石の床と壁がどこまで続いている。
ユニコーンの蹄が石を踏みならすたび、固い音が暗闇の中に響き、幾重にも反響して鳴り響いていく。
「どっちに進めばいいホ!?」
見た目とはずいぶん印象の違う声で、白馬が叫ぶ。通路は曲がりくねり、いくつにも別れている。旧校舎の地下に広がっているとは思えない、悪意ある道のりである。
「左の壁に沿って進んで。どちらかの手を壁につけて進めば、いつか必ず迷路を出られるようになっているから」
ユニコーンの背に乗ったまま、コノカが答えた。馬に乗った経験はないのだが、その背に揺られても、バランスを取る必要もなければ、気分が悪くなることもなかった。それこそが、悪魔の力なのだろう。
「よく知ってるね、そんなこと」
コノカの後ろで、リンがぽつりと漏らす。数日前まで交流さえなかった彼女の知識には、驚かされてばかりだ。
「迷路探索アルゴリズムの基本なの」
「なんだって?」
「ううん……」
説明すると長くなりそうだ。コノカは話を変えることにした。
「複雑な迷路だと通用しないけど……コンピュータに道筋を記録するプログラムも入ってるから、きっと大丈夫」
「悪魔召喚プログラムだけじゃなかったの?」
「一緒に搭載されていたみたい。このプログラムを作った人は、悪魔が異界を作り出すコトを知っていたのかも」
「まるで、こうなることを予期してたみたいだ」
「たぶん……そうなんだと思う」
悪魔と契約して悪魔と戦わせる、まさに悪魔的戦略だ。なにを考えてこのプログラムが作られたのか。興味は尽きないが……
「ヒホ!?」
角を曲がろうとしたユニコーンが、急制動をかけた。また「キキーッ」というブレーキ音がどこからか聞こえたが、そんなことに構っている場合ではない。
通路の奥から、カタカタと乾いた音を鳴らしながら、いくつもの影が立ち上がった。古代ローマ風の剣と盾を持った、骸骨の姿をしている。
「鈴の力で悪魔は襲ってこないはず……」
「効果がない悪魔がいるのかも。それとも、この場所では通用しないのか……」
デビルアナライズを起動させると、『闘鬼スパルトイ』の名が表示される。
「スパルトイ……この通路を守ってるのかな?」
「襲ってくるホー!」
通路の幅を塞いで、骸骨たちが迫ってくる。ユニコーンは体を捻った。
「コノカ、身を低くして!」
リンが腕を振るう。輝く剣クラウ・ソラスが一瞬にして現れて、迫り来るスパルトイの胸の中心を突いた。悪魔は声にならぬ声をあげてその場に崩れ落ちる。
「はっ!」
「ホ!」
リンが馬上で身を捻ると、その意図のままにユニコーンが身を躍らせる。骸骨が振り下ろす剣をかわし、もう一体の構えた盾の上から、後ろ肢で思い切り蹴りつけた。
「いい子だ。まだ行くよ!」
銀色の髪すら乱さずに、霊剣が振るわれる。3体いた骸骨は、あっという間に斬り伏せられた。
「すごい。まるで……ずっと一緒に戦ってきたみたい」
「なぜか勝手に体が動いちゃうホ。何かやってたホ?」
「フェンシングだけだよ」
リンはクラウ・ソラスを消し去り、再び鈴を手に取った。手の中でそれを振れば、りん、という清らかな音が迷宮のなかに響く。先ほどまでと、なんら変わった様子はない。
「『妖精騎士』だからじゃない? 騎士って、馬に乗る戦士って意味でしょ?」
コノカの三つ編みの裏に隠れていたフェアリーが、ひょいと顔を出した。
「たしかに、そうだけど……分からないな。細かい記憶までは思い出せなくて」
「オイラも同じだホ。ジャックフロストだった時の記憶はおぼろげで、掴んだ砂のようにこぼれていってしまうんだホ。前世の罪は許されたんだホ」
「いいように解釈するなあ」
のんきに話してばかりもいられない。『左手法』に従って、ユニコーンは壁に沿って歩いて行く。乙女がふたりも乗っていることが嬉しいのか、足取りは軽い。
「コノカ、ゴルゴンのことだけど……」
鈴を振りながら、リンは囁くように話しかけた。ユニコーンの上では、コノカが前、リンが後ろだ。悪魔がうろつく迷宮のただ中で振り返ることはできない。コノカは前を向いたまま頷いた。
