水より深く青に飛べ   作:イナバの書き置き

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まだ続きました。


強襲突撃超登校

「……僕の部屋じゃん」

 

 その日は「いつも」と同じで──いや、あるべき「いつも」に回帰してから初めての朝だった。

 

 退院したのはつい昨日の事だって言うのに、どうにも現実味がない。

 そりゃレナは来てくれたさ。

 態々秋野さんと選んだらしい花束まで持ってきてくれて、慣れない笑顔まで作って「退院おめでとう」なんて言ってくれたら誰だって幸せだろう。

 それだけじゃなくて、ういちゃんとねむちゃんと灯花(文系の敵)だって見送りに来てくれたんだから文句なんてある筈も無い。

 

 ──ただ、2ヶ月と言う時間は僕にとって長過ぎたんだ。

 病室のベッドで目を覚まして、リハビリに励んで、それで午後になったらやって来るレナと会話を重ねて、たまにういちゃん達の所へ遊びに行く。

 それはこれまで積み上げてきた無意味な十何年より、ずっとずっと充実した2ヶ月だった。

 病院は退屈で閉鎖的な場所だと思い込んでたけど、療養生活は刺激的で、開放的で、とっても楽しかった。

 そして気付かぬ内にそれが僕の「いつも」になっていたんだ。

 それは本来の「いつも」と非日常が逆転してしまって、戻るべき日常に違和感を覚える事でもある。

 

 たしかに、2ヶ月振りに自宅で食べる夕食は病院食より断然美味かった。

 2ヶ月振りのベッドは柔らかいし広かった。

 だけど、()()が違う。

 修学旅行で興奮して寝付けないとか、枕が変わると眠れないとか、そういう類いの妙な気分になってしまったのである。

 

 と、ここまで長々と語ってしまったが問題はもっと単純明快だ。

 要するに──────

 

 

 

 

 

「朝ってのは二度寝するモノなんじゃないか?」

「何言ってんのアンタ。早く起きなさい」

 

 僕の渾身の説得は、ベッド脇で仁王立ちしているレナによってばっさり切り捨てられた。

 何でだ。

 朝ベッドに潜ってる事の何が悪いって言うんだ。

 ベッドでぬくぬくするのは人の夢だろ?

 

「……まだ7時半だよ?」

「『まだ』、じゃなくて『もう』が正解でしょ」

 

 ああそうさ、『もう』7時半だ。

 しかし9時までに登校すれば良いんだから、後30分は寝ていられるじゃないか。

 いくらレナとは言え僕の睡眠を邪魔出来るとは────あれ?

 

「レナが、僕の家に来てる?」

「そうだけど、何か文句あんの?」

 

 レナが、来てる。

 僕の家に。

 ──なんで?

 

「……いや、無いけど、鍵は?」

「アンタの母親から借りたわ」

「へえ────えぇ?」

 

 全く整理が追い付かない。

 追い付かないが、これはアレか。

 レナが朝っぱらから僕の家に来てくれて、僕を起こしに来てくれて、そんでもって何かリビングから良い匂いがするし朝食まで用意してくれてるって事か?

 

「だったら寝てる場合じゃねぇ!」

「うるっさい!朝から騒ぎ立てんじゃないわよ!」

「そうだね、着替えてるからリビングで待ってて!」

「はいはい。なんで朝からこんなテンションなのコイツ……

 

 レナの怒りもご尤もだ。

 しかし、彼女がモーニングコールに来てくれるとかって言うのは全男子の夢であり、それが現実となったのだからもはや寝ている場合ではない。

 起床はするし、身嗜みを整えるのだって10分以内に済ませてもみせる。

 そうやって自分史上稀に見る位キビキビと登校の支度を終えてリビングに向かえば、レナは緑茶を啜って待っていたし、配膳とかももう済んでいてそういう所にレナの優しさが光っていた。

 

「レナはもう食べてきたから、さっさとしなさいよ」

「うん、分かった」

 

 そして父さんと母さんは──やはりいない。

 共働きで忙しいから、毎日1人で冷めた飯をつつくのが僕の日常だったんだ。

 それが覆しようの無い現実だって、やりきれないけど諦めてた。

 

 だけど今はもう違う。

 対面には、不器用で無愛想だけど誰よりも優しい彼女がいる。

 レナと一緒に、会話のある朝食を摂る事が出来る。

 手と手を合わせて、「頂きます」って言えば────

 

 

 

「……めしあがれ?」

 

 ほら、言葉が返ってくるんだよ。

 望んで望んで、ようやく得られた満足の形が此処にある。

 凡人の僕でも、勇気を出せば()()()()んだ。

 それに気付けたらもう、幸せだろう。

 

 

 

 それにしても、本日の献立は──

 目玉焼き!お浸し!白米!

 味噌汁の具には人参と大根あり!

