「ふざけるな!一体何なんだこれはッ!?」
《S》
「認めない認めない認めない認めてなるものかこんな滅茶苦茶で、出鱈目な奇跡!私は断じて認めはしない!!」
片手で頭を押さえ、虹と灰の瞳を見開かせ、先程まであった余裕などまるで嘘だったかのように、震える声でアルカディアは続ける。
「そもそもアレは何だ?何故ただの人間にあそこまでの力が?あんなただの、矮小に過ぎない人間が何故『三厄災』を圧倒し得る力を?ありえない、ありえないありえないありえないッ!まさか、
アルカディアが疑問を撒き散らす度、それに呼応するかのように、彼女の周囲の魔石が弾けるように砕け散る。そして、不意に彼女はサクラの方へと顔を向けた。
「サクラさん……『極剣聖』サクラ=アザミヤッ!最初からこうなることをわかって、だから貴女は……ッ!」
しかし、その言葉に対してサクラは静かに、小さくその首を横に振った。
「いや。私はただ信じていただけだ。一人の《S》冒険者──クラハ=ウインドアという男を。何せやればできる奴だからな、彼は」
そう言って、フッと微笑を浮かべてみせるサクラ。そんな彼女に対してアルカディアは顔を歪め、そこに怒りという感情をありありと露わにしながら吐き捨てる。
「信じていただけ?信用、信頼……くだらない。くだらないくだらないくだらないくだらない心底くだらないッ!!信用なんてできるものか、信頼なんてするものかよお前ら人間が……大いなる主祖に、お母様に────あの最低最悪の
そこまで言って、ぜえぜえとアルカディアは肩を上下させ、息を切らして止まる。そして数秒の間を置いて、彼女はスッと元の無表情に戻った。
「まあ、正直これは想定外の事態ですが、大した問題ではありません。ええそうです、別に『三厄災』が倒されたところで、問題なんてありはしない。だってこの私が──第四の厄災たる
人形めいた無表情を喜悦の悪笑へと染めて、俄然虹の瞳を爛々と無垢に過剰に輝かせ、灰の瞳をより一層暗く昏く深めさせ、その身から底知れぬ人外の魔力を溢れさせながら、アルカディアが誘い文句を謳う。
「さあ、さあさあさあ!始めましょうよ、始めちゃいましょうよサクラさん!人類存亡、世界滅亡を賭けた一世一代の大決戦を!棒も槍も許さない、絶対存在同士の
それはさながら、恋に焦がれる乙女。キラキラとその顔を恋色に染めて煌めかせて、艶やかな熱を帯びた声音を以てアルカディアはサクラを甘ったるく誘う、誘い込む。自らが望む、甘美にして至上なる、殺し合いの舞踏へ。
対するサクラも、アルカディアに言われた通り腰に下げた刀の柄に、手を伸ばし握り込む。
「…………」
そして、彼女は──────
「……やはり、君はまだ勘違いしているよ」
──────そう、言った。
「『
『理遠悠神』アルカディアの眷属である魔石兵、そして三つの厄災が合わさった、恐らく〝絶滅級〟を遥かに凌駕する魔石の像を倒し、
目の前に迫る危機を脱し、安堵する
幸い後遺症にはならないが、それでも当面の間は冒険者としての活動を休止せざるを得ない程の重傷を負ったガラウさん。肉体的にはともかく、精神的ショックを受けてしまい、深刻な
そして──ガラウさん以上の重傷を負い、利き腕であった左腕を失ってしまった、アニャさん。彼女は奇跡的に一命を取り留めたが、今後の冒険者活動は絶望的だろう。
結果この戦いで、
危機を退け、ひとまずは街の防衛に成功したが、それを手放しには喜べない状況の最中。唯一無傷で五体満足だった僕は────一室にて、先輩と二人きりになっていた。
部屋は、静寂に包まれていた。まだ浮かぶ月の明かりだけが薄く照らす中、僕は今──凄まじい緊張の只中に身を置かされていた。
ほんの一言すら口から漏らすことも憚れる状況。僕はただ一心に考える。
──どうして、どうしてこうなった……?
