ストーリー・フェイト   作:白糖黒鍵

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ARKADIA────開戦

「…………」

 

 時間にしてみれば、僅か十数分の、短い間のことである。けれど、当事者であった僕からすれば、その倍は長いことのように思えた。

 

 つい、自分の手を見やる。見やって、先程までこの手が先輩に握られ、細い指先を這わせ絡んでいたのだと思い返す。あの擽ったくなるような感触が、何処か安堵を覚えるような温もりが、今もそこに残っている気さえもする。

 

『……それでも、抑えられねえんだ。我慢なんか、できっこねえんだよ』

 

 どうしようもない程に震える声で、それでもなんとか堪えて、溢れそうになる辛さを必死に胸の中に押し留めて、懸命に伝えられたその言葉。それを聞いて、僕は────複雑な気持ちを抱いた。

 

 以前、先輩が告白してくれた。曰く、女になってしまってから、男だった時の記憶が徐々に、少しずつ薄れて、遠のいて、そして消えてしまっていると。

 

 自分のことのはずなのに、後輩である僕から話を聞かされても、それが他人の話にしか思えなくなってしまっていると。

 

 要するに────女として日々を過ごす内に、かつての自分がゆっくりと喪失しているのだ。そのことに対して、先輩は酷い焦燥と恐怖に駆られている。今の自分が、一体誰なのかわからなくなり始めている。

 

 ……正直に白状してしまうと、最初僕はそれを完全には受け止められないでいた。いや、理解できていなかった。先輩は先輩だ。何があろうと、それは変わらない────そう、僕は思っていた。

 

 だが、その認識も塗り替えられた。僕の内にも、多少、ほんの僅かにではあるが……不安が、芽生えてしまった。

 

 以前の、まだ男だった時の先輩なら、あんな言葉は言わない。口には絶対に出さない。僕が知る、僕の先輩であるラグナ=アルティ=ブレイズであれば、ありえない。

 

 ……しかし、先程の先輩の様子をこの目で見て、初めてそれが揺らいだ。揺らいで、そして疑問が浮かんだ。

 

 

 

 果たして、僕の目の前には先輩が──ラグナ=アルティ=ブレイズが、そこにいるのか。そこにちゃんと、己が前に存在しているのだろうか────と。

 

 

 

 ふと浮かび上がったその疑問を、疑惑を、疑心を僕は即座に振り払った。……振り払わなければ、ならない気がした。でないと、何か取り返しのつかないことになると、そう思ったから。

 

 先輩は先輩だ。ラグナ=アルティ=ブレイズだ。その事実だけは変えようがないし、変えさせはしない。……これから僕は、これまでの人生の中で最大となるであろう死闘へと赴く。だから、このことに関して考えるのは一先ずここまでにしよう。

 

 続きは────全てが終わってからにしよう。

 

 ──僕は、生きて帰る。……生きて帰らなければ、いけないんだ。

 

 そう己に言い聞かせて。僕は今一度目の前を向く。話を終えたらしいガラウさんと『三精剣』を先頭に、各々集められた冒険者(ランカー)たちが前衛と後衛に分かれ、列を組んでいた。

 

 ──……僕も行かなきゃ。

 

『理遠悠神』アルカディアに対する一戦力として、僕もその中へ加わろうと歩き出す──その直前。

 

 

 

 ズガガガッッッ──突如、そんな轟音が魔石塔の方から鳴り響き、マジリカ全体に大きく響き渡った。

 

 

 

 

「な、何だ!?何が起きた!?」

 

 総勢百四十八名の内の、名も知れぬ一人の冒険者が声を上げる。だが、彼のその声に、答えを以て返す者は誰一人としていない。

 

 遅れて、この広場に切羽詰まった、鋭い声が響き渡る。

 

『伝令!伝令!岩人形(ゴーレム)らしき魔物(モンスター)に動き有り!繰り返す!魔物に動き有り!』

 

 その声を全ての冒険者たちが聞き終えるとほぼ同時に、旧市街地と市街地を隔てる門の外から、まるで石でも擦り合わせるような、そんな生理的嫌悪感を引き摺り出されるような不快音が静かに響き出す。それはやがて数を増し、幾重にも重なり、巨大になっていく。

 

 そして──遂に、それ(・・)が姿を現す。露わにする。この場にいる冒険者たちの視界に、僕の視界に。

 

「……ハッ。お相手も準備を終えたってことか。上等じゃねえか」

 

 そう言って、ガラウさんは背中の戦鎚を手慣れた動作で構える。その顔に、戦いへ挑む(つわもの)の表情を浮かべて。

 

「リザ姉、アニャ姉。とりま、ウチらはフォローしながら、ガンガン攻めればいいんだよね?」

 

「ああ。日常(いつも)通りに、仲間を守り、そして敵を討つ」

 

「ええそうよ二人共。この場にいる全員に、『三精剣』の名は伊達ではないと証明するのよ!」

 

『三精剣』の面々も同じように、それぞれの得物を手に構え、その顔に大胆不敵な微笑を浮かべ並び立つ。

 

《S》冒険者の中でも一際強者に類される四人の背を前に、だが僕も負けじと長剣(ロングソード)の柄を固く握り締め、そして鞘から抜き出す。

 

 ──……先輩、待っていてください。必ず、帰りますから。貴方の元に、傍に生きて戻りますから!!

 

 そう心に誓って、前を見据える。敵が────魔石の岩人形の群れが、ゆっくりとこちらに迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しばかり時は巻き戻って。今やその全体を薄青い魔石に覆われ、埋められ、占め尽くされたマジリカ旧市街地。

 

 この街にもはや生命の気配など欠片もせず。形骸となったこの場所を、ただ独り歩き進む存在(モノ)が一つ。

 

 漆をそのまま流し入れたかのように黒い、さらりと艶やかに伸ばされた髪。そして抜き身の刃を彷彿とさせるような、恐ろしいまでに整った、鋭く冷たい美貌。

 

 サドヴァ大陸極東の地、イザナ独自の民族衣装として伝えられる着物をその身に纏う彼女こそ、この世界(オヴィーリス)最強と謳われる三人の《SS》冒険者(ランカー)の一人。

 

『極剣聖』サクラ=アザミヤ。彼女は今、この旧市街地のとある場所を目指し────そして、遂に辿り着く。

 

「…………」

 

 その場所こそ、このマジリカを象徴する塔。あくまでも比喩としてそう評されそう呼ばれ、だがしかし今やその通りとなった場所。

 

 魔石塔──天を突くまでに巨大化したその塔を、サクラは静かに見上げて、それから視線を前方へと戻す。

 

 塔の内部への入口である、薄青い魔石の門。その前に、一つの影が立っていた。

 

 サクラ自身、それはよく見知った影。そう、その影は────

 

 

 

「待ってましたよ。数時間ぶりってとこですかね、サクラさん」

 

 

 

 ────同じく《SS》冒険者の一人たる、『天魔王』フィーリア=レリウ=クロミアその人であった。

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