいたが……今、自分がクラハに対して抱いている感情がまさにそれではないのかと、ラグナは思っていたのだ。

 

 そう思いつつも、しかし否定していた。当然だ、今でこそ自分は女であるが──それはこの身体だけの話である。精神(こころ)は、違う。

 

 ──そうだ。俺は今は女でも、男。そんでクラハも男。……好きになるとか、絶対にねえ。

 

 確かにクラハのことは好いている。しかしそれはあくまでも後輩として。決して恋慕の情ではない──ラグナは、そう考えていた。

 

 であれば良い機会だろう────確かめよう(・・・・・)。今、この場で確かめてしまおう。

 

 と、その時。

 

 

 

 バタン──丁度いいことに、浴室の扉が開かれる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タオルで濡れた髪や身体を充分に拭いて、僕は浴室から出る。そうしてすぐさま視界に飛び込んだのは──寝台(ベッド)で眠る先輩の姿だった。

 

 ──先輩、寝ちゃってたのか……まあ、今日は結構歩き回ったしな。

 

 そう思いながら、思わず先輩のことを僕は眺めてしまう。眺めて、思わず指で頬を掻く。

 

 ──……それにしても、本当にこの人は無防備というかなんというか……。

 

 今の先輩の格好は、正直言ってかなり目に毒だった。ホテルから貸し出されている寝間着(パジャマ)に身を包んでいる訳だが、この寝間着……生地が、薄い。

 

 なので身体のラインというものが結構浮き出やすく──先輩の場合、その無防備さも相まってかなり拙い格好となってしまっている。たとえホテルの中であろうが、この格好で歩き回させる訳にはいかない。絶対に。

 

 ──というか、他の人……特に男に見られたくない。見せたくない。

 

 そう心の中で固く決意しながら、僕の視線は無意識に先輩の身体を舐めるようになぞっていた。

 

 どちらかといえば、先輩は童顔だろう。まだ幼さが残っていて、しかし時折女の色を覗かせる、そんな曖昧な境界線が引かれた顔立ち。そしてその身長も低い。流石にフィーリアさんよりも低くはないが、僕よりも頭一つ低く、サクラさんと並べば冗談抜きに子供としか思えないほどの身長差ができる。

 

 ……そのくせ、その身体つき自体は結構、メリハリがあるというか発育が良いというか、正直顔に見合ってないというか。とにかく、僕には少々……いや、かなり刺激が強い。目の保養になるが、それと同時に目の毒にもなる。

 

 特に横になって僅かに潰れている、大き過ぎず小さ過ぎない絶妙なサイズ感で、その上形も整った文句なしの────

 

 ──って、いつまで僕は先輩のことを眺めてるんだ……!

 

 ハッと我に返り、僕は己を叱咤しながら慌てて先輩から顔ごと視線を逸らす──その直前だった。

 

「ん、ぅ……」

 

 小さな寝息を漏らしながら、先輩が不意に寝返りを打った。横向けの姿勢から仰向けとなり──その最中、男の性により先ほどまで僕が邪な視線を注いでしまっていたその部分が、たゆんと。それはもう、実に柔らかそうに揺れた。

 

「……」

 

 ……どうやら、先輩は下着をしていないらしい。寝巻きの薄布一枚に隔てられた、先輩が寝息を立てる度に僅かに上下するそれに、僕は再び視線を釘付けにされてしまう。

 

「…………」

 

 ごくり、と。思わず生唾を飲む。そして唐突に、思ってしまった──触ってみたい、と。

 

 それは男の本能だったのだろう。雄に刷り込まれた、根源の欲求だったのだろう。

 

 先輩の方に、ゆっくりと。一歩ずつ、足音を立てないように慎重に僕は近づく。今思えば、背中に押しつけられたり顔に押しつけられたり腹部に押しつけられたり──一応己の身体でその極上の感触を味わう機会は多々あったが、そのどれもが謂わば、不本意による事故のようなものだったと記憶している。

 

 しかし自らの意思で触れたことは、一度もない。それは絶対を以て言える。なんだかんだで、僕から先輩の肌色の果実に手を伸ばすことは、今まで一度もなかった────ただ、この時を除いて。

 

 今の僕は、さながら花の蜜に誘われる一匹の虫だった。逆らうこともできず、ただふらふらと誘い込まれていく。

 

 理性は歯止めを利かせようとするが、本能がそれを邪魔する。それを押し退ける。頭の中では駄目だとわかっていても、身体はどんどん前へ進んでしまう。

 

 そして──遂に、手を伸ばせば届く距離にまで、僕は先輩に近づいてしまった。

 

 ──止まらなきゃ。止まら、なきゃ……。

 

 思考は言葉を紡ぐが、腕はそれを無視し手が近づく。仰向けになったことで僅かに横に流れるも、ある程度その形を保っている先輩の双丘に、近づいていく。

 

 ──これ、以上は……!

 

 突如として心の内に芽生えた本能による欲求は、想定以上に強大で、想像以上に凄まじかった。それを前にした僕の理性など、まるで吹けば飛ぶような小っぽけなものでしかない。

 

 そうして、いよいよ……僕の手は──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや触れるかないかまでの距離にまでクラハは迫ったが、それだけだった。ほんの微かに詰めれば、ほんの僅かにでも伸ばしてしまえば触れることができたであろう至近距離で、クラハは静止した。

 

 静止して、数十秒そのままでいたかと思えば、バッと踵を返し、何故か浴室へと戻って──しばらくしたら戻ってきた。戻って、先ほどのように寝台(ベッド)の上で眠るふり(・・)をするラグナには一瞥もくれず、もう片方の寝台に横たわると、そのまま沈黙した。

 

 ようやっと静寂が訪れた部屋の中、寝台の上でラグナは瞳を閉じながら、ぽつりと呟く。

 

「……このヘタレチキン」

 

 小さな怒りと失望が宿るその呟きは、クラハの耳に届くことはなく、そのまま宙に流れて溶けて消えた。

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