フォディナ大陸、通称『魔法都市』──マジリカ。この街を、そしてこの大陸を代表する
「…………」
その
時刻は午前。太陽が昇ってまだ間もないが、仕事は未だ手付かずのまま。……別に量に対して辟易している訳ではない。仕事に働かせなくてはいけない頭の中を、溢れんばかりの自己嫌悪と後悔が埋め尽くしているからだ。
その原因となっているのは今日より三週間と数日前の記憶────セトニ大陸中央国、『世界
『理遠悠神事変』の後始末。己の保身しか考えない者たちは皆口を揃えて処刑を唱え、己の利益しか興味のない者たちは皆口を揃えてその利用価値を訴えた。
それら全ての言葉を聞き入れ、受け入れ、黙り込んで──アルヴァは死に物狂いで噴出しそうなる怒りを抑え込んだ。一体こいつらはあの子を────フィーリアのことを何だと思っているんだと、怒鳴り散らしたくて、どうにかなりそうであった。
だが、自分にはそれが許されない。何故ならば、それに耐えることが、それを堪えることが己に課せられた唯一にして絶対の罰だったのだから。
『その代わり、一つ命令を下す。本日より三日後、アルカディアの処分に関する会議を開く。それに参加しろ。だが意見は出すな。傍聴だけをしていろ。これを拒否することは許さない』
フィーリアの処遇会議中、ずっとその言葉がアルヴァの胸の中を渦巻き漂っていた。
──まさか、二度も殺してやりたい程に人を憎む羽目になるとは、思わなかったね……。
ケジメをつけることも許されず。罪を一緒に背負うことも許されず。命よりも大切な存在の、娘の尊厳が嬲られ傷つけられ詰られる現実を、目の前でただ黙って受け止めることしか自分には許されなかった。
この憎悪に正当性はない。逆上、逆恨みでしかない。それはわかっている。理解している────それでも、アルヴァはそうせずにはいられなかった。
「……
だから何もできない。大切な娘一人すら、救えない。
「……畜生」
吐き捨てて、執務机の上の写真立てを見やる。そこにあるのは────幼き日のフィーリアの写真。
「……畜生……ッ」
フィーリアはこの世界から隔絶された領域──『
そのように処分を下すと決定され、会議は終了された。アルヴァは即座にフィーリアとの面会を求めたが、当然のように却下された。
他の景色は滲んでろくに見えたものじゃないのに、その写真だけはやたら鮮明にはっきりと視界に映る。純真無垢という言葉がこれ以上になく似合う満面の笑顔が、絶望的なまでに心を突き刺し、抉る。
気がつけば、アルヴァはその写真立てを手に取っていた。
「これが、私への報いなんだろうね」
そう呟くと同時に想起される過去。誰からも否定され拒絶されたこの子を、自分すらも突き放してしまった。あの時見せた表情は未だに瞼の裏にこびりつき刻み込まれている。そしてそれは今後も、後先短いだろうこの一生を終えるまで、決して消えはしないのだろう。
ずっと後悔してきた。もしあの時手を取っていれば。抱き締められていたのなら。ほんの少しだかもしれない。だがそれでも、あの子を楽にすることができたのではないか。
ずっと、アルヴァはそう考えてきた。……けれど、どうやっても過去はどうにもならない。過ぎた時間は二度と取り戻せない。そんな当然のことを、いつの間にか忘れてしまっていた。
──そういえば、いつからだったか……あの子が私のことを、
ふと心の中でそう呟きながら、アルヴァは手に取っていた写真立てを裏返す。そして留め具を外し、そっと木の板を取った。
一見すれば幼き日のフィーリアの写真が飾られているこの写真立て。だが実はその裏には別の写真が隠されており、その一枚をアルヴァは手に取った。
隠されていた写真に写っていたのは────成長したフィーリアと、同じく成長した少女であるナヴィアだった。
アルヴァがフィーリアに師匠と呼ばれるようになったのは、ナヴィアのおかげでもある。病院でのあの日以降、露骨にこちらを避けるようになってしまったフィーリアを、まだ幼かったナヴィアが変えてくれた。
