水より深く青に飛べ   作:イナバの書き置き

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修羅場ですが続きました。


水より深くⅠ

「──で、あなたは此処で何をしていたんです?」

「──」

 

 なるほど、圧迫面接とはこう言うモノか、と柊ねむは納得した。

 時刻はもう間もなく午後5時を回ろうとしており、初秋を感じさせる夕暮れの昏い陽光が部屋に射し込んでいた。

 今、ねむとまなかは机を挟んで対面に着席して神妙な表情で舌戦を行おうとしている。

 ──お題は勿論、ねむと少年の関係性について。

 

「僕は以前──彼が入院していた頃に御世話になった者でして、何とか退院出来たので御礼に伺ったんですよ」

「入院中──ですか」

「そうです。彼は()()()()()()かもしれませんが、僕は精神的に助けられましたから」

 

 知識と感性による完璧な牽制がまなかに突き刺さる。

 神浜市に於いて、口先八丁ならねむの右に出る者はいないだろう。

 彼女が入院中に読んだ本の数は本棚の2つや3つで足りるモノではないし、だからこそ虚実入り交じった「どうとでもとれる」返答も朝飯前なのだ。

 

「それは──いや、でも鍵も無しにどうやって入って来たんです?まさか、ピッキングとかじゃないですよね」

「────」

 

 ──しかし、まなかも「はいそうですか」と引き下がる訳にはいかないのだ。

 だってどう見たって怪しい。

 状況から何から、怪しくない所が無い。

 故につい2ヶ月前の──少年を諦めそうになったあの日と同じ位、いや下手をすればそれ以上に嫌な予感がしてならないのだ。

 その疑念を確かめる為に、つい先程使用したばかりの鍵を取り出してこれ見よがしにチラつかせてみる。

 

「レナさんやまなかと違って、あなたは鍵を持ってない筈ですが──どうなんです?」

「それは──」

 

 二重リングに吊り下げられた銀色がチャリチャリと音を立て、それに釣られたねむの視線が物欲しそうに右往左往。

 やはりと言うべきか、ねむは鍵を持っていないらしい。

 ならばどう言い訳をするのか、或いは何を企んでいるのか。

 根こそぎ吐いてもらうしかない、とまなかは判断したのだ。

 だが────

 

「開いて、ました」

「はい?」

「鍵が、開いていたんです」

 

 ねむは重々しく断定した。

 口答えも、二言も、何も許さないと言わんばかりの強い口調だった。

 だがそれはこの場を勢いだけで乗り切ろうとする、あまりにもお粗末な戦術が表出しただけなのだ。

 そもそもまなかに発見された時点でねむの思惑は完全に破綻しているし、深く問い詰められずとも直ぐにボロは出るだろう。

 

「いや、開いてたってそんな──」

「きっと閉め忘れてたんでしょうね。誰にでも『うっかり』はありますから、仕方ない事だと思います」

 

 故にゴリ押す。

 一切の反論を、疑問を整理する隙すら与えずに言葉の暴力で押し流し、まなかを丸め込んだら全力で退散する。

 最早口先八丁等と言っている場合ではないのだ。

 下手に追及させたらねむ()まで芋づる式にバレかねない為、彼女に残された道はゴリ押し以外存在し得ない。

 

「いやでも──」

「ありますよね?」

「それは────」

「ありますよね?」

「でも───」

「あるよね?」

 

 

 

 

 

「あります……」

「分かって頂けたら良いんです」

 

 まなかは屈した。

 あまりにも横暴が過ぎると思いはしたが、人間誰しも「うっかり」は起こし得るのだ。

 それを無いと断言する事は、まなかには出来ない。

 

「これで話は済みましたね。それではそろそろ日が暮れるので僕も帰ろうと思います」

「あ───」

 

 心の中で勝利の余韻に浸りながらねむは撤退を宣言する。

 これでこの家から1歩でも踏み出せばパーフェクトゲームだ。

 ゴリ押しでも何でも、目的を果たせればそれで勝ちなのだ、とほくそ笑んだねむは椅子から立ち上がり──

 

 

 

「そう言えば柊さんはあの人の何なんです?」

「何だって?」

 

 聞き捨てならない発言に光の速さで着席した。

 その一瞬で、ねむの頭脳は質問の裏の裏のそのまた裏まで読み取り──隠された意図を知る。

 

(これは──誘っている?)

