ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──   作:白糖黒鍵

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断れる訳、ないじゃない

「うぁああ゛あ゛あ゛っ!ゔぐぅ、ぁあ゛っぁあ゛あ゛っ!ああぁあぁぁぁ゛……っ!」

 

 早朝。太陽が昇ってまだ間もない時間に起床し、朝の身支度を済ませ、朝食も作り準備も終わらせたメルネは。未だ寝台(ベッド)の上で眠っているだろう、突然この家に転がり込んだもう一人の同居人を起こそうと、部屋の前にまでやって来て。そして扉を軽く叩こうとした、その直前。

 

「っ……!?」

 

 そんな、聞くにも堪えない呻き声が。この上なく苦しげで、耳にしているこちらの方も辛くなってしまうような呻き声が、メルネの鼓膜を震わせた。

 

 瞬間、居ても立っても居られなくなったメルネが。即座に扉を開いて、まるで飛び込むかのようにして部屋の中へと入った。

 

「大丈夫!?ねえ、ラグナッ!?」

 

 と、その名前を呼びかけながら。メルネは寝台に急いで歩み寄る。今、彼女の視界に映り込むその光景が、これ以上にない程に彼女を焦燥させ、狼狽させ、そして動揺させていた。

 

 先程メルネが叫んだその名の通り、その寝台の上にいたのは赤髪の少女────嘗て、この世界(オヴィーリス)最強の三人。人の領域から逸脱した埒外の桁違いである『極者』の一人であり、それを『世界冒険者組合(ギルド)』から公に認められた《SS》冒険者(ランカー)であり、『炎鬼神』の通り名で畏れ敬われた者。

 

 そう、ラグナ=アルティ=ブレイズ。元々は歴とした男性だったのだが、複雑に入り込んだ諸々の事情により、その最強ぶりがまるで嘘だったかのように、今やか弱い少女と成り果ててしまっていた。

 

 そのラグナが寝台の上にいた訳だが……それはもう、一秒とて見てはいられない、見るに堪えない酷い有様であった。

 

 燃え盛る炎をそのまま流し込んだような、その赤い髪を滅茶苦茶に振り回し。小さな身体をくねらせ捩らせながら、これ以上ない程に苦しみもがき、尋常ではない程にのた打ち回らせ。まるで見えない何かを必死に掴もうと、その手は宙へ伸ばされており、ただひたすら振り回されては虚空を掻き乱していた。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛……っ!ぁぁぁあああああっ!」

 

 そしてその間、ずっと。ラグナの口からは思わず耳を塞ぎたくなるような、辛苦に満ち塗れ悲痛極まる呻き声が絶叫の如く絞り出されており。そんなラグナの有様を目の当たりにしてしまったメルネは、すぐさま寝台の上に乗り、延々と振り回されていたラグナの手を、ギュッと掴み握り締めた。

 

「落ち着いてラグナ!大丈夫、もう大丈夫だから!」

 

 それからほんの少しでも、僅かばかりでしかなくとも安心させようと。届くかどうかもわからない言葉を、メルネはラグナにかける。するとラグナの手もまたその手を握り返して、寝台から上半身を起こし、まるで縋るようにラグナは彼女へと抱きついた。

 

「う、あ、ぁぁぁ……っ」

 

 メルネの手を握り締め。残っている片腕も彼女の首に回し、ラグナは抱きついたメルネの身体に自分の身体を密着させる。

 

 ──……汗、凄い……。

 

 抱きつかれ、密着されたことにより。メルネは否が応にも感じ取る。そう、今こうして激しく(うな)されているラグナの身体は汗ばんでおり。着ている寝間着(パジャマ)は全身から流れ出たラグナの汗を吸い、びっしょりと湿っている程。そしてそれが、服越しだというのにはっきりと。メルネにも伝わっていた。

 

 しかし、そのことにメルネが一切の嫌悪を感じることも、ほんの僅かな不快感でさえも抱くことは決してない。そんなこと、あるはずもなかった。

 

「大丈夫、私は大丈夫よ。だから、だから……」

 

