多項式が分からない。
何故折角綺麗に纏まっているモノを分解してしまうのか。
て言うか展開と分解って似たようなモンじゃないのか。
開いたりバラバラにしたんだからちゃんと元に戻せよ。
序でに言ってしまえば平方根も分からない。
気軽に根っこを伸ばすんじゃない。
いやそれより√って何なんだよヒロイン気取りかよお前。
心電図ドキドキしてんのか。
それともアレか、不整脈か。
まあ、端的に表現すると数学はクソであると言う話だ。
確証を持って断言出来る。
もうマジで全くもって、動く点Pの存在意義並に価値を理解出来ない。
しかしながらその不要な学問とも向き合わなければいけないのが学生であるし、実際僕は向き合った。
故に。
故にだ。
僕は──────
「赤点回避したぜ!」
「当たり前じゃない」
「おー、おめでとー」
机に腰掛けたレナの冷たい視線と弁当箱を膝に置いたももこさんの適当極まりない拍手を全身で浴びつつ、僕は1人勝ち誇った。
退院した直後にぶち当たった中間試験を死に物狂いで乗り越えたんだから、正直もっと盛り上がって欲しい。
「……何か冷めてない?」
「いや、寧ろあれだけやって赤点ギリギリってのが異常よ」
「病院では毎日仲睦まじくやってたもんなぁ。それでもギリギリってさぁ……」
なるほど、言われてみればそうかもしれない。
実際の所英語だとか古文だとかは何ともないのだが、数学は悲惨以外の言葉で表現しようがなかった。
何しろ我等が神浜市立大附属中の赤点ラインが40点で、僕は43点だ。
もう1問でも落としていれば赤点は免れない訳で、努力に対して結果が釣り合っていないと言われればぐうの音も出ない。
「だけどさ、赤点かそうじゃないかの差は大きいよ。それは補習があるか無いかって話でもあるんだし」
「レベルが低いって言ってんの」
「いや、まぁ、はい……」
「何か文句あんの?」
「無いです……」
精一杯の抵抗も敢えなく切り捨てられてしまった。
これに関しては点数が低い僕が悪いのであって、レナの文句には正当性しかないのだからこれ以上は止めておこう。
──それよりも、気になる事がある。
「ももこさんがこんな所に来るなんて珍しいね」
「あー、まぁちょっとね。レナに相談があって……」
ここ神浜市立大附属中学の屋上は、大体の学校と同様に立ち入り禁止となっている。
加えて廃棄予定の机や椅子が乱雑に積まれているせいで思ったより広くない事もあって、学生生活エンジョイ勢ならまず来ない。
50分しかない昼休みを態々此処で潰す人間がいるとしたら、それは余程の物好きか変人だろう。
……まぁ、僕やレナはその物好きと変人にカウントされてしまうのだが。
そして当然ながらももこさんが来る事もあんまり無いワケで、だからこそ今この場で弁当を掻き込んでいるのは相当珍しい光景と言える。
それにしても、ももこさんが相談か。
それも屋上まで来て。
とすると、ひょっとして魔法少女絡みだろうか。
「えーっと、僕は聞かない方が良いかな」
「いや、別に?魔法少女の事はもう知ってるんだし、それに今回は色々特殊でさぁ。魔法少女じゃない人からはどう見えるかって訊きたかったんだ」
なるほど、だから秋野さんじゃなくてレナの所に来たのか。
確かにももこさんには告白の1件で助けられているし、可能ならば力になってあげたいけど──ただの中学生でしかない僕に何が出来るんだ?
