銀色のツタでできた玉座に座っているのは、蝶の翅を持つオベロン。妖精の王。
「開廷」
オベロンが厳かに告げる。
「被告人は人間の娘をひそかに招き入れ、何度も密会しておりました」
ホブゴブリンがぶくぶくした体を反り返らせて、かしこまった口調で言う。
「妖精の森の
告発を聞くと、オベロンはじっと
「弁護人、何か言うべきことは?」
「もちろん、ありますとも!」
「この妖精パック、被告人とは知らない仲ではありません。彼がなぜこのような蛮行を働いたか、よーく承知しております」
「パック、お前の話はいい。弁護をしろ」
オベロンの一喝に、パックは舌を出した。これのどこが弁護人なのか。
「それはひとえに恋心のなせる技であります。妖精の心は移り気で熱しやすく冷めやすい。しかしそれは恋心が関わらなかった時だけです。ひとたびこの難儀な怪物が心の中に現れますと、どんな妖精でも抗うことはできません。惚れた相手の顔を一目見るため、たとえ火の中水の中。根の国でもハデスの冥府でも、どこへでも突き進んでいきます。その情熱については、オベロン様もよくご存じのはずでは?」
長々とした口上の矛先が向けられると、オベロンはぴくりと表情を強張らせた。
「私のことも関係ない。しかしその恋こそが問題だ。被告人は人間の娘と恋に落ちたという。これも妖精には禁じられたこと」
「オベロン様が言いますかね」
「パック!」
「黙りますとも」
傍聴席から忍び笑いが漏れた。妖精の騎士である私の処分を見るため、幾人ものピクシーやルサールカが集まっていた。
「しかし、被告は長年にわたり、森を守護する番人として仕えてきた。罪滅ぼしのためとはいえ、その働きには報いねばならん」
王様はそう告げて、妖精らしく悪戯な笑みを浮かべた。
「だから、そんなに人間が好きならば人間となるチャンスを与えよう」
「チャンス?」
「これより行われる処刑によって、お前の魂は川へと流れ着く。この私が直々に、カロンへ向けて紹介状を書いてやろう。さすれば、お前の魂は人間として生まれ変わる」
その時、
喜んだのか、悲しんだのか。恐れたのか、怒ったのか。たぶん、どれもあった。
「そして、妖精の王として予言する。お前はいつか妖精の世界に危機が訪れたとき、人間としての短い時間を、我ら妖精のために使い果たすのだ」
「ひええ」と、パックが唸った。「処刑と予言で罰を二回与えているようなものじゃないか」
「パック!」
「黙りまーす」
妖精の王は
「お前は番人として誰よりも強く、美しかった。人間として我らを救う役目を果たしたその時は、さらに気高い妖精となるだろう」
†
気を失っていたのは、ほんの数秒だっただろう。リンはぐらりと倒れそうになっていた体を支えて足を踏ん張った。
「素晴らしい」
妖精の女王が満足げに頷いた。
「手の中にあるものを見なさい」
「これは……」
リンは自分の手の中にあるものを見た。それは、銀の輪のように見えた。「D」の形になっている。だが、それは輪ではなく、《柄》だった。
リンが握る銀の輪の一方から、青みがかった光が伸びている。それはわずかに湾曲したサーベルの形を描いていた。
「剣……刃が光でできている……」
「それこそが妖精の至宝、霊剣クラウ・ソラス。妖精の騎士のみが扱える武器です」
「すごい力だ。体が熱くなってくる……」
「あなたの中に眠る力をクラウ・ソラスが呼び起こしているのです」
妖精の女王は小さな体……ピクシーの体……をくるりと縦に回転させた。
「その剣の持つ力を最大にまで引き出せば、ゴルゴンを倒すこともできるでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ぴしっ、と手を上げて、コノカが訴える。
「
「そうだ」
リンはクラウ・ソラスの輝く刀身を見下ろしながら、呟いた。
「思い出した。あたしは妖精だった。ずっと昔……前世で」
「魂が転生したのです」
女王は目を細めて、小さく頷いた。
「我が夫オベロンの予言に従い、見えない力によってこの場所へ導かれてきた.全ては偶然ではなく、運命によって導かれたのです」
「ほ……本当なの?」
「少し混乱してるけど、この剣に触れた時、記憶がよみがえってきた。妖精の番人として森の中を飛び回っていたころの記憶が。この剣の使い方も……分かる気がする」
心配そうな視線に、大丈夫だ、と手を振って応える。
「あなたが現れたことは、私の予感が正しかったことの証明です。すなわち、妖精の世界そのものに関わるほどの危機が、もうすぐ起きようとしています」
女王が低く、厳かに告げる。
