ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか── 作:白糖黒鍵
「んな訳ねえだろ、
浮かべていたその笑顔を、凶悪に歪ませ。こちらを心底、嘲った声音で。押し倒し、覆い被さりなりながら。そして互いの鼻先があと少しで触れ合ってしまう至近距離まで顔を近づけ、吐き捨てるかのように、ライザーはラグナにそう言い放った。
「……は……?」
それに対して、ラグナは困惑の声を漏らすことしかできなかった。呆然と見上げるラグナへ、ライザーは顔を離してさらに続ける。
「クラハに謝るなんざ死んでもごめんだ。絶対に、何が何でもお断りだ。こんな俺の言葉を少しでも信じまって、いやあ残念でしたねぇ?ハハハッ!」
騙したことがそんなにも愉快なのか、まるで子供のようにライザーは笑う。だがその笑いはあまりにも邪悪で、これ以上にない悪意で満ち満ちていて。とてもではないが子供のそれとは言えなかった。
「ライザー、お前……ッ!」
ラグナは知っていた。ライザーの人間性はおよそ誉められたものではない、最低最悪なものであるとわかっていた。
……だが、それでも。
『いやあ、負けです。俺の負けですよ。……わかりました。クラハの元までの案内、お願いします』
その言葉と、その似合わない笑顔を前に、ほんの少しばかりだけ……心を許してしまった。ライザーのことを、信じてしまった。
そんな自分が、どうしようもなく不甲斐なかった。情けなかった。そして、止め処ない悔しさが込み上げ溢れた。
そして、遂に────
「ふざ、けんな……ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなこの野郎ッ!!」
────全てはクラハの為にと、今の今まで押し込め閉じ込め抑え込んでいた、ありったけの怒りが爆発した。
「お前!二年前とちっとも変わってねえじゃねえかろくでなしッ!そんなにも人を馬鹿にすんのが楽しいのか!?そんなにも他人を蹴落とすのが嬉しいのか!?こんの、クソッタレがァッッッ!!!」
我を忘れ、己の内から噴出する激情に背を押されるまま、ラグナは怒声を飛ばす。
「これ以上つべこべ抜かさず、いいからクラハに謝りやがれ!こんの、逆恨みのクソ野郎がッ!どうしようもねえ筋違いの下衆野郎がッ!!」
そのあどけなくも何処か大人びた顔を、今は獣の如く凶暴に歪ませながら。喉が裂けんばかりに、しかしそれを一切気にしようとせずに、全く加減しないでラグナは怒声を張り上げ続ける。その全てを、懸命にもライザーにぶつける。
「お前だけは!お前だけは絶対に許さねえ!絶対に、絶対に……絶対に一発ぶん殴ってやるからな!そんで、そんで……」
そこで一旦、ラグナは深く息を吸い込み、そして一気に────
「絶対の絶対にお前をクラハに謝らせてやるッ!!ライザァァァアアアッッッ!!!!」
────怒り、激怒、憤怒、憤慨。それらを一つに合わせて、あらん限りの力を込めて。ライザーに向かって、ラグナは叫んだ。
言いたいことを言い終えて、胸を激しく上下させ、ぜえぜえと荒い呼吸を何度も繰り返すラグナに、ライザーは。
「……やれるものならやってみせてくださいよ。今のアンタにやれるというのなら」
浮かばせていた歪な笑みが完全に消え失せた無表情で、酷く冷めた無感情の声で眼下のラグナにそう言った。それから彼は唐突に指を鳴らす。
ジャラララッ──瞬間、連なった金属音を響かせながら。
「なっ……!?」
驚いたラグナが慌てて手足を動かそうとするが、巻きついた鎖は到底解けそうにはなく。こうして瞬く間に、ラグナは寝台に寝かされたまま拘束されてしまったのだ。
「その鎖、ちょっと特殊な魔石を混ぜ込んだ鉄を使ってまして。魔力を通すことでこのように遠隔操作できる代物なんですよ。便利でしょう?」
ろくに抵抗する暇もなく、鎖によって手足を縛られるその様を間近で見届けたライザーは。淡々とそう説明しながら、ゆっくりとラグナの身体から離れ、寝台から下りる。そしてラグナに背を向けると、まるで独り言のように呟き始めた。
「ずっと、ずっと昔からそうだった」
やはりその声にはこれといった感情など宿っておらず、ただあるのは無機質な冷たさ。だがそれに構うことなく、ライザーとは真反対に烈火の如き怒りを伴わせ、ラグナはその背中に向かって怒鳴り声を張り上げさせる。
「おいライザー!お前これどういうつもりだ!?さっさと今すぐにでも解きやがれ!!」
しかし、そんなラグナの怒声などまるで聞こえていないかのように無視して、彼は呟き続ける。
「初めて新聞の記事と載っていた一枚の写真を目にした時からずっと。そしてそれは新たな活躍と名声が伝わり知る度に、俺の中でますます強くなっていった」
やはりというか、ライザーの声は依然淡々としており。どんなものにせよ、先程までは感情らしい感情が込められていたが、今やそれすらも一切感じられなくなっている。
