清霊女学院。
正門はアーチ状になっていて、分厚い鉄門が閉まっている。それだけなら、見なれた光景だ……ただし、いつも見ているのは門の内側からなのだが。
そして、今日はさらに様子が違った。
「ちょーっと教えてくれるだけでいいんだよ。そういう名前の生徒がいるかって聞いてるだけだっての」
正門の前に、数人の男たちがたむろしている。大きめのトレーナーやTシャツを着込んで、髪を染めている者も居る。それが、正門にいる誰かと言い争っているようだ。
(チーマー……? けど、渋谷ならともかく、白金台に?)
大きな声で威圧している様子を見ると、元来おとなしい性質のコノカはいくらかおびえてしまう。悪魔に比べれば大したことはないはずなのだが、それでも力の強い男性が何人もいるのは腹の底が冷える感覚がある。
「ちょっと来てもらうだけ。用事が済んだらすぐに帰すから」
男たちはアーチの前にたむろして、要求を続けている。
「俺たち、オザワってコエー人に言われてんだよ。手ぶらで帰ったら殺されちゃうよ」
「女学院内に部外者を入れるわけにはいきません。お引き取りください」
門の内側からは、静かな、しかし落ち着いた声が聞こえた。
「シスターマーガレットだ」
リンがつぶやいた。確かに、独特の囁くような声音は、よく知った修道女のものだ。
「おっ! おーい、君たちここの生徒だよねぇ?」
チーマーたちの一人が、制服を着た二人の姿に気付いた。言葉の上ではにこやかに手を振ってくる。
「ちょっと聞きたいんだけど、きみらの友達に……」
「通してください。何も言うことはありません」
リンは大股に進んでいく。コノカは慌てて小走りでそのすぐ後ろに着いていった。
「きみ、それ地毛? 意外と遊んでたりして?」
にやついた男達はその場を離れようとしない。門と少女たちの間に割り込んでいた。
「こっちの子は変わったカバン持ってるね。何それ、昔の携帯電話?」
「やめてください、なんでもないです」
遮られては、進みようがない。男達はリンとコノカを取り囲むように広がる。
「つれないこと言うなよ。ちょっと付き合うくらい……」
なれなれしげな男が、リンの肩に手を伸ばそうとする。が、少女はその手を振り払った。フェンシング選手の反射速度と運動神経だ。
「バシッ」と小さく音を立てて払われた手を男がひらひらと振る。
「ってぇな。こいつ。ナメやがって……」
「す、すみません。でも、私たち急いでて」
「すみませんで済んだら警察いらねえんだよ」
「ソレ言うなら自衛隊だろ?」
コノカが頭を下げるが、それで態度が軟化するわけもない。むしろ、鉄門の外に見つけた生徒をつかまえてしまえば、学院や修道女と交渉できるかも知れない、と考えたらしい。
犯罪そのものの思考だが、男達の様子にはそれほど切迫した事情があることをうかがわせるものがあった。殺される、という話もあながち冗談ではないのかもしれない。
「通してください」
毅然とした態度でリンが告げる。だが、群れの習性は決まっている……弱そうな相手から狙うのだ。
「そう言うなって、ほら……」
チーマーの一人が無遠慮に手を伸ばして、コノカの長い三つ編みを掴む。ぐい、と引かれると、小柄な少女は大きく体勢を崩す。
「きゃっ……!」
「おっとぉ。へへ、危ないぜ」
転びそうになる体が男にぶつかった。下卑た笑いを浮かべる男が、細い肩を強引に押さえ込む。
「やめ……」
「やめなさい!」
リンが息を呑むほどの剣幕で、マーガレットが叫んだ。
「んだと、このアマ……」
「私はメイガスの位階ある者。私の学徒に手を出すことは、来るべきメシアに
怒りがオーラのように体から滲むほどの迫力で、マーガレットが告げる。強い口調。憤怒と言ってもよかった。
「こいつ……メシア教徒か」
その迫力に押されてか、男たちの一人がぼそりとつぶやいた。
「離してやれ。まだ教会とコトを構えるなって言われてるだろ。先にレジスタンスだ」
「チッ!」
コノカの肩を掴んでいた男が、乱暴に突き飛ばす。
「痛っ……!」
「女子校ならなんとかって名前の女も簡単に見つかるだろと思ったのによ」
ぞろぞろと、男達が歩いて行く。肩を押さえるコノカを、リンは心配そうに覗き込んだ。
「あいつら、ひどいことを……」
「わ、私は大丈夫。それより――」
門を挟んで、今度は少女らが修道女と対面する。マーガレットは先ほどの怒りが嘘のように、門を開けて二人を迎え入れた。