今までこちらのことを避けていたフィーリアが、ある日突然自分に魔法を教えてほしいと頼み込んできた。最初こそ少し驚いてしまったが、フィーリアが自ら話しかけてきたこと、自分を頼ってくれていることがどんなことよりも嬉しいと、アルヴァは感じた。
むろん、断りなどしなかった。その日からアルヴァはフィーリアに、己が持つ魔法の全てを教えた。魔法とは何かと、教授した。
そしてその時に知ったのだ────自分の知らない間に、フィーリアに初めての友達ができていたことを。……まさかその友達が『四大』の一家たるニベルン家の御令嬢、ナヴィア=ネェル=ニベルンとは思ってもいなかったが。
情けない話だが、フィーリアを変えたのは──救ったのは、ナヴィアである。彼女がいてくれたから、彼女が絶望と失意の底に沈んだフィーリアに手を差し伸べてくれたから、一度崩れてしまったフィーリアとの関係を、何処かまだ距離はあったが修復することができたのだ。
……けれど。その時からでもあった。フィーリアが己の過去を──出生を気にし始めたのは。
フィーリアに血の繋がりがないことは教えていた。その上で、あの子は自分を実の母のように慕ってくれた。まだ幼いということもあって、その辺りは然程気にしなかったのだろうが、一体自分が何処の生まれで、何処に故郷があるのか──そういったことは不思議なくらいに訊ねてこなかった。
とはいえ、訊ねられたとしてもアルヴァは答えられなかったのだが。自分は魔石の中で眠っていたなどと、到底信じられる話ではないし、それ以上の詳細を彼女は知らなかった。フィーリアがどういった存在なのか、把握していなかった。
『御名答』
そう、あの日までは。
「…………」
全て知った。知らされた。フィーリアは人間ではないということ。この
言えるはずなかった。伝えられるはずがなかった。何度訊ねられようと、教えられるはずがなかった。
のらりくらりと言及を躱す内、フィーリアが己の過去について問い正す機会は徐々に減っていった。いくら訊いても答えてくれないと、彼女の中で諦めがついたのだろう。
その代わり、フィーリアは調べるようになった。この世界に関する知識を、彼女は貪るようになった。自分で真実を────
けれど、その努力が決して実ることはないとアルヴァは知っていた。だが、起源そのものと呼べる代物はすぐ側にあり、万が一にもそれに気がつくことを危惧して、彼女は託した。
フィーリアの唯一無二と言える──────
「
──────という、扉の向こうの声にアルヴァの意識が現実に引き戻される。声の主はこの組合の受付嬢たるリズティア=パラリリスであり、写真立てを元の位置に戻し扉越しにアルヴァは訊ねる。
「来客だって?そんな予定、今日はないはずだよ。一体どこのどいつだい?」
僅かな怒気を含ませたアルヴァの声音。だがそれに臆することなく、リズティアが平然と答える。
「それは、ご自分の目でお確かめください」
「何……?」
普段とはあまり似つかわしくないリズティアの言動。そこにアルヴァが疑問を抱くと同時に、執務室の扉が開かれた。扉の向こうに立っていたのは二人。その内の一人はリズティアで、そしてもう一人は────アルヴァが絶対に予想し得ない人物だった。
自分の目を疑い、信じられない思いでアルヴァは呆然と言葉を漏らす。
「……そん、な。何で、何だって……」
そしておぼつかない足取りで、その場から進み出す。また扉の外にいたその者も執務室に踏み込み、若干気恥ずかしそうにしながらも口を開いた。
「その、えっと……まあ色々あって、本当に色々あって説明が難しいんですけど……でも今は、これだけは言わせてください」
そう言って、笑顔を浮かべて、こう続けた──あの時は伝えることのできなかった、言葉を。
「ただいま。お母さん」
瞬間、堪えられなくなったアルヴァが駆け出し、そしてもう決して、絶対に二度と離すまいと────フィーリアを力強く抱き締めた。
何年ぶりに流したのかすら、もはや忘れてしまった涙を溢れさせ、頬から顎に伝わせながら、どうしようもなく震えてしまう声で、けれどアルヴァは確かに、今一度伝えた。
「……ああ、おかえり。フィーリア……!」