自由は100分間しかない。
女学院の一日の授業は、教室で行われる「午後の祈り」で終了となる。教師の祈りを生徒らが繰り返す、単純な儀式だ。
放課後は、各生徒が自由に過ごすことになっている。だが、全寮制であるから生徒はみな、敷地内の寮へ帰らなければならない。
寮の門限は、「午後の祈り」のおよそ100分後だ。だから、生徒たちはこの100分間を『自由』と呼ぶことになる。
しかも、学園の敷地内から出るためには、彼女らの生活を監督する修道女たちから許可を得なければならない。誰がいつ、何の目的で敷地の外に出て、いつ戻ってきたかは記録されている。
時間は100分。どこにいるのかは記録されている。
それが、清霊女学院の生徒に与えられた「自由」の全てだ。
かくしてイノリは、女学院の敷地内にある
広々とした礼拝堂の奥には、ステンドグラス。その表現は
かろうじて、二人の人物らしきものが描かれているのが分かる程度だ。
そのステンドグラスの下部には、大きなパイプオルガンが据えられている。あかがね色の金属筒が整然と並べられ、上方に突き出している姿は、いつもイノリに、
(……大きな生き物みたい)
という感想を抱かせる。
礼拝堂には、ひとりの女性の姿があった。幾人かいる修道女たちの中の一人。
ほっそりとした体つきは、修道服の上からでも分かる。柔和な顔立ちは、日本人らしく見えるときもあれば、どこか遠い国の人のようにも見える。
「こんにちは、シスターマーガレット」
と、イノリが呼びかけると、その女性はゆっくりとこちらを振り向いた。
「こんにちは、イノリさん」
囁くようなウィスパーボイス。なのに、この広い堂の中で数歩の距離を空けていても、その声ははっきりと聞こえた。
マーガレットというのが彼女の本名なのか、それとも洗礼名を通称しているのか、イノリは知らない。
(ラッキー)
と、イノリは密かに微笑んでいた。
(シスターマーガレットなら、話がしやすいわ)
女学院の礼拝堂に勤める修道女の中でも、彼女は寛容な方だ。なかには、外出許可を取ろうとすると、その目的をあれこれ詮索する人もいる。ただでさえ門限があるのに、さらに外出時間に制限をかけられることまであるのだ。
だが、目の前に居る彼女なら、あまり細かくは聞かれないはずだ。
「実は明日、外出する許可をいただきたいんです」
「まあ。そうですか」
マーガレットは案の定、あっさりと受け入れてくれた。そして、一角にある棚の中から、一冊のノートを取り出した。カバーにはエンボス加工で凹凸が作られた高級品だ。単なる外出記録のためだけに、こんなに物々しいノートを使わなくてもいいのに、とイノリは思うのだが、格式ある礼拝堂に安っぽい大学ノートを置くのも、場違いなような気もする。
「どちらに行かれるのですか?」
「駅前の写真屋さんに。用事はすぐ終わります」
「用事というのは?」
「これです」
イノリは、首にストラップでかけていたインスタントカメラを掲げてみせた。
「専用のフィルムがないと、新しい写真が撮れなくて。10枚しか入ってないから、まとめて買い足しておこうと思って」
「そうですか」
これまた高級そうな、黒と金の金属製のペンを手にして、マーガレットがノートの中に何かを書き留めていく。左手でノートを
「イノリさんは、確か1年……」
「B組です」
「ありがとうございます。それでは、時間までに帰って来てくださいね」
マーガレットは微笑んで、ノートを
「あ、そうだ」
と、イノリは声をあげて、まっすぐに前を示した。
「前から気になってたんですけど、このステンドグラスって何を表しているんですか?」
礼拝堂の正面に大きく据えられたステンドグラス。印象的な色使いだが、何が描かれているのかが読み取れない。
「受胎告知です」
「受胎告知……」
「左に描かれているのは大天使ガブリエル、右が聖母マリアです」
ぽかんとしているイノリ。マーガレットは自らもステンドグラスへと向き直って話を続ける。
「マリアのもとをガブリエルが訪れ、聖霊によって神の子、つまり主を授けたことを告げました」
その話は、イノリでもよく知っている。たくさんの芸術のモチーフにもなってきた有名なシーンだ。
「こんなことを聞いたら、ぶしつけかも知れませんけど……」
イノリが控えめに話を切り出すと、修道女はゆっくり頷いて続きを促した。
「天使は今もいるんでしょうか?」
問いかけに、マーガレットはしばらく沈黙した。
「あ、いえ、変な意味じゃなくて、実際に見たり、会って話したり……できるのかなって」