レナもその辺りが気になったようで、机から投げ出した足をブラブラさせながら口を開く。
「それで?何があったってのよ」
「ああ、それがな──キュゥべえがいないんだよ、神浜の何処にも」
「キュゥべえが?」
キュゥべえ──確かに「いる」のに、魔法少女になる資格を持つ者にしか見えない動物。
前にレナが絵に描いて見せてくれたけどソイツは猫みたいな、或いは狸みたいな外見をしたヘンな「何か」として僕の目に写った。
マスコットと言うべきか。
兎に角、絵だと言う事を踏まえても生き物っぽくないのだ。
「ホントに何処にもいないの?」
「うん。東も西も探し回ってるけど、未だに見つからないみたいだ。……レナは見てないよな」
「当たり前じゃない。色々動いてるももこが見てないのにレナが見てる訳ないでしょ」
「そりゃそうか……」
レナとももこさんがそろって溜め息を吐く。
まぁ確かに、どこかキナ臭いモノがある。
キュゥべえは契約を持ち掛ける癖に戦いでは一切役に立たないが、それでもアドバイスだとか相談に乗ったりだとかはしてくれるらしいのだ。
そんなヤツが突然いなくなったら、誰だって不安だろう。
「そこでぇ、魔法少女じゃない彼氏クンに質問良いか?」
「か、『彼氏クン』って何よ!?大体コイツは私の彼──」
「はい!何でもどうぞ!」
「アンタも乗るんじゃないわよ!」
レナが目尻を吊り上げて何か言っているが、今は聞く耳持たないね。
折角試験を終えて清々しい気分だってのに、こんな重っ苦しい空気じゃやっていられない。
それに、雰囲気だけでも明るい方が話は進めやすい筈だ。
「おぉ良い返事。んじゃあ早速訊くけど、この1件についてどう思う?」
「どう、とは?」
「何でも良いよ、悲しかったとかそれ位でも感想が欲しい。彼氏クンからは今の状況がどんな風に見えるか知りたいんだ」
「うーん……」
どう、と聞かれても反応に困る。
僕にキュゥべえは見えないのだから面識だって無いし、いなくなった事で具体的にどう言った問題が発生しているのかも知らない。
ただ、1つ言いたい事があるとすれば────
「まぁ、無責任なヤツだなって」
「無責任?」
「レナやももこさんを魔法少女に誘って、魔女と戦う使命を課した張本人が何も言わずにどっか行っちゃったんでしょ?無責任だよそんなの」
「……そう考えた事は無かったなぁ」
「男の子的な発想かもしれないけどね。でもキュゥべえが社会人だったらクビになってるわ絶対」
「はは……クビか」
そうさ、無責任にも程がある。
1度関わったのなら最後までちゃんとやるって、それは子供にだって分かる事だ。
キュゥべえが如何なる生き物であろうと、人の言葉を話す知能があって人を魔法少女にするだけの力があるんだからその程度の事が理解出来ないとは言わせない。
あぁ、何だか考えてたらムカムカしてきた。
「見付けたら取り敢えず1発ぶん殴ってやりたいよ」
「そこまで言うか……?」
「勿論。魔法少女に関しては僕は傍観者未満だからね。キュゥべえがレナのサポートをしないって言うなら、僕が代わってやりたいね」
「え、代わるのか」
「それなら直接じゃないけど、レナと一緒に戦えるだろ」
「……」
「……」
「え、僕何か変な事言った?」
沈黙。
何でかレナもももこさんも顔を赤くして黙り込んでいる。
いや、一体何なんだよ。
状況がよく分からないのでそのまま佇む事10秒、レナの腕が神速で僕の襟を掴んで──引き寄せる。
碧色の瞳が至近距離に煌めき、少しドキッとしてしまった。
「あ、あああアンタ何言ってんの!?ももこ!今話してる相手がももこなの分かんない!?」
「いや分かるけど」
「はぁ!?分かってて何でそんな事言うのよ!?」
「レナが心配だから」
「──────へぁ?」
レナが逆再生したみたいに着席して、再び黙り込む。
今度は林檎みたいに顔を真っ赤にしているけど、ももこさんに言う事の何が問題だって言うんだ。
……て言うか、何でももこさんまで真っ赤になってるんだよ。
「いや、その、なんだ。そんないきなり惚気られるとは思わなくて……」
「……惚気?」
惚気。
僕が、レナに。
してたか。いや、してな──して──
「してるわコレ」
「でしょ?まったく、お熱い事で」
ゆっくり思い返して、ようやく理解した。
何が「レナと一緒に戦えるでしょ」だ。
クサい。クサ過ぎる。あまりにも気色悪いから消臭剤撒きたいレベルですらある。
そりゃあいきなりこんな事言われたら、レナだって閉口するだろう。
しかし何か得るモノがあったのか、ももこさんは膝を打つと勢い良く立ち上がった。
「いやまあでも、そうだな。取り敢えずキュゥべえを見付けないと何も始まらないもんな。よぅし、聞く事聞けてスッキリしたしもっと惚気話を教えて貰おうか!」