「ごめんなさい、門限を過ぎてしまって――」
「それどころではありません」
すでに日は沈みかけている。空は橙から紫に変わり、宵の明星が輝きだしていた。
「二日も無断で姿を消すなんて……いったい、何があったのですか?」
きょとんとして、リンとコノカは顔を見合わせた。
「……二日!?」
†
「……そうですか。話は分かりました」
シスターマーガレットが、眉間を押さえながらつぶやいた。
女学院の敷地を歩きながら、二人は今日あったことをかいつまんで説明した――少なくとも、二人にとっては『今日あったこと』である。
悪魔召喚プログラムを手に入れたこと。妖精の里へ行ったこと。妖精を仲魔にしたこと――そして、リンもまた戦う力を手にしたこと。
「妖精の世界と行き来するときに、現実とは違った時間を過ごしてきたみたいで」
「悪魔のすることですから、あまり考えても仕方ありません。しかし、あなた方がそこまで踏み込んでしまうとは」
怒る、というよりは、呆れたようにマーガレットは首を振った。
「とにかく、無事で何よりです。友を思ってしたことを、責めるつもりはありません」
すたすたと歩きながら、修道女は嘆息した。
「しかし、これも神のお導きかもしれません」
「何か――あったんですか?」
コノカが問うと、マーガレットは小さく頷いた。
「事態が悪化しています」
アーチ状の正門を背にして、道を歩いて行く。寮か、それとも礼拝堂に向かうと思ったのだが、シスターは立ち入り禁止の道へ向かっていた。
旧校舎への道。
悪魔の住処。
イノリが石に変えられた場所。
「それって、どういう……」
「説明するより、実際に見てもらったほうが早いでしょう」
すぐに、廃校舎の出入り口に辿り着く。一見して、以前と同じ光景だ。だが、何かが確実に違っていた。
暗い夜の校舎から漂う不吉な雰囲気。まがまがしい何かが扉の向こうから感じられる。あのとき、悪魔――鬼女ゴルゴンから感じたのと同じ者。それが、今や建物全体にまとわりついているのだ。
「……気を強く保ってください。開きます……」
マーガレットの手が、旧校舎の入り口……戸板を開く。
そこから見えたのは、異様な風景だった。
旧校舎は、木造である。伝統ある女学院の開校時から使われていた建物だが、老朽化に伴って現在の新校舎に役割が移された。
そう、木造である。
にも関わらず、戸板を開いた先には……石造りの床と天井があった。壁までも、ゴツゴツした石に覆われている。
「え……っ!?」
まるでだまし絵を見たときのような感覚だ。錯覚のようにしか思えないが、それでも……木造の校舎の中が石造りになっている、としか言えない。
そして、胸の奥がムカムカするような
「中に入ってはいけません。悪魔に感づかれます」
「これは――何が起きているんですか?」
リンがコノカを守るように、半歩前へ出る。どう見ても、尋常な場所ではなくなっている。
「異界化――とでも言いましょうか。悪魔が住まう世界が、この世界に姿を現しつつあるのです」
「それって……妖精の女王がしていたのと同じように?」
「ええ。ですが、この場合はもっと直接的な干渉です。悪魔召喚プログラムによって開かれた魔界への《門》を中心に、校舎全体に広がっているようです」
妖精の女王は、複雑な手順を踏んでリンとコノカを妖精たちの世界に招待していた。それは、強引な干渉をしたくないか、あるいはできなかったのだろう。
だが今、目の前には現実を侵蝕するほど強力な《異世界》が姿を現していた。旧校舎の中という限定的な空間とはいえ、起動された悪魔召喚プログラムを媒介に、悪魔が現実を蹂躙しているのだ。
そして、入り口を覗き込むと、左右の壁に
右に3体、左に4体。7体の石像。
壁や床と同じく、石でできた像。表情や格好はそれぞれ違っていたが、そのどれもが、同じ制服を着て、そして若い女の姿をしていた。
「イノリさん――!」
そのうちの1体は――見まがうはずもない。リンとコノカ、二人の親友にして、彼女らをここへいざなった
思わず身を乗り出しかけるコノカを、リンはわずかに手を動かして制した。石造りの迷宮の中へ入るのは、悪魔の口の中に飛び込むのと同じだ。
「この――《異界化》を止めるには、どうすれば?」
「異界化した迷宮には、その支配者たる悪魔がいます。その悪魔を倒し、この空間の支配権を取り戻せば……」
