17.それぞれの渇望
「東京には悪魔が出没している! われわれ自衛隊はこの危機に対処するため戒厳令を発令し、市民の外出を禁止している! 市民は全員、指示に従うこと。指示に従わない場合、発砲も許可去れている! 繰り返す、東京には悪魔が出没している!」
装甲車が通りをゆっくりと進んでいる。その言葉の通り、銃――拳銃ではない。機関銃――を構えた、迷彩服の隊員が、道路に広がって闊歩している。
「戒厳令って、今の憲法で認められてるの?」
路地の物陰に隠れながら、リンはぽつりとつぶやいた。この路地まで、邪教の館からどう道が繋がっているのかはよく分かっていないが、白金氷川神社からそれほど離れてはいないようだ。
「詳しくはないけど……私が知ってる日本では、無理、かな……」
「じゃあ、もしかして――クーデター?」
つまるところ、自衛隊は実力行使で政府を従わせた、ということになる。
国の上層部で何が起きているのか、女学生たちに知る由もない。分かるのはただ――市民に銃口を向けるかも知れない、ということだけだ。
「学院に戻ろう、早く」
二人はうなずき合った。女学院はすぐそこだ。全寮制の学院から二人が離れたのは、距離にすればたった300メートルほどだった。
†
戒厳令の影響は、女学院にも現れている。
女学院は閉鎖的な場所だが、教員のほとんどは学院の敷地外から勤務している。当然、自衛隊によって外出が禁じられているなかでは、授業は続けられない。
敷地内で出歩いて、自衛隊に文句をつけられる恐れはある。学生たちは寮のなかに閉じこもって、嵐のような事態が過ぎ去ることをただ待っていた――それがいつまで続くのか知りようもないまま。
自衛隊の目を盗み、リンとコノカが正門まで辿り着くと、マーガレットをはじめとした修道女たちが迎え入れた。
礼拝堂のなかで、彼女らは紅茶を淹れた。それを飲むと、疲労があっという間になくなるような気がした。
二人がかいつまんで事情を説明すると、マーガレットは沈痛そうにため息をついた。
「やはり、悪魔との戦いは危険でした。向かわせるべきではなかったのかも……」
リンの流した血は制服に染みつき、赤黒く乾いている。コノカは、髪飾りの中にいるクシナダヒメの加護なしでは、ふつうに動くこともできない状態だ。
「いえ、外出許可をいただいたおかげでこの……力が手に入りました」
コノカは自分の手を見下ろしながら答えた。その掌は、以前と変わらないように見える――だが、以前には感じなかった熱を内側に感じるようになった。
「あたしも、前よりもずっと強くなった気がします。妖精の騎士の記憶が、戦い方を教えてくれる」
リンは傷の手当てを受けた。血を拭い去ったあと、修道女達が祈祷の言葉を次々につぶやくと、傷跡さえきれいに消え去った。知らなかっただけで、彼女たちはずっと以前から魔法を身につけていたらしい。教会の修行の力なのだろう。
「それに、事態はますます悪くなっています。まさか、ガイア教がこんな強硬手段に打って出るなんて」
マーガレットにしては珍しく、声の調子がとげとげしい。まるで、口にするのもイヤだ、というように。
「ガイア教?」
「自衛隊を支配しているカルトです。彼らはすべての悪魔を解放し、力と混沌が支配する世界を求めています」
「だから、こんなに強引な方法で人々を抑えつけているんですか?」
市民に銃を向けるなんて。悪魔召喚プログラムを持っているコノカが彼らに見つかれば、どんな扱いを受けたかわからない。
「抵抗勢力を捕らえるという名目で、誘拐まがいのことまでしているようです。このままでは、この国は悪魔に乗っ取られてしまうでしょう……」
マーガレットは目を伏せて、憂うようにつぶやいた。