「そうですね……マリアがガブリエルと対面したのは、とても特別なことです。ですが……」
「ですが?」
「守護天使、という言葉を知っていますか?」
「守護天使?」
オウム返しばかりになってしまっていることがどことなく恥ずかしく感じられて、イノリははにかんだ。
「あらゆる人のそばに、天使がいると言われているのです。生まれてから、その生涯を全うするそのときまで、天使は常にそばにいて、皆を守っているのです。そして、人は天使に語りかけることができます。お祈りの言葉も、企みも、天使は聞いています」
ドキリとして、イノリは胸を押さえた。ちょっとした企みを、彼女に伏せていたからだ。
「わ、私のそばにも天使がいますか?」
マーガレットはいつもの柔和な表情をさらにほころばせ、輝くような笑みで頷きを返した。
「もちろんです。守護天使があなたを守り、導いてくださいますよ。何が起きても、見放すことはありません」
「そうですか……」
胸を押さえた自分の手をゆっくりと下ろして、視線をさまよわせる。天使の姿は見えなかったが、夕陽がステンドグラスにかかって、そこに描かれた大天使の羽が一層白く見えた。
「ありがとうございます、シスターマーガレット」
深く頭を下げるイノリに、マーガレットはノートを閉じて両手を組み合わせた。
「神のご加護がありますように」
†
「どうだった?」
礼拝堂を出たところで、声をかけられた。驚きはしない。イノリ自身が、彼女にここで待っているように言ったのだ。
声を掛けてきた女生徒……銀の髪のリンに対して、イノリはぐっと親指を立てた。
「バッチリ。シスターがつけている外出簿の記録をのぞき見したけど、ここ一週間で斎藤さんは外出してない」
「寮には?」
コノカが控えめに聞いてくる。
イノリは、二人……リンとコノカの顔を順番に見てから話を続ける。
「昼休みの間に大急ぎで寮に帰って、何人か――いなくなっている生徒の部屋を訪ねてみた。ノックしても、返事が返ってくる部屋は一つも無かったから、学院にも寮にもいない。やっぱり、私たちの学院から生徒が少しずつ消えて行ってるんだよ。なのに、先生やシスターたちは何も言わない」
すっかり、イノリはこの事態にのめり込んでいた。身近な場所で起きている失踪事件。知ってしまったのに、放って学院生活を続けることなんてできない。
「病気やケガをして入院したとか、急な用事で実家に戻ってるのかも。それぐらいは、よくあることだろう?」
「こんなに一度に起きるなんて不自然よ。斎藤さんが欠席した時は、なんて言ってたかな……」
記憶を辿っても、うまく思い出せない。何せ、その時にはクラスメイトが欠席している程度の認識で、ここまで気にしていなかったのだ。
押し黙るイノリ。コノカが躊躇いがちに口を挟む。
「『ちょっと事情があって、何日か休む』……ってぐらいだったと思う」
「そうそう、そんな感じだった。先生は何か知ってるのかな」
「どうだろう。でも、直接聞くのはやめておいたほうがいいかも……」
「もし陰謀に先生たちも関係しているとすれば、聞くことも危険よね」
イノリがうんうんと頷いていると、リンは呆れたように額を押さえた。
「
びっくりしたように、コノカは首を振った。
「そ、そういうわけじゃないけど、もしかしたら何か共通の事情があるのかもって……わ、私、どうせ自由時間なんて、部屋に籠もってるばっかりだし。一緒に調べてみたいなって……」
「はあ……まったく。どうしてあたしまで……」
「私もコノカも、運動は苦手だし。リンはフェンシングの達人でしょ?」
「部活でやってるだけだって!」
清霊女学院の部活動は週に二回だ。選手権大会のような、大きな大会に出場することは少ない。しかし、リンは中等部3年の時、全国大会に出場を果たした。選手人口が少ないといっても、少なくとも女学院の中では、ちょっとした事件として騒がれたのだ。
「まあまあ、用心棒ってことで」
「まったく。……それで、仮に生徒がいなくなっているとして、それをどうやって調べるつもり?」
「よくぞ聞いてくれました! コノカくん、あれを」
「本当にするのぉ……」
と、言いつつも、コノカはカバンの中から四つ折りにされた紙を取り出した。白黒で印刷されたその紙を広げると……
「これって、校内地図?」
描かれているのは、清霊女学院の敷地内を簡易に表した地図だ。寮の中に何枚も置いてあるもので、何なら裏側をメモ用紙に使われるぐらいありふれたものだ。
「そう。そこに、これを……」
と、イノリは自分の首にかけられたペンダントを取り出した。普段は制服の中に隠してあるのだ。