──こんの……さっきから、一体どうしちまったっていうんだよこいつ……。
次から次へと豹変を繰り返すライザーに、一時激情に身を任せたことも相まってラグナは疲弊を覚える。そんなラグナに対して、ライザーはなおも続けた。
「ああ、そうさ……俺はどうしようもなく憧れたんだ。
そこまで言って、バッとライザーはラグナの方へ振り返った。瞬間、ラグナは思わず息を呑んでしまう。
ライザーの顔には、暗闇があった。それはゾッとする程に深く、そして昏かった。まるでこの世全てに絶望しているような────諦めを抱いているような、そんな表情を今、彼はそこに浮かべていた。
「教えてあげますよ。別に俺はクラハの奴に一年前の復讐をしに、今さらこんな街に帰って来た訳じゃない。もうそんなこと、俺にとってはもはやどうだっていい。……アンタですよ、アンタ」
言いながら、振り返ったライザーがゆらゆらと。さながら彷徨う幽鬼のように、身体を揺らしながら一歩一歩と。ラグナを拘束する寝台の方に近づく。その様を見せつけられながら、堪らずラグナは困惑の声を上げる。
「は、はあ?寝呆けたこと言ってんじゃねえぞお前。昨日クラハにやったこと忘れたってのか?そ、それに帰って来た理由が俺って……一体どういうことだよ、ライザー!」
「忘れてなんかいませんよ。昨日のあれはついでみたいなものです」
などと宣い、自分が帰って来た理由が何故ラグナであるのかについては答えず、ラグナへ歩み寄るライザー。そして彼はまたしても寝台へと上がり、ラグナのことを見下ろした。
「嘘だと思いたかった。嘘だと信じたかった……だが、全部本当のことだった。紛れもない真実だった。その顔も声も身体も、もうどこからどう見たって女じゃないですか。こんなの、俺の知るアンタなんかじゃない。俺の知っているアンタは……ラグナ=アルティ=ブレイズは何処かに消え失せてしまったんだ」
「お、お前……」
もう、ライザーの様子は明らかに普通ではなかった。その金色の双眸は何処までも暗澹として、その表情はあまりにも深い絶望で満たされていた。
それを目の当たりにして、ラグナは狼狽え動揺してしまう。そんなラグナに、ライザーは言う。
「……そう、今のアンタはラグナさんなんかじゃない。そんなはずがないんだ。……なのに、どうしてなんですかねえ」
そこで唐突に、ライザーの瞳に光が宿る。だがそれは、狂人のそれであった。
「どうして、瞳は
狂人の様相を呈しながら、そう零すライザー。だが彼の言葉はラグナにとっては理解不能な代物で、しかしそれに構うことなくライザーは続ける。
「止めてくださいよ、そういうの……困るじゃないですか。なんでわからせてくれないんですか……理解させてくれないんですか……本当に、止めてくださいよ」
ライザーの嘆きは一方的に、理不尽にもラグナに降りかかって。堪え切れなくなったラグナが口を開く────直前だった。
「だから、決めました」
その声は、嫌にはっきりとした確かなもので。そう言うや否や、ライザーは腕を振り上げる。その動きに釣られて、目で追ったラグナは、ハッとせざるを得なかった。
何故ならば、振り上げたライザーのその手には──────いつの間にか、一本のナイフが握られていたのだから。
一体いつ、そしてどこから取り出したというのか。ラグナにはまるでわからない。わからず、ただただ恐怖だけが先行してしまう。そんなラグナに、ライザーが言う。
「そうすることに、俺は決めたんですよ」
そして、ラグナが息を呑む間も与えず。冷たい光を乱反射させながら、ライザーは握ったそのナイフを一息に──────真っ直ぐ振り下ろした。
「…………ん、な……?」
思わずギュッと固く閉じてしまった瞳を、恐る恐るラグナは開かせる。ラグナは確かに見ていた。己の胸へ躊躇なく振り下ろされるその切っ先を、確かに目撃していた。
だがしかし、数秒過ぎても感じるはずだっただろう冷たい刃の感触と、血の流れる熱い痛みは来ず。何故かと見てみれば────確かにナイフは振り下ろされていた。振り下ろされていたが、その刃はラグナの胸元を突くことはなく。その上の服と下着を貫くだけに留められていた。
そのことを不可思議にラグナが思った瞬間、目にも留まらぬ速さでナイフが動き、そして離れる。
数秒遅れて────何の抵抗もなく、ラグナの服と下着が左右に断ち切られ。すぐさまその下にあったものが、少し押さえられていた反動もあってか。ぷるんと柔く揺れながら勢いよく、弾けるように外へ飛び出した。
「ひゃうっ?ふえぁっ!?」
突如として外気に晒されたことによる冷たさと、何故こうなったことによる疑問から、ライザーの目の前だというにも関わらず、堪らず素っ頓狂な悲鳴を上げてしまうラグナ。そんな滑稽な姿を依然見下ろしながら、ライザーは静かに言った。
「今のアンタにわからせてやる。理解させてやる……その身体と、そして心に。そうすれば、その瞳だってきっと