「幸い、旧校舎へほどこした封印は機能しています。なかから悪魔が溢れ出してくることもありません。ですが、自衛隊があの『魔界への門』に気付いてしまったら……」
「自衛隊が悪魔と戦ってくれるんですか?」
「いいえ、その逆でしょう。彼らはおそらく、悪魔の力を手に入れようとするはず。そのために、この学園に土足で上がり込み、占拠することもいとわないでしょう」
自衛隊はすでに、東京各所に開いた『門』の独占を狙って活動を始めているらしい。
(市民を守るよりも、悪魔の力を手に入れる方が大事なのかな。それってまるで……)
コノカは、マーガレットの話をぼんやりと聞いていた。自分とどれぐらい関わりがあることなのかよく分かっていなかった。
(私たちと同じだ。何かやりたいことのために、力が必要なのかな)
考えようとしたが、自衛隊が何をしようとしているかなど、わかるはずがなかった――コノカに想像ができるはずもなかった。
「もし、自衛隊が悪魔の力をほしがったら――石にされた生徒たちは?」
「彼らの構うところではないでしょう」
「それじゃあ、やっぱり――彼らに気付かれるよりも早く、ゴルゴンを倒さないと」
マーガレットは深く頷いた。イノリは今も、異界と化した旧校舎のなか、石像のままなのだ。
「でも、勝てるのかな? 私たちじゃ、まだゴルゴンには敵わないかも……」
三つ編みのほつれを気にしながら、コノカはぽつりとつぶやいた。
「コノハナサクヤ……たしかに、クシナダヒメはそう言ったのですね?」
「はい。私の魂のなかに、その女神が眠っていると」
「そうですか――それなら、勝機はあるかもしれません」
マーガレットの声は、確信じみた響きを含んでいた。
「コノハナサクヤ――ニニギと交わり、はかなき命を生み出した女神。イワナガヒメと共に遣わされましたが、ニニギはイワナガヒメを拒んだ」
「クシナダヒメも、そう言っていました。それが、特別なことなんですか?」
「イワナガヒメは固い岩の神です。それに対して、妹のコノハナサクヤは花の神。つまり、二柱は対極に位置するということ」
「つまり――岩とは反対の力を持ったコノハナサクヤは、ゴルゴンの魔力でも石化しない?」
「おそらく――そう考えなければ、コノカさんがゴルゴンの目を見ても無事でいられた理由が説明できます」
コノカは二人が話をしている間にも、どこかぼんやりしていた。たぶん、魂の奥では、二柱の女神が対話を続けているのだろう。そのことが、心のいくらかを占めて集中力を失わせているような気がした。
「ええと、それじゃあ……私が前に立って、リンさんを守りながら戦うの?」
「そう……すべきかもしれない。私は、たぶん石になってしまうから」
「ムリムリ! 石にならなくても、悪魔に食べられちゃうよ!」
「ずっとはムリでも、最初の一瞬だけなら、ひるませることができるかも……ううん、でも、危険すぎるか」
リンが銀の髪をくしゃくしゃとやりながら、唸った。
「とにかく、お二人が無事に帰ってきてくれたことが何よりです」
マーガレットが手をぽんと打ち合わせて、重くなりそうな雰囲気を打ちきった。
「こんな状況下ですが、教会が
「それまでは、自衛隊の言うとおりに籠もっているしかないんですか?」
「残念ながら……彼らに注目されるようなことになれば、あらがえるほどの力はありません」
リンはがっかりしていた。そして、自分ががっかりしていることに驚いた。
(早くゴルゴンと戦いたいとでも思ってるのか、あたしは?)
なぜ――もちろん、イノリを助けたいからだ。でも、それだけか?
ネコマタを倒した時、はっきりと自分の力が高まることを感じた。魂の半分が悪魔となった今では、より強い悪魔を倒すことができれば、自分がもっと強くなると感じているのではないか?