「キミが石化を防ぐ力を持っていることは知らないはずだ。だから、あたしたちのことも石化させようとするはず」
「うん」
「数秒でも、隙ができると思う。その間に一気に駆け寄って、やつを倒す」
もう一度、今や運命を共有している相手が頷くのを確かめて、リンは話を続ける。
「あたしはやつの目を見ることはできない。だから、いつ突くかはコノカが指示してくれ」
「指示って……」
「今だ、って言ってくれるだけでいい」
「そんなこと、私には……」
「キミにしかできないんだ」
もちろん……そうだ。ゴルゴンに挑むことができるのは、ゴルゴンとは正反対の性質を持つコノカの力があるからだ。
「……分かった。やってみる」
「オイラは誰か守ってくれないホ?」
「ユニコーンには、邪悪な呪いをはねのける力があるから大丈夫だよ」
たてがみを撫でながら、コノカがなだめるように言う。あの時――邪教の館で悪魔を合体させるときに、確かめている。石化の魔力をはねのける力が、聖獣には宿っているのだ。
「ゴルゴンが噛みついたり引っ掻いたりしてきたら……」
「頼んだよ、コノカ」
「またこれだホ」
すっかり諦めた口調で、ユニコーンはうなだれた。
†
闇の深淵――石造りの迷宮の奥。広々としているが何もない空間で、悪魔が瞳を輝かせた。
その体は腰から下が巨大なのたうつ蛇と化している。髪の代わりに幾匹もの蛇がうねり、常に舌を覗かせていた。
「いるんだろう、そこに」
石でできた、分厚い扉の向こう側へと、敵意も露わに叫ぶ。
「その扉を開けるともう後戻りはできないよ。ここが迷宮の深奥、
頭の蛇たちが一斉に同じ方向を向いていた。その舌には、敏感ににおいを感じ取る能力が備わっている。
「人間だね。あの天使どもに使わされたのか。直接手を下せばいいものを、汚れ仕事は人間にやらせる。
返事はない。だが、そこにいる。隙をうかがっているのか。タイミングを計っているのか。
「この迷宮は私のものだ。扉ひとつを開けるかどうか、あんたたちに決める権利なんか――ないんだよ!」
悪魔――鬼女ゴルゴンが片手を振り上げる。途端、重々しい扉がひとりでに開かれた。
「走って、ユニコーン!」
か細い女の声が聞こえた。同時に、この暗い迷宮の中ではおそろしく目立つ白馬が、一気に突っ込んでくる。額のツノをまっすぐに向けている。
その背に、ふたりの女が乗っているのが見えた。いずれも、見なれた服装だ――同じ服を着た女を、7人も石に変えてきたのだ。イヤでも覚えるに決まっている。
「馬鹿め。石に変えてやるだけだ!」
その顔がはっきり分かるまで近づけば、その目を見るだけで、石に変えることができる――簡単なことだった。
馬の後ろ側に乗っている銀髪の女は、目を閉じているようだった。だが、目を閉じて戦えるはずがない。聖獣を殺して引きずり下ろせば、簡単に始末できる。
手前のほうは、さらに愚かしいことに目をはっきりと見開いていた。眼鏡ごときで魔力が遮られるはずもない。ゴルゴンははっきりと、その目を見た。
「……っ!?」
妙な悪寒が、悪魔の体に走った。目に見えない力が、ゴルゴンの目から放たれる魔力を防ぎ、あらぬ方向へと弾いたのだ。
「バカな、なぜ人間が……」
「リンさん、今です!」
はたと気付いた時には、白馬の突進は目の前に迫っていた。体当たりに備えるため身を固くしたゴルゴンに対して、直前でユニコーンは身をひねり、その背に乗った銀髪の女が剣をまっすぐに突き出した――目を閉じたまま。
「ぐ、っ――!」
輝く刀身が、悪魔の胸に深々と突き刺さっていた。
†
ユニコーンの突進を見事に操りながら、コノカの掛け声に合わせて剣を突いた。自分でも驚くほどに的確に、リンはその剣を操ることができた。
はっきりとした手応えを感じていた……だが、ゴルゴンの魔力が消え去るまで、目を開けるわけにはいかない。
「ごめんなさい、でも――友達を、返してもらいます」
コノカははっきりと、ゴルゴンの目を見つめながら言った。その瞳は宝石のような輝きを帯びていた。害を為すための目だとは、とても思えなかった。