僕は今、この部屋にあるたった一つの
「…………」
────ラグナ先輩がいる。この部屋に入ってから、何故か一言も発することなく、無言を保つ先輩が座っている。それも互いの腕が、身体が触れ合ってしまう程の至近距離で。
──考えろ。何だっていいから今はとにかく考えるんだクラハ=ウインドア。先輩の腕が柔らかいだとか、仄かに良い匂いがするなとか今思ってる場合じゃないんだ……!
深夜。一つの部屋。そして、若い男女が二人きり────もうなんか色々と準備というかお膳立てが整ってしまっているというか、とにかく僅かな拍子で
「…………」
この部屋に来てからというものの、理由は全く以て不明だが何も話そうとしない先輩。まあ、別にそれだけならば問題はない。それだけだったのならば、問題などなかったのだ。
その口を開こうとはしない。しないが、その代わりと言わんばかりに──先輩はもじもじと身体を小さく揺らす。ふと何気なく見やった顔は、薄暗くその上俯いていたのでわかり難かったが、何処か切なげで、ほんのりと赤かった気がする。
それが、その様子が本当にキツい。冗談抜きにキツい。精神的にキツい。理性が直に揺さぶられて、一瞬でも気を抜くと跡形もなく吹き飛びそうになる。枷を引き千切って、箍を外して今すぐにでも間違いを起こしそうになる。
というかそもそも何故先輩はそんな風になっているのだろう。何でそんな……まあ、うん。
──本当に、一体どうして……。
全ての始まりはこの『
『『
そうして案内されたのがこの部屋だった訳だが……恐らくは泊まり込み用の一室なのだろう。恐る恐る扉を開いてみれば──先輩が独り、寝台に座っていたのだ。明かりも灯さず、薄暗い中で。この様子で。
その雰囲気に思わず気圧され戸惑う僕を、先輩は何も言わずただトントンと寝台を、自らの隣を指で数回突いた。少し遅れて、それが「ここに座れ」と暗に示しているのだと気づき、畏れ多くも僕は先輩の隣に──ある程度の距離を空けて座った。座ったのだが、すぐさま激しく動揺する羽目になった。
何故かだって?それはそうだろう。だって────先輩に腕を掴まれたのだから。
危うく声を上げそうになるのを我慢する僕を、先輩はやや遠慮がちに自らの元へ引っ張る。またも遅れて、暗に「寄れ」と示しているのだと僕は気づいた訳だが、それと同時に疑問を抱く。何故先輩は何も言わず、その口を頑なに閉ざしたままなのだろう、と。
アルヴァさんによれば話があるとのことだったが、先輩は一向にその話を始めようとはしない。そうしてその理由も上手く訊き出せず────現在に至る。
──どうしよう。僕はどうすればいいんだろう。訊くべきか?いい加減、僕からその話とやらを訊き出すべきなのか?先輩はそれを求めてるのか……?