 止む気配を見せないラグナの呻き声を、どうにか止めようと。ラグナの辛苦を少しでも和らげようと、メルネは優しい声音でそう言葉をかけながら。ラグナの手を愛おしく、絶対に離すことのないように握り締め。彼女もまた残っている片腕をラグナの肩に回し、互いの身体をより密着させながら、互いのことを抱き締め合う。

 

 揺れるラグナの赤髪が、メルネの鼻先を掠め。瞬間、彼女の鼻腔を汗と仄かに甘い匂いが擽る。そのことに、不覚にもメルネは一瞬鼓動を早めてしまうが、即座に平常へと戻す。

 

「止めろ、止めてくれ……止め、て……う、ぅぅ」

 

 メルネの肩に顎を乗せながら、ラグナは譫言のようにそう呟く。その声は普段の様子からは全く想像もできない程に弱々しく──────

 

 

 

「嫌だ、やだ……置いてくな、捨てんなぁ……クラハ、クラハぁぁぁ……っ!」

 

 

 

 ──────どうしようもない、不安と怯えに満ち溢れている。それをこうして改めて確認する度、認識する度、そして実感する度に。メルネは胸を締めつけられ、心に極細の針を何本も何本も刺されるような、切ない痛みと。幾度も肩に流れ落ちるラグナの涙の温かさを。その間、メルネは味わっていた。

 

 ラグナとメルネ。二人は寝台(ベッド)の上で、しばらく互いの手を握り締め合い、互いの身体を密着させ抱き締め合いながら。やがて、延々と続くかに思われたラグナの呻き声が徐々に止み。そして、それが完全に止まると。その口を閉ざし沈黙を保ち続けていたメルネが、そっと静かにラグナに訊いた。

 

「……落ち着いた?」

 

 数秒遅れて、メルネの肩からフッと重みが消え失せ。それと同時に彼女の身体と密着していたラグナの身体が少しだけ離れる。

 

「……ごめん。メルネ」

 

 今、メルネのすぐ目の前にはラグナの顔があった。髪と同じ色の真紅の瞳はすっかりと涙で濡れて。また落涙の跡が濃く残る頬を朱に染めさせ、弱り切った表情で。先に謝りつつ、ラグナがメルネに懇願する。

 

「あと少しだけ、もう少しだけでいいから……まだ、このままでいさせて」

 

 その瞬間、堪らずに。メルネは息を呑んでしまった。今のラグナは、彼女が今までに見たことがない程に弱々しくて。指先でそっと触れただけでも崩れてしまいそうなくらいに脆く、儚そうで。非常にこの上なく、危うくて────こんなラグナは、メルネは一度だって目にしたことなどない。

 

 ──……これじゃ、本当に。本当の……。

 

 まるで、などではなく。まさに正真正銘の────────そこまで思って、しかしメルネはすぐさまそれを振り払った。

 

 ──何考えてるの、私。この子はラグナ。そう、ラグナはラグナよ。それは、それだけは絶対なんだから……っ!

 

 狼狽し、動揺していることを気取られぬよう、どうにかそれを隠し通しながら。メルネはラグナの手を握り締めたまま、ラグナの身体を抱き締めたまま。自分にできる限りの柔らかで、穏やかな声音で答える。

 

「そんな一々(いちいち)水臭く頼まなくても、私は別に構わないわよ……ラグナ」

 

 その言葉を聞いたラグナは、一瞬その表情を崩しかけて。すぐさま再びメルネに密着し、またさっきと同じように彼女の肩に顎を乗せると。今度は極力、できる限りその声を抑えて、嗚咽を弱々しく漏らし始めた。

 

 部屋に静かに響くラグナの嗚咽を受け止めながら、メルネは心の中で呟く。

 

 ──……それに。あんな顔されて、あんな風に頼まれたら……断れる訳、ないじゃない。

 

 だが、こうしたところで。自分がラグナの嗚咽を、その嘆きをいくら受け入れ、受け止めたところで。それが何の解決にも至らないことを、メルネは重々理解し。そして、承知している。

 

 そう、これは自分の役目ではない。この役目を果たすべき者は、他にいる。


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