「止めッ……止めなさいももこ!」
「えーっと、じゃあ付き合ってるのを見られるのが恥ずかしいからってレナが変身してデートした時とか──」
「アンタも乗るんじゃない!」
癇癪玉と化したレナに、にやにやしながら耳を傾けるももこさん。
僕にも友達はいたけど、こんなに馬鹿をやれるのは初めてだ。
「……はは」
何て言うか──もっとこうしていたい。
午後の授業を全部サボってただ喋ってるのも悪くないかなぁ、なんて。
そう、この15年間殆ど無為に過ごしてきたけどようやく生き甲斐を見付けられた気がする。
こんな無気力人間を育ててくれた父さん、母さんには申し訳ないけど──
「今が1番幸せだなぁ……」
僕の気持ちと同じ位、馬鹿みたいに晴れた空を見上げて呟いた。
春から夏にかけて、陽が出ている時間が段々増えていくのがレナは嫌いだった。
日中、それは即ちどうしても他者と関わりを持たなければいけない時間である。
故に自分が他人を傷付け、他人に傷付けられる事に怯える時間が延びるような気がして暗澹としていたのだ。
──が、しかし最近はそうでもない。
「あー、やっぱ此処のプリン旨いわ。満たされる……」
「アンタ本当に目が無いのね……」
「良いだろ別に。数学の対価には甘い菓子が必要なんだよ」
少年とレナは行き付けのカフェ「木漏れ日の小屋」の片隅でクリームブリュレをつついていた。
時刻は午後5時を回り、陽が傾き始めている。
レナはこの少し遅めの間食が好きだった──いや、好きになった。
「いやしかし、毎回付き合わせてごめんね……」
「別に。レナも此処のプリンとか嫌いじゃないし」
嘘だ。
いや、別にプリンが嫌いという訳ではないのだが、それはレナにとって建前の1つでしかない。
大体クリームブリュレはプリンと似て非なる食べ物なのだから、この話題とは無関係だ。
「それ」を知られるのが少し恥ずかしくて、誤魔化すようにレナはカラメルの層をスプーンで掬って口へと運ぶ。
「美味しい?」
「ん……甘い」
舌に広がるのはカスタードの濃厚な食感と、バニラの風味。
9割5分デートと化した間食を満喫するレナの気分と同じく、蕩けるような甘さだった。
何を隠そう、レナは少年と時間を共有するのが好きなのだ。
少年と2人で向き合っている時だけは無理に自分をねじ曲げる必要も他人を模倣する必要もない、ありのままの自分でいられる。
レナは正しく自由だった。
「好き。アン──いや、プリン」
「なら良かった」
「アンタとなら何でも楽しめるわ」と暴発しそうになった言葉をレナは無理矢理引っ込める。
そして少年も追及したりはしない。
話したい事を、話したい時に話したいだけ。
無言の間すら楽しめる、熟年夫婦が如き以心伝心が2人の間に存在しているのだ。
「ねえ」
「ん?」
「レナはどうするべきだと思う?」
──が、レナはその穏やかな時間を自らの手で打ち壊さねばならない。
自分が自分を止めない為に、少年に問わねばならないのだ。
「昼の話?」
「うん。正直言ってアンタとももこの回答は百点満点よ。レナは何にも思い付かなかった」
「別に、やりたい事を言っただけだから、満点も何も無いと思うけど」
「取り敢えず行動を起こすってのが百点満点なのよ」
少年は取り敢えずキュゥべえを殴ると決意していた。
十咎ももこは取り敢えずキュゥべえを探し出すと結論を出した。
例えその場で思い付いた適当極まりない物だとしても、レナにとっては最適解に感じられるのだ。
だって「何かをする」と決断出来ているのだから。
「レナの本質は何も変わってないって事。もっと強くなりたい、もっと素直になりたいって思ってるだけの水波レナから何1つ変われちゃいないのよ」
いや、本当は心の隙間で燻り続ける不安を打ち明けてしまいたいのかもね、とレナは心の中で呟いた。
趣味が合う、一途な想いで繋がっている、他人には話し辛い本音を語る事が出来る。
間違いなく、少年と付き合い始めてからレナは幸せだった。
「キュゥべえがいなくなったって聞いた時も、何も出てこなかった。『探すべき』って言うのが正しいのに、自分の意見なんて持っちゃいなかったのよ」
強くなるべきな筈だ。
自分の殻を破るべきな筈だ。
それなのに好意と依存を履き違えて、停滞しているのではないか。
寧ろ逆行しているのではないか。
こうした疑念がキュゥべえの一件で、遂に形を持って表れた。
「だから教えて。レナはあの時どうすべきだったのか。レナはどう思うべきだったのか」
知らなければダメだ。
理解しなければ自分でいられない。
でも答えが分からない。
だから少年に問うのだ。
それもまた依存の形だとしても、兎に角答えが欲しい────!
