「やあ。初めまして、アルヴァ=レリウ=クロミアさん。今日から貴女の主治医を務める、ジョシュアです。以後、どうかよろしくね?」
そう言って、その男はある日突然
男──ジョシュアはその挨拶通り、その日から私の治療を請け負った。だが、そんな彼を私は拒絶した。それはもう、激しく拒絶しまくった。
自分の身体だ。自分の身体のことくらい、私が一番理解している。……理解、してしまっている。
セトニ大陸を襲った、『魔人』クレヒトとの戦いで、私は魔法を自由に扱えなくなってしまった。己の限界を超えて魔法を行使したことによる、後遺症だった。
【
それでも無理矢理使い続けようとすれば、今度こそ体内の魔力回路がイカれて、私は魔力そのものを失うことになるだろう。そうなれば──その先にあるのは死だ。この
ジョシュアは私を治療すると言ってた。私の魔力回路を正常に戻してみせると、そう息巻いていた。……それが、なおさらこの上なく、私を苛立たせた。
もう、治らない。もう、戻らない。治せない、戻せない────身体が、冷酷にそう告げていた。
だから、私はジョシュアを拒否した。拒絶した。関わるなと叫んだ。殺気を込めて睨んだ。殴った。蹴った。
……それでも、彼は離れなかった。私にいくら怒鳴りつけられようが、殺気をぶつけられようが、殴られようが蹴られようが、私から離れなかった。ジョシュアは、諦めなかった。
白状してしまうと、私は治らなくてもいいと思っていた。もうまともに魔法を使えなくてもいいと、そう思っていたのだ。
だって────これが、私にできる唯一の贖罪なのだから。
グィン=アルドナテ。カゼン=ヴァルヴァリサ。この二人は私と同じ
魔人の攻撃から私を庇ったカゼンは、右目と左腕と右腕を失い、おまけにその顔にも痛々しい傷痕が残った。彼女曰く、医者からはその傷痕は消えることも、消すこともできないのだという。
魔人に止めを刺したグィンは、死に絶える直前の魔人による最期の足掻きを受け、目に見える外傷こそなかったが、身体にあるほぼ全ての内臓を持っていかれてしまった。幸い生命活動を維持させるのに必須な内臓は無事であったが、それでも、人間にとって──並大抵の動物にとって、その場で即死しかねない致命的ダメージをグィンはその身に受けたのだ。
しかし、驚くべきことに、グィンは持ち前の強靭な生命力で、僅かながらも生き長らえた。時間にして数十秒という、決して長くはない間ではあったが、そのおかげで何とか医療班が間に合い、延命処置を受けることができたのだ。
……とはいえ、それだけであった。グィンは断言されてしまった。この先、半年も生きてはいられないだろう──そう、医者から断言された。
当然といえば当然のことだ。いくら仮初の、人工による内臓と治療魔法を使っても、それは延命行為でしかなく、そしてそれにも今の技術では限度がある。失った手足や不治の病ですら癒してしまうと言われる、最上位の治療魔法──【
そして、グィン本人もそれを受け入れていた。短くはない己の道のりに待つ、その辛い現実を彼は潔く受け入れる、覚悟を決めていた。グィンは、そういう男だった。
だが、先に結論を述べてしまうと彼は死ななかった。余命宣告である半年を過ぎても、それどころか一年経っても彼はまだ生きている。
元々グィンという男は中々にしぶとい男であったが、それを差し引いても奇跡としか言いようがない現状だった。とはいえ、流石に以前のような生活は送れず、常日頃から生命の危機に晒されていることには変わりないのだが。
ともあれ、二人に比べてしまえば私の後遺症などまるで軽かった。魔法が自由に扱えないだけで、五体満足ではあるしまともな生活も送れているのだから。
私があの場で己の限界を超えて、動けなくなってしまったから、カゼンが攻撃を庇うことになってしまった。
私が弱かったから、グィンが魔人と死闘を繰り広げ、満身創痍となっているところで呪いをかけられてしまった。
全て、私のせいだ。私が未熟だったせいで──二人は、私以上の重荷をその身に背負うことになってしまったのだ。
だから、私は死ぬまでこのままでいようと思った。二人と違って、私の後遺症はまだ治る可能性があったが──私は、その可能性を自ら潰すことにした。
二人を差し置いて、自分だけ元通りになろうなどと、とてもではないが考えられなかった。私のせいで、二人はああなってしまったというのに。