「その剣を授けた代償に、必ず妖精を救うこと。それが、あなたの使命です」
「そんな大それたこと。私たちには学院もあるし……」
「コノカ、いいんだ」
リンは柄を握った手を振った。すると、クラウ・ソラスはぱっと光となって飛び散り、リンの体の中へと吸収されるように消えた。
「イノリを助けられるなら、残りの人生を全て捧げても構わない。それに、これは……どうやら、ずっと前から決まっていたことらしいから」
「でも……」
「その『もうすぐ』が、あたしたちが卒業した後かもしれないでしょ?」
そんなはずはない、と、リン自身が思っていた。
悪魔が日常の中に現れ、すでに人々を襲いはじめているのだ。何か、今まで世界を支えてきた重大なバランスが崩れようとしている。それがさらなる破滅を呼ぶまでに、何年もかかるとは思えない。
だが、リンはそのわずかな可能性に賭けたかった。せめて、卒業までは。親友と、そして新しく友達になった少女と一緒に居たいと、言葉の上だけでも、願わずには居られなかった。
「……うん、わかった」
無理だ、という言葉を呑み込んで、コノカは頷いた。三つ編みの少女もまた、その可能性をゼロにはしたくなかったのだ。
「それでは、このピクシーはあなたのメモリーに。出口に向かってまっすぐ歩けば、すぐにここを抜けられるはずです」
女王はピクシーの体のまま、コノカの持つコンピュータの上へ。
「ありがとうございます、女王様」
「あなたの名前は?」
ふと、女王が問いかけた。
「リン……
「では、たった今より、妖精の騎士タムラ・リンです」
「妖精の騎士……」
「恩は働きで返しなさい」
そして、その体は情報として分解され、メモリーの中へと吸い込まれていった。
広々とした湖面。温かな日差し。再び、ふたりだけになったリンとコノカは目を合わせた。
「話すべきことがたくさんあるけど……今は、行こう。とにかくイノリを助けたい」
「うん……」
ふたりは湖に背を向けて、再び森へ向かって歩き出した。
†
「いらっしゃいませー!」
その店で聞く挨拶は、どこでも同じ声色に聞こえる。商品の味と同じように。
リンとコノカは、ハンバーガーショップへやってきていた。
ふたりが森を抜け出すと、現れたのは自然教育園の出口に近い場所だった。特別保存地区に入っていったのに別の場所から現れたことになるが、妖精がやったことに理屈で説明を付けるほうが間違っているのだろう。
とにかく、ふたりは当初の目的を達成していた。悪魔に力を借りることができたのだ。それも、想像以上の形で。
妖精を2匹も仲魔にしただけでなく、リンには悪魔と戦うための武器が与えられた。もっとも、それは彼女自身の運命と引き換えだったが、イノリを救うための助けになることは言うまでもない。
ある種の満足を抱え、増えた問題から目をそらしながらふたりが森を出た時、いつの間にか空は赤く染まっていた。
「うそっ、入った時はまだ朝だったのに!」
「妖精の世界では時間の流れが違うのかも……」
というわけで、すっかり夕食の時間だ。そうなると、もうふたりがこっそり抜け出していることは学院や修道女たちには知られているだろう。それならいっそ、食事を済ませてから帰ろう、ということになったのだ。
「それなら私、行きたいところが……」
と、コノカが指したのがこのハンバーガーショップだった。
「チーズバーガーセット二つでお待ちのお客様ー?」
持ち帰りの客が見当たらないらしい。
「チーズバーガーセット二つでお待ちのお客様、いらっしゃいませんかー?」
カウンターに紙袋を置いた店員が、キョロキョロしている。
「学院に入ってからハンバーガーなんて食べてないから久しぶり」
「あたしもだ。大きいやつにしようかな。妙にお腹が空いて……」
「実は、私も。たくさん走ったからかな」
順番待ちの列に並んで、ふたりが話している時……
ごん。
と、どこかから鈍い音が聞こえた。
「なに?」
ふと、顔を上げて周りを見回した。周りの客も、同様の反応だ。今度は、リンにだけ聞こえているわけではないらしい。
ごん。
ごん。
音は繰り返し聞こえていた。
ふと、客の一人が窓際を指さした。
「あ、あれ……」
指さした方向へ、店中の視線が集まる。
窓ガラスに、小柄な男がぴったりと両手をつけている。
いや、人間のように見えるが、その姿は明らかに人間ではなかった。青黒くただれたような肌。ギラギラした目、不気味に膨れ上がった腹……
痩せこけた悪魔が、窓ガラスに両手をつけたまま、何度もその額を窓にぶつけている。
ごん。ごん。ごん。
徐々に、ガラスにヒビが走り、そしてついに、
がしゃぁん!