「レナって、頭良いバカだな」
「は?」
対する少年の答えは極めて簡潔だった。
毎秒340mの速度で射出された、称賛兼罵倒であった。
「いや、僕そんな深い事考えてないよ……?」
「……嘘。じゃあ何であんなにアッサリ自分の答えを出せるの」
「何でって、それが
「したい、事……?」
これもまた、簡潔極まりない回答であった。
さも当然のように少年が言い放つのが、レナには到底信じられなかった。
「だって僕ら中学生だぜ?まだ大人の事なんてちんぷんかんぷんなんだから、思った通りにやるしか無いだろ」
「だって──」
「だってもヘチマもあるか!中学生がやりたい事やって何が悪い!」
此処が何処であるかも忘れたかのように、少年が叫ぶ。
周りの事なんて考えもしない、愚直さだけが取り柄の少年が何かを心から伝えるには、これしか無いのだ。
「レナは真面目過ぎるんだよ!前にも言ったけどバカになれバカに!」
「バ────!?」
「そうだよバカだよ!テストみたいに百点満点の答えだけ目指しやがってさぁ!そんなんじゃ息が詰まって苦しいだろうが!えぇ!?」
「それは、そうだけど────」
「だったらもっと我が儘になれよ!自己中になれよ!それと──」
悉くレナの言葉を粉砕した少年が、深く息を吸い込む。
そうだ。それを言い忘れてはならない。
悩むのは良い。足踏みするのも良い。
でも────
「あ──」
「──自分を傷付けるのはもう止めてよ……!」
身を乗り出してレナを抱き締めた少年が、精一杯の言葉を絞り出す。
「理想の自分があるのは分かるけど、今の自分を否定するのは止めようよ。そんなの辛いだけだよ……」
自分を嫌いなレナが、少年は嫌いだ。
他人に向ける優しさはある癖に、自分には優しくなれないレナが嫌いだ。
でも、それで辛そうにしているレナが少年は1番嫌いだった。
「僕じゃ頼りないって言うならももこさんでも良いし、秋野さんだってきっと力になってくれる。だから、だから
別に魔法少女として戦うのが嫌なら止めてしまえば良い。
キュゥべえをどうでも良いと思ったのなら、放っておけば良い。
それで大変な事になるかもしれないけど、レナが自分を責めるよりはずっと良い。
少年の偽らざる本音が、レナの心に突き刺さる。
「大事なのはレナが
「どう、したいか」
「レナは、何をしたい──?」
レナは。
水波レナはどうしたいのか。
強くなりたいのか、停滞したいのか。
「レナは──」
殻を破りたいのか、閉じこもりたいのか。
「レナは────!」
それは────少年の見舞いに行っていた頃から、決まっている事だった。
「アンタの隣で強くなりたい!」
言葉と同時に、夕陽に照らされたカフェが
椅子が、机が、クリームブリュレが歯車の床に溶け落ち、太く編まれた毛髪の幕が切って落とされる。
そしてレナを抱き締める少年の背後、額縁に絵画を飾り付けた「ソレ」がいた。
「ボ、ボーン、ボーン、ボ、ボ──」
その性質は右往左往。
同じ場所で同じ時を過ごす事だけを望む停滞の象徴にして、「振子時計の魔女」である事すら捨てた堕落の最果てが鎮座していた。
「あれが──魔女」
「そ、怖い?」
「レナがいるなら怖くない」
「言うわね」
何の意味があってカフェに乗り込んできたのかは分からないが、結界に取り込まれてしまったのなら抱き合ってもいられない。
トトン、とステップを踏んで少年と位置を入れ換えたレナの瞳が無粋な闖入者を睨み付ける。
「アンタは危ないから下がってて」
「了解。それなら今日は僕がキュゥべえ代理だ」
「ふん──ったく、折角良い所だったのに水を差すなんて魔女の癖して中々度胸あるじゃない」
離れていく少年の体温に名残惜しさを感じつつ仁王立ちするレナの左手で、
それは少女の意志の煌めき。
それは少女の戦う決意。
故にそれが少年の視界を焼く程強く輝けば──
──青と白のストライプ柄ワンピースを身に纏い、今にときめく魔法少女が
なおも続きます。