ペンダントには、シルバーの小さな
「イノリ、それってまさか……」
「ダウジングよ!」
自信満々に言い張るイノリ。リンはノックアウトされたみたいに額を押さえて下を向いた。
「振り子の動きで捜し物が見つかるって、それはおまじないでしょ? そんなもので手がかりが見つかるって本当に思うの?」
「私も止めたほうがいいって言ったんだけど……」
控えめに言うコノカ。彼女が『やんわりと』引き留めても、イノリを止められないことは明らかだ。
「もしも悪魔が関係してるなら、おまじないだって効果があるわ」
「悪魔って……」
説明を求めるリンの視線。イノリは力強い目つきで『説明は後!』と伝えていた。
「気が済むまでさせてあげて」
……と、こっそりコノカが言う。
「それに、私の守護天使が教えてくれるかも。言葉が聞こえなくても、おまじないなら……」
聞いたばかりの話を思い出しながら、イノリは振り子代わりのペンダントを地図の中でぐるぐると動かしていく。
「校舎は……反応なし。礼拝堂も。うーん、いま私たちがいるのがこのあたりで……」
「ねえ、せめてもっと人がいないところにしない?」
礼拝堂の近くの小道は、礼拝堂に訪れる生徒が時々通りがかる。外出許可だけでなく、お祈りや懺悔をしに来る熱心な生徒もいるのだという。
「イノリさん、まだやるの?」
地図を両手で広げているコノカも、さすがに恥ずかしくなってきたらしい。戸惑いがちに聞いたとき……
「あっ!」
と、イノリが声をあげた。ぶら下げたペンダントの十字が、大きく円を描いて動き出したのだ。
「この場所……旧校舎だ」
「それってイノリが動かしてるだけなんじゃ……」
「私の第六感が動かしたんだよ。他の所には反応しなかったもん」
そういって、イノリはペンダントを首にかけ直した。
ようやく地図を広げる役目から解放されたコノカはほっとしたように地図をたたみ直していたが、やがて不安そうに眉を寄せた。元々ハの字を描いている眉が、ますます不安げに傾いている。
「でも、旧校舎って今は立ち入り禁止でしょ?」
清霊女学院の一角にある旧校舎は、現在の新校舎を建ててからは、もう何年も使われていない。近いうちに取り壊しが決まっている……らしい。だが、それがいつになるのかは生徒には知らされていない。
「残りの時間は――60分。旧校舎まで行って帰ってくるぐらいはできる」
†
立ち入り禁止といっても、物理的な障害があるわけではない。
ただ、旧校舎へ続く道の上にはカラーコーンがおかれて、その上に渡したバーの上に「立ち入り禁止」と書いた札が貼られているだけだ。
見張りがいるわけでもないし、簡単に乗り越えることができる。
そういうわけで、三人――イノリ、リン、コノカは、空が赤く染まる頃、旧校舎に辿り着いてしまった。
夕陽を背にした旧校舎は思いのほか暗く、どんよりとした重い空気を漂わせていた。
人が使っていない建物に流れる独特の空気だ。屋上の手すりには点々とカラスが並び、寂寥感と「そろそろ帰らないと!」という気持ちを思い起こさせる鳴き声を上げていた。
「……やっぱり、やめておかない?」
ぽそりと、コノカが言った。すでに腰が引けている。
「大丈夫、まだ時間はあるし。ほら、コノカはこれ、持ってて」
そう言って、インスタントカメラを差し出す。
「何かあったら証拠を押さえておかないとね。私が先に行くから、コノカはついてくるだけでいいよ」
「あたしは?」
横合いからリンが問いかける。
「何かあったときに、私たちを守る!」
「まったく……。速く済ませよう」
どうせ、何も見つかるわけがない……リンがそう考えていることは明らかだ。
だが、イノリは彼女の反応が気にならないくらいに、熱中しはじめていた。
(ダウジングにも反応があった。きっとここに何かあるんだ……いなくなったみんながどうなったのか、私がつきとめる!)
大きく深呼吸をして、ペンダントの十字を握る。
「『あなたがたのうちに、100匹の羊を持っている者がいたとする。もしもそのうち1匹がいなくなったら、ほかの99匹を野原に残してでも、いなくなった1匹を見つけるまで捜し歩くでしょう』」
呟いた。自分を勇気づけるための一節だ。
「ルカによる福音書……?」
コノカの呟きに頷いて答える。
「行こう、羊を見つけてあげなくちゃ」
ぽっかりと暗い口を開けた旧校舎の中へ、イノリは歩き出した。
本文中の聖句の引用は、新約聖書「ルカによる福音書」15章4節からです。
時間を決めて投稿した方がいいですね。月・木の22時に更新とします。