(だとしたら、あたしも――強くなりたいと思ってる? ううん、当然だ。強くなれば、イノリやコノカを守ることができる。自衛隊と戦うなんてことはムリにしても、彼らと何か取引ができるようになるかも。それが、学院を守ることに繋がるかもしれない)
どこか言い訳じみた言い分であることはわかっている。自分自身の奥から湧き上がってくる、力への渇望は否定しきれるものではなかった。
「寮で休んでください。悪魔の姿や力を、他の寮生に見せないように――」
と、マーガレットが告げようとした時だ。
『ピー』という、耳障りなノイズが正門から響いた。
「陸上自衛隊である!」
拡声器を通じて発せられる、ひび割れたような声が、無遠慮に学院の中に飛び込んでくる。
「清霊女学院の全職員、および学生に協力を要請する。さしあたっては、全生徒の名簿を提出せよ。また、調理施設を開放いただきたい!」
シスターマーガレットは、眉間に指を当てながら、深くため息をついた。
「代表者として話をしてきます。ここに居てください」
そして、修道女らを連れて正門へ向かっていった。
「どうして名簿がほしいのかな?」
「さあ……でも、そういえば、前にもチーマーが似たようなことを言ってたね。誰かを探してるのかも」
「それって、チーマーと自衛隊が同じ人を探してるってこと?」
「案外、つながってたりして」
「ぜんぜん違うよぉ」
「調理施設っていうのは……そりゃ、寮生の食事を作れる大きい厨房はあるけど」
「あるものは使えってことかな」
「そういう名目で、学院の中に入りたいのかも知れないよ。ほら、本来なら男子禁制だから」
「中に入ってしまえば、敷地内を調べられるから?」
「せっかく食事を作るなら、女子校で作ったものを食べてみたい……なんて話かも」
「や、やめてよ、そういうの」
外では、自衛隊と修道女による交渉が続いている。もちろん、マーガレットは自衛隊を一歩たりとも入れるつもりはないだろう。自衛隊はカルトに支配されていると言っていたくらいだ。旧校舎にある魔界への門を発見させるわけにはいかない。
「長引きそう……」
「分かるの?」
「そんな気がする」
自衛隊としては、強引に敷地の中に上がり込むほどの根拠があるわけではないだろう。だから、協力なんてまわりくどい言い方をしているのだ。
だが……
(コノカは女神の力に目覚めてから、ますます勘が鋭くなってる。一種の予知能力みたいなものかも。だとしたら)
リンはすっくと立ち上がり、おもむろに手近な棚を開け始めた。
「り、リンさん? 何してるの?」
「アレがないかと思って……ああ、あった。ほら」
りんっ、と小さな鈴の音が鳴った。
「それって、シスターマーガレットが使ってた、たしか……魔除けの鈴?」
「気休めかもしれないけど、あの『異界』で悪魔に襲われなくなるかもしれない」
「異界でって……どうするつもり?」
「あたしたちでゴルゴンを倒す。そうすれば、魔界の扉を解消して、自衛隊に見られて困るものはなくなる……まあ、あたしたち以外は」
「でも、シスターたちに話してからのほうが」
「話をしたら、絶対に許可されない。こんな状況で、助けが来るのを何日も待ってたら、どうなるか分からない……自衛隊よりももっと危険な悪魔が学院の中に入り込む前に、事態を解決する」
リンの言葉には、決意が満ちていた。
「それに、イノリが苦しむ時間も少しは短くなる」
コノカは困ったように眉を寄せていたが……やがて、悪魔召喚プログラムが収められたコンピュータを手に取った。
「リンさん、前よりイタズラっぽくなったかも」
「妖精だったことを思い出したせいかな。じっと見てられる気がしない」
「それじゃあ……行こう」
「今日は隠れてばっかりだ」
仕方ないよ、と肩をすくめて、二人は礼拝堂の裏口から出た。
鈴が鳴らないように抑えながら。
†
カラーコーンの上のバーにかかれた「立入禁止」の文字は何も変わっていない。
ただ、旧校舎から漂う尋常ではない瘴気はその濃さを増していた。
「思い出しちゃうな、来なければよかったって」
以前なら、ここにいるだけで震えていただろう。しかし、コノカは悪魔の存在を感じることにすっかり慣れていた。
「たしかに、イノリを止めるべきだったかも。でも、あたしたちが何もしなくても、きっと悪魔は現れた」
リンもまた、ほとんど恐怖を感じていなかった――いや、感じてはいるが、それよりもはるかに強い決意によって乗り越えているのだ。
正門のほうからは、今も自衛隊と修道女たちが交渉を続けているはずだ。ときおり、拡声器を使って大きな音を出して脅かそうとしているようだが、マーガレットがそれで折れるわけがないことも分かっていた。
「勝手な行動は、今度こそ怒られるだろうね」
すぐに、旧校舎が見えてきた。木造の建物に見えても、中身はまるで違う空間になっている。
リンは片手に鈴を構えた。クラウ・ソラスはいつでも手の中に生み出すことができる。
コノカは悪魔召喚プログラムのスリープを解除した。
「行こう」
「うん」
うなずき合って、入り口を開く。冷たく湿度の高い空気が中からこぼれ出す。
まるで、石でできた蛇の喉の中に入り込んでいくみたいだった。だがどちらも足を止めることはなかった。