「つまり、イノリを戻すのと同じように、ゴルゴンを倒す必要がある――と、いうことですね」
リンが自らの決意とともに確かめる。マーガレットは沈痛に頷いた。
「悪魔の名も、知ってしまったのですね」
「はい。でも――こんな場所を作ってしまうほど、強い悪魔だなんて――」
「……コノカさん」
不意に名前を呼ばれて、コノカは身をすくませた。
「は、はいっ」
「悪魔は急速に力をつけてきています。一刻も早く討伐しなければなりません。私たちの力では、教会の対悪魔騎士であるテンプルナイトが到着するまで旧校舎の中に押しとどめておくのが限界です」
切々と、マーガレットが苦しい状況を語る。二日が経っても、状況は変わっていない――どころか、悪魔は魔界の力を増している。七人の女生徒は、石のままだ。
「ですが、これこそが神の導きかもしれません」
じ、っと。コノカの黒い瞳を覗き込んで、マーガレットが言う。
「あなたは、あの悪魔の目を見たと、そう言いましたね?」
「――見ました。たしかに、あのとき……闇の中で光る目を、見ました」
ゴルゴンの写真を見たときに、はっきりと分かった。あのとき。イノリが石になったあと。闇の中から自分を見つめるゴルゴンと、確かに目が合ったのだ。
「鬼女ゴルゴンは、目を見たものを石に変える力を持つ――と言われています。彼女らのように」
迷宮の中に、まるで見せつけるように並べられた女子生徒たちの像。そのどれもが、目を見開いている。
「じゃあ――私は、どうして?」
「はっきりとは言えませんが、あなたには……何か、ゴルゴンの魔力に抗う力があるのかもしれません」
マーガレットの真実味を帯びた言葉は、コノカを勇気づけるよりもむしろ驚かせた。
「私……が?」
助けを求めるような、弱々しい視線がリンに向けられる。そして……彼女は特別な存在だったことを思い出させた。妖精の騎士のみが扱えるクラウ・ソラスを手にしたのだ。
「運命があるんだとしたら――あたしたちは、選ばれたのかも。悪魔を倒すために」
「私に、ゴルゴンを倒す力が……?」
「テンプルナイトをはじめ、教会の力で戦えればそれに越したことはありません。しかし、秩序を取り戻すために神があなた方を助けているのかも……」
そこまで告げてから、マーガレットは首を振った。
「いえ、私はあなた方を導く立場。生徒の力に頼るなんて……」
「いえ! 私に力があるなら、それを役立てたい。あの悪魔から、イノリさんを救えるなら……そのために、悪魔と取引もしたんです」
カバンに搭載したコンピュータのメモリ。その中には、ピクシーやジャックフロストが情報となって入っているのだ。
「……けど、今のあたしたちの力じゃまだ無理だ」
リンは、じっと迷宮の中……石になったイノリの姿を見つめながらつぶやいた。
「うん――もっと強い悪魔の力がないと」
「これ以上、あなたたちに危険を冒させるわけにはいきません。この際、教会に力を貸してくれるデビルバスターの助けを借りることも考えなければ」
マーガレットの言葉に反して、コノカには確信めいた予感があった。
もう時間の猶予はない。そして、助けは――期待できない。妖精の騎士たるリンと、悪魔召喚師になった自分――悪魔に対抗しうる存在が、二人もいることが、すでに幸運なのだ。
「とにかく、今日はもう休んでください。無断外出と門限破りについては、不問とします」
「は、はーい」
そこを突かれると、あまり強くは出られない。コノカは最後に異界化した旧校舎に目を向けて、元来た道を戻ることにした。
「イノリさん――きっと、もうすぐだから。待っててね」
†
その日は、リンとイノリの部屋で休むことにした。コノカの部屋には、ベッドはひとつしかないからだ。
イノリの過ごしていたそのままの部屋。彼女が元どおりの生活に戻れるように、できるだけ手を触れないようにしていた。
「おやすみなさい、リンさん」
「おやすみ、コノカ」
銀髪の少女はバッテリーを充電している最中のコンピュータを一瞥してから、部屋の明かりを消した。
「眠っている間に悪魔に体を乗っ取られないよう、気をつけてね」
「こ、怖いこと言わないでよぉ」
夜は誰にでも訪れる。少女達は眠りについた。
異界化は『真1』よりも後のシリーズで出てきた設定ですが、本作中では199X年にも起きていたということになっています。