 

 まなかのそれは、挑発だ。

 普段なら彼女なら一顧だにしないだろうが、恋を知ったねむにライバルを前にしてすごすご引き下がると言う選択肢は存在しない。

 それを知ってか知らずか、この天真爛漫料理少女は所謂()()()に話題を転換して柊ねむを話のテーブルに引き摺りだそうとしているのだ。

 

(どうする────?)

 

 ねむ()として考えると、これ以上に無意味な事はない。

 ねむ()の露見、計画の暴露、それら全てのリスクを跳ね上げるだけの危険な行為だ。

 だが──ねむ個人としてはとことんまで付き合ってやりたい気分である。

 寧ろまなかよりも4ヶ月早く恋心を抱いた者として、徹底的に上下関係を刻み付けてやりたいとすら考えていた。

 

「……友達、です。彼が覚えているかは分かりませんが」

「へぇ──」

 

 だが、考えに考えた末ねむはねむ()を選んだ。

 仕方無い、今は我慢の時なのだ。

 ねむ()が計画を完遂しさえすれば、後は思う存分触れ合えるのだからどうにか堪えるしかない。

 正に苦渋の決断──いいや、英断だった。

 

(仕方無い──仕方無いんだ)

 

 そう、これは試練だ。

 そう考えれば、どんな苦難も乗り越えられる。

 ほんの4ヶ月前──不治の病に侵されていた時もそうだった。

 柊ねむはそう遠くない日に尽きる命を試練と捉える事で、毎日を戦っていたのだ。

 だから堪えられる筈だ。戦える筈だ。

 それが、柊ねむの強さなのだか────

 

「まぁまなかは毎日料理を作ってあげる仲なんですけどね!」

「は?」

 

 それは、いけない。

 ああそうだ、到底許されるべき行為ではない。

 自分以外の人間が少年に料理を振る舞うなど、この世界で誰が許しても柊ねむは絶対に許さない。

 だって、ねむは一生懸命料理を練習したのだ。

 自分で米を炊いた事すらないド素人が、それでも退院してからの数ヶ月間家族を散々に振り回した事で何とか人並みにはなったのである。

 ──それを、努力の結晶を胡桃まなかは無価値にするのか。

 

「誰が、誰に、何を作っているって?」

「まなかが、あの人に、料理を作っているんです。未来の筆頭シェフが作る手料理を食べられるだなんてあの人も幸せ者ですよねー!」

「は────」

 

 何処と無く勝ち誇った様子で語るまなかに、ねむは愕然とした。

 その語り草からするに、少年の胃袋がまなかに完全掌握されている事は間違いないだろう。

 彼女は少年の食生活が御世辞にも「普通」とは言えない所につけこんで、瞬く間に食卓を制圧したのだ。

 故にこその鍵──少年からの信頼の証が預けられている。

 

(完全に、出遅れている──!)

 

 それは思わぬ伏兵、で済まされる話ではない。

 その伏兵によって水波レナは台所を明け渡し、柊ねむは割って入る余地を潰されたのだ。

 衣食住の内、比較的他者が関与しやすいであろう「食」を奪われたねむの脳裏には、早くも敗北の2文字がチラつき始めていた。

 

「あれぇ?どうしたんですか?」

「くっ……!」

 

 そして、煽る。

 ねむの心情を見抜いているのか、はたまた天然のモノなのか、胡桃まなかは兎に角煽る。

 小さな手の内で鍵束を弄び、充足感が滲んだ表情をこれ見よがしに見せ付けてくる。

 恋敵が増える前に、その決定的な実力差で撃退しようとでも考えているのだろうか。

 

「貴女よりは、付き合いが長いつもりで────」

「ずっと前から常連客だったんですよねー!」

「なぁっ!?」

 

 でへでへとニヤケ面で語るまなかに、ねむは圧倒された。

 これが恋愛強者と言うヤツなのか。

 これが躊躇わない者のアドバンテージとやらなのか。

 これでは、これでは────

 

(勝ち目が、無い────!?)