 空きっ腹にはどれも宝石が如く映るが、レナが作ったのなら尚の事。

 迅速に、米一粒残さず完食すべし。

 ……なんだこれ、やっぱレナが来たせいで今日テンションおかしいな。

 

 

 

■■■

 

 

 

「……雨、降ってたんだ」

「気付いてなかったの?」

「うん」

 

 成る程、自宅から──新西区にありがちなごく普通の一軒家から踏み出してみれば、濡れた路地が朝陽を反射して鈍く輝いている。

 何だかんだ言って久方ぶりのベッドを楽しんだ少年は気付かなかったが、深夜の内に幾らかパラついていたらしい。

 両手を突き上げ伸びをする少年とは対照的に、レナはいつも通りの素っ気ない表情のまま詰問を始める。

 

「ちょっと鈍すぎない?人間が皆アンタ程呑気なら魔女につけこまれる事も無いでしょうに……」

「そんなにかな?」

「そんなによ──ちょっと、小学生じゃないんだから変な事するのは止めて」

「はぁい」

 

 すっかり回復した足でアスファルトの破片を蹴りあげれば、隣を歩く少女が鬱陶しげに顔をしかめる。

 特に語るべき事も無い、学生にとってはありふれた登校の風景だった。

 ただ他者と異なる点があるとすれば、それは「この少年少女が恋人同士である」という一点に尽きる。

 しかしこの事実が、2人にとって何よりも重要なのだ。

 まさにオンリーワンにして、ナンバーワン。

 恋愛とくれば誰もが色めき立つ年頃に於いて、彼らの想像より1歩先へと進んだ関係が少年とレナの間には存在している。

 だから例えくだらない会話でも、2人並んで歩くだけで少年とレナは満ち足りていた。

 そして満ち足りているからこそ──()()()()話題にもなる。

 

「魔女ってさ、やっぱりいるんだよな」

「急に何よ。疑ってんの?」

 

 ポツリ、と少年が言葉を漏らした。

 登校途中としても、カップルの会話としても、この上なく不適切な話題だったが少年は聞かずにはいられなかった。

 神浜には魔女と言う名の異形が巣食っている。

 少女達を魔法少女に誘う、キュゥべえとやらもいる。

 そんなヤツらが跋扈する日常に、幸せな現実を奪われるのではないか。

 そんな情動を上手く処理出来ぬまま口を動かし、少年は言葉を紡ぐ。

 

「いや、レナが『いる』って言うんだから信じるよ。ただ、どんなヤツらなのか僕には想像もつかないんだ」

「……ロクなもんじゃないわ。普通に生きてるだけの人を殺して回る、化け物みたいなヤツらよ」

「ふぅん……大丈夫なの?」

 

 それは興味というより心配、そして恐怖だった。

 そう、少年は知っている。レナが切実な願いから魔法少女になったことを。そしてレナが魔女の存在に見て見ぬ振りを出来ない優しい少女であることを。

 だからレナが戦う事を止めようとは思わなかったし、病院で見送るだけの自分に納得もしていた。

 だが、不安は拭えない。

 何しろこの世界に「絶対」は無い。

 少年とレナに接点が生まれたあの事故のように、些細な事から人は死に近づいてしまうのだ。

 

「レナが負けるって?」

「そうは言わないけど、人命が賭かってるんでしょ?やっぱり心配だよ……」

 

 その生死の危機が頻繁に訪れる日常など、高々中学3年生が身を置くべき世界ではないのだ。

 少年の懸念は尤もだった。

 

「悔しいけど、僕は何も出来ないから……」

 

 固く握られた拳を震わせ、少年は無念を吐き出した。

 今、少年はどうしようもない無力感に苛まれているのだ。

 レナが怪我をしてしまうかもしれない。

 レナが死んでしまうかもしれない。

 何より少年にとって1番恐ろしいのは、レナの窮地に()()()()()()()()()()事すら出来ない現状だ。

 無理に明るく振る舞おうともしたが、やはり取り繕っておけるモノではなかったのだ。

 レナは変われたのに、自分は停滞したまま──その認識が存在する限り、少年の空元気は終われない。

 唇を噛み締めて、精一杯強がらなければいけない。

 

「なーに言ってんのよ」

「へ?──う゛っ!?」

 

 ──だが。

 鬱屈とした空気を打ち払うように、レナは少年の背中を勢い良く叩き付けた。

 1回、2回、3回と背後に回ったレナの手のひらが凝り固まった少年に喝を入れる。

 

「な゛っ、でっ、ぐぇっ、ちょっ、ちょっとま゛っ────」

「大体ね、神浜でレナが負けるワケ無いじゃない」

「え?」

 

 少年の背中をビシバシと叩きながら、水色少女は自信満々に言い切った。

 そう、どれだけ相手が強大でも、悪辣でも絶対に負けないという確証が其処にある。

 魔女と戦った経験の無い少年は知らないだろうが、理由だって最初から分かりきっている事だ。

 

「ももこがいて、かえでがいる。1人なら無理でもチームだったら有象無象には負けないわ」

「そりゃあまあ、そうなんだろうけど」

 

 ももこの突貫力。

 かえでの支援力。

 レナの遊撃力。

 なるほど、その3つが合わされば敵う相手等殆どいないだろう。

 