「こ、この、におい……」
胸の真ん中に剣を突き立てられたまま、ゴルゴンは呻くようにつぶやく。
「そうか、女神の力を、得たな――おのれ、そうまでして、私を殺しに来たか」
「ごめんなさい……」
繰り返すしかなかった。コノカはきゅっとハの字の眉を寄せた。悪魔を殺しても平気だとは、とても思えなかった。
「
妙だ。ゴルゴンは大きく胸を反らしたかと思うと、ひときわ強く瞳を輝かせる。
「この怒り! 思い出した! 私は――私は――女神などに! 殺されてたまるか!」
「何だ、この力は……!?」
クラウ・ソラスを通じて、ゴルゴンのナカで何かが膨れ上がっていくのが分かる。その刀身を、ゴルゴンは両手で掴んだ。
「私の名を知っているか……私の……私の名を!」
胸を貫かれたはずだ。だが、低くしわがれていた声は今や、生気を増して力強くなっている。
「ゴルゴン――」
「ちがう!」
掴んだ刃が、引き抜かれていく。リンが踏ん張ろうとしても、それを上回るほどの力がこもっていた。
「私をおとしめるための名で私を呼ぶな! 私は
ついに、刃が悪魔の胸から抜かれた。背中へと貫いていたはずのその傷口からは、青い血が流れ出す。その血は悪魔の体じゅうへ波紋のように広がり、全身を覆っていった。
「それを――それをお前と同じ女神におとしめられたのだ! アテナ! 憎き女! 私は復讐のためにこの東京へとやってきた!」
生木を引き裂くような恐ろしい音とともに、ゴルゴンの背が裂けた。背からは金色の血が噴水のように噴き上がり、それはそのまま
「ヤバいホ、さっきよりも危険な雰囲気だホ!」
「獣が、邪魔をするな!」
頭を覆う幾匹もの蛇が、一斉に白馬の喉に噛みついた。鋭い牙に突き破られた首から、血が幾筋も流れ落ちていく。
「ヒ……ホ……!」
「ユニコーン!」
「女神、お前も殺してやる!」
蛇の一匹が、コノカの首筋へ向けて鎌首をもたげる。
「っ……!」
身を強張らせた。今だに、コノカには悪魔と正面から戦えるほどの勇気はなかった。
その牙が、白い喉元へ突き立てられる直前――
「ヒホ――!」
その蛇の胴に、ユニコーンが噛みついた。肉食の牙ではないが、草を引きちぎる形をした前歯は、蛇をやすやすと噛みちぎった。
「強いやつに恐れて従ってばっかりじゃ張り合いがねえホ!」
さらに首を大きく揺する。尖ったツノが振り乱され、蛇の体を引き裂いていった。
「こざかしい!」
ゴルゴン――いや、青銅の体を持つ悪魔が、青光りする腕でその頭を掴む。ぎり、と一瞬の均衡があった。
「このまま、首を引きちぎってくれる――!」
「
その時になって、ようやく体が動いた。コノカはキーボードに指を滑らせて、プログラムを走らせる。ユニコーンの体はメモリーのなかへ吸い込まれていった。
「っ……!」
その背に乗っていた少女たちが地に足を着く。リンは目を閉じたままだったが、天性のセンスのためか、バランスを崩してはいない。
(私たちでは、きっとこの悪魔には勝てない――)
確信じみた直感を、コノカは感じていた。何が起きているのか、はっきりとは分からない。女神の力が守ってくれると信じていた。だが、その女神の力が、ゴルゴンにより強い悪魔としての姿を、思い出させてしまったのだ。
「リンさん、こっちに!」
手を取って、駆け出す。だが、ゴルゴンによって開け放たれた扉は、今度はひとりでに閉まった。
「言っただろう、後戻りはできないよ」
悪魔が翼を大きく広げた。その翼は迷宮の天井に突き刺さり、羽ばたく代わりに、虫が張り付くように天井に体を持ち上げていく。
「私はおとしめられた。今更、再び栄華を味わおうなんて思わない。だが――」
黄金の翼。青銅の体。美しい女の顔はアゴが張りだして、イノシシのような牙が突き出していた。
「秩序を崇めるものすべてに、私をおとしめたことを後悔させてやる」
(石になっていれば)
とコノカは思った。
(いっそ、こんな恐ろしい姿を目にしなくて済んだのに――)
「私は――魔王メデューサ。今こそ、復讐の時だ!」