 

 柊ねむは、己の周回遅れを悟った。

 あまりの衝撃に、普段は理知的な光を灯しているアメジストの瞳は焦点を失い、両手も制御を離れてぶるぶると震えている。

 よもや、よもや少し目を離しているだけでこんな事になっているとは思いもしなかったのだ。

 

(今だけは、灯花が羨ましい……!)

 

 ここでねむが思い出したのは、灯花の滅茶苦茶腹立たしいドヤ顔だった。

 自分にもあの奔放さがあれば、我の強さがあればこうはならなかったのか、とねむは後悔したのだ。

 自分を「友達」に留めてしまった事も合わせて、理性を優先してしまったが故の敗北。

 唇を噛み締めたとて1%も軽減されない嫉妬と羨望が身を焦がす。

 

「……」

「あれ、どうしたんです?」

 

 故に、柊ねむは立ち上がる。

 椅子を撥ね飛ばすような勢いで、決意に満ちて立ち上がる。

 この悔しさと克己心を胸に、敢然と立ち上がるのだ。

 

「……!」

「え、な、何ですか……?」

 

 まなかが不思議そうな顔をしているが、それが何だ。

 もうちょっと何かしらあれば諸々の感情があれやこれやして    が顕現してしまいそうですらあるが、それが何だ。

 物語の主人公がそうするように、言わねばならない。

 数多の政治家がそうするように、宣言しなければならない。

 さあ、心して聞くが良い────

 

 

 

 

 

「これで勝ったと思うなよ──!」

「えっ」

 

 完全無欠な捨て台詞と共に、唖然とするまなかを残してねむは少年の家を飛び出した。

 そしてそのまま、文芸少女らしからぬ機敏さで夕陽に沈む新西区を疾走する。

 

「負けてない……!負けてなんて、いないんだ……!」

 

 別に良いのだ。

 今は誰かと心を繋いでいても最後はねむの所に来る運命で、その為の準備はもう終えたのだから。

 ただちょっと出遅れただけで、結末は既に見えているから好きにやらせているだけなのだ。

 そう己に言い聞かせながらねむは駆ける。

 ただひたすらに、一心不乱に家路を駆ける。

 

「負けてなんて、いるもんか──!」

 

 そうでもしないと、涙が溢れてしまいそうだった。

 

 

 

■■■

 

 

 

 思えば、今日は色々と可笑しかった。

 まず、僕は基本的に寝落ちはしない。

 朝起きたら夜までギンギン──そう言うタイプなのだ。

 小分けで寝るよりは纏めてぐっすり寝たい人間でもある。

 

 ────ところが、なんだ。

 今日、この日に限って僕は学校から帰宅するなり布団を被ってすやすやと、実に4時間も寝込んでいたらしい。

 まぁ確かに体育があって、加えて不愉快極まりない数学まであったのだから疲れていたのかもしれない。

 疲労が蓄積すれば誰だって寝落ち位するだろう。

 

 ──だが、それだけではない。

 驚くべき事に、そもそも()()()()()()()()が無いのだ。

 もうマジで全く、1mmも無い。

 教科書だとかノートだとか、そう言ったあれやこれやを通学鞄に詰め込んでいたと思ったら、いきなり布団の中にワープしていた──そんな感じなのだ。

 ここまでなら、大分無理はあるがギリギリ「疲れていた」で済まされるだろう。

 極度に疲労が溜まれば記憶がトぶ事だってある筈だ。

 多分、きっと、maybe。

 