今現在この
不意に、こちらにも聴こえるくらいに大きく、そして深く先輩が息を吸い、吐いた。吐いて、それから意を決したように────
「クラハ」
────初めて、口を開き言葉を出した。出して、先輩は俯かせていた顔を上げ、僕の方へと向けた。その顔は、やはり薄ら赤く染まっていた。
「は、はいっ?ど、どどうしました先輩?」
いつかいつかと待っていたのに、いざ声をかけられみっともなく上擦り震える声で返事する僕を、琥珀色の瞳がじっと見つめる。静かに、見据える。
数秒の静寂を経て、そして。
「抱き締めさせろ」
そんな一言が、僕の耳朶を打った。打つとほぼ同時に────
「──んむぐっ!?」
────視界が黒く染められ、顔全体がふわふわむにゅむにゅと柔く、それでいて弾力のある感触に沈み、包み込まれた。
辛うじて肺に空気を取り込める中、ただでさえ先輩の一言でこの上なく動転しかけた僕の意識は、この何処か──否、確実に覚えのある感触の前に混迷を極め、思わずそこから抜け出そうと暴れる────直然だった。
「俺、怖かったんだ」
僕の後頭部に腕を回し、強く、より強く抱き締めながら、先輩がそう言う。その声は、若干震えていた。
「お前があの変な奴にぶっ飛ばされて、死んだんじゃないかって、思って。本当に怖くて、怖くて」
もはや何も言えずにいる僕に、先程までの沈黙が嘘だったかのように、先輩は続ける。若干震えるその声は、次第に涙に濡れてしまっている気がした。
「けど、違った。お前は生きてた。ちゃんと生きて、勝って、こうして帰ってきてくれた」
だが、違った。その震えは、その涙は。これまで先輩が味わったものとは違う。流してきたものとは違う。
それに僕が気づくと同時に、後頭部に回された腕が離れる。こちらに自由が戻り、咄嗟にこの極上の感触の元から──先輩の胸元から僕は顔を上げようとした。上げようとして、その前に僕の両頬を指先が触れた。
そっと、僕の顔が持ち上げられ、自然と視線が上を向く。そして視界に飛び込んできたのは────
「だから、今はそれが凄え嬉しい」
────琥珀色の瞳を濡らし、その頬に涙を伝わせる、満面の笑顔を浮かべる先輩だった。
──先輩……。
今まで、先輩は泣いてきた。何度も、何度も、僕はこの人を泣かせてしまった。
恐怖。悲哀。後悔。様々な感情をその胸に抱き、そして涙を流してきた。流させた。僕はそれが堪らなく辛く、そうさせる自分の不甲斐なさと情けなさに心底腹が立ち、そして嫌気が差した。
けれど今先輩が流すその涙は、これ以上にないくらいに綺麗で、温かで、何処までも優しい。今までとは全く違う、先輩の涙。
「俺、わかんねえんだ。今の
そんな先輩の涙に、笑顔に思わず見惚れてしまう僕へ先輩が言葉を贈る。
「街も約束も、守ってくれてありがとう────おかえり、クラハ」
……その言葉を受け取った瞬間、不覚にも僕は目を見開かせ狼狽えかけてしまったが、すぐさま平静さを取り繕い、僕もまたそれに見合う言葉を返した。
「はい────ただいまです、ラグナ先輩」
「……」
すうすうと可愛らしい寝息を立てながら、静かに眠る先輩の傍に座り、僕は部屋の窓から夜空を見上げる。夜空には月と星と────あの、時計板を模した巨大な薄青い魔法陣が浮かんでいる。
さっきも言った通り、戦いは終わった。だがそれはあくまでも僕たちの戦いが、だ。
まだ全てが終わった訳ではない。むしろ、まだ何も終わってはいない。何故なら今回の事態の大元は────あの魔石の塔にて、未だ健在なのだから。
──後はお願いします、サクラさん。貴女なら、きっと……。
依然魔法陣の針は進んでいる。それが一周するまで、もう間もなくである。
「勘違い?これ以上何を勘違いしてるって言うんですか私が!?すっかりその気になってるのを誤魔化してないで、さっさとその得物を抜け『極剣聖』!私に殺意を突き立てろサクラ=アザミヤ!!」
まだ勘違いしている────そう言われたアルカディアだったが、聞く耳を持とうとせずなおも彼女はサクラを煽り立てる。腰の刀を抜けと迫る。
そんなアルカディアに対して、サクラは哀しそうな表情を刹那に浮かべ、そして再度口を開く。
「だから、それだよ。君の、もう一つの勘違いというのは」
そう言って、サクラは刀の柄を握り締め。
「私は……戦う為にここまで来た訳じゃない。ましてや、君を殺そうなんて微塵も思ってはいない」
鞘から抜かずに刀を持ち上げ、そして一切の躊躇もなく、地面へと落とした。
刀を──得物を放棄したサクラは空となった手を、呆然と立ち尽くすアルカディアに差し伸べて。優しげな微笑みを浮かべて、一点の曇りもない声音で────
「私と帰ろう────フィーリア」
────そう、言うのだった。