自己満足と言われるかもしれない。それでも構わない。この後遺症を一生抱え込むことが──二人に対する、私なりの償いなのだ。
「それは違う」
だが、ジョシュアは私の贖罪を否定した。似合わない真顔で、私の償いを彼は切って捨てた。
その日のことはよく覚えている。手こそ出さなかったが、そこで私は初めて、本気で彼を拒絶した。拒否した。
お前に何がわかる。たかが医者でしかない、赤の他人でしかないお前に一体私の何がわかる。知ったような口で、否定するんじゃない────恐らく、ジョシュアに向かって吐き捨てたこの言葉を、私は一生忘れられないだろう。
彼は黙っていたが、散々罵り続けた私が息を切らして黙り込むと、その固く閉ざしていた口を静かに開いた。
「一週間、僕に時間をくれ」
そう言った翌日、ジョシュアはマジリカを発った。最初、彼は逃げたのだと思った。一週間時間をくれなどとほざいて、この街には二度と戻ってこないつもりなのだろうと、私はそう思っていた。
しかし、そんな私の考えを覆すように、一週間後ジョシュアはマジリカに、私の元に戻ってきた──二通の便箋を携えて。
私に会うなり、彼はその二通の便箋を手渡してきた。私といえば呆気に取られていて、なすがままにそれを受け取って、そして彼は私に封を切れと言った。
言われた通り封を切って中身を確かめると、それぞれの便箋にそれぞれ一枚の手紙が入っていた。自然の流れで目を通してみると────それは、カゼンとグィンからの、
二人とは、
……否、資格どうこうではない。ただ単に、二人に会わせる顔を持ち合わせていなかったのと、連絡をする度胸がなかっただけだ。そう、私は嫌でも理解していた。
きっと、二人は私を恨んでいるだろう。お前のせいで自分たちは不自由な人生を送る羽目になった。お前を絶対に許さない────そんな憎悪の言葉をぶつけてくるだろう。この手紙にも、そんな憎悪が綴られているのだろう──私は、自分勝手にそう決めつけていた。
だが、そこに綴られていたのは────他愛のない挨拶と近況確認、そして私に対する感謝の言葉であった。
『アルヴァ。君があの時、限界を超えてまでクレヒトに痛手を負わせてくれていなければ、こちらは全滅していた。私の目と腕と足に関しては気にしないでくれ。最後に……あまり自分を責めるな』
『いつまで過ぎたこと後悔してんじゃねえ。似合わねえんだよ、ガサツ女。いい加減、顔上げて前見やがれ』
………情けなく肩を小さく震わせ、口元を押さえる私に、ジョシュアがこう言葉をかける。
「最初から、誰も君を責めてなんかなかった。君は最初から赦されていたんだ──だからもう、自分を赦してやらないか?……アルヴァ」
私は、何も言わなかった。……何も言えず、二人からの手紙を握り締め、声を押し殺して静かに泣くことしか、できなかった。
時間にして、恐らく
「……なあ、アルヴァ。実は君に……伝えたいことがあるんだ」
私が泣き止んだのを見計らって、ジョシュアがそんなことを言い出す。私は、黙って頷き、その続きを促す。
彼の話を要約すると────
だが、私はジョシュアを責めなかった。元よりそれはとっくに理解していた身だし、そもそも彼を責め立てようなどの気持ちは、全く込み上げてこなかった。
「別にいい。アンタが気にすることなんて、ない」
そうジョシュアに言う私の声は、先程まで泣いていたせいか酷く掠れていた。私の言葉を聞いた彼は一体何を思ったのか、こちらにグッと身体を近づけ、不意に私の両肩を掴んだのだ。
正直に白状してしまうと、思わず悲鳴を上げそうになってしまった。今思えば、あんな風に異性から──男から距離を詰められるのは初めてのことだった。
まるで生娘のように情けなく心臓の鼓動を早め、僅かばかりに見開かせた私の目に、ジョシュアの碧い瞳が映り込む。少しの沈黙を挟んでから、静かに彼は言った。
「君の魔力回路は僕が治してみせる。たとえどれだけの時間がかかろうとも、どれだけの年月が過ぎ去ったとしても、いつの日か絶対に、治してみせる。だから、それまでにどうか、僕に君を支えさせてほしい。……君の傍に、いさせてほしい」
……ジョシュアは、真剣だった。どこまでも真っ直ぐに、私のことを真摯な眼差しで見つめていた。
当然だが、今までの人生の中で、一人の男からこんなことを言われたのも初めてだった。初めてで、当の私はただひたすらに戸惑って、困惑するしかなくて────何も言えずに、小さな子供のようにこくりと頷いた。
「僕は────ヴィクターさ」