 ──しかし、それではどうしても説明がつかない事象に直面しているのだ。

 誰がどう見ても不可解な()()は、今日の宿題を終わらせようと鞄からノートを引っ張り出した時に起こった。

 

「──あ?」

 

 ノート、と言うのは基本的にパッと見では見分けのつかない物である。

 色、サイズ、表紙、その他諸々で判別する事が出来ない訳ではないが、1度混ざってしまえば仕分けするのには相応の手間がかかる。

 故にこそ、人はノートに名前を書く。

 名前を書いて「これは私の所有物です」と明記する事で、他者から判別しやすくするのだ。

 これはノートに限った話ではなく人は大切な物、所有権を明確にしたい物に様々な形で名前を書く。

 それなのに────

 

「何だ、これ。イタズラ……?」

 

 ノートに記した筈の名前が、一冊残らず油性ペンで真っ黒に塗り潰されている。

 教科書もだ。

 割と物を忘れがちな事から教科書の裏側に書いておいたそれも、執拗なまでに塗り潰されているのだ。

 ──いや、それだけではない。

 財布の中に挟んでいたスーパーのポイントカードから保険証に至るまで、名前が書いてある物なら何だって黒一色になってしまっている。

 

「いや、虐めってヤツか……?」

 

 やりそうなヤツが何人か思い浮かぶ辺り、無くは無いと言い切れないのが悲しい所だ。

 何しろ僕はレナの前でこそ()()だが、教室では何ら語るべき点を持たない所謂「陰キャ」そのものなのだ。

 そして入院したせいで新学年の始めは登校出来なかったのも合わせて、中学は3年生だと言うのに居場所など何処にもない。

 話す相手がいないし、いたとしても何を話せば良いのか分からないのだ。

 いてもいなくても変わらない、空気みたいな人間が僕だった。

 

「あー、マジか……」

 

 故にこそ、虐めの標的にされる事だってあるのかもしれない。

 何も言わないという事は何をしても良い、と考える人間だっているにはいるのだ。

 まぁそれを鑑みても今回の嫌がらせは偏執的で、悪意に満ちているが。

 

 ──正直、怒りだとかよりも先に困惑している。

 こんな無駄に手間の掛かった嫌がらせをして、何が楽しいのだろうか。

 修正テープを貼り付けてその上から名前を書けば大体片付く問題なのだから、態々こんな事をする意味が理解出来ないのだ。

 

「……顔洗おう」

 

 それも、考え過ぎなのだろうか。

 兎に角怒りにしろ悲しみにしろ、ネガティブな感情を抱えたままでは状況が好転させる事などありはしない。

 この手の問題に直面した時、先ずは顔でも洗って気分をスッキリさせるのが肝心だと──そう思っていたのだ。

 

「は、ぁ──────?」

 

 だが。

 しかし。

 洗面所の鏡に己の姿が映った時、そこで漸く僕は事の深刻さに気付いた。

 それはあまりに異常で、奇怪で、科学では説明不能な現象なのだ。

 だって────

 

 

 

 

 

僕の顔も真っ黒に塗り潰されていたから。

 

「何だよ……何なんだよこれ……!」

 

 おかしい。

 どう考えたって、こんな事有り得ない。

 両手で自分の顔に触れて確かめれば、当然のことだがちゃんと目も鼻も口もそこに存在する。

 なのに鏡に映った僕の顔はどこまでも平坦で、のっぺりしていて、挙げ句の果てに輪郭しか判別出来ない位黒く塗り潰されている。

 僕は鏡を見ているのに、鏡の中の僕は何も見ていないのだ。

 僕の理解を越えた事態に、呼吸がどんどん早くなる。

 

「な、ん────」

 

 落ち着け、しっかりしろ。

 顔が映らなくなった位でなんだ。

 目が見えなくなった訳でもないし、喋れなくなった訳でもない。

 なら大丈夫だ。

 僕は僕のままなんだ。

     のままで────

 

 

 

「────あれ?」

 

     って、誰だっけ。




少年は自己の認識を失いましたが、それでもなお続きます。
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