「んでもってアンタがいる」

「僕?」

 

 そして、水波レナには負けられない理由がある。

 それは「今の」レナが最も恐れる事態だ。

 

「もし、万が一にもアンタが魔女に殺されるような事があったらレナはきっと……一生後悔する」

 

 何しろこの世界に絶対は無い。

 魔女という人間の尺度で行動を推測出来ない化け物が、いつ身近な人間を傷付けるかなど誰にも分かりはしないのだ。

 少年がレナを思い遣るように、レナもまた少年の身を案じているのだ。

 

「だからレナは無敵。無敵でいなきゃいけないの」

「それは……重荷になってるんじゃないの?」

「かもね」

「だったら──」

「でも、それで良いの」

 

 今しがたまで少年へ振り下ろしていた手をぐっと握り締め、レナは言葉を絞り出す。

 自戒を、決意を、ありったけの想いを乗せて少年とレナ自身を奮い起たせる。

 

「今まで自分の事しか考えてなかったレナを、ようやく辞められる。初めて心の底から誰かの為に戦える」

 

「そう思えた切欠はアンタよ」

 

「だからアンタは重荷じゃないし、どうしても重荷だって譲らないならどこまででも背負ってみせる」

 

 少年がどれだけレナを愛していても、魔法少女の代わりは務まらない。

 レナがどれだけ少年を慮っても、心の傷を代わってやる事は不可能だ。

 人の痛みはその人だけのモノ。

 しかし、それは支え合えない事の証明にはならないのだ。

 

「ま、要するにアンタは自分が思ってる程『何も出来ない人間』じゃないって事よ。もっとシャキッとしなさい」

「……なんだそりゃ」

 

 少女の論理は無軌道で、滅茶苦茶で、馬鹿げてる位に楽観的な代物だった。

 だけど────悪くない。

 

「分かった、信じるよ。レナは負けない」

「そう、それで良いの。アンタがウジウジしてるのは似合わないしね」

 

 根拠なんて1つも無いけど、レナの言葉なら信じられる。

 そんな気がした。

 

 

 

「ありがとう、元気で──ちょっと待って何すんの」

「は?何が?」

 

 元気が出てきた。

 そう伝えようとして少年は振り向く──事が出来ずに頭を万力のような力が籠った両手で固定された。

 魔法少女の力だ。

 レナは魔法少女の力を行使してまで少年を拘束している。

 無敵はどうした無敵は。

 

「いや、後ろ向けないんだけど」

「向かなくて良い」

「何でさ。お礼はちゃんと目を合わせてするモンでしょ」

「動いたらアンタの頭が爆ぜるわ」

「何で!?」

 

 少年は困惑した。

 何故レナは魔法少女の力を行使してまで振り向く事を許さないのか。

 彼女の言葉から類推するに、どうにもレナは「目を合わせたくない」らしい。

 

「……!」

「な、何よ……」

 

 少年は気付いた。

 天啓も何も無しに、いっそレナが可哀想な程あっさりと気付いてしまった。

 そう、カップルが目を合わせない理由として考えられるのは2つしかない。

 1つは喧嘩をして不和が発生した時。

 そしてもう1つは────

 

「……レナ、照れてる?」

 

「照れてない!」

 

 レナは魂から絶叫した。

 どうしたって自分の醜態を認められないし、認めたくないのだ。

 人を励ました位で照れるなんてそんな事は有り得ないと全身全霊で否定するが、寧ろそれが逆効果である事にレナは気付いていない。

 

「あぁ……朝っぱらから見せ付けてくれるねぇ……」

「ねーおかーさん!あの人たち好きあってるのー?」

「シッ!今良い所なんだから少し静かにしなさい」

 

 大体、こんな住宅街のド真ん中でバカみたいに叫んだってどうにかなる話では無いのだ。

 それどころか道行く人々に何とも生暖かい視線を送られる始末である。

 

「いや、照れてるじゃん」

「照れてないって言ってんの!」

「なぁんでさ!照れてないなら顔くらい見せられるだろ!」

「……無理!兎に角無理!このまま校門まで行ってもらうから!」

 

 あまりにも無茶苦茶過ぎる宣言を行うなり、レナは少年をグイグイと押し始めた。

 しかしレナと少年の間には20cm近い身長差があるのだから、魔法少女の力を発揮したとて人を「押す」のは簡単な話ではない。

 故にレナは全身を用いて、半ば体当たりの様な形で少年を押し出そうとしたのだが────

 

「レナ、レナ」

「何よ」

「えと、その、当たってる」

「え────」

 

 当たっていた。

 完全無欠に当たっていた。

 エントロピーを凌駕するような、思春期少年の希望がパンパンに詰まった()()が背中に押し当てられていたのだ。

 そしてそれを伝えた時どうなるのか、少年はしっかりと理解していた。

 

 

 

 

 

「変ッッッ態!!!」

 

 衝撃の暴露からきっかり5秒後、少年の頬に季節外れの紅葉が散った。




またしても続きます。

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