機械人形の頭部を模した
そして少し遅れて、ようやっと彼女は口を開いた。
「何を……言って、んだ?ジョシュア。こんな時に、一体何の冗談だい……?」
アルヴァの声は、震えていた。この上なく、弱々しく。まるで彼の言葉を理解したくないと訴えるかのように。目の前にある現実から、目を背けるように。
だが、しかし。そんな現実逃避を試みるアルヴァに対して、ジョシュアは────
「冗談なんかじゃあないさ。言葉通りの意味だよ。ヴィクターは僕で、僕がヴィクターなんだ」
────銃を向けたまま、
「そんな訳、ないだろ…………アンタがあんなクソ野郎な訳ないだろッ!?」
喉の、全身の痛みを忘れて、アルヴァは叫ぶ。この上なく取り乱しながら、彼女は現実を否定しようとする。
「ヴィクターは死んだ!さっき!潰れて、私の目の前で!アンタはジョシュアだ!ヴィクターなんかじゃ、ない……!ヴィクターなんかじゃあないんだよッ!?」
戸惑いながら、困惑しながら、混乱しながらアルヴァは悲痛な叫びを上げる。彼女の言葉は、もはや願望に近かった。目の前の現実が嘘であってほしいという、切実な願望だった。
けれど、彼女の目の前に立つ男は、あくまでも淡々に、冷酷に彼女の願望を打ち砕く。
「まあ、確かに君の言う通りヴィクターは死んだね。死んだけど、
「は、ぁ……!?」
まるで意味がわからないと訴えるアルヴァに、ジョシュア────否、仮面の男はこう続ける。
「詳しい説明は省くけど、さっきまで君が戦っていたあの男は、謂わば僕の分身さ。偉大なる
ちなみに『ジョシュア』というのは過去に捨てた名でね──おまけのようにそう付け加えて男は言うが、アルヴァは全くと言っていい程に彼の言葉を飲み込めないでいた。彼女の心が、未だに理解することを拒んでいた。
……もう、訳が……意味がわからない……!
そう心の中で苛立ちのままに吐き捨てながら、なおもアルヴァは彼に訴えかける。
「ふざけんじゃ、ないよ。大体先生って誰だ……あのクソ野郎は一体何だったんだ!なあ、ジョシュア!」
現実を受け止められないアルヴァは、縋るように己の目の前に立つ男を見上げる。その紫紺色の瞳は、僅かばかりに潤んでいた。
硬い地面を無意識に指先で掻きながら、アルヴァが震える声を喉奥から絞り出す。
「アンタが
顔を上げて、アルヴァは悲痛に叫ぶ。
「あの時私にかけてくれた言葉は、全部嘘だったってのかい……?」
まるで救いを求めるようなアルヴァの言葉に、彼女の目の前に立つ、
「……何か、言えよ。答えろ、よ………」
弱々しく、アルヴァが小さくそう呟く。その瞬間────遂に、彼女の紫紺色の瞳から雫が零れ落ちた。
「答えろよぉ……ジョシュアぁ……!!」
……もはや、そこにいたのはか弱い独りの女であった。今にもボロボロと崩れて消えてしまいそうな程に脆い眼差しを向けるアルヴァに、男は──静かに、被っていた仮面を取った。その下にあるのは、日常通りの柔和な笑顔で。その笑顔のまま──────
「ああ嘘だよ、アルヴァ。僕は、ずっと君を騙していたんだ」
──────平然と、アルヴァにそう言い放った。
「………ふざ、けんな……ふざけんな……ふざけんなぁぁぁぁ……!」
心を圧し折られたアルヴァが、顔を俯かせ何度もその言葉を繰り返す。そんな彼女に手を差し伸べることなく、依然銃口を逸らさず向けたまま、仮面の男────否、ヴィクターが言う。
「さて。これで僕の正体は明かした。じゃあ次にこの
訊ねるヴィクターに、アルヴァが返事をすることはない。……しかし、それについては彼の言う通り、彼女も僅かばかりに聞き覚えがあった。
『厄災』──最近、若手冒険者チームである〝翡翠の涙〟が発見した書物に記されていた、いつの日かこの
だが、それが一体どうしたというのか──咽び泣く本能に反し、アルヴァの理性は冷静にもそう考えていた。そんな彼女に、ヴィクターは続ける。
「単刀直入に言おう。僕の計画というのはね……その『厄災』の内一柱を目覚めさせることなんだ」
「……は……?」
ヴィクターのその発言は、投げやり気味になりかけていたアルヴァの意識を無理矢理向かせるには充分な程に衝撃的であった。俯かせていた顔を再度上げ、呆然とした表情を浮かべるアルヴァに、だがヴィクターは次にもっと信じ難いことを言い放った。
「そして、その『厄災』の一柱が────
……今度は、アルヴァは何も言えなかった。最初、それが何か
──……フィーリアが、厄災……?