と、音を立ててガラス窓が割れた。
「きゃあぁぁあああっ!」
異様なものが現れ、あまつさえ窓を割って入り込んで来る。店中から悲鳴が上がった。
「あれって……」
「悪魔だ。少し待って……デビルアナライズ!」
コノカがモニターを接着したコンピュータを片手で掲げて、片手でキーを操作する。内部に搭載されたプログラムが、その青黒い悪魔をサーチした。
「幽鬼ガキ……地獄にいるっていう、あの?」
「こんな街中に現れるなんて」
そっとリンが前へ進み出ると、ガキは敵意を剥き出しにした目を向け、不潔そうな爪を振りかざした。
「グガッ! グギャッ! グガガッ!」
しきりに吠え立てると、悪魔の背後から、まるでにじみ出してくるように同じ姿をした悪魔が現れる。
「仲魔を呼ぶなんて!」
「警察……に、頼ってる場合じゃなさそうだ。こうなったら……」
リンはガラスが飛び散る床に向けて、踏み込んだ。じゃり、と嫌な感触が靴底に返ってくる。
「ギイーっ!」
「はっ!」
威嚇するガキの正面から、リンは手を振った。瞬間、その手の中に光が集まり、一瞬で刀身の形を取った。クラウ・ソラスが、持ち主の意思に従って顕現したのだ。
そして、一瞬のうちに二度、剣を閃かせた。フェンシングの経験があるとはいえ、部活で身につけた剣さばきと比較にならない速度だった。自分でも信じられないほどになめらかに剣が空中をすべっていった。
いや、空中だけではない。そのさなかに、ガキの体を刀身は通り抜けた。ほとんど抵抗はなかった。まるでバターにでも斬りつけたかのように、するりと反対側に刃は抜け出していった。
そして、それで終わりだった。
「ガ……ギ……」
一方は胸を、一方は首を斬りつけられ、2匹のガキは倒れ伏し、動かなくなった。
「な、何が……」
「いま、人を殺して……?」
状況を掴めない客は、パニック寸前だ。
「リンさん、逃げよう」
「その方がよさそうだ」
この上、警察が到着したら後が面倒だ。事情を説明しようにも、妖精の生まれ変わりで……なんて、説明できるわけがない。
「これ、貰っていきます。すみません!」
律儀に頭を下げながら、コノカはカウンターに置きっぱなしのチーズバーガーセット二つを抱えるように取った。
緊急事態だ。どうせ客は現れないだろうし、この状態で通常通りに店が再開されるとも思えない。でも、二人はすっかりお腹が空いていた。
「どうする?」
「学院へ戻りましょう。どうせ制服を見られているから」
いつの間にかすっかり冷静な判断力を身につけているコノカに、リンは舌を巻いていた。二人は混乱が収まる前にバーガーショップを離れ、路上でチーズバーガーとポテトを食べながら学院へ向かった。
二人とも、制服のまま道ばたで食事をするなんて初めてのことだった。
リンは警察が学院の中にまで追ってくるのだろうか、と心配していた。
コノカは、修道女たちが自分たちを罰するだろうか、と憂慮していた。
二人とも、そのためにイノリを助けに行く時間がなくなってしまったら、と思いを巡らせていた。
しかし――すぐに、それが杞憂だったと知ることになる。
二人以上に、世界の方が大きく変わりはじめていた。