遅れて、ゆっくりとヴィクターの言葉をアルヴァは飲み込む。そんな彼女の様子に構うことなく、さも平然とヴィクターはそのまま続ける。
「さてさて。これで僕は全てを話した。もう思い残すことはない。アルヴァ……後は、用済みの君を始末するだけだ。しかし、心苦しいよ。君の接触が起点になったのに。この計画一番の功労者である君を、よりにもよってこの計画の一任者である僕が始末しなければならないなんて……本当に、心苦しい」
そう述べる彼は、至って日常通りだった。その声音も、その笑顔も、その全てが日常通りであった。
「…………」
アルヴァは、もう何も言わなかった。もう、何も言いたくなかった。これ以上──目の前に広がる現実を、見たくなかった。
──全部、どうでもいい。
「じゃあアルヴァ──そろそろお別れの時間だ。君のような友人がいたことを、僕は忘れないよ」
上げた顔を、再び俯かせたアルヴァの後頭部に、ヴィクターはその手に持つ武器──銃の、銃口の狙いを定める。そして──────
「いや、やっぱり止めよう」
──────銃を下ろした。
「騙されていたとはいえ、君も立派な協力者だ。そんな君には、あるね」
言いながら、ヴィクターは手に持っていた銃を懐にしまう。代わりに、彼はまた別のものを────今度は一つの魔石を取り出す。それは小さな、虹色に輝く魔石であった。
「……え?」
堪らず困惑するアルヴァに背を向け、その魔石を持ってヴィクターは歩き始める。フィーリアの元に、ゆっくりと。
「君にはあるんだよ。この計画の大成を見届ける資格が──いや、義務が。義務は、果たさなきゃ」
「お、おい……待て、ジョシュア……アンタ、フィーリアに何する気なんだ?おい、おい!?」
アルヴァの声を無視して、ヴィクターは進む。そして彼は辿り着く。フィーリアを囚える、薄青色の巨大な魔石の元に。そして彼は掲げる。その手に持つ、虹色の魔石を。
「ジョシュア!ジョシュア!!止めろ、止めろぉぉぉッ!」
「大丈夫だよ、アルヴァ。フィーリアは死なない。……ただ、消えるだけさ」
その瞬間、虹色の魔石が徐々にその輝きを強める。そしてそれに反応したかのように────今の今まで固く閉ざされていた、フィーリアの瞳がゆっくりと開かれた。そのことにハッと、アルヴァが目を見開かせる。
「…………ジョシュア、おじさん……?」
フィーリアが、寝惚けたままにそう言う。それに対して、ヴィクターは彼女が知る笑顔のままに、口を開いた。
「やあ、おはようフィーリア────そして、さようなら」
パキン──そう言うと同時に、彼は掲げた虹色の魔石を砕いた。
「は、は…は。なる……ほど、ね。確か、に……こ、れは………正しく『厄災』……だ」
その日、その時。この塔の最深部にて。目の前に広がった光景を、目の前で繰り広げられてしまった現実を、生涯アルヴァは忘れないだろう────忘れられないだろう。
一瞬にして血に染められた地面。撒き散らされた人の臓物。破かれた衣服と、
地面と同じように血に染まった、人間大の魔石に、ヴィクターは囲まれていた。囲まれながら、見上げていた。彼は
「素晴ら、しい……本、と、うに……ゴフッ」
全身の至るところからびっしりと魔石が
「す、ば……ら…し………い」
口の端から血を垂らし、虚ろな目でそう呟くヴィクター。そしてそれが、彼の最期の言葉となった。
突如として彼の顔が裂け、そこから血と脳漿で汚れた魔石が突き出す。かと思えば次の瞬間、彼の頭は弾け飛び、それと同時に魔石の欠片が周囲に散らばる。
次にヴィクターの腹部が異様に膨らみ、巨大な魔石が突き破って生えてくる。千切れたヴィクターの上半身は落下する途中で、頭同様に弾けて、臓物と肉片と、そして魔石をブチ撒けた。
そんな、ヴィクターの壮絶にしてあまりにも現実離れした死に様を目の当たりにして、アルヴァは何も言えなかった。微かな息すら、漏らせないでいた。
そんなアルヴァの元に、
一歩、地面を踏む度に。その足元に薄青い魔石が形成される。その光景は、いっそ幻想的に思えた。
そしてとうとう、
地面に伏す彼女を、七色が複雑に入り混じり絡み合う虹の瞳と、それに対して無と形容できるほどに淋しげな灰の瞳が見つめる。その二つに含まれているのは、ただただ無機質で無感情な光だけであった。
一糸纏わぬその身には、薄青く輝く線が幾何学模様のように何本も走っており、まるで刺青のようであった。そしてその線は顔にも現れており、しかし身体のものとは違ってこちらは流麗な曲線を描いていた。
その場に佇んでいたフィーリアの形を模したそれは、不意にしゃがみ込み、その小さな白い手をアルヴァの顔に近づける。アルヴァの視界はその指先に徐々に覆われ────そこで、唐突に彼女の意識は途絶えた。